第3話 「どういう外交詐術を用いたんですか」
「ぷっ……くっくく……あははははっ」
一瞬沈黙が降りた部屋に、笑い声が響き渡った。
ユミルがきょとん、と左を向くと、口許を手で隠しながら肩を震わせる青年がいた。
笑いの発作をおさえるたびに、金の髪がさらさらと小さな滝のように流れる。
儀礼的な微笑を常に保ちつづけていた彼が初めて見せた、感情らしい感情だった。
「い、いや――失礼。まさかこんなに楽しい姫君だとは。想像だにしてませんでしたよ。自惚れが過ぎたようですね。まさかローゼンクロゥル出身だから、というだけで選ばれたとは思っていませんでした」
詫びながら上げた腕も、まだかすかに震えている。
「――そうだな。意外性は抜群だ」
と、低い声に右を向くと、ずっと無表情を固持していた黒髪の青年が、かすかに口の端を上げていた。
微笑、と言うのさえためらわれるような、わずかな変化だったが――明らかに……楽しそう、だ。
「……笑えるところだった?」
シアに聞いてみても、絶望的な顔で首を左右に振るだけだ。
正面の父親は、既になんか悟っちゃったような表情で虚空に向かって微笑んでいる。
なにかマズイこと言ったのか?と今更思うユミルだったが、でも、両隣の青年はなんだか楽しそうだし。
「では改めて名乗りましょう……ふふ、誰かに名乗る、というのも久しぶりです。新鮮でいいものだ。――私は、ハインリィメル=レヴィン=ヴァイス=ローゼンクライル。レヴィンと呼んでいただけるとありがたいですね。洗礼名の方が馴染んでいるもので」
白い礼装の青年が微笑みをたたえて名乗ると、対面の黒衣の青年は軽く敬礼した。
「俺は、アルフジィーク=カイル=シュバルツァー=アイゼナフティン。……アルフでいい。周囲は皆そう呼ぶ」
「……………」
それぞれに名乗る彼等の前で、ユミルはぱちぱち、と目を瞬いた。
「あぁ、無駄に長い名前ですから、覚えられないようでしたらもう1度――」
「いや、いい、覚えたことは覚えました」
気をきかせるレヴィンの言葉をさえぎって、ユミルは額に人差し指を当てた。
「……というか、聞き覚えがある」
そのまま、額に当てた指をおろして、レヴィンに向ける。
人を指差してはいけません、と、場違いな礼法の教師の言葉が耳の奥で思い出された。
「ええと。もしかして。……白衣の聖皇子?」
「ええ。異名は聞き知っていて頂けたんですね」
微笑む青年から、無表情な青年に指を移す。
「それから。……双刀の黒皇子?」
「……身に過ぎた名だ」
謙遜しつつ、肯定された。
……ええとこれはなんというか。
ユミルはかすかに頭痛を感じながら、たん、とテーブルに手をついて、正面の父親を睨んだ。
「――どういう外交詐術を用いたんですか、親父殿」
「なんということを言うんだ、娘よ」
* * *
「だっておかしいですよ、国力を考えたら、はっきり言ってこんな田舎の山国ですよ? 王家とはいえ、両大国の伯爵程度の家柄がつりあいでしょうが」
ユミルははっきりきっぱり言い切った。
「……そなた、ワシにケンカを売っているのか?」
「厳然たる事実です。貴方こそバカにしてるんですか? わたしが、自分が継ぐことになる地位さえ把握できない小娘だと思わないで下さい」
神聖皇国と謳われるローゼンクロゥルは、大陸最古の歴史を誇る。
西の広大な穀倉地帯を有し、人口は大陸随一の、由緒正しい伝統国だ。
対して東のアイゼナフトは、鋼工皇国の異称で知られる。
山がちな大陸東の国土は農作物こそ育ちにくいが、良質の鉄山を有し、特に先王の時代に豊かな炭田を持っていたシュバルツコゥル公国を併呑して以来、強力な鉄の軍隊を持つ工業国としてのし上がってきた新興国である。
ここで一転、ヒュールバーグ王国はといえば。
魔術王国、という異名こそ立派っぽいが、歴史もそこそこ古いが、しょせん2大国の間に群立する小国の一つにすぎない。
これという産物もないが、立地的にちょうど2国の交易路の途中、どうしても越えなければならない山地に位置しているので、関税でそれなりにうるおっている程度のものだ。
「それなのに、なんですか。ローゼンクライルにアイゼナフティンって。思いっきり正統な皇家直系じゃないですか。それどころか、わたしでさえ知ってるような有名人じゃないですか。どう騙されたら、この2人がわたしの夫候補なんてことになるんですか」
