七章
市役所が開く時間は早い。
役所の中にある『物』を目星に、たくさんの人々が朝早くから集ってくるからだ。
木製のドアを開けると、そこからは喧騒と混沌が交ざったむさ苦しい世界となる。一度も来た事のない女子供が入れば、数分も経たずに出て行くだろう。
私達はもう慣れてしまったその空間の中を歩き、カウンターで接客をしている一人の役人に声をかけようと近づく。
「おお、嬢ちゃんがた! どうだ、最近の調子は!」
こちらが話しかける前に気づき、客がカウンターを離れると同時に満面の笑みで迎えてくれた。
顔を口にして笑う豪快さ、よくお菓子やら食べ物やらを無料でくれる気前の良さ、こちらの近況をわざわざ聞いてくれる優しさを兼ね備えたこの人は、この市役所で十数年も働いているベテランさんだ。
この人の顔を見るたび、幼い頃に絵本で見た盗賊の統領の顔が頭を掠める。
だが、外見とは裏腹にとても暖かい人だというのは、ここに居る人全員が知っている事だろう。
私達はここに来るたびに変装をしているので、身分は知らないだろう。
確かにむさ苦しいのは嫌いだが、この人達の対等に自分と接してくれるところは好きだ。
だから、何があっても身分を明かすわけにはいかない。
ぐるりと辺りを見渡すと、いつものように大勢の人たちがいくつかのグループを作って談笑していた。
ここは、力自慢の人たちが集まってくる場所だ。
がたいのいい男の人や、私が見てもちんぷんかんぷんな言語の本を読んでいる女の人。鋭く光る剣を腰に差している人など、ここに集まってくる人の特徴を挙げていたらキリがない。
「こっちはいい調子だよ、親父さん。そっちの景気はどう?」
ぐるりと見渡してから、奥の方へ視線を投げる。
「おう、こっちは大繁盛よ!」
カカカと高笑いしながらそう言う親父さんは、とても上機嫌に見える。
平屋の役所の、出入り口から向かって真っすぐ行った道の突き当たり。
今自分たちがいる場所から飛び出たようなところにある部屋には、壁一面にコルク版が張られ、そこにおびただしい数の紙片が画鋲によってぶら下げられている。そしてその前には、それらの争奪戦をしている若者たちの影がわらわらといる。
「これとかどうっすか?」
「報酬少ないから別のがいいな」
「あ、ずりぃ! こっちが最初に見つけたんだぞ!」
「取ったもん勝ちだ!」
「これ結構簡単そう」
「あのー、それ譲って貰えたりしません?」
「うげ、適当に取ったら明らかに合ってないの来た」
「えー、またー?」
ここからでも十分に聞こえる騒ぎ声が、近くの人たちの話し声と交ざって耳の中で反響する。相変わらずうるさいなあ、と私は思い、頭から生えている耳を帽子の上から押さえつけた。
こんな場所がなぜ作られたのか……それを話すには、私達がかつて『兵器』と呼ばれていた所以から話さなければいけない。
人間は自分たちの国を、他の国よりも優位に立たせようと必死で頭を捻った。
その結果目を付けられたのが、動物たちというわけだ。人間という動物の基盤の能力を高める事で、戦力が増えるとでも思ったのだろう。
そして、その動物が持っている優れた運動能力を人間に移した姿が我々なのだ。
我らが猫は、聴覚と三半規管が優れている。
猫の耳と形状も同じにした結果、顔の横についている耳はその能力を失い、飾り物と言ってもおかしくない程に退化した。
掛け合わせた動物によって、特技や容姿は様々だ。
他に掛け合わされた者の特徴を挙げるとすれば、体毛や瞳孔の色くらいだろうか。
……まあこんな異形の姿の者が国から必要とされなくなった結果がこれだが。周りの人たちが私達を怖がっていたのも仕方のないような気もする。
人間もどきの形をした殺戮兵器が道をうろついていたら、誰だって戦慄するよなあ。
意識をこちらに戻して見ると、いつの間にか紙片を手に取った人たちがこちらに集まり、向こうのコルク板――『依頼』の前にいた人達は疎らになっている。
紙片を覗きこんで作戦を立てていたり、士気を高めていたりする人たちが多く、もうあちらに行く人はいないようだ。その隙に私は以来札の元へ走り、適当に目についたものをひっぺはがしてカウンターへ持ち込む。
「これ、やりたい」
「分かった。期間は今週いっぱいだが……まあ、アンタたちなら今日中に終わらせてくるだろうなあ」
苦笑いをしてくる親父さんに、満面の笑みを返す。
私の手元を覗きこんだ雪姉は、眉間にしわを寄せて一歩後ずさった。
「……これ、見るからに物騒じゃないですか」
「いいじゃん。ここの施設シャワーもあるし」
前にこれと類似した依頼を受けた雪姉は、歯で虫を磨り潰したような顔をする。
今親父さんがハンコを押している紙片には、いかにも古い教会の外観が写真となって載っていた。内容を見ると、手書きの文字でこの建物の中にいる奴らを捕えて欲しいという旨が書いてある。
やる気に満ちた私の顔とは対照的に、雪姉はジトリとした粘っこい視線を向けてくる。作業を終えた親父さんは、私達を見て豪快に笑った。
「やっぱり姉ちゃんたちはあべこべだなあ! 頑張ってこいよ!」
手渡された紙には、私と雪姉の名前――もちろん偽名――が書いてあった。もう取り消しができない事を悟った彼女は、深くため息を吐く。
渋々といった感じで彼女がその紙を受け取り、私は心の中でガッツポーズをした。
「じゃあ、行ってきまーす」
親父さんに手を振ってドアから出ると、早速私達は武器屋に行った。
もちろん買っても日常生活で使うことはほとんどないので、借りに行くのだ。
