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配信57枠目 破章、第二節。


「さてと…」


 早朝のリビングで、先生は困った様に後頭部を手でなぞりながら溜め息を吐いた。彼をそうさせた原因は反対の手に握られた一枚の置き手紙に書かれていたある事だった。


『勝手にいなくなってすまない。記憶は全て戻った。もう大丈夫だ。だから心配しないでくれ。やる事やったらまた来るよ』


 そのお手本の様な硬筆で書かれた文字は、幼さを感じさせない大人の字。それどころか書道家の一筆の様に美しい文字であり、その言葉遣いすら青年の面影を無くした様に格式高くなっている。


「せめて、連絡先くらいは書いて欲しかったかな」


 義父からの手紙を折り畳みポケットの中へ押し込む。少なくとも、まだ眠っている弟にだけはこれを見せない様にしなければならない。彼も先生の様に、この手紙に残された違和感に気付く筈だからだ。


 手紙と交換する様に取り出したスマホの電源を入れる。画面に表示された時刻だけを確認して閉じる。


 真っ黒の画面にはらしくもなく着飾った自分の姿が写り、最後に固めた前髪を指で直す。そして、覚悟を決めた様に玄関へ向かった。


 8月上旬。彼の役者としての活動が始まる。


———

——


「おー。おはようちゃん」


 慣れた量産型の挨拶を配りながら、少しとして速度を緩める事なく歩き続ける。その足取りは地に足ついた様で何処か浮ついている様にも見えた。


「…監督」


「おいおい。マサちゃん。あもちゃんって呼んでくれよ」


「……とりあえず、今日一日は抑えましたけど。今日中に撮り切れますかね。後、マサちゃんって?」


「いけるいける。そもそも話題性も何もないから低クオリティでも大丈夫だって」


「はぁ…あのですねぇ。腐ってもアンタの大事な一作品でしょ…って」


 もう既にそこに居た筈の監督こと、天羽の姿はそこにはない。廊下の先で陽気な鼻歌混じりにスキップをかましている。


「オッサンめ…」


「どしたのマサちゃん」


「あっ、水本さん。ええ。また監督が……ん?」


 吐き捨てる様な恨み節に、いつか俳優レイにナルシストなどと呼ばれていた俳優が反応を示す。しかし、その内容からどうやら純粋な味方ではない事に、彼は遅れながら気付いた。


「…聞いてましたね?」


「嗚呼、悪いな。マサちゃん。俺を待ってる人は多いんだ。行かないとな」


 満面のキメ顔のまま意味不明を体現しながら、彼はそそくさと立ち去って行った。一体、何の為に現れ、何をしたかったのだろうか。


「…???」


「マサさんおはよ〜」


「あ、ノアさん。おはようございます」


 漸く現れたマトモな人間に、彼の心は忘れていた平穏を思い出す。彼にとってノアは若くして名のある優秀な人だ。少なからず、その姿は彼に勇気と羨望を呼び起こす。そんな人物だ。


 だが、今はそれよりも気になる事があった。ノアの横に居る”話題の人物”。彼はこの時になって初めてちゃんとした会話、と言うに及ばない挨拶を交わした。


「どうも。おはようございます」


 幾度も話にだけは聞いていた。なんなら、何度か姿を見た事もあった上に、すれ違いざまには軽く会釈した記憶もあった。だが、しかし。記憶にある彼は、この様な雰囲気のある人だっただろうか。


 言葉の一つ一つに知性、いや、礼節を感じる。由緒正しい家系の植え付けられた様な礼儀作法と言うより、天才という意味では無く人生経験豊富な教養のある人と言うオーラ。


 数多くの芸能人。その中で、なるべくしてなった著名人の様な落ち着きと所作。所謂、カリスマ性と呼ばれる類のものを彼から強く感じ取った。


「…え、あっはい。どうも。おはようございます…」


「確かカメラの人ですよね。今日は色々とお世話になります。宜しくお願いします」


「じゃあ、僕達、呼ばれてるからまた後でね」


「…ああ、うん」


 カメラの人。その彼の言葉には確信があった。『確か』などと緩衝材を使ってはいたが、その言葉には明らかな自信があった。つまり、覚えていたのだ。認知していたのだ。覚える必要すらない自分の事を。


 最後にこの様な気持ちになったのは何時だったかと、振り返ってみれば、念頭に浮かぶのは彼が話題の人物となっていた理由の一角を担う人と相見えた時だった。


「初めまして」


 ソラと渾名で呼ばれる俳優。彼とそっくりな顔で、そっくりな背丈。そして、そっくりに憂いを帯びて笑う姿。その全てが生き写しの様で、ゾッとする疑念が上手く振り払えない。


