もろもろのこと、青司特製ブレンドコーヒー
とりあえず、わたしはかつてのお絵かき教室の仲間たちに、青司くんが帰ってきてることを報告した。
当然、驚きやら困惑やらの反応が返ってくる。
紅里からは怒りさえにじんでいるものが届いた。
『ちょっと! どういうこと? ずっと音沙汰が無かったのに、しれっと戻ってきて……しかもお店を開く? あんたそれでいいわけ!?』
まるで青司くんと再会したばかりの自分のようだ。
まず怒りが最初に来た。
でも……。
たぶん紅里も話せばわかってくれると思う。
問題は、わたしだ。
青司くんと再会して、一緒にいる時間が増えて、また青司くんに振り回されて、ますます好きになって。そして……またつらくなっている。
早く告白してしまえばいい。
でも、あれほどわたしに思わせぶりな態度を取って「でもやっぱりごめん」なんて言われたら、気まずすぎて青司くんのお店を手伝えなくなってしまう。
恋が実る以上に、わたしは青司くんの力になってあげたかった。
だから、まだ、この気持ちを伝えるわけにはいかなかった。
――本当は、怖いだけでしょ? フラれるのが怖いだけなんでしょ?
もう一人のわたしがそうささやいてくる。
そうだよ。フラれたくない。
フラれるぐらいなら、思わせぶりでもわたしに好意があると勘違いしたままでいたい。だから、このままでいつづけたいんだ。
みんなには、青司くんとなぜ突然連絡が取れなくなったのか、今までどこに行っていて、何をしていたのか、ということをさらに細かく伝えた。
人は受け取った情報によって見方を変える。
……そう、わたしのように。
青司くんの事情を知ると、みんなも戸惑いは少しなくなったようだった。
でも、紅里だけは、わたしの気持ちをずっと知っていた親友の紅里だけは、最後まで納得がいかないようだった。
『だとしても、あんたはちゃんとけじめを付けなきゃだめだよ。十年間ずっと立ち止まったままだったんだから。その「時」を、自分から動かさなきゃ。じゃなきゃ……またつらい思いをするよ。あたしはそんな真白をもう見ていたくない』
わたしは「ありがとう」とだけ返した。
青司くんがいなかった間、わたしはいろいろと迷走してしまっていた。
どこか別の新しい所に飛び込もうとして、でもやっぱりできなくて、元に戻る。その繰り返しをしていた。
そのせいで何人か傷つけてしまった人もいた。
黄太郎もその一人だった。
スマホ上に映る、アドレス先を見つめて思う。
星野黄太郎。
彼は、紅里やわたしと同じお絵かき教室に通う生徒だった。
高校生になったとき、わたしは一つ上の彼から告白されて付き合うことになった。
でも、わずか一週間で別れてしまった。
キスをしそうになったときに、やっぱり青司くんが忘れられないってわかってしまったからだ。
「黄太郎……」
彼からは返事がこなかった。
宛先不明で返ってきてないから、たぶん読んではいるんだろう。でもどういうコメントを返していいかわからないんだと思う。きっと。
『喜べ真白』ってくるか。
それとも、『もうそんなやつにいつまでも付き合っているな』ってくるか。
どっちにしても、もし返ってきていたら、わたしにとってそのメッセージはとても心強いものになっていたと思う。
ああ……でもダメだ。
こんな風に他人に甘えていたら。
紅里が言うように、わたしはわたしでけじめをつけないといけない。
※ ※ ※ ※ ※
翌日。
わたしは青司くんの家には寄らないで、そのまままっすぐアルバイト先に向かった。
夕方には寄るつもりだけど、朝はまだ気持ちの整理がついていなかったのだ。
いつものように職場に着くと、たまたま店長が休憩室にいた。
わたしは思い切って話を切りだす。
「おはようございます、店長……。実は、折り入ってお願いが」
仕事を辞めさせてほしいと告げると、店長は大きなため息をついた。
「ええ? 三月いっぱいで? それはちょっと、困るなあ……。四月になれば新しい学生バイトとか、子育てがひと段落した主婦が自然と入ってきてくれるはずなんだけど……その人たちが入るまで、もう少しいてもらえないかなあ?」
「友人の……お店を手伝うことになったんです。そのお店のオープンが四月で。今から準備もありますし、その……少し難しいかと」
「そうか。うーん。わかった。早めに募集をかけるけど、入らなかったらできるだけギリギリまでいて」
「わかりました。ありがとうございます」
タウン誌などに求人の広告を出すのも、お金がかかるのだ。
店側に負担をかけてしまうのは心苦しかった。
でも、本来ギリギリの人数でやっていなければこういうことにはならなかったはず。
誰かが、急に怪我や病気で穴を開けてしまうことだってあるんだし。
人件費が一番かかるので、そこをできるだけ削減したい気持ちもわかるけど、それはそれ。わたしの問題とは関係がなかった。
とりあえず話は通せたので、あとは早く代わりの人が入ってくれるのを願うのみだった。
※ ※ ※ ※ ※
仕事が終わり、また青司くんの家に向かう。
どきどきするけど、いい加減覚悟を決めなきゃ、と思う。
どんなに思わせぶりな態度を取られても、絶対動揺しない。
青司くんが内心どう思っていたとしても、全部好意的に受けとめるんだ、と心に誓いながら……。
「うん、よし!」
