(4)
背後で、玄関扉が閉まる重い音がした。同時に、後ろから左手首を取られて、強制的に振り向かされる。
私がおどろきの声を上げる間もなく、やにわに都は言う。
「俺、アルファになったんです」
私は、それこそ、つい先ほどの合コンで知り合ったお相手のように、ぽかんと間抜けに口を開けることしか出来なかった。
都は、私が彼の言葉を呑み込めないうちに、畳みかけるようにとつとつと語り出す。
「さきほどの男は、アルファじゃないですよね。ベータが好みなんですか」
「なんで合コンなんかに参加したんですか。数合わせで呼ばれたって、本当なんですか」
「今だって簡単に部屋に上げて……。もしかして、他のやつにもこういうことしてるんですか」
都の言葉には、詰め寄るような、なじるような響きがあって、私は呆気に取られる。
都は話し足りないとばかりにまた口を開いたが、苦しそうに眉根を寄せたあと、目を伏せて唇を引き結ぶ。
「すいません、雪さん。こんなこと、言うべきじゃなかった。すいません……もう帰ります」
都の左手が、私よりもずっとごつごつとした手指が、私の左手首から離れて行く。
「おやすみなさい」。うつむきがちに、そんな言葉を都が言い終わる前に、今度は私が彼の手首を取った。
「それって、嫉妬?」
私が期待を込めてそう問うと、都はますますうつむいてしまった。
「……わかってます。俺にそんな資格はないって――」
「ちょっと待ってよ都。勝手に完結しないで! っていうかさっきアルファになったって、ねえ、どういうこと?」
「そのままの意味です」
そう言うや、都は手にしていた通勤カバンからクリアファイルを取り出した。
「それは、私が見てもいいやつ?」
「どうぞ。内容は違いますけど……前にも見せたことがあるでしょう」
クリアファイルに挟まっていた書類は、アルファ、ベータ、オメガの数値がグラフで描画されている。たしかに、こういった書類は自分のものも見たことがあったし、過去に都のものも見せてもらった覚えがある。
私の場合は、ほとんどどんぐりの背比べみたいで、わずかにオメガの数値が他の数値を上回っているような感じだった。だから私はオメガにしては背が高いし、発情期が来るのも遅めだったのかもしれない。
以前に見せてもらった都の検査結果は、オメガの数値はほとんどないほどに低く、アルファよりもベータの数値が上回っていた。はずだ。
「前と違う」
しかし、都の名前が印字された紙に描画されたグラフでは、オメガの数値がかなり低いことは以前と同じだったが、アルファの数値がベータの数値を突き放していた。
「……おかしいと思って、病院で再検査してもらったんです」
「『おかしい』って?」
「俺はベータなのに、オメガのフェロモン……のようなものが嗅ぎ取れている……そんな気がして」
「じゃあ」
――じゃあ、半月前の私の発情期のときには異変を感じてたってこと?
私がそんな疑問を差し挟むより前に、都は目線を上げた。その瞳には気まずさがにじんでいた。
「『巣作り』のことも医者から聞きました」
「えっ」
今度は、こちらが気まずい顔をする番だった。空振りに終わった「巣作り」を思い出すと、悲しいやら恥ずかしいやらで身の置き所がなくなる。
「すいませんでした」
軽く冷や汗をかくような気持ちになった私の前で、都が頭を下げた。私はおどろきに目を丸くする。
「え、ちょ、都っ」
「『巣作り』のこと知らなくて……オメガは作った巣を受け入れてもらえないとショックを受ける、と……」
「あれは……あの場で説明できなかった私も悪いし……!」
「いえ、俺が悪いんです。雪さんの好意を見てみぬふりをして、これまでオメガ性のことを知ろうとすらしなかった」
都がゆっくりと顔を上げる。
「それなのに、今さら雪さんが男といて嫉妬したり、独占欲みたいなものを感じてしまって……。いい大人なのに、情けない」
自嘲的な笑みを浮かべる都へ、「そんなことない」と言うよりも前に、違う言葉が口を突いて出る。
「――私を恨んでる?」
「はい?」
「呪いをかけたから」
「の、呪い……?!」
「『ぜったいにアルファになる』、って……」
「え、あ、はあ……あれ、呪いのつもりだったんですか……?」
「……そういうつもりじゃなかったけど」
そういうつもりじゃなかったけれども、結果的にはそうなってしまった気がする。
「あのね、私気づいたんだ。ずっと都がアルファになればいいって、そうすれば『つがい』になれるって……だから都には、アルファになって欲しかった」
「今日、流れで合コンに行ったんだけど、なにもぴんと来なかった。……私には都しかいない。初恋をあきらめられないんだってわかった」
「都が、アルファでもベータでもオメガでも、男でも女でもそのどちらでもなくても、都が好きなんだって、気づいた」
「教えて欲しい。私は――この初恋をまだ、あきらめなくてもいい?」
この問いかけで最後にするつもりだった。
もしも、この問いに対する返事が「否」であれば、私はもう都をあきらめるつもりだった。
気がつけば、私はつるりとしたミュールの爪先を見つめていた。
「俺、アルファになったって言ったの、今のところ雪さんだけなんです」
「え?」
「会社以外に言うつもりはなかったんですが、雪さんが他の男と歩いているところを見たら、アルファなんだって言いたくなって……嫉妬で」
私は知らず知らずに伏せていた目線を、都の顔に戻す。都の耳はほんのりと赤く染まっていた。
「これまで向けられた好意をかわしていたのに、ムシのいいことを言っているって、わかっています。でも、アルファになって……雪さんと、なろうと思えば『つがい』という関係になれるんだって気づいたら……」
「……言っちゃったし、嫉妬した?」
「……そうです」
「両思いってこと?」
「…………そうです」
私は、口元が溶け落ちそうなほどに、にやけた。
「――そこは即答してよ!」
「すいません。やっぱり今さら感強いですし、恥ずかしくて……」
「えー、えー、えー、両思い! 両思いなんだ?! ふへへ……」
うふふ、と気持ちの悪い笑い声がこぼれ落ちる。これは、私にはどうにも止められない。今この場でカンガルーみたいに飛び跳ね回りたい気持ちでいっぱいだった。
「雪さん、わかってるんですか? 俺、年上のおじさんだし、今まで雪さんの好意を無下にしてきた人間なんですよ?」
「わかってるわかってる~」
「本当ですか……?」
「わかってるよ~」
「じゃあ」
再び、都が私の手首を取った。けれどもそれは、一度目とは違って、壊れ物にでも触れるかのような手つきだった。だが、指先に力強さが宿っていることもまた、よくわかった。
「……次に発情期が来たときは、『巣』で待っていてくれますか?」
私は都の熱い視線を受けて、顔いっぱいを熱くして、こくこくと何度もうなずいたのだった。




