第1話 研修にやって来ました
「本日はよろしくお願いします!」
初心者ダンジョンの入口で、勢いよく頭を下げられた。
「……よろしくお願いします」
俺も頭を下げ返す。
目の前にいるのは、協会から預かることになった二人の探索者だ。
一人は、短い黒髪にがっしりとした体格の青年。中装鎧を身につけ、背中には大きな両手剣を背負っている。
桐谷拓真、二十歳。
もう一人は、茶色い髪の細身の青年。軽装鎧の上にローブを羽織り、魔力増幅用の杖を持っている。
小野寺理久、同じく二十歳。
二人は普段から一緒に探索しているらしい。
「いやあ、まさか佐倉さんに教えてもらえるとは思ってませんでした!」
桐谷が笑う。
「教えると言っても、戦い方じゃないですよ?」
「分かってます! 生存術っすよね!」
「そうです。俺、戦闘はできませんから」
「またまた!」
「いや、本当に」
そこは笑いごとではない。
俺の持っているスキルは《浄化》。
ダンジョン内の汚れを落とすには便利だが、モンスター相手に剣を振るえるわけでも、攻撃魔法を撃てるわけでもない。
だからこそ、今回の依頼には少々疑問があった。
協会によると、二人は初心者ダンジョンなら十分に戦える実力があるらしい。
ただし、戦えるとなると何でも戦おうとする。
罠を見つけても力任せに突破しようとする。
そして、引き際を考えない。
中級ダンジョンへ進む前に、そのあたりを学んでほしいという話だった。
「僕たちも、そこは指摘されてるんです」
小野寺が苦笑する。
「特にタクマは、モンスターを見るとすぐ突っ込むので」
「リクだって、すぐ大きい魔法撃つだろ」
「効率よく倒してるつもりなんだけど」
「その効率が悪いって言われたんじゃなかったか?」
「……それはそう」
二人とも、自分たちの問題は理解しているようだ。
なら、俺ができることもあるかもしれない。
「じゃあ、今日は無事に帰ってくることを最優先にしましょう」
「了解っす!」
「よろしくお願いします」
元気のいい返事に、少しだけ安心する。
そのとき。
「キィ!」
肩の横から声がした。
見れば、俺の中継ドローンの上で、俊太郎が胸を張っている。
体長十五センチほどの、小さな蝙蝠男だ。
その腰には、見慣れないものがついていた。
「……それ、何ですか?」
小野寺が目を輝かせる。
「ウエストポーチです」
「えっ、俊太郎の?」
「はい」
「キィ!」
俊太郎が得意げにポーチを叩いた。
俺のリュックを見て、自分も荷物を持ちたいと騒ぎ出したのが昨日のこと。
翼があるのでリュックは難しい。
仕方なく小さなポーチを用意したら、すっかり気に入ってしまった。
「中には何が入ってるんですか?」
「傷テープが十枚と、塩飴が五個です」
「かわいい……!」
小野寺が感極まったようにつぶやく。
「キィ!」
俊太郎が振り向いた。
ニィッ。
「……笑顔はちょっと怖いですね」
「慣れますよ」
たぶん。
*
ダンジョンに入ってしばらくすると、俊太郎が耳をぴくりと動かした。
「キィ」
前方を翼で示す。
ドローンがそちらへ向き、通路の先を走査した。
表示されたのは、ゴブリンが一体。
「お、さっそくですね!」
桐谷が剣の柄に手をかける。
小野寺も杖を構えた。
「ちょっと待ってください」
「はい?」
「まだ、こっちに気づいてませんよね?」
「そうっすね」
「じゃあ、隠れましょう」
「……え?」
桐谷が首をかしげる。
「倒さないんですか?」
「倒す必要、あります?」
「いや、でも、モンスターですし」
「そうですね。モンスターですね」
だから何だろう。
俺は二人を通路脇の岩陰へ誘導した。
ドローンの映像では、ゴブリンが一定の範囲を行ったり来たりしている。
しばらく待つ。
ゴブリンが奥へ歩いていく。
その姿が曲がり角の向こうへ消えたところで、俺たちは通路を横切った。
「……終わりですか?」
「終わりです」
「戦わずに?」
「戦わずに」
桐谷が不思議そうな顔をしている。
小野寺は少し考えてから、なるほど、とつぶやいた。
「体力も魔力も使わないで済みますね」
「そういうことです」
「でも、倒せる相手ですよ?」
桐谷が言う。
「倒せるでしょうね。でも、倒さなくても進めました」
「……確かに」
「俺、一人で掃除してるときは、基本的にこんな感じです」
戦わないで済むなら、それが一番いい。
格好はつかないけれど。
俺にとっては、いつものことだった。
*
次に足を止めたのは、床の継ぎ目が妙にまっすぐだったからだ。
「ここ、ちょっと気になりません?」
小野寺がしゃがみ込む。
「踏圧式の罠かもしれません。踏んだら作動するタイプです」