「うう、詐術とか騙されたとか、人聞きが悪いのぅ……。
リィノ、そなたとワシの娘は、たったひとりの父も信じられないような子になってしまって……やはり男手一つでは行き届かぬところが」
「すべて貴方の日頃の行いのせいでしょうが。環境に責任転嫁して、母さんに訴えるフリでイヤミを言うのは止めて下さい。――貴方がたも貴方がただ」
ユミルは父を放って、2人の青年に向き直った。
「どんな甘言があったか知りませんが、ここはこの通りの小国ですよ? しかも。女王位が認められています。意味はわかりますね?」
ここでいったん言葉を切るが、両者は少しも動揺したふうはない。
平静そのもので、レヴィンに至っては、面白がるような表情さえ浮かべている。
「――つまり、正統血統のわたしがいる以上、この小国の王にさえなれない、ということです。わたしと結婚したところで、女王の夫、と言うに過ぎません。王の伴侶はクライネオスト侯なんて名を贈られますが、その実、領地ときたら――」
ここで、ぴしっと窓の外を示す。
「この城の東の小庭だけです! その面積たるや、実に4アール程度!まともな別邸さえ建てられません。――ちなみに今は、わたしの母が使っていた東屋が残っています」
「姫ぇええ~~~……田舎自慢しないでくださぁい~~~」
シアが情けなさそうな悲鳴を上げるが、ユミルは構わず断言した。
「だから厳然たる事実なんだってば。おふたかたなら、お国にもっといい縁談があるでしょう。こんな田舎に婿入りするより、ずっと豊かな生活ができますよ?」
ユミルとしては、誠意をこめて忠告したつもりだったが、ふたりの皇子は頷かなかった。
「そうは言われましてもね。私もすべて承知でここまで来たんですよ。……聡明で可憐な姫君の夫になる、というのが、自国で安定した地位を築くより豊かな生活でないと、誰が言えますか?」
レヴィン皇子は歯の浮くセリフを微笑みながら言いきった。
言い分はともかく、その笑顔はつけいる隙のないパーフェクトなロイヤル・スマイルだ。
「……俺も、そのくらい分かっている。こちらにも事情があってのことだ。そんな風に卑下することはない」
アルフ皇子も淡々と言葉をつむぐ。
その硬質な容姿は、それ以上の質問をうけつけない雰囲気があった。
「――というわけじゃ。娘よ。細かいことは気にせず、来月までに、どーん、と選ぶが良い。なに、この2人はおそらく、大陸でも今一番イイ男じゃ。どちらにしても不満はなかろ。はっはっは」
(疑問がありまくりなんですよ、タヌキ親父殿……)
よっぽどそう言ってやりたかったが、言わないとなったら、この父は決して口を割らない。
……仮にも王なのだ。
小国とは言え、ここに生きる民と土地と財とを守ってきた、王者だ。
(なんにせよ情報が決定的に不足してる。これは……わたしの落ち度だ。完全に)
とりあえずこの場は引き下がるしかなかった。
「素敵な方たちでしたよねぇ……」
シアがうっとりとつぶやく。
ハーブ湯につからされながら、ユミルはぶ然と答える。
「……そう。確かに、その点については異論はない」
「姫ったら、なのに、あまり嬉しそうじゃありませんねぇ?」
「当たり前よ。条件が良すぎて不気味すぎ」
――認めるしかあるまい。
自分に諦めという油断があったことを。
伴侶なんてどうでもいいと思っていた。
王位継承者として適当な相手を押しつけられるだろうと、思っていた。
魔女たるもの、夫で人生を左右されるようでは話にならない。
だから、要は結婚相手なんて『副業』である王族の義務を一緒に適度にこなしてくれる相手というだけ。
それなら、父が選んでくる程々の身代の男なら誰でもいいだろうと。
その程度に思っていたのだ。
――だが。
父は、思っていた以上にタヌキだった。
「何を考えているんだか……親父殿も、あの皇子サマたちも」
「えぇ?王様はちゃんと姫の幸せを考えて下さってると思いますよぉ?」
「どこが。背後関係によっては、この国はどっちかの大国の属国に成り下がる」
「……え、ま、まさか」
「向こうの皇室とこっちの王室じゃ、冗談でなく、そのくらいの差がある。
それが、王位につけもしないのにわたしの夫になる?
