第1話 「ケッコン……ですか」
「もう、終りにしよう」
秋の気配が漂う日暮れ時の教室で、彼はそう言った。
「やっぱり、僕と君じゃ最初からつりあわなかったんだ。君はどんどん先に進んでいくし……。僕なんかじゃ、綺麗で優秀な君のそばに居る資格がないと、思って……」
「――何を、言ってるの?」
彼女はショックというより、むしろ呆れた、という声音で応じる。
「資格ってなに。そんなこと誰が決める? 人が人の近くに居る理由なんて、要は居たいか、居たくないか、というだけでしょう。わたしは少なくともそのつもりだったし、それは今も変わってない」
「だ、だからそうじゃなくて」
元来気弱なたちの少年は、すでに気圧され気味だ。
「そうじゃなくて、何?」
この冷静な問い詰め方がヒトを追いこむんだって、分からないんだろうか、彼女は。
八つ辺り気味にそんなことを思う。
「~~もう、ヤメてあげてよ!」
救いの声は、少年の背後から上がった。
甲高い少女の声。教室のすぐ外の廊下に潜んでいたはずの子のものだった。
いや、果たして救いになるのかどうか……。
少女はずんずんっと2人のところに近寄ってきて、少年の腕にぎゅっとしがみついた。
彼女から彼を守るように、あるいは奪うように。
……修羅場だ。
「ユミルには分からないの!? そういう態度が、ロイをどんなに傷つけて、追いこんできたか!」
「い、いや追いこむっていうか……」
もごもご、と口のなかでつぶやく少年。
……かなり情けない。
その光景を前にして、しばし考えている風だった少女だったが。
「……ん。なるほど」
この期に及んで、なお、静かに頷いた。
「そういうこと。分かった、うん。その方が分かりやすい」
ひとりでこくこく頷いている。
予想に反してまったく発展しない修羅場に、少年はあ然とした。
「え?ええと、ユミル?怒らないの?」
「怒っても仕方ないみたいだし。これなら納得もいくというものだし」
彼女は平然と肩をすくめ、ああそうだ、と言いながら自分の髪に手を当てた。
ぱちん、と、首の後で長い髪を一まとめにしていた銀飾りをはずす。
――瞬間。
ぱぁっと光が散ったように見えた。
少年は思わず目を細める。
窓から指しこむ今日最後の残光を余さず集めるような、その光。
……この光が、好きだった。
「これは、返すね。単なる級友に贈るには、過ぎた品でしょう?」
そう、手に乗せた銀飾りを差し出す。
ちっぽけな、安っぽい銀メッキの髪止めだ。
でも、少年にとっては王城の搭から飛び降りるような覚悟で買った品だった。
生まれて初めての女の子への贈り物だった。
「級友……って」
少女は少年の手にそれを落として、にっこり微笑みさえした。
「今から、ただの友人だから。こういうものを貰っておく理由がない。――それじゃ、また来週。ロイ、レミー。よい週末を」
少女はきびすを返すと、手を振りながらさっそうと立ち去った。
背を伸ばして、きびきびと、それでいて、優雅に。
まったくいつも通りの、き然とした歩き方だった。
広がった髪が薄暗くなってきた教室内でも、くっきりと浮かんで揺れる。
……この光が、好きだったのに。
「な、なんだって言うのよ……ユミルったら……ヘーキな顔で」
ぽかんとしたレミーの言葉を聞きながら。
なんだかヒドイ喪失感が胸に広がっていた。
* * *
「――というわけで、どうもわたしは振られたらしいの」
「なぁ~にを言ってるんです!違いますよぅ、それ」
少女の髪をすきながら、エプロン姿のメイドは呆れかえった。
鏡の前に座らされた少女は、退屈そうに膝にのせた黒猫を撫でている。
「? なにが? 要はあれでしょ、他に好きな人ができて、という。レミーって可愛いし」
「……アナタそれ本気で言ってるんですか。こ~んな髪しておいて」
メイドが少女の髪をひと房つまんで、嘆息する。
「この髪に、この瞳に、この顔があったら、アタシの人生変わってますよ?」
鏡に映った少女の姿を、ひとつひとつ指で示していく。
「シアは自分の容姿が不満なの? イイと思うんだけどなぁ。柔らかい髪の色とか。目の色も木肌みたいで温かみがあるし」
「そりゃどうも。……ふぅ。他の人に言われたらイヤミかと思いますけど、アナタですからねぇ」
「??」
「本気で言ってるのが分かるから何も言えないってコトですよぅ。ま、不満なんてもんはありませんよ。おっかさんがくれた身体ですからね。でも時々は夢見るもんなんです。女の子ですから?
