おはよう
私の学友に故人がいる。枕元にはろうそくとりん、それから線香立てを写真の前に置き、毎晩「おやすみ」と言いつつ火を灯している。
聞く所によると、ろうそくの火は黄泉の国の人にとっての目印になるという。
つまるところ現世に来るのはろうそくが灯されている間中であって、決して我々が起きている時間ではない。
こちらとしては大変なジレンマだが、要するにこちらの「おやすみ」は彼等にとっての「おはよう」に相当する。
ところで、よく故人に対して眠るという語を使いがちだが、これは「おはよう」という言葉の上に在る様に思われる。
尤も、直接的な表現をするまいという使い手の心情はろうそくの灯りよりも明らかであるが。
又、先述の「おやすみ」という言葉は「おはよう」と対の存在として扱われるが、あくまでこの二つは両立するものであり、一種の呼応と言えよう。
しかし、その呼応が時間軸でなく、時空的な広がりを見せたらどうであろうか。
黄泉の国が年中無休であるかは分からないが、もしそうであるならばきっと応えてくれよう。
その時彼等は眠りから目覚め、こちらに「おはよう」と云う。
そして彼等が又眠る時、我々は「おはよう」という一声から一日を始めるのだ。
そして、もしこの文字通りの夢物語が実現したなら、彼等と黄泉の国は一つの実体としてこちらに「おはよう」と告げるだろう。