気合を入れて、わたしは店の玄関扉を開けた。
「あ、おかえり、真白」
「た、ただい、ま……?」
予想外の言葉だったので、つい「ただいま」と条件反射で返してしまった。
え、なに。
これじゃあまるで。
「あ……ごめん。これじゃあまるで真白もここに住んでるみたいだな。あの、わ、忘れて!」
「い、いや……」
照れて顔をそむける青司くんに、わたしは首を横にふった。
「別に、へ、変じゃないよ。これから働こうとしてる店に、帰ってきたん……だから」
「そう?」
「うん……。ただいま、青司くん」
「うん、おかえり。真白」
そう言って、ふわっと優しい笑顔を向けられる。
ああもう。
さっきまで固く、いろいろ決意していたのが無意味になる。その笑顔は……ずるいよ。
顔を熱くさせながらコートを脱いでいると、サンルーム越しの庭に誰かがいるのが見えた。
「え? あれ……? あそこ、誰かがいる」
「ああ、あれは庭の手入れをしてもらってる、森屋園芸さんだよ」
「え? 森屋園芸さん……って、たしか昔もここで仕事してたよね?」
「うん、そう」
青司くんによると、建物のメンテナンスとは別に、庭も庭でずっと他人に管理をしてもらっていたらしい。
それが十年前もここで仕事をしていた、森屋園芸さんだったという。
あそこにいるのは、そこの店主の森屋堅一さんだ。
わたしは彼のフルネームを、このとき初めて青司くんから教えてもらった。
「あの綺麗なお庭を作ったのも、あのおじさん……なんだよね?」
「うん。母さんは庭のことはすべてあの人に任せてた。手入れも年に三回までって決めてたんだけど、でも俺がいなくなった後は誰も住まないから、枯れたのとかはそのままにしておいてくださいって頼んでおいたんだ。でも、店を始めるにあたって……さすがにこのままじゃまずいって、今もう一度作り直してもらってる。よく見ると、ところどころ寂しくなってるんだ」
「そうなんだ……」
紺色のつなぎを着た男性は、今もせっせと木の枝を剪定したり、花苗を植え込んだりしている。
お絵かき教室に通っていた時も、たまにあのおじさんの姿を見た。
たまに話しかけても、元から無口なのか無視されることが多かった気がする。
「さ、真白。今日はいろいろドリンク作ったから飲んでみて」
「ドリンク?」
「そう。紅茶と日本茶はもう試飲済みだから良いとして、ほらコーヒー。それからジュース類」
「うわー。すごいね」
わたしは視線を青司くんに戻すと、さっそくカウンター席に腰かけた。
机の上には次々とコーヒーや、カラフルなジュースが並べられていく。
「いいかい、真白。あくまで試飲だからね。試飲。全部飲む必要は、ないんだからね?」
「わーかってますよう」
「ほんとか……?」
「ほんとだって!」
「ふふっ」
「あははっ」
思わず二人とも吹きだす。
どれだけわたしは食い意地が張っていると思われているんだろう。
たしかに昔はよく食べていたけれど。
でもそれは、ここで出されるおやつがどれもとても美味しかったからで。もっと食べたくて、でも人前ではなかなかそうできないから我慢して。それでついつい、早く食べてしまっていた。
きっとそのイメージが染み付いちゃってるんだろう。
でも、笑ったおかげで、昨日のことをふっと忘れることができた。
気まずいままかと思ったけど、案外普通でいられそうだ。
わたしは「いただきます」と言って、最初に熱々のコーヒーを口にした。
「……っ!」
ふわりと、芳ばしくて華やかな香りが鼻に抜けていく。
続いて、わずかな酸味と爽やかな甘味を感じる。苦みがあまりないからか、とても飲みやすいと思った。
「美味しい……。すごく美味しいよ、このコーヒー。若い頃はコーヒーって、苦いだけであんまり好きじゃなかったけど……大人になってからは好きになって、最近よく飲むようになったんだ。でも、このコーヒーは普段のと全然違う……なんで?」
「俺の、特製ブレンドなんだ。コスタリカとエチオピアとブラジルの豆を混ぜてる」
青司くんはそう言って得意そうに笑った。
わたしは次々述べられた国名に首をかしげる。
「えっと……産地とか、わたしはよくわからないんだけど、なにか違いがあるの?」
「よくぞ訊いてくれました。それぞれ香りが独特だったり、酸味とか甘味の違いがあるんだよ」
「へえ。青司くん特製ブレンドかあ」
もう一度口に含んで、ゆっくりと味わう。
「うん。甘いものと一緒だったら、わたしはもう少し苦くてもいいと思うなあ。でも、コーヒーだけ頼むお客さんもいるよね。飲みやすかったらお代わりもしてくれるだろうし、うん。良いと思うよ」
「あ、そうか……。ケーキと一緒に食べるとしたら、苦みの存在感がもう少しあってもいいのか」
「そう、だね。お口直しとして飲まれたりもするから」
「このブレンドはこのブレンドで、あともう一つ、苦めのコーヒーを置かないとな……」
なにやらそうぶつぶつと言いながら、青司くんはキッチン台の上のコーヒー缶を見つめていた。
わたしはそんな真剣な青司くんの横顔を見ながら、ああとっても幸せだなあとしみじみ思う。
いつまでも二人きりでこうしていたい。
でも――。
わたしは青司くんのお店も成功させたい……。だから、意を決して言った。
「青司くん。わたし、みんなに青司くんが帰ってきたこと……知らせたよ」