――完璧過ぎるってのも、困りモノみたいですけどねぇ」
「カンペキって?」
「要するにね、その男の子は気後れしちゃったんですよぅ。綺麗で優秀なアナタにね」
「う~ん、別にわたしは容姿なんて気にしないし。学問ではわたしの方が優ってることも承知で付き合ってたよ?」
「ふっふっふ、でも、殿方は自分を頼ってくれるような、カワイイ女性の方が良かったりするんです。自分が偉くなったような気になれるでしょう」
「そういうものかなぁ?……人間の価値はそれだけじゃないだろーに。わたしは……ロイの実直さとか善良をかってた、つもりなんだけど」
「つもり、でしかなかったってコトでしょうねぇ」
「……そうなのかな」
「だって、アナタ平気で承知しちゃったんでしょう。本気だったらそうは行きませんよ。拒否して、もめて、相手をなじって。レミーちゃんですか? その子ひっぱたくくらいのことはしないとね」
「――女の子を? できないよ。そんなこと」
「そういう良識もひっくるめて、我を忘れるくらいじゃないと夢中じゃないってことですよぅ。……その少年も。もしかしたら、そういうのを期待してたのかもしれませんねぇ」
「まさか。わざわざ修羅場を?」
「あら。仮にも付き合ってたら、たまには妬いて欲しいもんですよ? きっとアナタがあっさりしすぎてて、がっかりしたんじゃないかしら。やっぱり僕に本気じゃなかったんだ~なんてねぇ」
「……そういうつもりは、ないんだけど」
少女は難しい顔で考えこむ。
黒猫の耳の裏をくすぐるように撫でると、みゃぁ、と甘えた声が上がった。
「でも、確かに、なんていうか……すとん、と冷めた気持ちが降りてきたなぁ。『――ああ、ダメだなこれは』みたいな」
「ダメですか」
「うん、ダメだ、って思った。だって、わたしはまだ身分も明かしてなかったよ?」
「……なるほど。確かにある意味、最強要素を隠しておいての状態で気後れするようじゃねぇ」
「うん。なんとなく、今後の発展は望めないかなって。でも……ん~……そうか。諦められるようじゃ本気じゃない、か。そうなのかな、ルナー?」
名を呼びながら、ふに、と黒い耳に触れる。
猫は、ナァ、とそっけない声を上げてそっぽを向いてしまった。
悪いことは重なるものだ、という。
古来からの格言だが、別にユミルは信じちゃいない。
統計的に見れば、きっと悪いことに悪いことが重なる確率は単に25%だ。
要は心理的な問題なのだと思う。
例えば、だ。
良いこと、と、悪いこと、という事象があるとしよう。
……実際はそんな簡単に二分できるような状況などあり得ないが、簡便のためだ。
まず、良いこと、の次に、悪いこと、があった場合。
これは当人の意識としては「すごく悪いことがあった」というものになるのではないか。
嬉しい絶頂に叩き落された、という感覚だ。
しかし、良いことに悪いことが重なった、という気にはあまりならないだろう。
それは程度差を強調するもので、事象の連なりとしては意識されないに違いない。
悪いこと、の次に、良いこと、でもおそらく同じだ。
では、良いこと、の次に、良いことが重なるとどうなるか。
これはもう、漫然とした幸福感があるだけだろう。
そもそも人間は幸福よりも不幸に敏感な生き物だから、わざわざ良いことを上げ連ねる者は少数派だ。
せいぜい「なんとなく最近ツイてるなぁ」という気分になるだけだ。
では反対に。
悪いことに悪いことが重なると。
よりいっそう落ちこんだ気分とともに、また悪いことが、という不幸が強烈に意識される。
結果として、人の意識に残るのは、「悪いことに悪いことが重なった場合」のみとなる。
そういう経験則が積み重なった結果が、「悪いことは重なるものだ」という言葉になるわけだ。
以上、考証終り。
――と。思っていた。
のだが。
翌日、父の言葉を聞いて、考え直さざるを得なくなった。
なるほど。確かに理屈の上ではそうには違いない。
だが。
「悪いことは重なるものさ」と苦くつぶやいて、うなだれ、あるいは苦笑して、諦めるしかない――という状況も。
……世の中にはあるものなのだ。