ふん、笑えない。全っ然笑えない。
あの2人が澄ました顔の下で何考えてるんだかの調べがつかないうちは、そしてあのタヌキ親父の腹の内を暴くまでは、うかうか選択なんてできるものですか」
ざば、と湯から上がった少女の白い肢体は、憐れを誘うほどにか細く、未だ女の匂いに乏しく、けれど燃え立つ闘志を秘めているようだった。
* * *
「というわけで、シアは、あの皇子サマがたのことはどのくらい知ってる?」
「そ、そうですねぇ……噂程度のことしか」
ユミルの髪についた露をふき取りながら、シアは首をひねる。
「逆にいえば、こんな田舎のいちメイドにまで噂が聞こえてくるくらいに有名人なんですけどねぇ」
「うん。社交に疎いわたしでさえ知ってた。レヴィン皇子は、先代皇帝の次男だよね?」
「はい――正妃ではなく、側室の腹のはずです。もっとも、あのお国は――」
「末子相続」
ユミルは一言でシアの言わんとするところを語った。
歴史と伝統と宗教が色濃く支配階級に影響を及ぼしているローゼンクロゥルならではの、古風なしきたり。
かの神聖皇国では、例え正室から産まれようとも、長男次男では王位継承権に遠い。
「だからこそ、皇室の年かさの男子は、結構な割合で僧院に入る。西の皇国は聖職者天国だからね。その中でも群を抜いて有名なのが――」
「白衣の聖皇子。レヴィン殿下ですね……白衣なんて言っても、姫のとはワケが違いますよ? 正真正銘の、司祭の正僧衣ですからね。僧籍を抜かれた今も、きちんと貴族正装で、ただ白い色をよくお召しになるという……」
「……ハイハイ」
まださっきの根に持ってるいるのか。
とにかく、西域では、聖皇子の伝説には事欠かない。
数々の神霊術の奇跡を習得し、若干20歳で司祭に叙せられる。
しかしその後、そのあまりの有能さを惜しんで、皇室が呼び戻して還俗させたとか。
その後はあまり目立った動きはなかった。
「社交界には時折出てきては女性に騒がれてたみたいだけど、やはり宗教界と権力社会は勝手が違ったんだろうなんて陰口もささやかれた。それが3、4年前だったかなぁ……てことは、今24か、25くらいか。……外見はちょっと若いよね」
「そうですねぇ……還俗以来の切りそろえてらっしゃる御髪のせいかもしれませんね」
「あれ? あそこの国教はヴァイツァー教……髪の制約なんてなにかあったっけ? ハゲにしないといけないとか?」
「な、なななななんとゆう恐ろしいことをおっしゃるんですか!!」
シアが蒼白になる。
いや何もそんなに悲痛な顔しなくても。髪くらいで。
「あちらの僧侶は、髪を長く伸ばされるのが義務なんです! それは綺麗な御髪で、ファンがめちゃくちゃ多くって、レヴィン殿下の司祭時代って、国中の娘が教会に押しかけたって言いますよ!?」
「……ある意味この上なく不純な信仰だな、それ」
「何を言うんです! 枯れたジジイのロンゲより、綺麗な男性の長髪の方が見てて楽しいに決まってます! 還俗されて髪を切られたときには、ローゼンクロゥルはおろかアイゼナフトの娘まで、涙に暮れたと言いますよ!?」
「……もしかしてシアもその1人?」
「とーぜんです! 司祭時代のブロマイド今も持ってますよ!? 見ますか!?」
「い、いや、イイ。遠慮する」
