第4話 後で片付けますから
「佐倉さん! 逃げ道は!?」
桐谷の声に、俺は顔を上げた。
逃げ道。
逃げ道を探している。
さっきから、ずっと。
でも、あのモンスターは速すぎる。
普通に走ったところで、すぐに追いつかれる。
だから、何とかして追いかけてこられないようにするしかない。
「……もう少し、待ってください!」
「了解っす!」
桐谷が剣を構え直した。
モンスターが低く身を沈める。
次の瞬間、鋭い爪が振るわれた。
「っ!」
剣で受け止める。
しかし、すぐに反対側から二撃目。
桐谷は身体をひねり、どうにかかわした。
その隙を狙って、モンスターが口を開く。
「タクマ!」
小野寺の魔法が直撃した。
モンスターの頭が横へそれる。
桐谷はその間に一歩下がった。
「……助かった!」
「まだ来るよ!」
小野寺の声にも余裕がない。
俺はドローンの画面を見つめた。
後ろの通路。
曲がり角。
壁のくぼみ。
どこも、あいつを振り切れるほどの逃げ道には見えない。
何かないのか。
どこかに。
「キィッ!」
突然、俊太郎が甲高く鳴いた。
「どうした?」
小さな蝙蝠男が、ドローンの上で翼を広げる。
指しているのは、前でも後ろでもなかった。
上。
「……天井?」
「キィ!」
俺はドローンを向けた。
走査範囲が、暗い天井へ伸びていく。
画面に映ったのは、大きな鍾乳石だった。
太い。
長い。
そして、その根元には細い亀裂が走っていた。
「……あれ?」
俺は画面を拡大した。
鍾乳石の先端は、通路の中央近くまで伸びている。
周囲の岩盤には、同じような亀裂は見当たらない。
ドローンの記録を切り替え、真下の通路を確認する。
そこは、少し幅が狭くなっていた。
もし、あの鍾乳石が落ちたら。
「…………」
俺はもう一度、根元の亀裂を見た。
落ちるかどうかは分からない。
落ちたとして、思いどおりの場所に収まる保証もない。
でも。
あの大きさなら、通路を塞げるかもしれない。
「小野寺さん!」
「はい!」
「あの鍾乳石、見えますか!?」
小野寺が一瞬だけ天井を見た。
「見えます!」
「根元に亀裂があります! あそこに魔法を当てられますか!?」
「……あそこに?」
「はい!」
小野寺がドローンの画面を確認する。
「当てることはできます。でも、何を……」
「落とします!」
「えっ!?」
驚いたのは小野寺だけではなかった。
「落とすって、俺たちの頭の上に!?」
桐谷が叫ぶ。
「違います! こっちへ下がってからです!」
俺は通路の奥を指した。
「鍾乳石を、あいつと俺たちの間に落とします!」
二人が一瞬、黙った。
その間にも、モンスターは爪を振るってくる。
桐谷が慌てて受け止めた。
「……通路を塞ぐんすね!」
「そうです!」
「でも、あんなの落としたら、天井まで崩れませんか!?」
「分かりません!」
「ええっ!?」
「周りに大きな亀裂は見当たりません! でも、安全だとは言い切れません!」
自信満々に説明できるほど、俺は岩のことを知らない。
ただ、何もせずにいたら、もっと危ないことだけは分かる。
「ほかに逃げ切る方法が思いつかないんです!」
桐谷が剣を振り、モンスターを牽制した。
「……分かったっす!」
小野寺も頷く。
「魔法は、あと一発なら確実に撃てます!」
「お願いします!」
「でも、タクマはどうやって逃げるんですか!?」
そこが問題だった。
桐谷は、モンスターのすぐ目の前にいる。
先に俺と小野寺が下がったとしても、桐谷が落下する場所に残っていたら意味がない。
「桐谷さん! あの鍾乳石よりこっち側まで、下がれますか!?」
「やってみます!」
「無理に倒そうとしなくていいです! 下がることだけ考えてください!」
「了解っす!」
俺は小野寺と一緒に後退した。
俊太郎を乗せたドローンもついてくる。
鍾乳石の真下を通り過ぎる。
さらに数歩。
そこから振り返ると、桐谷とモンスターの姿が見えた。
桐谷は少しずつ下がっている。
剣を振って距離を作り、また下がる。
モンスターが追ってくる。
もう一度、剣を振る。
また下がる。
「……まだです!」
俺は小野寺に声をかけた。
「分かってます!」
