ミリアの願い
宿屋に戻るまで俺は何度もミリアに声をかけたが、ミリアは一度も返事をすることなく、黙って俺の前を歩き続けた。
顔を見ようと思って、歩く速度を上げると、ミリアも速くなり、俺に前を行かせてくれなかった。
それでも、ミリアは手を離さないようにしたかったのか、ずっと強く俺の手を握り続けた。
「おかえり。んー、ロキ君は悲しそうな顔をしていないし、アイちゃんのお母さんは無事だったのかな?」
宿屋に戻ると、ルカがカウンターから声をかけてきた。
「はい。なんとか。色々ありましたが、ルガール商会の若頭が退いてくれました」
「へぇ。色々と聞きたいこともあるけど、まずはミリっちどうしたの?」
入り口まで歩いてきたルカが、俯くミリアの額に手の平を当てる。
「ちょっと熱いね。顔真っ赤だから、もしかしてと思ったけど、風邪でもひいた?」
「ううん。大丈夫。寝れば治る」
「あっ、ミリっち。ちょっと」
ミリアはルカの手を押しのけると、俯いたまま階段を上っていった。
体調が悪いのに強がっていて、ずっと前を歩いていたのだろうか?
それなら、もっと気を遣ってゆっくり歩いてあげれば良かった。
「ロキ君。何してんの?」
「え?」
「可愛い女の子が辛そうにしてるんだよ?」
ルカが腕を組み、どこか不満げな口調になっている。
確かに熱を出しているミリアを放っておく訳にはいかない。
俺のしてあげられることと言えば、あれしかないか。
「薬ありますか?」
「薬はこのルカ姉様が持ってくから、ロキ君はさっさと上に行く!」
「は、はいっ!」
びしっと階段を指さしたルカは、何故かニヤニヤしていたが、その理由を聞くことは出来なかった。
薄暗い階段をあがると、ミリアの部屋の扉は閉じられていた。
寝付きの良い子だから、もう眠っているのかも知れない。
起こさないようにそっと扉の前に立つと、部屋の中からミリアの声が聞こえてきた。
「お父さん、お母さん……。今日、私……ありがとうって言われた」
お父さんとお母さん? 誰かいるのか?
中の様子をうかがうために、ドアノブをゆっくり回し、わずかに空いた隙間から部屋を覗いた。
ミリアはベッドの端っこに横たわり、何かを抱いて丸まっている後ろ姿が見えた。
「アイリスって言うの……。私はその子を見殺しにしようとしたのに」
ミリアの声と一緒に、ベルトの金属がこすれるような音がする。
ミリアが抱きかかえているのは、彼女の武器であるペールとメールだった。
「私に助けてくれてありがとう。って言ってくれた」
ミリアの声は震えている。喜んでいるのか、悲しんでいるのか分からないような、そんな声だ。
「私がアイリスを見殺しにしようとしたことを知ったら、アイリスは私を恨むかな……」
俺はミリアの独り言を聞いて、動けなくなっていた。
ドアノブにかけた手を押すことも、引くことも出来ない。
我ながら酷いと思ったが、ミリアの本音を聞いていたかった。
一人でずっと戦って生きてきたミリアのことを知りたくなったんだ。
「お父さん、お母さん。アイリスのお母さんが、アイリスの友達になってと依頼されたけど、私がアイリスを見殺しにしようとしたことを知ったら、友達を止めろ。って言うかな? アイリスに二度と近づくなって怒るかな……?」
壁に頭をぶつける鈍い音がした。ミリアが壁に頭を打ち付けたらしい。
「教えてよ……お父さん。お母さん」
祈るようなミリアの呟きに俺は扉を閉めた。
これ以上は聞いてはいけないような気がしたからだ。
「あの子の気持ち。分かった?」
「ルカさん?」
いつのまにか後ろにいたルカさんは、ティーポットとマグカップを乗せたお盆を持って立っていた。
「ね? 速く行けって言った意味分かったでしょ?」
「……今までずっと、あぁやって剣に話しかけていたんですか?」
ルカは言葉で答えず小さく息を吐きながら頷いた。
「これ薬。全部飲ませてあげて」
「あ、はい」
何も聞かず、何も答えず、ルカは俺に薬を渡して、この場から去ろうとしている。
俺に背を向けて階段を下りようとしているルカに、俺は慌てて声をかけた。
「ルカさん」
「なにかしら?」