 そんな思念が頭を右往左往する中、ノアと歓談しながら歩き去って行くその姿が、何処か浮世離れした景色に映る。彼は本当に一般人(こちら)側の人間なのだろうか。普段なら気にもしない様な事が、今回だけはどうにも気になってしまっていた。


———

——


 目覚めたのは見覚えの無い無機質な部屋の無機質なベッド。その先を直接見る事は出来ないが、何本かの線が身に纏っているモノの下から伸びている。生えている。どうやら、目に入るモノ全てが見覚えの無いモノの様だ。


 恐らく、ガラス窓に写っている自分と思われる顔さえも。


「…え…?……コレ…は…誰だ…?」


 昼下がりのガラス窓に反射しているのが自分の顔。それが理解出来た。指で顔を撫でても反射した通りので感触だ。あまりにも馴染みがないのだが、その時に、それがおかしい事に気が付いてしまった。


 自分の顔を忘れてしまったのか?


 自分の顔は理解するまでもなく、分かるモノではないのだろうか。思い返せば、何も思い出せない。まるで、深夜の濃霧の中で訳も分からず立ち竦んでいる様だ。


 そうすれば、残るのは不安と恐怖。今の自分には縋るモノも頼れるモノもない。増大していく不安と恐怖を抑える方法が、どうして思い出せない。


「あ、ああ…ああっ!」


 壊れていく。自壊していく。どうやら、自分は壊れたカラクリにでもなってしまった様だ。今に叫び出して、何も分からず、死ぬ事すらも分からないまま死んでいく。


「あぁああ——」


「——静かに」


 何かの音がした。声だ。誰も居ない、人とも呼べない人の形をした何かが1つ。ベッドの上で唸っているだけの病室の中で、誰かの声がした。


 音の方へ振り向くと、さっきまで見ていたガラス窓の枠に誰かが座っていた。脚を組んで、人差し指を口に当てて、人形の様な冷たい表情で此方を見下ろしていた。晴天からの逆光を一身に浴びて少し目が眩む。


「おはよう。そして、コレからよろしくね」


「君は…誰だ…?」


「僕が誰か。それは知る意味がない」


「じゃ…じゃあ、な…まえは?」


「死人に名前は要らない。呼ぶ必要がないからね」


 その言葉は、とても淡々としていて、本に刷られた文字を指で一文字一文字なぞりながら朗読しているみたいだった。それが余計に、変な幽霊でも見ている様な気分にさせた。


「もう少しもしないうちに医師が来る。困った事が有れば僕に聞いて」


「…君はどう——」


 コンコンコン。


 扉から軽快な音が3回程鳴った。出かけていた言葉を飲み込み、小突かれた扉に目をやった。直ぐに建て付けの悪い音と共に、医師と看護師が姿を現した。


「失礼……嗚呼。目を覚ましたかい」


 医師は慣れた様に隣の看護師に家族に連絡を入れる様にと伝え、静かに目の前まで近寄ってきた。どうやら自分の頭に巻かれた包帯が気になる様だ。今になって、ズキンと頭を何かが突き刺す様な感覚が走った。


「頭に痛みは有るかい?」


 初老の医師と見つめ合っていると、ポケットから取り出したちっちゃなライトを目に当てられた。当てたり当てなかったり、片目ずつ視界がチカチカと点滅する。


「…あっ、えっと……?」


 医師が答えを待っている様なので、その答えを考えていたが、痛みとは何か分からなかった。分からないなりに考えて考えて困り果てた後に、窓際に目を向けた。直ぐに自分の顔によく似た青年が淡々と応えてくれた。


「包帯で締め付けられて少し」


「…包帯…?締め付け…て、少し…?」


「うん。そうかいそうかい。少し緩めようか」


 どうやら、かの青年は自分を手助けしてくれる存在の様だ。痛む頭の包帯を緩められながら、彼が頼れる人物で有る事が理解出来た。


「じゃあ、自分の名前は言えるかい?」


 眉間に深い皺を寄せた医者の発言に、また名前が何なのかも分からないまま、窓際の彼に目を向ける。彼は少しだけ悩んだ素振りを見せてから、さっきまでと同じ様に淡々と口を開いた。


二道(にどう)マナカ」


「にどう…まなか」


 彼が親から貰った名前を知ったのは、その時になってからだった。


———

——


「あいOK。お疲れさん」


 想定内予想以上。意外にもパンピーは一般人(パンピー)にしては出来る。こんなド平日の昼間に予定が空いてるような普段何してるか分からん奴だが、俺と同じ……いや、兎に角カメラやマイクの扱いには慣れてるとみた。