「へえ。分かるんですね」
「本で見たことがあります。たぶん、この床板が沈んで……」
そこまで説明して、小野寺の手が止まった。
「……解除方法は?」
「ええと」
小野寺が床と壁を交互に見る。
「構造による、と思います」
「じゃあ、壊しちまうか?」
桐谷が剣に手をかけた。
「待った待った!」
慌てて止める。
「壊したら、何が起きるか分かりませんよ」
「でも、罠なら壊せば止まるんじゃ?」
「壊したせいで動くかもしれません」
「あっ」
そこは気づいてほしかった。
俺は俊太郎を見る。
「奥、分かるか?」
「キィ」
俊太郎が床下の方を指す。
ドローンを低い位置まで下げ、指し示された範囲を詳しく走査した。
床板の下には、狭い空間がある。
小野寺が表示をのぞき込んだ。
「……ああ、これなら」
床の端にある小さな隙間。
そこから内部を確かめながら、小野寺が慎重に作業する。
しばらくして、かちり、と乾いた音がした。
「解除できました!」
「おお!」
桐谷が拍手する。
俺も拍手した。
「すごいですね」
「いえ、構造が見えたので何とか」
「分からなかったら、別の道を探しましょう。無理に通る必要はありませんから」
「了解です!」
小野寺が嬉しそうに頷く。
桐谷も頷いている。
ちゃんと伝わっているといいんだけど。
*
その後は、いつもの清掃作業だ。
通路の端に落ちた割れたポーション瓶。
使えなくなった装備の破片。
何かがこぼれて固まった、正体の分からない汚れ。
「こういうのも片付けるんですね」
桐谷が壊れた金具を拾い上げる。
「踏んだら危ないですからね」
「モンスターじゃなくても、怪我するんすね」
「しますよ。俺なんか、そっちの方が怖いです」
割れた瓶を回収し、汚れには《浄化》をかける。
小野寺が興味深そうに見ていた。
「佐倉さんが清掃してるところ、前にも見たことがあるんです」
「そうなんですか?」
「はい。何度か。ずいぶん丁寧に作業する人だなって」
「……見られてたんですね」
「邪魔しちゃいけないと思って、声はかけませんでした」
それはありがたい。
作業中、背後から声をかけられると普通に驚く。
三人で作業したおかげで、通路はすぐにきれいになった。
「これで誰かが怪我する可能性は減りましたね」
そう言うと、桐谷が拾い集めた破片を入れた袋を見た。
「掃除も、生存術なんすね」
「まあ、広い意味では」
俺にとっては仕事だけど。
*
もちろん、すべてのモンスターを避けられるわけではない。
通路を曲がった先で、こちらに気づいたモンスターが走ってきた。
「佐倉さん、下がっててください!」
桐谷が前に出る。
小野寺が杖を構えた。
あとは、あっという間だった。
桐谷の両手剣がモンスターの攻撃を受け止め、その隙に小野寺の魔法が直撃する。
体勢を崩したところへ、桐谷が追撃。
モンスターは倒れ、動かなくなった。
「……強いですねえ」
思わず口から出た。
「ありがとうございます!」
「今のはタクマがうまく合わせてくれたので」
「リクの魔法が決まったからだろ」
二人が笑い合う。
確かに、初心者ダンジョンでの戦闘には慣れているらしい。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫っす!」
「僕も問題ありません」
「疲れは?」
「全然!」
「魔力は残ってます?」
「はい。まだ余裕があります」
よかった。
俺には戦闘の細かい良し悪しは分からない。
だから、終わったあとに確認することは決まっている。
怪我がないか。
疲れていないか。
この先も動けるか。
「キィ!」
俊太郎がポーチをぽんぽんと叩いた。
「……お前の出番はないよ」
「キィ……」
目に見えてしょんぼりする。
「怪我がないのは、いいことだろ?」
「キィ」
そうだけど、とでも言いたげだった。
*
やがて、俺たちはコアルームへ到着した。
待ち構えていたボスモンスターも、二人が危なげなく討伐した。
俺は後ろで見ているだけ。
戦闘が終わったところで、いつものように体調を確認する。
「問題ないっす!」
「僕も大丈夫です」
「じゃあ、最後にここを掃除して帰りましょうか」
「はい!」
三人で手分けして作業に取りかかる。
桐谷と小野寺は、部屋の奥にある攻略核の周辺を担当した。
俺は入口に近い場所を掃除する。
核からは、できるだけ距離を取った。
「佐倉さんは、こっち掃除しないんですか?」
桐谷が声をかけてくる。
「俺が近づくと、ろくなことにならないんで」
「……ああ」
何かを思い出したらしい。
小野寺も、納得したように頷いた。