小野寺が杖を掲げる。
狙いは、鍾乳石の根元。
桐谷が落下範囲を抜けるまで、撃てない。
俺は目を凝らした。
桐谷が鍾乳石の下へ入る。
モンスターが追う。
爪が振るわれる。
「うおっ!」
桐谷が身体をひねった。
爪が腕の横をかすめる。
それでも、足は止めない。
剣を横に振る。
モンスターが一瞬、頭を引いた。
その隙に桐谷が大きく下がる。
鍾乳石の真下を抜けた。
「今です!」
「はいっ!」
小野寺の杖が光った。
放たれた魔法が、天井へ一直線に飛んでいく。
鍾乳石の根元に命中した。
鋭い音。
亀裂が、横へ広がった。
「……落ちろ!」
思わず叫んでいた。
次の瞬間。
ばきん、と大きな音が響いた。
鍾乳石が傾く。
根元から砕けた破片が降り注ぎ、その下にあった巨大な岩の塊が動き始める。
「走って!」
俺は叫んだ。
桐谷がこちらへ駆けてくる。
小野寺も杖を抱えて走り出した。
後ろから、凄まじい音が響く。
どおん!
床が揺れた。
足元が跳ねる。
「うわっ!」
俺は壁に手をつき、転びそうになる身体を支えた。
振り返る。
通路の狭くなった場所に、巨大な鍾乳石が落ちていた。
砕けた岩が左右へ広がり、壁との隙間を埋めている。
向こう側から、何かが岩にぶつかる音がした。
モンスターだ。
だが、こちらへは出てこられない。
「……塞がった?」
桐谷が振り返る。
「塞がりました!」
俺も画面を確認した。
ドローンの走査では、モンスターの反応は岩の向こう側にある。
こちらへ続く隙間は、人が通れるほどもない。
「……やった?」
小野寺がつぶやく。
「やりました!」
俺が答えた、そのとき。
岩の向こうで、また大きな音がした。
三人の肩が同時に跳ねる。
「……行きましょうか」
「そうっすね」
「はい」
俺たちは顔を見合わせた。
そして、今度こそ走り出した。
「後で片付けるから〜!」
なぜか、そんな言葉が口から飛び出した。
清掃員としては、見過ごせない量の瓦礫だった。
でも、今は無理だ。
絶対に無理だ。
頼むから、あとにしてほしい。
*
曲がり角を二つ抜けたところで、俺たちはようやく足を止めた。
俊太郎が周囲を探り、ドローンがモンスターの反応を確認する。
近くにはいない。
あの素早いモンスターの反応も、遠くなっていた。
「……はあ……はあ……」
俺は壁にもたれ、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。
足が痛い。
息が苦しい。
心臓が、まだものすごい速さで動いている。
「……もう、嫌だ……」
思わず本音が漏れた。
「俺もっす……」
桐谷が隣に座り込む。
小野寺も、杖を抱えたまま壁にもたれた。
「……魔力、ほとんど残ってません」
「大丈夫ですか?」
「はい。歩くくらいなら、問題ありません」
「よかった……」
俺はリュックから水を取り出した。
二人にも休憩を勧める。
しばらく、誰も話さなかった。
ついさっきまで、あのモンスターと戦っていた。
一歩間違えれば、誰かが怪我をしていたかもしれない。
いや。
怪我どころでは済まなかったかもしれない。
「……やっぱ、強かったっすね」
桐谷がぽつりと言った。
「そうですね」
「俺、最初は何とかなると思ってたんすよ」
「はい」
「でも、途中から……全然、追いつけなくなって」
桐谷が自分の手を見た。
剣を握っていた手だ。
「攻撃しようとしても、次の爪が来るんすよ。防いでるだけで精いっぱいで」
小野寺も頷いた。
「僕も、魔法を当てれば動きが止まると思ってた。でも、ほとんど止まらなかった」
「……怖かったっす」
桐谷が言った。
いつもの元気な声ではなかった。
俺は、少し驚いた。
桐谷はモンスターを見れば、真っ先に剣を構える。
そんな印象があったからだ。
でも、怖くないわけじゃない。
当たり前だ。
「……俺も怖かったですよ」
そう答えると、桐谷が笑った。
「佐倉さんは、いつもそう言いますね」
「本当に怖いですから」
「でも、ちゃんと逃げ道を見つけてくれたじゃないっすか」
「俊太郎が教えてくれたんですよ」
「キィ!」
名前を呼ばれた俊太郎が、ドローンの上で胸を張った。
