自刎
さむい
いたい
ねむい
つかれた
俺は今日、人生を辞める。
愛に渡せなかった婚約指輪は未だ捨てられず、ズボンのポケットの中。
愛との1番お気に入りの写真は胸ポケットの中。
薄いレザージャケットのポケットには、どこかでのたれ死んだ親の借用書のコピーに俺の名前が書かれてるもの。
毎回、都合のいい時にしかこの名前は使われない。
俺の人生はこの少ないポケットに収まる程度のものだ。
ポケットに収まって、隣にも傍にも誰もいない。
今この時だって着信音は鳴らない。
いや、もう1週間前に強制解約されたんだっけな。
そりゃあ連絡は来ないし、この雪山に来てるって事も誰にも知られてないわけだ。
靴は防水性の欠けらも無い、布生地の500円で買ったALL STARのパチモン。
これでも仕事先で3年はもったんだ。安い割には長く生きた方だ。
俺は降り積もる雪の上に寝転がる。
もう、足が痛くて動かない。
感覚がないと言った方が正しいかもしれない。
だんだんとジャケットにも雪が染み込んできた。
絶対これもパチモンだなぁ。
良い革は水を通さないってどっかの知り合いに聞いたからな。
俺はジャケットの胸ポケットに入った愛との写真を、空から無情に降る雪と一緒に眺める。
今、愛はどこにいるんだ?
俺、愛がいないと何も出来なくなった。
朝の半熟目玉焼きとじゃがいもと葱が少し入った味噌汁、種が抜かれてある梅干しが乗った白米。
毎日同じもんでも、愛が作ってくれたから美味しかったんだ。
今日、同じもん作ったけど全部味が無かったんだ。
きっと愛の隠し味を知らないからなんだろうな。
だからあの世に行って、また2人で一緒に飯を食べたいんだ。
あの美味しい飯が食べれるならどこにでも迎えに行くよ。
俺は意識が遠のく中、写真を胸の上に置く。
もう、目も開けられないほど頭が痛い。
せっかく持ってきたナイフは使えなさそうだ。
雪が降り積もる音しか聞こえないはずの森の中。
何か重い足音が自分の下から聞こえるのに気づいた瞬間、痛みを感じないはずの脚に激痛が走り意識が飛びそうになる。
かすれ目で見えたのはぼやけた大きくて黒い影。
その口には俺の脚が突っ込んでいて鋭い牙が突き刺さっているのを感じる。
死ぬ時さえ自分の人生を選べないのか?
なんで…なんでいつも…、おれのじんせいを
こわすんだよ
さいごくらい、すきに…させてくれよ…。
そう思った時、空を斬る音と共に飛沫音、温かい雨と鉄の匂い。
そして1番鮮明に残ってるのは俺を包む雪に勝る冷たい体の人だと思われる者。
俺は意識を保つには限界でそのまま天に意識を飛ばした。