 視線も表情も所作も。カメラがある事を意識してない。演技は下の上くらいだが、しかし。見てられないほどでもない。寧ろ、コレくらい歪で不気味な方がキャラが立つ。想定とはちょいとかけ離れた形になってはいるが、それで十分。最低限役を務められそうだ。


 さて、大事なのは俺の想定とかけ離れた理由だが…何があったのか。先日までとは違う演技になっていたがはたして。中にいる人でも変わったのかね。


 どうやら、何人かそれに気付いている奴も居る様だが…まぁ、俺が気にかける事じゃねーわな。それは俺の仕事じゃない。他の奴らがどうにかするだろ。ドが付くお人好しもいるしな。もしもの時はアイツがなんとかするだろ。


「うーん。よかったのかな?」


「いいんだよ。やり方違くても、結果が伴えば文句は無い。そもそも、このドラマ自体大した思い入れもないしな」


「それ、私の前で言わないで欲しいなぁ…」


 このドラマを描いた理由はただ1つ。幾らかの面倒をみてきた者として、失った彼等を慰める為だ。保護者にもなれない俺にはそれくらいしかしてやれない。


 もしも生まれ持って完璧な人間が居るなら、その人間が道を見失った時、それを正せる人間は存在するか?俺に出来るのは正解でも間違いでもない1つの道を見せる事だけだ。


———

——


「ねぇ。どうかな?この話は好きになれそう?」


 何役だったか、その出番はまだ先の事。仕事熱心に現場入りしていた藍色のサラリとした髪が特徴の若い女性。何処かの人気俳優が『腐女子』等と揶揄していた人が先生の視界に入った。


「えっと…確か…」


「あー、私の名前ね。藤淵夕(ふじぶちゆう)。芸名だけど」


「藤淵さん」


 まるで覚えますよとでも言わんばかりの復唱。わざとらしいくらいだが、その姿勢には幾らかの好感が持てる。


「ふっじーって呼んでも良いよー。それで、この話の事だけど」


「…嫌いでは有りませんが、好きにはなれないかも知れません」


 すぐにキッパリと答えを出す姿に、有無言えない好感を持った。また、誰かにゴマするような答えでも無く、ただ批判するだけでもない誠意のある回答に藤淵は深く頷く。


「ふんふん。成程ね。確かに暗い話だし、そりゃそうか。いやー、イマイチ、役のキャラが掴めなくて。あの監督、どう言う意図でこのキャラ作りやがったんだか…」


「マナカの同級生役でしたっけ」


 その返答には少しだけ面を食らった。一度でも話した事はない筈だった。なんなら、あのレイ(顔だけ俳優)に変な事吹き込まれて良い印象は持ってない。それなのに、演じる役の事を覚えていた。ついさっきまで、名前すら知らなかった相手なのに。


「えー、ヒロイン役って言ってほしーなー」


「そういうタイプの話でもないでしょう…」


 正論には軽快な笑顔で誤魔化す。そこそこの演技が出来るソラに良く似た一般人。それがどんな人間かただの好奇心で近付いたのに、少し興味が湧いてしまった。


「深夜ドラマとは言え、ちょっと暗過ぎ。交通事故で記憶喪失までは良いとしても、両親が毒親なのは少々救えないよねー。何が悲しいって、記憶喪失だから両親が毒親だって気付けない事。あっ、君は最後まで読んだ?」


「多くは貰ってないですね」


 最後までの台本を渡されていない事を意外と思ってはいない様だ。ある程度、監督の人柄を知っているのか、それとも、察しか要領が良いのか。


「あちゃー。天羽節出ちゃったかー。あの監督そういうところあるよねー。何だっけ、あれ。女の子がどっちの箱に入っているか探す奴」


「…サリーとアン課題の事で合ってますか?心理検査で有名な」


 恐らくは察しの方だろう。以前、傍目に見た時は人付き合いを苦手そうにしていたが、今の姿を見るにそう言う訳でも無さそうだ。寧ろ、得意に見える。なら、以前苦手そうにしていた理由が分からない。


「そう、それそれ。多分それ。物語に深みを持たせる為に、役者に必要以上の情報を与えない。役者が演じない役の背景情報とか特に。それがあの監督のやり方だからね」


「言いたい事は分かるんですけど、サリーとアン課題とは違うような…」


 容姿の所為か、ただの勘違いか。どうしてもソラの姿が重なる。顔だけじゃなく、使う言葉の節々にも、表情の変化にも、細かい所作まで生き写しでも見ている様な気分だ。


 いつか、風の噂で聞いた話を思い出した。陰謀論者の言う事だからアテにしてなかったが、彼の事を見ていると、出鱈目とも言い難い様に感じた。


 面白い。興味が湧いた。


「細かい事はいーのいーの。私が言いたいのは気を付けてって事。君の役、思った以上にしんどそうだから。これはアドバイス。君の役アラタは、マナカにどうして欲しいか考えてみて。アラタみたいに、自分が、記憶喪失の自分の背後霊みたいになってしまったとしたら」


