08 玄鳥
板戸のすき間から入る風は冷たく、宮の内はしめやかな気に包まれている。
杜夔は、小さな舎の几の前に坐していた。几の端には楽章と律の書が重ねられ、朱の筆は水気を失って脇に伏せられている。
戸を叩く音がした。応じる前に、外から官の声が響く。
「太楽令・杜夔殿に、詔のこと伝え奉る」
杜夔は立ち、帯をただした。戸を開けば、印綬を帯びた使いが一人、吏を従えて立っている。両の手の上にひとつの巻がのっていた。
「読み上げられよ」
低く告げると、官は書をひらく。
「太楽令・杜夔、礼楽を掌って久しい。しかるに近ごろは命に従わず、衆と和せず。よって、その官を奪い、印綬を収む。以後、宮の務めを離れよ」
廊の空気がいっそう冷えたように思われた。杜夔は目を伏せて拱手する。
「詔、たしかに承った」
印綬を解くとき、指先に短い重みが伝わった。今、官の手へ渡ってゆく。だが、その目には悔いる色はない。守るべきものを違えた覚えが、自らにはなかった。
「荷をまとめるほどの物も持たぬ。すぐに立つとしよう」
舎の中を見回しても、持って行くべきものは少ない。書は官物であり、鐘や磬の譜は、すでに弟子たちの手に移されている。几の脇の小さな竹の笛だけを取り上げ、袖に収めた。
戸を出ると、回廊の向こうに人影が見えた。報を受け、太楽の舎から駆けつけた者たちである。衣の裾を乱した若い楽人らの列の前に、邵登が一歩進み出ていた。
「先生」
声は震えを含んでいる。杜夔はその顔に目をやった。几の陰で札を繰り、礼の次第を記してきた弟子である。
「聞いてのとおりだ。太楽の務めは、これよりおまえたちが支えよ」
杜夔が言うと、邵登は深く頭を下げた。
「先生の教えは条に記し、譜に載せてございます。たとえ先生のお姿がなくとも、礼の音を違えることなきよう務めます」
その後ろに、張泰の大きな影が立っている。鼓の拍を立ててきた腕は、今は固く拳を握っていた。
「先生が去られては、殿上の拍も鈍りましょう」
張泰は顔を上げる。
「社の礼も軍の楽も、拍を乱せば列が崩れます。われらが拍を守り、先生の律に背かぬことを、ここで誓います」
桑馥は列の端に立ち、琴を抱えていた。雅の調べも胡の響きも、その耳は知っている。だが、この朝ばかりは、弦に指を置くことさえためらわれた。
「先生のお教えがあったればこそ、歌と言とが離れぬことを知りました」
彼は胸の前で琴を抱き直す。
「時の人は鄭の声を喜ぶかもしれませぬ。それでも礼の場には礼の音が要ります。弟子の一人として、その橋を保ちます」
杜夔は、ひとりひとりの顔を見渡した。
「よし」
短く告げると、声は朝の敷石に落ちて広がった。
「楽とは、器と人とで成るものだ。律を知る者、拍を立てる者、響きを聴く者。その三つがそろえば、礼は形を保つ。わし一人が去ったところで、楽が絶えるわけではない」
邵登は顔を上げる。
「しかし、先生がいなくては」
その言を、杜夔は首の振りで制した。
「人はいつか去る。わしもまた、その一人にすぎぬ。ただ、去るまでのあいだに聴いた音を札に残し、おまえたちの耳に渡した。それで足りぬと言うなら、弟子を持った甲斐がない」
張泰の目が滲んだ。桑馥は唇を噛み、琴の棹を握り締める。他の楽人たちも、言葉を飲み込んでいた。
「宮城の鐘は、これからも鳴る」
杜夔は廊の向こうを見やった。宗廟の屋根が、朝陽を受けて鈍く光っている。
「その音が礼にかなうか否かは、今の主と、おまえたちの耳にかかっておる。わしの耳は、すでに務めを終えた」
そう言うと、彼は衣の裾を払った。
「いざというときは書をひらけ。そこにあるのは、わしの声であり、先人の礼だ。人の興は時々で変わるが、礼の形は、そうやすく変わるものではない」
やがて、杜夔は一同に向かって深く一礼する。
「長く世話になった」
楽人たちはあわてて膝を折った。その前を足音が通り過ぎる。
門を出る道は朝靄がうすくかかっていた。宮城の外へ向かうたびに、見慣れた柱と屋根が背後へ遠ざかる。杜夔は振り返らない。背に感じるのは、弟子たちの視線と、遠くかすかに聞こえる鐘の記憶である。
胸の内には宮の調べが残っていた。それは歩みとともに続き、洛陽の街路を離れる足どりに、目には見えぬ拍を刻む。
杜夔が宮城を去ってからのことを、正史は伝えていない。だが、楽の道に生きる者のあいだでは、別の形でその名が受け継がれていった。
邵登、張泰、桑馥の三人は、やがて太楽丞の位に登った。
几の陰で札を繰り、礼の次第を書きとめてきた邵登の手は、そのまま太楽の律と制度を支える手となった。祭祀の日には鐘と磬の列の前に立ち、書に記された礼の条と、耳に刻んだ師の声とを重ね合わせて、楽の乱れを正す。
かつて鼓の前に立ち、拍ひとつ乱せば列が崩れると語っていた張泰は、今は太楽の舎にあって、文の舞と武の舞とに拍を配し、軍の楽と宮の楽とを整えた。祭祀のたび、彼の声が殿の柱のあいだを走り、打ち手と舞人の足並みを揃える。
琴と瑟、笙と簫をあやつる桑馥の指は、雅の調べも胡の響きも聴き分けた。だが礼の場に立つとき、彼が選んだのは師の教えであった。詩と声とを離さぬこと、言と音とをむやみに飾らぬこと。その二つを胸におさめ、雅と俗とのあわいに細い橋をかける。
陳頏は、のちに司律中郎将となった。楽官の列の中にあって律を司る役である。若き日に杜夔のもとで金石の清濁を聴き分ける耳を磨き、その一端を朝廷の務めに用いた。
こうして弟子たちは、それぞれに器を違えながらも、太楽の内に散って師の仕事を継いだ。律を正す者、拍を立てる者、響きを聴き分ける者が、杜夔の耳をそれぞれ一片ずつ分け持ったのである。
時は流れた。魏の世が去り、晋が立ち、さらにのちの代になると、西域より胡楽が入り、ますます燕楽が盛んになった。人々は軽やかな調べに合わせて杯を掲げ、早い拍子と華やかな声とを喜ぶ。やがて雅楽を知る者は少なくなり、古い譜は庫の奥に眠るばかりとなりかけた。
そのような世にも、妙なる音を得意とする楽人は現れた。左延年の名など、その一つである。だが、その得意とするところは多く鄭声に属した。時の人はそれをこそ新しき楽と称えたが、礼の場に用いるべき音とは別のものであった。
後の書を繙くと、こう記しているものがある。左延年らの才はすぐれども、雅楽の伝統と、そのあるべき形を守り伝えることにおいては、杜夔に及ぶ者はいなかった、と。
宗廟の庭に響く鐘の声、社稷の祭祀で鳴る磬の澄んだ音、それらの奥には、ひとりの楽人の矜持が沈んでいる。世の興に逆らい、ただ礼のための音を守ろうとしたその心が、譜となり条となり、弟子たちの耳を伝って後の世へ渡っていった。