ニィッ。
「……ありがとうな」
桐谷が笑いかける。
「キィ!」
俊太郎は嬉しそうだ。
そのときだった。
「あれ?」
小野寺が桐谷の腕を見た。
「タクマ、そこ」
「ん?」
「怪我してる」
桐谷が手首のあたりを見る。
装備の隙間から、細い赤い線がのぞいていた。
「あ、ほんとだ」
「さっき、爪がかすめたときじゃない?」
「たぶん。全然気づかなかった」
「……ちょっと見せてください」
俺はリュックから応急処置の道具を取り出そうとした。
すると。
「キィッ!」
俊太郎が勢いよく鳴いた。
ドローンの上で立ち上がり、腰のウエストポーチを叩いている。
ぽんぽん。
ぽんぽん。
「……あ」
俺は手を止めた。
「そうだった。お前、持ってたな」
「キィ!」
俊太郎がポーチを開く。
ごそごそ。
小さな傷テープを一枚取り出した。
そして、桐谷へ差し出す。
「……えっ、俺に?」
「キィ!」
「いいんすか?」
「キィ!」
桐谷が受け取った。
「ありがとう、俊太郎!」
ニィッ。
「……嬉しそうっすね」
「顔は怖いですけどね」
小野寺が笑う。
俺も傷の状態を確認した。
浅い擦り傷だ。
きれいにしてから、俊太郎が持っていた傷テープを貼る。
「よし。これで大丈夫そうですね」
「助かりました!」
「キィ!」
俊太郎が、また胸を張った。
腰のポーチが揺れる。
今朝、傷テープを見せびらかしていたときは、出番がなくてしょんぼりしていたのに。
今は、これ以上ないほど得意げだ。
「……よかったな、俊太郎」
「キィ!」
ニィッ。
うん。
怖い。
でも、今日ばかりは頼もしく見えた。
*
休憩を終え、俺たちは再び歩き始めた。
ドローンの地図には、階段までの経路が表示されている。
現在地も分かっている。
俊太郎が周囲を調べ、ドローンで確認する。
もう、あのモンスターの反応は追ってこない。
「……今度こそ、階段ですね」
小野寺が言った。
「はい」
俺は地図を確認した。
「もう少しです」
曲がり角を抜ける。
通路の先に、上へ続く階段が見えた。
「……あった!」
桐谷が声を上げる。
俺も思わず足を速めかけた。
だが、すぐに立ち止まる。
「……先に、確認しましょう」
「了解っす」
俊太郎が耳を動かす。
ドローンが階段の先を走査した。
近くにモンスターの反応はない。
「よし。行きましょう!」
三人で階段を上る。
一段。
また一段。
足が重い。
疲れている。
でも、さっきまでとは違った。
進む先が分かっている。
それだけで、足取りが少し軽くなる。
階段を上りきると、ドローンの画面が切り替わった。
《通信接続中》
「……お?」
《接続完了》
「……おおっ!」
思わず声が出た。
『佐倉さん!』
聞き慣れた声が響く。
「はい! 佐倉です!」
『無事ですか!?』
「はい! 全員無事です!」
『……よかった』
職員の安堵した声が聞こえた。
『通信が途切れていたので心配していました。現在地を確認します』
「地下七階です! 階段を上がってきました!」
『確認できました。位置情報も取得できています』
「本当ですか!?」
『はい。地下六階のセーフティーゾーンまでは、地図上で経路を確認できます』
「……よかったあ」
俺は天井を見上げた。
ようやく。
本当に、ようやく。
帰れるかもしれない。
『救援隊は、すでに地下六階で待機しています。皆さんは、こちらの誘導に従ってください』
「はい! お願いします!」
ドローンの画面に、進むべき経路が表示された。
俺は二人に見せる。
「聞こえました?」
「はい!」
「あと一階っすね!」
桐谷が笑う。
小野寺も、ほっとした顔をしていた。
そのとき。
『……ところで、佐倉さん』
「はい?」
職員の声色が、少し変わった。
『先ほど、大きな振動が観測されたのですが』
「…………」
俺は黙った。
『佐倉さん?』
「……何でしょう」
『何か、心当たりはありませんか?』
「…………」
ない。
と言いたい。
ものすごく言いたい。
でも、ドローンの記録を確認されたら終わりだ。
それに、嘘をつくのはよくない。
「……鍾乳石を」
『はい?』
「ちょっと、落としまして」