「………」


「もしそうなったら君はどうする?または、君ならどうした?」


———

——


「ごほん。じゃあ、皆、お疲れさ〜ん!」


「「「「「イェーイ!」」」」」


 監督の音頭で居酒屋の一室に歓声と軽快なグラスの音が響く。無事に撮影を開始し、予定通りにつつがなく進んだ事を関係者全員で祝う。


「まさか、呑み会があったなんて…」


 ワイワイと歓談に勤しむ監督を呆れた目で眺めながら、ロンググラスに入った烏龍茶で喉を潤す。何時何処の世界でも、呑み会は開かれるものだとこの歳になってようやく知る。


「スケジュールにかなり余裕があるからねー」


「放送開始は10月でしたっけ?」


「そそ。GP(ゴールデン・プライム)帯のドラマは基本1クール。秋の連ドラは10月からがベターだね。まっ、秋って言っても撮るのは夏からだけど」


「したり顔で解説してるけどさ。ふっじー、連ドラ初めてでしょ」


 得意顔の藤淵に容赦無いツッコミが入る。いつか白髪の俳優に『陰謀論者』等と揶揄されていた役者だ。青色のプリンになっているショートヘアが特徴的で、どちらかと言えば大人しそうな女性だった。


「駄目だよももっち。そーいう事は言わないのー」


「私、久門萌香(くもんもえか)。ふっじーは危ないから気を付けてね」


「いや、ももっちの方が危ないでしょ!」


 ももっちと呼ばれた女性は久門萌香と名乗った。台本に書かれていた名前と一致する為、藤淵と同じく芸名なのだろう。2人の戯れを見るに、かなりの付き合いの上、仲もかなり良好のようだ。


「陰謀論者と比べられるって、私なんだと思われてるのさ…」


「腐女子でしょ。それもガチムチ趣味」


「コラ。公衆の場でそういう事言わないの!」


「あははっ。2人共元気だね」


 どうやら、2人のやりとりはかなり騒がしいものだった様で、隣に居た50代は超えているだろう温厚そうな男性が並々まで注がれたジョッキ片手に会話に入ってきた。顔合わせの時にも居た、脚本を担当している脚本家の人だった。


「君も両手に花だね。少し毒がある気がするけど」


「え?」


「ちょっとー?どう言う意味ですかー?パワハラですか?セクハラですか?それとも、モラハラですかー?」


「萌香砲装填開始」


「ごめんごめん。謝るよ。頼むから武器を納めて…」


 笹木の言葉に不満を露わにしながら、それぞれ口に料理を運ぶ。落ち着かせる事が出来た2人に、安堵と疲労の溜め息を1つ。冗談1つも軽い気持ちでは言えない時代になったようだ。


「やぁ、初めまして。でもないか。こうして話すのは初めてかな。今回のドラマの脚本を担当させて貰った笹木です。気軽に笹木と」


「どうも笹木さん。よろしくお願いします」


「嗚呼、よろしく。早速だが、君の事はなんと呼べば良いかな?」


 反応に困る。普通であれば本名を伝えるべきなのだろうが、視界の端で監督と仲睦まじいソラを見ていると、それが事態をややこしくするのは目に見えていた。


 その上で、笹木自身、監督と仲が良いと言う情報を得ている以上、今回の件も深く知っているだろう。つまり、この質問の本当の意味としては、先生の事を何と呼べばソラと呼び分けが出来るかを聞いてきているのだ。


「えっ…と、一応、本業では先生と呼ばれてますね」


「ほぉ。それはそれは。ならば私も先生と呼ばせて貰いましょう」


 改まる様に畏まった笹木の姿に、決して嘘何かを言っている訳ではないのだが、まるで悪い事でもしているかのような気分になった。しかしとして、決して間違った事を口にした訳ではない。とりあえず、話題を逸らして有耶無耶にする事にした。


「笹木さんはなぜ脚本家に?」


 その問いに、笹木が枝豆をつまむ手を止めた。これまで誰もして来なかったであろう先生の質問に、輪から離れていた藤淵と久門も会話に興味を示す。3人の視線に、身体をくすぐられているような表情をした笹木がゆっくりと口を開いた。


