プロローグ
プロローグ 少年への応報
少年は、よく一人で遊んでいた。
お爺ちゃんが遊びの天才だったのだ。友達から教えてもらった遊びよりも、お爺ちゃんに教わった遊びの方が楽しかった。
(一番楽しかったのは、何だろう)
思考を巡らせてみる。
時期になれば虫たちが飛び回り、美味しい野菜が育つ畑が視界に映った。
その畑に、清潔感のある黒髪に、野球ファンであったお爺ちゃんが貰ってきた帽子を着け、低身長なのをコンプレックスにしていた自分が描かれた。
(確か、ガーデニングだっけ?)
朝から晩まで畑に入り浸り、害虫駆除や水撒きを徹底していたのを思い出した。
そんな、一日を畑で過ごせたら幸せだと思える毎日が変わったのは、小学校が始まった頃。
集団登校で周囲と会話せずに登校し、集団下校で周囲と会話せずに下校する日々。
(学校は、つまらなかったな)
帰ってから日が沈み切るまで、いっぱい遊んだ。先生もそう言ったのだ。遊ぶのが子供の仕事だって。
だから、遊んだ。一人きりだったけど。
(俺って、ちょっと生意気な子供だったみたいだ)
そんな時だった。
彼女に出会ったのは。
「男の子なのに、花なんて植えているの?」
帽子を被っているせいで、上が見えない。
顔を上げる。
まだ高い位置に居る日を隠すように立つ少女。
自分と大差無い身長で、その身長と同じくらいに伸びるトマトを勝る赤色の髪。白いワンピースに麦わら帽子。お嬢様を思わせる整えられた容姿に、手には赤い色の花。
お盆にはまだ早い。
「と言うか、花じゃなくて野菜だよ」
「野菜だとしても、植える時期は過ぎていると思うよ。この気候なら、二ヶ月前からまき始めているよね?」
少女の指摘に喪失感と羞恥心が沸き起こる。自分よりも知識があり、格が上の人に出会ったとき、人は耐え難い気持ちに駆られるというが、これがそれなのかもしれない。
(そうは言うが、小学生に天候や土壌の話しをされても分からないだろうな。)
単に少年は、パッケージの裏を見て種を植えているわけで。
気候の話をされても付いていけるはずもない。
「ま、良いよ。」
会釈。少女は少年から離れ、お墓に向けて歩いて行った。
そう、少年の家はお寺で、あの子は墓参りに来たのだろう。
日向寺。周囲から呼ばれているその場所は、五十数名のお坊さんを弟子として迎え入れている名門。
などという言葉の使い方をしていいのか危ぶまれるが、そういう場所なのである。
少年――日向葵は、そんな日向寺の九代目の後継者候補として見込まれていた。
正直に言えば、夢が無い葵にはお寺に入るとか、公務員になるだとか、全く分からない世界である。
(だけど、いずれは見なければならない世界だ)
等と、思考を停止させ、動作も停止させていた葵に影がかかる。
香る花の匂い。
先ほどの少女が前にいる。
……何故か、砂遊びセットを持って。
「さっきは持ってなかったよね?」
「あー。お墓回りの草が邪魔だったから、綺麗にしようと思って」
道具を持って畑の中に入り、ワンピースを汚さないようにしゃがみ込む。そして、畑を耕し始めた。
葵も負けずと続ける。今日中に種を埋め切らなければ、間に合わなくなりそうだったからだ。
お爺ちゃんが入院した。
後に、心臓に負担がかかっていると言われ、専用の機器を体に入れるかどうか、家族と医者で相談している段階だと親から聞かされた。
機械を入れれば数年以上は保つらしいが、お爺ちゃんが、自分の体に良く分からない物は入れない、と反対していた。
頑固。家族が口を揃えて、お爺ちゃんを指してそう言った。
酷い扱いだと今でも思う。
とは言え、頑固なりにお爺ちゃんは努力していた。……努力しようとしていた(訂正)。
「手、止まっているよ」
耕し終わり、種が入った袋を指す少女。慌てた葵はスコップで種を撒くための穴を掘ろうとスコップを握れば、もう穴は掘られていた。
「もう掘っておいたから。後はまくだけだよ」
均等に掘られ且つ平等に穴と穴の間が空けられている。少女にも種を渡して、すぐに撒いた。
予想以上に早く終わった。
太陽も沈み欠けではあるが、まだある。
「ありがとう」
葵が一番に頭に浮かび上がった言葉がそれだった。
背を向けている少女は、振り返って微笑んだ。
ここで、やっと思い出した。
(ああ、そうだ。俺、この子に恋したよな)
消えゆく太陽が、少女の顔に最後の明かりを灯しているように見えた――。
――それから、時はかなり流れる。
かなり、とは些か言い過ぎかもしれない。しかし、葵にはかなりなのだ。
高校一年生になった葵。集団登校や下校に悩まされることは無くなったが、結局一人のままだ。
だけど今は、違う。
夢が、できたのだ。
一生を賭けて、叶えたい夢ができたのだ。
けれど、もう叶えられないのだと思うと辛くなる。
(何故か、か……)
誰も聞いていないだろうし、そもそも口が開けない。
耳にしているのは、耳をつんざくような悲鳴と、身を案じている人々の声だけ。
何が起きているのかは、一目瞭然だろう。
交通事故。
猫の命を救うために、道路に飛び出した自分を轢いたトラックを睨む目も霞んできてしまう。
辛くて目を閉じたから、あの子との記憶が蘇ってしまったのだ。
これが、死ぬ間際に見られる走馬灯なのかもしれない。
(まだ、死にたくない、な。俺、あの子のために、花を――)
一人の少年の人生が、そこで終わりを迎えた。