『…………』
向こうが黙った。
嫌な沈黙だった。
『……何をしたんですか!?』
「だから、鍾乳石を!」
『どうして鍾乳石を落とす必要があったんですか!』
「モンスターに追いかけられたんですよ!」
『モンスターに?』
「すごく速いやつです! 走っても追いつかれるし、二人でも倒せなくて!」
『それで、鍾乳石を?』
「はい!」
『……通路を塞いだんですか?』
「はい!」
また沈黙。
俺は思わず、ドローンの画面を見た。
通信は切れていない。
ちゃんとつながっている。
たぶん、向こうで頭を抱えているだけだ。
『……分かりました』
「はい」
『まず、皆さんが無事だったことは本当によかったです』
「ありがとうございます」
『ですが、ダンジョンの構造物を破壊するのは危険です。別の場所まで崩落する可能性も――』
「死ぬよりマシでしょ!」
思わず声が大きくなった。
桐谷と小野寺が、びくっとする。
『それはそうですが!』
「こっちだって、好きで落としたわけじゃないんですよ!」
『分かっています! 分かっていますから、まずは落ち着いてください!』
「後で片付けますから!」
『絶対に戻らないでください!』
「……え?」
『救援隊と合流して、そのまま帰還してください! 瓦礫についてはこちらで対応を検討します!』
「……いいんですか?」
『今の佐倉さんが戻ったら、また何が起きるか分かりません!』
「…………」
そこまで言わなくても。
いや。
言われても仕方ない気はする。
「……分かりました」
『お願いします。本当に』
通信の向こうで、大きなため息が聞こえた。
俺はドローンを見た。
桐谷と小野寺が、なぜか笑いをこらえている。
「……何ですか?」
「いや、何でもないっす」
「ふふっ……すみません」
絶対に何でもなくない。
でも、まあ。
笑えるくらいには、余裕が戻ったということだろう。
「……行きましょうか」
「はい!」
俺たちは地下六階を目指して、再び歩き出した。
*
それから先は、驚くほど順調だった。
協会の誘導に従って進み、分岐に差しかかるたびに位置を確認する。
俊太郎も、時折周囲を調べてくれた。
今度は、危険なモンスターに追いかけられることもない。
通路が崩れていることもない。
何より、地図に自分たちの位置が表示されている。
こんなにありがたいことだったのか。
「……佐倉さん」
桐谷が言った。
「はい?」
「俺、次に中級ダンジョンへ行くときは、装備をちょっと考え直そうと思います」
「装備ですか?」
「はい。両手剣もいいんすけど……盾があった方がいいのかなって」
桐谷が背中の剣に目を向けた。
「片手剣と小さい盾にするのも、ありかなって」
「そうなんですね」
俺には、どちらが戦いやすいのか分からない。
ただ、桐谷が自分からそんなことを考え始めたのは、少し意外だった。
「僕も、魔力の使い方を見直したいです」
小野寺が言う。
「今日は、最後にほとんど残らなくなってしまいましたから」
「……そうですね」
「もっとちゃんと考えて使わないと」
二人は、もう次の探索のことを考えているらしい。
すごいなあ。
俺なんか、当分はダンジョンに入りたくないのに。
「でも、まずは帰って休みましょう」
「はい!」
「了解っす!」
元気な返事を聞いて、少し安心した。
*
地下六階のセーフティーゾーンが見えたとき、俺は思わず立ち止まった。
入口の前に、人がいる。
複数の探索者。
協会の装備を身につけた、救援隊だ。
こちらに気づいた一人が、手を振った。
「佐倉さんたちですね!」
「はい!」
「こちらへ! お待ちしていました!」
その言葉を聞いた瞬間。
身体から、力が抜けた。
「……はあああ……」
長い。
本当に長かった。
初心者ダンジョンで研修するだけのはずだったのに。
どうして、こんなことになったんだろう。
でも。
帰ってこられた。
桐谷もいる。
小野寺もいる。
俊太郎も、ドローンの上で元気にしている。
全員いる。
「……よかった」
それしか言葉が出てこなかった。
救援隊が俺たちの状態を確認している間、桐谷が隣へ来た。
「佐倉さん」
「はい?」
「ありがとうございました!」