「いやぁ…その、恥ずかしい話なのだけれどね。昔から悲恋と言うのが好きなもので。ドラマチックな人生経験がある訳でも無いのに運命的な物語を綴るのも、それはまた変な話だとは分かっているんだが…」


 後少しのところで言葉に澱む。固唾を飲んで続きの言葉を待つ皆の姿に、襟足を指で掻きながら諦めた様に躊躇った言葉を口にした。


「私の好物を。悲恋の救われない物語の良さを世間に知らしめたくてね。今日も若者に悲劇の役を演じさせる悪い老人になっているのさ。どうだい?全くどうして嫌な老獪だろう?」


 開き直った様に気味の悪く薄ら笑う。温厚そうな人が一変、まるで詐欺師でも見ているかの様な嫌な笑顔を見せている。歪みなく綺麗に整列しながら固められている髪が、完璧に整えられた容姿が更に怖さを湧き立たせていた。


「私なんかのつまらない話より、皆の事が気になるのだけれど。皆は浮いた話とかあるのかな?……ああっ、

これもハラスメントになっちゃうか…」


 溜め息混じりに「歳取るとだめだね…」と、しおらしく肩を落とす笹木を3人がなあなあと宥める。


「そうだねー。うーん。まっ、立場的にあっても私は言えないね!でも、いつも出会いは求めてるよー。って、コレ言ってる様なものか…」


「私は大丈夫。自分が変人なのは分かってるから求める事はないと思う…多分」


「あらら…先生は?」


「自分の事を恋愛的な意味で好いている人が居る事には気付いているんですけど——」


 話を振られつい言葉が出てしまったが、それが間違いだったのではと疑問を抱いたのはもう手遅れになってからだった。彼女達の好奇心をくすぐってしまった事は、日の目を見るよりも明らかで、その興味津々の視線が痛く突き刺さる。


「…いや、つまらない話なのでこの辺で」


「なんで!?ここからじゃないの!?」


「続きを教えて。これで終わりは納得出来ない」


 強気で詰められるだけでも手がいっぱいなのに、奥で確かに注目してくる笹木の姿が目に入った時、コレは骨が折れるなんて程度ではすまないだろうと確信を得た。無理矢理な形にはなるが、状況を変える為にも話題を逸らす。


「嗚呼!そうだ。藤淵さん。昼間の事なんですけど」


「昼の事?」


「んー?それ今じゃなきゃダメなの?」


「ダメです。自分がアラタと同じ立場になったらどうだって話。ありきたりな回答ですけど…」


 先生の言葉に藤淵の顔に冷静さが戻る。切り替えの速さにプロだと感心させられると共に、一縷の緊張が走る。


「自分も。アラタと同じ事をします」


 話の流れが掴めず横で口を噤んで聞いていた久門と笹木も、その回答には聞き入っていた。


「へぇ、それはなんで?世間一般的に言えば、アラタの行動はとても回りくどいし面倒臭いよ?」


「アレは…アラタの複雑な心情を表してたモノだと思うんです。解放された喜び、マナカへの同情、何よりも強い未練。だから、全く同じ立場になるのなら、自分はアラタと瓜二つの行動をすると思います」


 3人は少し考える様な表情をして、その結論に静かに頷く。


 しかし、貴方の言葉に真実は含まれていなかった。もしも、貴方がアラタと同じ立場になった時、貴方がする事は身体の主導権を取り返す事だ。決して、アラタの様な行動はしないだろう。


 前に比べ、頭に響く声が大きくなった様に感じる。雑音に紛れて静かに聞こえていた声は、今となっては雑音を掻き消す程の存在感を放つ様になっていた。


「うん。成程ね。良い解釈だったよ」


「いえ、まだまだですよ」


 貴方は他人に好かれる人間になる事を目指しているが、好かれ過ぎるのは嫌いな様だ。だが、嫌われるのはそれ以上に嫌な事なのだろう。アラタと似た境遇であれど、貴方はアラタとは正反対の人生観を持っている。


 頭に響く声は非難でもする様に何処か棘がある。いつも、精神が落ち着かない時を見計らう様に聞こえる声は、確実に先生の精神を蝕んでいる。


「まっ、アラタは3話までしか出番無いけど頑張っ……あっ」


 喋り続ける口を自分の手で覆った。あの口煩い監督に何度言われたかも忘れた小言を今になって思い出す。『あのパンピーにネタバレすんなよ。オマエ、アホみたいに口軽いから』監督の言葉に狂いはない。どうやら、口の軽さはどうして認めざるを得ない様だ。