「俺はどうすれば良いんですかね……」
「神様に力を示せば願いを叶えてくれるけど、人にだって人の望みを叶える力はあるよ。ロキ君。君はどうしたいの?」
振り向いたルカは優しい笑みを浮かべると、それ以上は何も言わずに階段を下りていった。
全く身勝手な人だ。上手くのせられたような気もする。
でも、大事な言葉を貰った気がした。
「ミリア。薬を持ってきた。入るよ」
俺はノックとともに部屋に入る旨を伝えた。
「ん。鍵は開いてる」
「分かった」
扉を開くとミリアはベッドの上にちょこんと座っていた。
さっきまで丸まって剣と話をしていた子には見えない。
「ロキ、隣座っていいよ」
「ありがと」
お盆を机に置いた俺は、薬湯を入れたマグカップを持ってミリアの隣に座った。
温度はぬるま湯ぐらいだろうか。いきなり飲んでも火傷はしなさそうだ。
ルカは意外と気が回る人なんだな。さすが宿屋の娘というとこか。
「ゆっくり飲めよ」
「ん」
ミリアは素直に言うことを聞いて、音を立てずに薬湯を飲み始めた。
数十秒後、薬湯を飲み干したミリアは大きなため息をついて、マグカップを俺に渡してきた。
「苦かった……美味しくない」
「あはは……薬だからな」
ミリアは俺の顔を見上げて、半目で睨んできている。
相当味に不満があったらしい。
「ロキ」
「ん?」
俺の名を口にしたミリアが大きく息を吸い込んだ。
「……あの……ご……い」
「うん」
「……あぅ」
気合いを入れたように見えたミリアだったが、気合いが空回りしているのか、もごもごと口ごもるだけで、声にならない小さな声が漏れるだけだった。
今日の出来事がミリアにとって何もかも初めてだと言うのなら、俺からもちゃんと伝えてあげよう
「ミリア」
「っ!?」
俺がミリアの頭に手をのせると、ミリアは息を咄嗟に吸い込んで身構えてきた。
目を瞑り、歯を食いしばり、何かに耐えようとしている。
違うよ。ミリア。そうじゃない。
俺を信じて欲しい。
「ありがとう。ミリア」
俺は感謝の言葉と共に、ミリアの頭を優しく撫でた。
「なんで……? 私は今日、ロキに意地悪した。だから、ロキも怒ってると思った」
「意地悪されてたの俺?」
「無視したり、言うこと聞いてあげなかったりした。私がロキのご主人様なのに」
「あはは……ご主人様ね……」
全く、とんだ意地っ張りなご主人様に拾われたもんだ。
そう思ったら、思わず笑ってしまった。
「俺の願いを聞いてくれて、叶えてくれただろ。アイリスのことも、四人の暴漢と戦った時もさ」
「……でも」
「うん。たったそれだけだけど、俺の言葉を聞いてくれて、叶えてくれたミリアに俺は感謝している。それが嬉しかったんだ。頭に手をのせたら、怒られると思われたのはショックだったけど」
最後は冗談で茶化すように笑い気味に言うと、ミリアが困ったような目で見上げてきた。
「ごめんなさい。ロキはペールとメールと違って、喋って自分で動くからアイリスの所に行っちゃうと思った」
「それでアイリスと喋ってたら機嫌悪くしてたの?」
「……ん」
不機嫌そうな態度は嫉妬だったらしい。
主人だと何度も言っていたのも、俺がどこかへ行かないようにしたかったからなのか。
元の世界では何も出来なかった俺が、こんなにも人から求められるのは初めてだ。
俺はずっと何か大きなことを成し遂げないと、人には認めて貰えないと思っていた。
現に元の世界では特にすごいことが出来ない俺は、誰も気に掛けないし、親ですら大した興味も期待もかけてはくれなかった。
それなのに、ミリアが俺を認めてくれて、求めてくれた。正直、嬉しかった。
ミリアの言葉のおかげで、俺はようやく今この世界で生きていても良いんだと感じられた。
でも、ミリアは俺以上に誰かを求めてる。そうじゃなければ、剣に苦しみを相談したりなんかしないはずだ。
人の望みを叶えるのは神様だけじゃない。ルカの言葉を俺も信じたい。
誰かに必要とされたいという俺の望みは、ミリアが叶えてくれた。
「ミリア。目をつむって」
「ん? ん」
言われた通り目を瞑ってくれたミリアの頭から手を離し、そっと肩に手を回した。