そう。
以前、核に関わったせいで、俺は何度もひどい目に遭っている。
攻略核とダンジョン核は別物だ。
その違いも、今は理解している。
理解しているからといって、近づきたいわけではない。
もう十分だ。
核とは、適度な距離を保って付き合っていきたい。
できれば、一生。
清掃が終わり、俺は道具をリュックにしまった。
「終わりました?」
「はい!」
「僕も終わりました」
「じゃあ、帰りましょう」
小野寺が攻略核の前に立つ。
帰還のために、手を伸ばした。
その指先が核に触れた、次の瞬間。
床が光った。
「……え?」
俺の足元だ。
見たことのない模様が、円を描くように広がっていく。
攻略核から離れた場所。
俺は核に触っていない。
《浄化》も使っていない。
なのに。
「佐倉さん!」
桐谷の声が響いた。
同時に、身体が横へ突き飛ばされる。
「うわっ!」
床に手をつく。
顔を上げると、さっきまで俺が立っていた場所に桐谷がいた。
光る魔法陣の、ど真ん中に。
「タクマ!」
小野寺が駆け寄った。
魔法陣の光が強くなる。
桐谷が足を動かそうとする。
しかし、間に合わない。
「リク、来るな!」
「何言ってんだよ!」
小野寺が桐谷の腕を掴んだ。
その瞬間。
二人の姿が、光の中へ消えた。
「…………え?」
静かになった。
ほんの数秒前まで、二人が立っていた場所。
そこには誰もいない。
床の魔法陣だけが、淡く光り続けていた。
「……桐谷さん?」
返事はない。
「小野寺さん?」
やはり、返事はない。
「キィ……」
俊太郎が小さく鳴いた。
俺は慌ててドローンを操作する。
「協会! 聞こえますか!」
『こちら管理センター。佐倉さん、どうしました?』
「二人が! いなくなりました!」
『……落ち着いてください。状況を説明できますか?』
落ち着けるか。
そう言い返したかったが、今は説明する方が先だ。
攻略核に触れたこと。
俺の足元に魔法陣が出たこと。
桐谷が俺を突き飛ばしたこと。
小野寺が桐谷を助けようとしたこと。
二人とも消えてしまったこと。
一つずつ話す。
『……確認します。佐倉さんは、現在もコアルームにいるんですね?』
「はい」
『魔法陣は残っていますか?』
「まだあります」
光は少し弱まっていた。
でも、消えてはいない。
『こちらで転移先を確認しています。少々お待ちを』
ドローンが床の模様を走査する。
しばらくして、職員の声が戻ってきた。
『現時点では、二人の転移先を特定できていません』
「……そんな」
『ただ、その魔法陣が転移先への経路を維持している可能性はあります』
「じゃあ、そこに入れば……!」
『待ってください』
いつもより強い声だった。
『同じ場所へ転移できる保証はありません。佐倉さんまで行方不明になる危険があります』
「…………」
『こちらでも調査を続けます。佐倉さんが後を追う必要はありません』
床の魔法陣を見る。
光は、ゆっくりと薄くなっている。
このまま待っていれば、協会が何とかしてくれるかもしれない。
そもそも、俺は探索者としては初心者だ。
戦闘だってできない。
見知らぬ場所へ飛ばされたところで、二人を助けられるとは限らない。
むしろ、足を引っ張る可能性の方が高い。
行かない理由なら、いくらでも思いついた。
でも。
桐谷は、俺を突き飛ばした。
自分が巻き込まれるかもしれないのに。
小野寺も、桐谷の腕を掴んだ。
自分まで巻き込まれるかもしれないのに。
二人とも、迷わなかった。
「……俺が行けば、少なくとも二人の場所が分かるかもしれないんですよね?」
『可能性はあります。しかし――』
「分かってます。危ないですよね」
『はい』
「……ですよねえ」
嫌だ。
本当に嫌だ。
今日は初心者ダンジョンで研修するだけのはずだった。
モンスターを避けたり、罠を確認したり、掃除したり。
最後にみんなで無事に帰る。
それだけだったのに。
「キィ」
俊太郎が俺を見ている。
ドローンの上で、小さな翼を広げた。
「……お前も来るのか?」
「キィ!」
迷いのない返事だった。
まったく。
こいつまで、どうしてそんなに元気なんだ。
俺は深く息を吐いた。
「……行くしかないか」
『佐倉さん?』
「すみません。俺、後を追います」
『佐倉さん、決して無理は――』
「はい。危なくなったら逃げます。絶対に」
俺はリュックを背負い直した。
ドローンが隣へ寄ってくる。
その上で、俊太郎が胸を張った。
足元には、消えかけの魔法陣。
その中心へ、そっと足を伸ばす。
……できれば、何も起きないでほしい。
そんな願いもむなしく。
魔法陣が、再び強く輝いた。