「やっべ。やらかした」


「あらら」


「ちょっと。ふっじー?」


 3人が和気藹々と笑い合う中、険しい顔で頭の中の声と戦う。この声の主の目的を探ろうとも、そんな事はわざわざ悩む必要などないくらいに、既に理解している。


「すみません。少しお手洗いに」


 絞り出した笑顔と声を皮切りに、頭を手でそっと抑えながらその場を後にした。だが、幾らかの時間が経ってトイレから戻って来た後に、元々いた席へ戻る事はなかった。


 また、その時には3人もまた別の話題が盛り上がり、先生の存在が頭から離れていた事もあり、最後まで帰って来なかった先生を不思議に思う事もなかった。


———

——


「じゃーな。皆、明日からもよろしく」


 監督の立ち去りながらの軽い挨拶で2次会やら帰路やら、各々好きに行動を始める。初めの頃に話していた藤淵や久門は他の女優や女性スタッフ達の会話に参加しており、笹木は家族を待たせていると足早に去っていった。今、先生の元にはソラやノア。水本の姿がある。


「今日はどうだった?」


 ノアの一言に今日一日を思い返す。非日常感の溢れる幾多かの視線が飛び交う中、画に写る目線や表情を作るのはかなり気の削れる作業だった。カメラがある事を意識した上で、カメラが無い様に演じるのは矛盾を感じる難しさだ。だが、感想としては。


「まぁ、楽しかったよ……新鮮だった」


 そう言う他になかった。


「…なんだか、君。人が変わったみたいだ。前に会った時とはかなり空気が違うね。役作りの影響かい?それとも、俺のオーラに当てられた?」


 疑い深く唸る水本を、それは無いでしょうとソラが容赦なく一蹴。ソラもソラで、そこそこの付き合いから水本の扱い方をよく分かっている。


「まだ夏バテと言われた方が納得出来ますね」


「いやぁ、全く。ソラって意外と容赦無いよねぇ。今日は構ってあげられなくて嫉妬させた?」


 なんて冗談たっぷり、軽口たくさんの2人の会話を余す事なく静かに聞き入っていた。ノアに小さく声をかけられるまで。


「夏バテ。本当にそうなの?」


「…あっくん。かなり酷い顔してるよ」


 繁華街の注目を集める事だけを考えたライトの作る顔の影。そこから覗くノアの顔には先生へ向けられた心配だけが浮かんでいる。最後に彼にこんな顔をさせたのはどれくらい昔の事だっただろうか。


「ソラちゃんが言えた事じゃ無いよ。何年の付き合いだと思ってるの?流石に分かるよ…」


「そっか。久し振りにお酒呑んじゃったからかなぁ」


「えっ」


 あっけらかんとした態度で吐いた()に、ノアは素っ頓狂な声をあげた。心配した事を損したとでも言う様に溜め息を吐くその姿に思わず笑みが溢れる。


 その親友の拍子抜けした顔に、貴方は安心を覚えてしまっている。その隠し事はいつまでも通用しない。貴方は自分の異変に気付かれた事実は嬉しくとも、それを喜び切ることは出来ない。


 呆れた様に笑い合う先生とノアの会話に、口を挟む事も入ろうともしないが、ソラの視線は水本と会話を途切らせる事なく先生の方へ向けられている。そして、先生はその事にまだ気付かない。


 一頻り笑った後、親友はまた安堵と諦念を混ぜた溜息を吐いた。貴方が1人でに背負う罪は幾年を越えても精算できない。誰にも知られない罪を、誰にも言わず背負い続けていた。


 微かな時間が過ぎ、4人は笑顔で帰路に立つ。時刻は既に23時を過去のモノにして、街にはまだ幾らかの活気と喧騒が保たれている。それを横目に道を違えるその時まで無駄な話を繰り返す。


 貴方は、いつまで無意味の贖罪に踠き続けるのだろう?


 最後にノアと和やかに別れた後、暗い道で1人先生が呟いた。


「…君に僕の気持ちは分からない」


 先生がソラからの連絡に気付いたのは、それからかなりの時間が経った頃だった。今日も残り僅か、自宅までも残りわずかと言うべき時刻の時だった。


———

——


「うん。なんとかなったね」


 ベンチに腰掛けて汗をタオルで拭きながら、スポーツドリンク片手に呟く。右隣には手前から凛、マーク。そして、白氷の前にヒナが立っている。


「いやー。やっぱイケメン君はすごいね〜。惚れ惚れしちゃう」


「なんとかなってるのがこえーよ。バレーってチームスポーツだろ…?」


「なんて言うか…うん。今更だよね」


「フォローになってないよ」


 夏休み中と言えど部活はその限りではない。今日はバレーボール部の穴埋めに駆り出されていた。試合は無事に此方側の勝利で終わり、隣のベンチではバレーボール部が喜びを分かち合っていた。


