第二話「粃」(#06)
しいな
L’2036/10/24
私とシルが農家の手伝いを始めてから早三ヶ月。収穫の秋、今は栗や銀杏を採りに森の中に居る。此の農家さんが畠で育てるだけでなく、自らの所有する森にて採集も行い生計を立てているからだ。彼れの所有する森は山でもあり、黄葉じた葉を踏んで数種の実を三人で採って回っている。
「こんなとこかね」三人の背負った竹の籠が満たされているのを見て農家さんが言った。「今日も有難うね」
婆の言葉にいえ〳〵、とシルと私とは謙遜する。
「此れも自分で選んだことですから」
シルが然う言った後、婆はそろそろ戻ろうか、と云って山を下り始めた。下りながら今日の収穫物を確認し、途中畠の様子を見る。育てているのは畳用の藺(未だ苗の状態)だ。此れが育って処理を終えると職人に引き渡しとなり畳に仕上がるのだそうだ。
併し畳というものが何うできるか何て考えたことも無かったな、と思った。畳表に似たようなものはあの村(居敷村という名だとくつねが教えてくれた)にても作っていたが、藺の代わりに使っていたのは節のある長い草だったし、泥染めなんてしてもいなかった。
そんな考えを他所に婆さんはご飯にしましょかと云って私の肩を叩いた。黄昏迄数時間あったが、其の位の頃に夕餉をするのが此処の習慣なのだ。干された洗濯物を取り込んで(今日は日しきり快晴だった)、窯を炊き始める。私が調理をしている間、農家さんとシルは収穫物を保存用に加工するのが慣習化していた。
いい生活だと思う。居敷村にては自ら育てることをしていなかったし、魚も、其の周辺の川には食べれるものが何匹もあると云うのに、何故かあまり食べてこなかった。数日置きだった毎日のご飯も此処に来てから初めて三食の生活になった。漬物というものもとっくに発明されていたし知ってはいたものの、塩を得ることが出来なかったり、得ようと気も起きなかったり――居敷もダルンデネトも可也内陸で、鹹水煎熬による塩を買わなければ手に入らない――で全く食べていなかった。しょくじはすばらしいのだ。
夕餉は魚と漬物と米と味噌汁。きわめて普通の食とはいえ、一度饑い思いをした身には良いものだった。
食事を終え、食器を洗った後は黄昏を待たずして寝る。其れが生活の習慣だ。
夢に見たのは青い星、総ての母の様な星だった。自分が星に興味を持っている理由の様な気もする。併し争いの絶えない処でもある。其処の人間はずっと何処かで争い、今日の夕餉よりも豪華な食事をしているのに満足もせずもっとと求める。煩悩、三毒といったか、貪欲な人々だ。そして、理解力が乏しい人が多かった。
自分もその一人で、他人の集まりを激しく憎んだ。何故憎むのかという理由は無かった。少しも無く、全く無い。なのに憎む。愚痴だからだ。夢の中の自分は他人を自らと違うと云って憎む醜い人だった。
目覚めは最悪だった。耳が強張って尻尾も固まって動かない。シルに心配される程だった。彼れはお人好しだからずっと起きる迄傍に居たのだそうだ。婆は違うが、五人全員がお人好しだ。
頂きましたと朝食を終えたが、今日は私の特にする事の無い日であることを思い出した。暇を持て余していると、辞書が読みたくなってきた。ことばてんありますかねと農家さんに訊くと、此処には無いが国立図書館が橋の手前にあるから其処で探せと云われた。
「じゃあ行ってきます」
「これを持っていきなさいな。それじゃあいってらっしゃい」
彼れが渡したのは餉だった。何処か懐かしく、私には昔の物語みたいに思えた。
図書館はあの区役所の近くにあり、特に古くも無い図書の棟は誰でも入れる様になっていた。其処は煉瓦の壁で、年を経た紙、柱の檜、本棚の鉄の匂いが入り混じり、図書館独特の匂いを醸し出している。天井の高くある様と、二階への階段が直ぐ目に入る。漆の塗られた本棚が、一様に本を抱えて其処を占領している。青い翠の葉を思わせる窓掛けが、天然の光を遮りながら、人口の光を漏れないようにしている。
案内図に従って辞書を探していくと、一階の奥にて、一際目を引く本を見つけた。分厚い辞書。其の古い紙の一枚一枚が、人間の知る言葉が濾されて残った濾紙のように見えた。
其の辞書を手に取ってみた。力の弱いという先入観のある女にしては腕力に自信のある私でも、一瞬重さに負けそうになった。諸手で抱えて一番近い読書用の机へと運んでいく。編纂者の努力と此の言葉を話す人の歴史の詰まった一冊が此の時はやけに重く感じられた。よっこいしょ、と薄い本の幾十倍かある本を机に乗っけた。婆みたいに然う云わなければ持ち上げれなかった。
「エケメシャ大語輯 第三版」。其れが辞書の名前だった。頁を捲ると謝辞に始まり、辞書中の記号の解説、然して本文へと続いていく。其処に記されているのはくつねから教わった文字で、エケメシャと云う「捏っち上げ」の名を持つ言語だ。但し音節文字のみではなく、知らない表語文字も含まれていた。私たちの使っていた字――「漢字」と呼んでいた――は此処にては使われていなかった。其の本を途中、昼にまた苦労して棚に戻してから、一回外に出た。
丁度図書館の中庭に花が咲いていたので其処で昼食とすることにした。表語文字と共に記された其の花の名称は「カキツバタ」だ。今日はやけに懐かしさを感じるなあと思いながら、弁当を開けた。何時もの日の丸弁当。簡素で、此れも何処か床しい。
昼餉を終えて又辞書を読み始めて、読みに耽っていると、宵の口となった。少し他の本を読んでみようとかしていると、夜の帳は本に夢中になっていると何時の間にか下りていた。
此の国が「アーウィック王国」という立憲君主制の国であることと、今は二〇三六年であるということが分かった。其れだけでもいい、今は全てを知る必要も、あの本を読み終える必要も無い。此の時間は少なくとも秕ではなかった。雨の中帰りながら然う思った。
雲の中で電が見えた。紺屋の白袴とは程遠い、ゆったりと流れる日々。帰宅して夕食の後もまた特にすることも無い。而して明日に備えて早く就床した。夢は見なんだ。只々心地の良い目覚めで、昨日とは大違いだった。彼れも今日は元気そうだねと挨拶してから云った。
然う云えば、他の皆は元気だろうか。此の数か月全く連絡を取っていない。与えられた家も儂らが結局此方の家にて寝起きすることにしていたから行っていない。心の奥底で彼れらに恋いっているのかもしれない。併し妙な話だ。マコトは解るが、他は凡そ、数日間だけ過ごしただけのひとだ。個人的には「他人」と宛てた方がいいと思う。……が、其の一瞬の考えは当たっているような気がした。戸籍上とはいえ、栖が同じなのだから。
日輪は照る、月輪も照る、星も遠いが周囲を隈なく照らしている。では私は何うか。……未だ私は原始星であると云うが適当みたいだ。此れから、其れ迄蓄えていた知識と云う水素で本格的に輝き出す。何時しかヘリウムなどとして「己の為のもの」を作り出すだろう。「鉄」を生み出せるのか、未だわからないが其れは此れからでいい。




