11月25日 『僕が小説家になった訳』
叶えたい夢があるのに、どこかで叶わないんじゃないのかという思いがある。それは不安と言うよりも、自分に課した思い込みに近い。
叶うに決まっていると言う反面、どうせ自分では無理だと確信している。ではどちらの思いが強いのかというと、叶わない現実なのである。誰も望まないその現実を何故こうも固執する必要があるのか。叶わなければ安心出来る理由は一体なんなのか。
僕はそれをずっと、親のせいだと思っていた。親に言われた「才能がない」の一言が、ずっと僕の足を引っ張っていたのではないかと。しかし本当にそうかと自分自身に問いかける。
では君は、自分に才能がないと思いますか。
ー思わない。僕がやりたいと思えること。それすなわち才能であるからだ。
ては君は、叶わなかったらなぜ安心するのですか。
そこで僕は気がついた。誰かにとやかく言われること、つまらないと罵倒されること、非難の声を受けること。それにひどく恐怖しているのではない。
僕が、僕のことを嫌いになりたくないのだ。今まで散々自分のことを嫌って来た。自分という存在価値が見出せず、自分がここにいていい理由などないと思っていた。なんとなくの毎日を生きながら、それでも生きていい理由を探してもがいていた。だからこそ、この夢だけは自分を裏切ってほしくないと思っていたのだ。唯一文字を書いている時間だけは、嫌いな自分の存在をも忘れ楽しいと思えた。文章を読み返しては己の言葉に涙した。そんな僕がやっと好きになれた僕のことを、どうせ意味がないんだと思いたくなかったのだ。
だから君にこの言葉を送ろう。大丈夫だよ。誰もが君の言葉をつまらないと言っても、僕だけは君の言葉がずっと好きだから。僕の言葉は、幼い頃に満たされなかった自分への、生きていいよのメッセージ。