市役所にも面しているこの噴水の広場付近には、そういった店が多く集まっている。
いつも借りに行く店までは、ここから歩いて数分と掛からないだろう。
「……最後の方に残ってたという事は、それほど報酬が少ない、簡単なものなのですか?」
「いや、その逆。依頼を受けて討伐しに行った人が、何人か行方不明になってるみたいだね」
「そういう所が、あほ……いえ、無鉄砲と呼ばれる所以ですよ?」
そう言ってのける雪姉を肘で小突きながら歩いていると、古びた瓦屋根の建物の目前まで来た。
何の躊躇も無く中に入ると、さっきとは打って変わった静かな空気が身を包んだ。
さっきまで居た場所と正反対で、何となくそわそわとしてしまう。
奥のイスに腰かけている老人が目に入り、静かに武器を物色している人の間をすり抜けて、声をかけた。
「あの、いつもの剣、お願いします」
「……ああ、あれか」
老人の店主が少し間を空けてから反応を示し、店の奥へと移動する。またしばらく経つと、布に包まれた細長い物が抱えられてきた。
「ワシとしては、借りるばかりではなく、買ってくれた方が嬉しいのだがのう」
「いつか買うから大丈夫だって。はい、お金」
「ありがとさん。またおいで」
老人特有の暖かい声に押されるようにして、外を出た。
今私が手に持っている剣は、お金を払えば誰でも借りる事の出来るものだ。
所々に傷はあるが、脅しや切るのには事足りる。
片方を雪姉に渡し、紙片の裏側に描かれた地図を見ながらおおよその場所の検討を付けていると、周りの話し声よりも少し大きな声が聞こえた。
「あ、あの――」
……誰かを呼びとめているのかと思ったが、私はそのまま歩き続けた。
「すみません、少しいいですか?」
「――そろそろ反応してあげたらどうですか?」
聞きなれた声が響き、ようやく私は足を止めた。
見ると、そこにはつい最近見たばかりの男性が立っていた。
「……ああ、あの時の。どうしました?」
雪姉がそう言った事で、前に私達に余計な情報を渡した、あの新聞記者を名乗る者だと合点がいった。
「いや、見かけてしまったのでつい……どこへ行かれるんですか?」
男性のどこかに違和感を感じ、じっと見る。グレーのパーカーに着替えているが、背丈は同じ、声もほとんど同じだった。
頭の線を忠実に描いているフードを被っていて目元は見えなかったが、前会った時も帽子で目元が隠れていたので既視感を覚えた。
「いや、依頼を受けて討伐に……」
「依頼?」
「あ、内容見ます?」
首をかしげる彼に、手に持っていたものを見せる。それを見た瞬間に彼が最初に発した言葉は、「は……?」だった。
確かに女性二人で行くにはきつい依頼だろうけど、それにしたって失礼すぎやしないか?
しばらくしげしげと見つめた後、顔を上げて私と雪姉に交互に向けた。まるで、信じられないようなものを見るように。
――怖がることはないだろ。
さんざん国民から評価を聞いた私は、もうその眼にうんざりしていた。
確かに怖がるのはしょうがない気もするが、もう少し自制したらどうなんだ。
相手の目元は見えなかったが、口元が震えていることから、怯えているのがありありと分かった。
すでに小さな切り傷を何個か受けていた心に、さらに小さな傷がつく。
最初は何とも思っていなかったのに、チクリチクリと煩わしい、小さく鋭い痛みが生じる。だんだんその傷は深くなり、心を抉っていく。
ギリギリと何かが擦れるような音がする。
我に返ってみると、口を堅く結んで、歯を痛くなるほどに擦り合わせているのがわかった。
「……そろそろ失礼します」
私の身に纏う空気が一変したのが分かったのか、私の腕を引っ張って無理矢理に話を遮ろうとする雪姉。それに従ってくるりと踵を返すと、また後ろから声がかかった。
私を呼びとめる声を聴いて、苛立ちを隠せてない声で返事をする。
「すみません、俺もついて行っていいですか?」
「……はあ?」
今度こそ声に怒りが全面に出てきた。だが彼に物怖じしている気配は一切なく、むしろ食いついて来ているように見える。
「いや、貴方武器持ってないし。それに……」
「大丈夫です。邪魔はしないし、自分の身は自分で守ります。他に何か?」
「……私の事、怖いんじゃないの?」
小さな声でそう言うと、少しの沈黙。周りの喧騒が遠くに聞こえる。
ちらりと横を見ると、警戒心むき出しの雪姉が剣の持ち手に手をかけていた。ここで刃傷沙汰は止めて欲しいと願いながら、彼の返答を待った。
何分にも感じられた空白の後、彼は首をかしげた。
「……怖がってませんけど」
それを聞いて、安堵とも気恥ずかしいとも取れる何とも言い難い感情が頭を支配した。
それは、私がひとから初めて聞いた評価だった。
怖がってない?
「俺はただ、こんな勇敢な人を見た事が無かったので感動していただけです。誤解を招いてしまったのであれば、謝ります」
そう言うと、深々と頭を下げた。私は顔を真っ赤にしながら、必死に彼に頭を上げさせた。
「こ、怖くないの?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「嘘、吐いてる?」
「いえ」
「本当に本当?」
「だから、そうだと言ってるじゃないですか」と、彼は呆れたように言った。
「……一緒に来ますか?」
警戒心を解いた雪姉が剣から手を離し、いつもの真顔で相手に問う。
「はい。お願いします」
「……じゃあ、いこっか」
最後にもう一度彼に謝ってから、私は先ほど聞いた言葉を頭の中で反芻した。
――怖くない、か。