「あっち入んなくていいのか?」


「別に。僕が点を入れた訳じゃないし、素人の応援が無くても十分に勝てた試合だったよ」


「はぁ?どうやったら、ペーペーのトーシロが人数不足の弱小バレー部勝たせる事が出来るんだよ」


「へへん。それがウチのイケメン君なので」


 まるで自分の事の様に胸を張るヒナ。ユニホームを着ている白氷は兎も角として、付き添いに過ぎない凛やマークはそれぞれ夏を思わせる私服なのに対して、同じく付き添いのヒナは上着だけバレー部用のジャージ姿で、自分も選手とでも言わんばかりの気合いの入りようだった。


「なんで部長さんが得意げなのかな…」


「なぁ、そんなにテンション上げて疲れねぇ?てか、そのジャージどこで手に入れたのさ」


「え?普通に借りたけど?部員に」


「…えっ?まさか…あの男子達から?」


 高校生にもなった女子が?むさ苦しくて敵わない男子高校生のジャージを?なんて、疑問を超えた困惑がマークと凛の頭を駆け巡る。白氷は興味無さそうに我関せずを貫いていた。


「そりゃあそうでしょ!女子と男子でジャージのデザイン違うし。後日洗って返すからって言ったら『そんなに気遣わなくて良いよ!?助けて貰えるだけで万々歳だから!?』って4人分。私しか着ないかなって1着しか貰ってないけど。て言うか、試合終わったしもう返した方がいいか」


 思いついたようにそう言って、その場でジャージを脱ぐ。手の上でパパッと綺麗に畳んで、興奮冷めやらぬ部員に手渡した。


「わーお大胆。危機感とかはないのかしらこの娘」


「今に始まった事じゃないよ…前々からだから…」


「そっか。やっぱイカれてたんだな部長。この部活に入って俺ちゃん大後悔」


「うるさいよ」


 手に持っていたクリップボードでマークの頭を軽く叩く。叩かれたマークは叩かれた場所を押さえながら、暴力反対を訴える。


「さ。ここに長居しても仕方ないし。そろそろ帰る準備をしようか」


「帰りはどうしよう?まだ早いし、何処か行く?」


「そーだなぁー。疲れたし、なんか食って帰るか〜」


「えー?疲れたって、まっさん何かしたっけ〜?」


「オウエンシタヨ」


 無駄話をしながら撤収作業を進める4人の元に、バレーボール部員や顧問が集まる。


「今日は本当にありがとうございました!」


 キャプテンの言葉に続いて、部員達もそれぞれ感謝を述べる。弱小という事もあり、練習試合さえ多くは出来ない上、勝てる事は更に少ない。チーム唯一のリベロが熱中症でダウンした時はどうなる事かと部員全員が思っていたが、扶助部のお陰で試合をする事どころか、勝利まで収める事が出来た。