そして、優しく。だけど、しっかりと身体が触れるように抱きしめた。
「え? ロキ?」
「大丈夫だよ」
「……何が?」
「大丈夫。俺はここにいる。ミリアが求めてくれたから、俺はここにいる。ミリアが許してあげたから、アイリスは生きている。アイリスが生きているから、アイリスのお母さんはミリアを抱きしめてくれた」
俺の言葉でピクッとミリアの身体が震えた。
盗み聞きをしたことはばれたかも知れないけど、それでも言ってあげないとダメだと思ったんだ。
ミリアは俺の言葉になかなか返事をくれず、無言の時間だけが過ぎていく。
「アイリスは弱い。アイリスのお母さんも弱い」
「うん」
「いつ居なくなるか分からない。今日、死んでもおかしくなかった」
「確かに今日のアイリスは危なかったな」
「でも、ロキは最強の剣で私より強い。私が死ぬ前に死なない」
ミリアはそう言うと言葉を切って黙ってしまった。
今一ミリアの意図が分からない。
強さと死。ミリアはこの二つにどんな意味を感じているのだろう。
「ミリアはアイリスが嫌い?」
「……嫌い。私を放って死んじゃう弱い人なんて大嫌い」
ミリアは小さな声でそう言うと、ぎゅっと俺に抱きついてきた。
どこまでも素直じゃ無い子だ。
でも、とっても優しい女の子だ。
「私のせいで死ぬのはもっと嫌い」
「……ミリア」
ミリアは守りたかったんだ。自分自身も、そしていつか自分を好きでいてくれる人のことも。
自分ではそれが出来ないと諦めているから、晶龍の時も、ルガールの傭兵の時も、自分の命を軽んじて、無茶をしているのかもしれない。
弱い自分が大嫌いで、強くならないといけない。強くない自分ならいらない。
きっとそれがミリアの願いで、俺を呼んだ理由だ。
誰かに必要とされたい俺と、自分の世界を広げたくて、広がった世界を守りたいミリアの願いが、神様の力で引き合わされたのだろう。
「だから、私はずっと一人ぼっちでいい。剣の父と母、それに魔剣だけあればいい。私はロキのご主人様なんだから、ロキはどこにも行かないで。私より先に死なないで」
「大丈夫。俺はちゃんと目の前にいる。ミリアの守りたい物も守ってみせる」
「……ありがと。ロキ」
ミリアが小さく感謝の言葉を伝えてくると、いつのまにか小さな寝息を立て始め、俺の腕の中で眠り始めた。
その願いが叶った時、ミリアはどう思ってくれるかな。俺がいなくなって寂しがるだろうか。それとも、無愛想な表情を浮かべて何も言わないんだろうか。
「寂しがり屋のくせに、意地っ張りなんだから」
でも、そんなミリアのことが意外と可愛く思えてきはじめた。
必死に俺より大人振ろうとして、言葉だけは背伸びしているのに、心は俺と同じでまだまだ子供っぽいところがある。
こんな子が高ランク冒険者なんだから、世界は分からないものだ。
「おやすみ。ミリア」
そっとミリアの身体をベッドに倒して部屋を後にすると、ルカが月明かりを背景に廊下で立っていた。
「どうせなら寝込みも襲っちゃえば良いのに」
「……出来る訳ないだろ」
「あら。意気地が無いのね?」
「俺は必要とされたんだ。その信頼を自分から壊したくない」
「へぇ……。真面目で良い答えだね。幻滅せずに済んだよ」
ルカの言葉はいつだってどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか分からない。
小さく笑ったルカはくるりと身を翻し、階段の方へと歩いて行く。
わざわざ俺をからかうために待っていたのかこの人は……。
そう思って呆れていると、ルカは階段の前で足を止め、顔だけをこちらに向けた。
「ロキ君、必要とされるのなら君は何でもやるの?」
「え?」
「求めているだけじゃ何も手に入らないよ。でも、君はそうじゃないことを証明しかけている。がんばって」
月に照らされたルカの目が怪しく光っている。
口元は小さく笑みをたたえ、どこか意地悪を楽しんでいるようにも見えた。
「……ルカさん?」
「おやすみ。君の願いも叶うと良いね」
ルカが一方的に話を切り上げ、階段を下りていく。
いつもとは少し違ったルカの様子に、俺は数分間動くことが出来なかった。