シアの壮絶な勢いに気圧されて、「髪くらいで」なんて口走らないで良かった、と思いながら、ユミルはなんとか気を取りなおす。
「ええと、それで。先代皇帝が崩御したのが、確か――去年の夏。1年ちょっと前のコト」
「ええ、ですから今はあの方の一番下の弟君だった人が、皇位につかれているハズですね」
「……新皇帝って、いくつ?」
「確か……ええと、10歳そこそこではないかと……」
「……だったら、兄として後見人にでもなってておかしくないじゃない。そういう役目のために還俗したんじゃないの? なんだってこんな田舎で遊んでるのか……」
「……さ、さぁ……?」
首を傾げるシア。
「やっぱりローゼンクロゥルの国情を理解する必要があるか。……特に幼帝の背後には誰がいるのか、とか」
ユミルは自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「アルフ殿下は、レヴィン殿下よりも2つほど年上でいらっしゃると思います」
ドレスのすそを手繰りつつ、シアが続ける。
「ええと、じゃあ26、7? ……ちょっと老けて見えるかな」
「そんなことはございません! 物静かで落ちついていらっしゃるだけですよ!」
なぜそんなに息巻くんだろう。シアが。
疑問を感じつつ、ユミルは大人しく服飾の最終調整をされるままにしておいた。
「しかし、アルフ、というと、皇子、よりも、将軍、って称号を付けたくなるなぁ」
「ええ……そうですね。実はアタシもです。アイゼナフトの黒鉄騎兵隊にあって、最強の戦士にして最高の勇将と称えられたお方ですから」
こちらも少年時代から他国に名前が響くくらい有名だった。
主に東北地方の蛮族討伐で名を馳せた。
「東はまだ未開の地も多いですから……北伐2回、東方防衛3回をいずれも大勝に導いたとか。左右2対の黒刀を無尽に揮って、鉄の地を鎮める皇子将軍。まさに現世の英雄ですよねぇ」
「だけど最近はあまり噂を聞かなかったね?」
「……それが……今あちらはアルフ殿下の同腹の兄君が皇位につかれているんですけど……。あまり仲がおよろしくないとかで……」
「ああ、疎まれてるんだ?」
「……そうなのかもしれません。確か……今は将軍位も剥奪されているんじゃなかったですかねぇ。さっきも軍服に勲章がついてませんでしたでしょう」
「そりゃ勿体無い。使える人材はガンガン使えばいいのに」
「そうですよねぇ。ウチに来てくださることになったら、近衛隊長とか総帥とかにして差し上げてくださいねっ!」
「い、いやそれは気が早いと思うけど……う~ん、そうか」
眉を寄せるユミルを「そんな顔しちゃ額にシワがよっちゃいますよ」とたしなめて、シアは笑う。
「ってことは、アルフ殿下はこちらにいらっしゃっても問題ないですよね?」
「ううん、そうはいかない。それならそれで、東の皇帝は、疎んでる弟皇子を、なんだってこっちにやる気になったのかが気になるもん。嫌われてる理由にもよるけど、そういう人の思考としては、手の届きにくい外国なんかに出したくないんじゃないかなぁ……」
こちらは彼等兄弟の不仲の真偽、また真実ならその理由が知りたい。
状況を整理して、王女は、よし、と気合を入れた。