* * *
「ケッコン……ですか」
「その通り、我が娘よ」
形だけ重々しく頷いてから、彼は貧相な中年顔でほくほく笑った。
お互い忙しい父娘としては、実は久しぶりに見る顔だった。
たまに朝のお茶会に強硬に招かれたと思ったら、こんな話だ。
「やはりそろそろワシもトシだしな。さっさと後継を確かなものにして安心したいんじゃよ」
「ふぅん、なるほどね」
ユミルはにっこりと微笑んだ。
どんなうるさ型の礼法教師も黙る、完全無欠の優雅な微笑だ。
「ご自身は相当イイ年になるまでふらふらと身を固めないでおいて、中年に達してから唐突に若い妻をめとったかと思えば、たった1人しか子供を産まないままに妻女が亡くなって、それでも『ワシの妻はあれひとりじゃ』とかなんとか年甲斐もなくヤモメを通し、お妾も後妻も迎えずに、後継者を増やして磐石を期すこともしなかったそのツケを!」
一息にここまで言い放って、息一つ乱さない。
さすがだ、と、茶席の給仕をしていたシアは思わず感嘆した。
「この、わたしに負わせよう、ということですね、親父殿? ――14歳のわたしに」
「む、まあそういうことになるわな」
笑顔でかわせる父親も大したものだ。
「じゃがのぅ、分かるじゃろ?娘よ。そなたの母御は、ほれ、なんにしても……なぁ。アレじゃからな」
「知りません。それでも弟くらい作っておくのが、貴方の身分ならば義務というものでしょう」
「……よよよ、普通、年頃の娘は、父親の再婚など反対するビミョーな乙女心を持っておるものじゃというのに。のぅ、リィノ。そなたへのワシの変わらぬ愛を、娘は分かってくれんのじゃよ……」
冷然と応じるユミルに、父は、亡くなった妻の名を呼んで、さめざめと泣きマネなどした。
実にわざとらしい。
「ハイハイ。確かに母さんは素晴らしい女性でした。貴方には勿体無さ過ぎるくらいの」
「うむうむ、そうじゃろうそうじゃろう。と言う訳で、この中から選ぶんじゃよ」
ばさばさっ
と、紙の束が差し出された。
白いテーブルクロスの下に隠されていたらしい。ご苦労なことだ。
どれもこれも立派な革表紙で、金や銀の箔の紋章がついている。
「……見合い資料ですか。お約束ですね」
「まぁな。とりあえずこのレベルなら誰でも良い。来月の15才の誕生日までに決めるんじゃよ。さすがに結婚はまだ早いというなら、婚約だけでも良いでな」
「誕生日まで……って、い、1ヶ月半くらいじゃないですかぁ!?」
思わずすっとんきょうな声をあげたのは、シアだ。
「ああ、お茶をこぼさないでね?」
当のユミルはそんなことを言っている。
「だ、だだだだって!結婚相手なんですよ!?」
「選択の余地がある分まだしも、でしょう。この身分と義務を引き受けた以上は十分予想された事態だし。それよりも、親父殿、これは何より重要なことなんですが」
「うむ?」
「――この中の何人が、わたしの『本業』を知ってるんです?」
ぴた、と、父の動きが止まった。
「――案の定。相手には知らせていない、と」
不気味なほどににこやかに、少女の桜色の唇が吊り上る。
正面からそれを見せつけられて、父はひやりとしたものが背中を流れるのを感じた。
――よく、見せられた表情だった。
今は亡き、あの美しい女に。
血とは恐ろしい。
戦慄するほどそっくり同じ動きだ。
「お話になりませんね。詐欺というものですよ、それは」
「い、いや、だがのぅ、娘や」
かろうじて猫なで声を出せたのは、それが妻でなく娘だ、という意識があったからだろう。
「いいわけは聞きません。分かりました、いいでしょう。わたしが面と向かって説明しますよ。その以上は、どれであろうと同じコトですね、では、これかこれで」
有無を言わさず、さっさと二つの紙の束を選び出す。
中身も見ずに。
「どうせもう根回しもしてるんでしょう? 親父殿のことですから。古風な顔見せの舞踏会でも開くおつもりでしょうね。ええ、気にせずさっさと引き合わせてください、お会いします。
――ヒュールバーグ王国の王位継承者である第一王女と結婚するつもりでいる、哀れな婚約者候補殿に」