 当然、その感謝の言葉も多くなる。試合に出てないマークや凛までもが感謝の言葉を受けていた。


「また、何かあったらウチをよろしくね〜!」


 満面の笑みで体育館の入り口まで見送ってくれた部員達に手を振る。これにて無事に仕事完了である。


 その後、体育館を後にした4人はコンビニで買ったアイスを食べながら帰路へ着いていた。夕方と言うには幾らか早い為、蝉の声も日差しの強さもかなりのモノだった。


「暑いよ〜。食べるよりも早くアイスが溶ける…あっ、ヤバイヤバイ!」


「あっ、部長。めっちゃ垂れてきてる!」


「もう一口でいくしかなくね?」


「えー!頭キーンってするから嫌なんだけど〜!」


 しかしとして、幾ら嘆いてもアイスが溶けることに変わりはない。覚悟を決めてヒナは溶けるアイスを口に突っ込んだ。一拍か二泊か置いて彼女の悲鳴が響いた。


「ふー…酷い目にあった…」


「舌を上顎にくっつけると直ぐにマシになるよ」


「普通に遅いよ?」


 お詫びに扇ぎとでも言うように団扇を叩きつける。罪悪感は多少なりとあるようで、渋々と言ったように扇ぎ始めた。


「てか、みんなは日曜の夏祭りは行くのか?」


「いや、今のところは行かない予定だね」


「僕も」


「私は誘われてるし悩み中〜。まっさんは?」


「弟達が楽しみにしてるからな。アイツ等だけで行かせる訳にはいかないし、行く予定だよ。っと、こんなとこにゲーセンが」


「え?ちょっと寄っていい?」


 練習試合の会場が、他校の体育館だったと言うのもあってか、この辺りには4人とも初めて来た場所だった。初めて見るゲームセンターに凛は興味津々だ。


「んー?ギャンブラーの血が騒いじゃった?」


「へー。なーってギャンブラーなんだ」


「い、いや、そんなんじゃないけど…」


「まぁ、折角だから。涼むついでに寄って行こうか。先行ってて。そこのコンビニで飲み物買ってくる」


「おっけ〜」


 そう言って、マークと凛はゲームセンターに入って行った。残ったヒナと2人。何かを口にするでもなく2人はコンビニではなく、ゲームセンター横の自販機に向かった。


「いやー、大変そうだね。今日も児童クラブに預けてるんだって。後、熱風しか来ないから扇ぐのなしで」


「はいはい。仰せのままに。それで?彼を入部させて良かったのかい?」


「まぁ、他の拘束時間長い部活よりかはマシでしょ」


 それもそうかと、自販機からジュースを取り出しながら、ふとした疑問が頭に浮かぶ。ヒナは姉の話はするが、他の家族の話は一切口にしないが、両親とはどんな感じなのだろうかと。


 とは言え、わざわざ聞くような内容でもなく、無理に話を持っていくのも不信感を抱かれるだろうと、また別の機会を伺う事にした。


「さっき、夏祭りに誘われてたって言ってたけど、一体、どんな物好きが?」


「イケメン君…私に対して当たり強くない?私も普通に友人くらい居るからね?別のクラスだから知らないんだろうけど」


「そうなんだ。てっきり、うちの兄を誘うのかと思ってたから、そんな気が無さそうで意外に思ってね」


「………」


「…?」


 いつもなら、恥ずかしそうな顔で分かりやすいくらい本心見え見えの否定をしてくると言うのに、今回はただ深刻そうな、罰の悪そうな顔で目を背けるだけだった。


「そう言えば、聞いた事はあったかな?」


「んー。何を?」


「部長さんが兄さんの事好きな理由」


「へっ?」


 その問いにはいつも通りの反応を見せてくれた。間抜けな声で白い頬を耳まで赤らめて、両の手でなんとか顔を覆おうとして隙間から赤さが漏れ出す。その後も、


「す、好き?いやー、そんなんじゃなくて、えーっと、ほら。あれだよ!あれ。尊敬!れ、恋愛じゃなくて友愛!と言うか親愛!そう!それ!違うからね!違うから!」


 なんて毎回似たような言い訳を押し通す。不意に見せる策略家の一面はどこへ行ったのか。これも、策略の一種かと疑うのも最初の数回で十分だろう。とは言え、毎回この手法で誤魔化されているのも違いないので趣向を変えてみる。


「まぁ、大方想像はつくけどね。部長さん。絵を描くの好きだよね。それこそ、それ一本で生きようと思うくらい」


 瞬間、空気が冷えるどころではなく、凍りつくまたは、時が止まったかのように固まるのが分かった。その原因は先までの赤らめていたのをすっかり忘れたように、残酷で冷徹な表情で笑っている。


「なんで?」


「見てれば分かるよ。画家の頂点と何年一緒に暮らしてたと思う?絵を描いてる人間の特徴くらい簡単に分かる」


「そっか。ならいいけど」


 夏風が2人の頬をそっと撫でた。耳を切る風音が2人の淡色の髪を引いて走り去る。先までの冷えた緊張感のある空気は無くなり、夏の暑さがジワリと汗をかいて乾かす。


「君もお兄さんの事、大好きじゃん」


 少しだけ火照った艶やかな表情が、揺れた季節外れの桜の様な色をした前髪の隙間から見える。その姿を見て、彼女が同学年問わず多くの生徒を虜にする理由が少し理解出来た気がした。


「…部長。思ったより綺麗な顔してるんだね」


「君が言っても鏡見てとしか言えないけど……まぁ、悪い気はしないかな」


「純粋に褒めてるよ」


 手に持ったジュース缶の結露が滴り落ちる程、蝉が鳴き疲れて鳴き方を変える程。自販機に着いてからそれくらいの時間が経っていた。


「初めて会った時に比べて変わったね。私も貴方も先生も」


「…気付いてたんだ」


「なーも気付いてるよ」


「そっか…」


 先生の身に起きている異変。それに気付いている人は少なくなかった。だが、白氷はその人よりも更に深いところまで知っている。


「…あの人…僕の父さんの事は覚えてる?…確証は無いけど、兄さんも似た感じ。記憶喪失に近い何かになってる」


「…それは、なんで?」


 彼は最後の最後までその事を打ち明けるか迷っていた。それは場合によっては伝えるべきでは無い事実の可能性が有ったからだ。


「原因は……遺伝だと思う」



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