深々と頭を下げられた。
「いや、だから……最初に助けてもらったのは俺ですから」
「でも、追いかけてきてくれたじゃないっすか」
「それは……」
言葉に詰まる。
確かに、追いかけてきた。
怖かったけど。
ものすごく怖かったけど。
「俺、あのまま帰ってたら、絶対に後悔したと思うので」
そう答えると、桐谷が笑った。
「俺も、佐倉さんを突き飛ばしてよかったっす」
「……それは、どうでしょう」
「えっ?」
「もう少し穏やかな助け方、なかったですかね?」
「いや、あのときは、とっさに……」
「分かってます。冗談です」
二人で笑った。
小野寺も、そこへやって来る。
「僕、一人だったらどうなっていたか分かりません」
「そんなことないですよ。小野寺さんも頑張ってくれたじゃないですか」
「でも、最後の鍾乳石は、僕だけじゃ思いつきませんでした」
「俊太郎が見つけてくれたんですよ」
「キィ!」
名前を呼ばれた俊太郎が、また胸を張る。
ドローンの上で、小さなウエストポーチを叩いた。
「そうだね。俊太郎も頑張ったね」
小野寺が笑う。
ニィッ。
「……最後まで笑顔は怖いですね」
「キィ!」
少し不服そうに鳴いた。
俺はその様子を見て、思わず笑ってしまった。
今日の研修で、二人が何を学んだのか。
それは、まだ分からない。
でも、これだけは確かだ。
三人とも、帰ってこられた。
それが一番だ。
*
数日後。
俺たちは協会本部に呼ばれていた。
また、会議室だ。
今回は桐谷と小野寺も一緒。
向かいに座る協会職員が、書類をめくっている。
「まず、今回の研修についてですが」
「はい」
「想定外の事故が発生しましたが、全員が無事に帰還できたことを確認しています」
職員が顔を上げた。
「お二人は、今回の経験をどう受け止めていますか?」
桐谷が姿勢を正す。
「……中級ダンジョン、甘く見てました」
「ほう」
「俺、初心者ダンジョンなら大体のモンスターを倒せるんで。中級でも、何とかなると思ってたんすよ」
いつもの元気な声ではある。
でも、少しだけ真剣だった。
「実際は、全然違いました。途中から、防ぐだけで精いっぱいで……」
桐谷が、ちらりと俺を見る。
「逃げ道を探してもらわなかったら、どうなってたか分かんないっす」
職員が頷く。
「小野寺さんは?」
「僕も同じです」
小野寺が答える。
「攻撃が当たっているのに、相手の動きを止められませんでした。魔力も減っていって……最後は、ほとんど残っていませんでした」
「そうですか」
「知識があっても、実際に動けなければ意味がないんだと思いました」
職員は書類に何かを書き込んだ。
「では、今後はどうしますか?」
桐谷が答える。
「危なそうだったら、無理に戦わないっす」
「それだけですか?」
「ええと……」
少し考える。
「戦う前に、逃げ道も確認します」
小野寺も頷いた。
「僕は、魔力をどれだけ使うか考えます。あと、分からない場所では、むやみに進まないようにします」
「分かりました」
職員が書類を閉じた。
「今回の研修は、合格や不合格を決める試験ではありません。お二人には、これからも経験を積んでもらう必要があります」
「はい!」
「承知しました」
「ただ、危険を避けることや、自分たちの限界を判断することについては、今回、実際に学ぶ機会になったと思います」
そう言って、職員は俺を見た。
「佐倉さんも、お疲れさまでした」
「……どうも」
俺は曖昧に笑った。
確かに、研修にはなった。
なったけど。
あんな実地研修、二度とごめんだ。
「では、本日の報告は以上です」
「ありがとうございました!」
桐谷が立ち上がる。
小野寺も頭を下げた。
「佐倉さん、またよろしくお願いします!」
「……できれば、次は地上でお願いします」
「ははっ! 了解っす!」
元気に笑いながら、桐谷が会議室を出ていく。
小野寺も、俊太郎に小さく手を振ってから続いた。
「またね、俊太郎」
「キィ!」
二人の姿が扉の向こうへ消える。
俺は、ふう、と息を吐いた。
終わった。
これで終わりだ。
ようやく帰れる。
「……じゃあ、俺も失礼します」
椅子から立ち上がろうとした。
「佐倉さんは残ってください」
「…………」
ゆっくり座り直した。
嫌な予感しかしない。
「……何でしょう」
「今回の転移事故について、追加でお話があります」
「……ですよねえ」
そうなると思っていた。
*
職員が、新しい書類を机に置いた。
「まず、転移事故の調査結果ですが」
「はい」
「原因は不明です」
「…………」
俺は書類を見た。
そして、職員を見る。
「……それだけですか?」
「はい」
「いや、あの。もう少し、何か……」
「前例がありません」
職員は、きっぱりと言った。
「攻略核に触れた際、別の場所にいた佐倉さんの足元へ転移魔法陣が発生した理由は分かっていません」
「……はい」
「また、転移先が別のダンジョンだった理由も、現時点では解明できていません」
「……はい」
「そもそも、あのような転移がどのような仕組みで成立したのかも不明です」
「…………」
不明。
不明。
不明。
全部、不明らしい。
「……俺、核に近づいてませんでしたよね?」
「はい。記録でも確認しています」
「触ってもいませんよね?」
「はい」
「《浄化》も使ってませんよね?」
「そのとおりです」
「……なのに、何で俺の足元に出たんでしょう」
「それが分からないんです」
「…………」
なるほど。
本当に何も分かっていないらしい。
俺は頭を抱えた。
「……じゃあ、また起きるかもしれないってことですか?」
「可能性は否定できません」
「嫌すぎる……」
心の底からつぶやいた。
ただ掃除しているだけで、突然どこかへ飛ばされる。
しかも、どこへ飛ばされるか分からない。
そんなことを繰り返していたら、身がもたない。
「そこで、協会として安全対策を講じることになりました」
「……安全対策?」
俺は顔を上げた。
嫌な予感がする。
また監視を増やすとか。
何かの検証をするとか。
今度は、どこのダンジョンへ行かされるんだろう。
職員が書類を読み上げる。
「今後、佐倉直人さんは、協会の許可なく攻略核およびダンジョン核へ勝手に接近することを禁止します」
「…………」
俺は、しばらく黙った。
今、何と言った?
攻略核とダンジョン核へ。
勝手に近づくことを。
禁止。
「……本当ですか?」
「はい」
「近づかなくていいんですね?」
「そういうことになります」
「…………」
俺は、もう一度確認した。
「協会の許可がなければ、俺は核に近づいちゃいけないんですよね?」
「はい。今回の事故との因果関係は不明ですが、これまでの事例も踏まえた予防措置です」
「つまり、勝手に近づいたら駄目なんですよね?」
「……先ほどから、そう申し上げています」
俺は立ち上がった。
そして、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「…………」
職員が固まった。
「……お礼を言われるとは思いませんでした」
「いやあ、助かります!」
俺は満面の笑みで答えた。
何しろ、俺は最初から核に近づきたくなかったのだ。
攻略核だろうが、ダンジョン核だろうが、できれば一生、関わりたくない。
それを協会が、正式に禁止してくれる。
何とありがたい話だろう。
「これで安心して掃除できますね!」
「……そうですね」
職員の返事には、少しだけ疲れがにじんでいた。
まあ、今回は大変だったからな。
俺も大変だった。
でも、終わってみれば、いいこともあった。
新人二人は無事に帰ってきた。
俊太郎の傷テープも役に立った。
そして俺は、核へ勝手に近づくことを禁止された。
ようやく、平穏な清掃員生活に戻れそうだ。
「では、失礼します!」
「はい。お疲れさまでした」
俺は晴れ晴れとした気分で会議室を出た。
ドローンの上では、俊太郎が得意げに胸を張っている。
「キィ!」
「なあ、俊太郎」
「キィ?」
「次の仕事は、普通の掃除がいいな」
「キィ!」
ニィッ。
……怖い笑顔だった。
でも、まあ。
今度こそ、普通に掃除できるだろう。
何しろ協会のお墨付きで、核には近づけないんだから。
俺は上機嫌で、協会本部の出口へ向かった。
明日も、いつものダンジョン清掃だ。




