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大貫のおばあさんと、小倉パンケーキと狭山茶(3)

 えっ? なんで? なんで青司くんが泣いてるの?

 わたしはオロオロしてしまう。

 大貫さんもとても驚いていた。


「ど、どうしたの? 青司くん」

「ゴメン。俺も……俺もずっと、寂しかったから……。だから、真白にこうして受け入れてもらえてることが、とても……嬉しくて。ありがとう……」


 わたしは、そう言われてすぐに言葉が出なかった。

 そんな風に青司くんに思われてただなんて。


 青司くんは……わたしに再会したとき拒否されるかもって、思ってたんだろうか。

 たしかに、理由によっては青司くんを許せないままだったかもしれない。

 ……だから、か。

 だから、泣いてるんだ。今。

 そういう未来にはならなかったから、今とてもホッとしているんだ。


 そうだよね。

 青司くんも怖かったよね。

 不安なのは、わたしだけじゃ……なかった。


「わたし……なんとなくでも、生きていて良かった。だってまたこうして青司くんと会えたから。ほんとに、会えただけでも良かった。なのに、その上こうしてここで青司くんとお話したり、また美味しいおやつを食べられるなんて。だから……こちらこそありがとう、青司くん」

「真白……」

「生きてさえ、生きてさえいれば……こんなことも、起こりえるんだね。生きてさえいれば――」


 そこまで言って、わたしは口をつぐんだ。

 入り口の壁にかかっている桃花先生の絵を振り返る。

 先生は、亡くなってしまった。「生きてさえいれば」なんて……もしかして、今のは青司くんにとってはとてもひどい言葉だったんじゃ……ないだろうか。

 大貫のおばあさんが席を立って、その絵の前まで行った。


「これは、桃花さんだねえ。とてもよく似ている。この絵は、青司くんが?」

「はい。俺が描きました」

「そうかい。とても上手だ。他にも絵があるが、あれもみんな青司くんが描いたのかい?」

「はい、そうです」


 大貫のおばあさんは部屋じゅうに飾られている水彩画たちを見渡して言った。


「桃花さんの才能を受け継いだんだね。画家になったと聞いたが、これほどとは。桃花さん……」


 大貫のおばあさんは桃花先生の肖像画に語りかける。

 その表情はとても辛そうだった。


「あの日、あんたがここで倒れているのを……わたしゃまったく気付けずにいた。体が弱いと常日頃から聞いていたのに。すまなかった、許しておくれ。でも、あんたの息子がまたこうして帰ってきてくれて、とても嬉しいよ。ありがとう、ありがとう……」


 そう言って、まるで仏壇に祈るように両手を合わせる。


 桃花先生は……急性心不全で亡くなった。

 たしか、学校から帰ってきた青司くんが発見した。

 救急車とかパトカーとかが来て、一時近所は騒然とした。あの日のことはよく覚えている。それは……たぶん大貫のおばあさんも。


「青司くん。線香はあげられなかったけれど……良かったらこれを」

「え?」


 大貫のおばあさんは席に置いていたバッグの中から何かを取りだすと、それを青司くんに渡した。


「狭山茶だ。桃花さんに供えてあげてほしい」

「ありがとうございます……わかりました」


 青司くんは立ち上がると、その包みを持ってキッチンへ行った。

 しばらくして、三つの湯飲みがお盆に乗せられて運ばれてくる。


「青司くん……?」

「すいません。でも、俺たちがここで飲んだり食べたりするのが、母さんへの供養です。だから、ぜひ、大貫さんも一緒に召し上がってください」

「ふ、ふふっ。そう言われちゃうと……そうだね。いただきます」

「いただきます……」


 わたしたちはそうして熱いお茶をすする。

 緑色のお茶は先ほどまで甘さで満たされていた口の中をさっぱりとさせてくれた。

 紅茶とは違った爽やかさだ。

 わずかな渋味も良い。


「あっ、なんでこんなに合うのかわかった! 青司くん!」

「え?」

「小倉パンケーキも『和』だからだ。だからこんなにお茶と合うんだ!」

「ああ……」


 わたしのひらめきに、青司くんも納得してくれたようだった。


「たしかに。紅茶よりは日本茶の方がいいかもしれないね。ちなみにこのパンケーキは牛乳じゃなくて、豆乳で作ってるんだよ」

「え、そうだったの? すごい! うーん。そこまで統一感あったら、飲み物もやっぱり日本茶が選べるといいね」

「そう、だね。じゃあメニューに日本茶も入れよう。それも……この狭山茶がいいかな」

「うん」


 そうして話がまとまると、それを横でずっと聞いていた大貫のおばあさんがカラカラと笑った。


「ははは。ほんとに、仲がいいねえ。紫織もそうだったけれど、昔からここのお絵かき教室の子たちはみんないつも楽しそうで。見ているだけでこっちも楽しくなってくるよ」

「そ、そうですか?」


 仲がいいと言われて、わたしは思わず顔を熱くさせる。

 大貫のおばあさんはまたお茶を一口飲んで言った。


「そうだ。青司くんに聞いたけど、真白ちゃんもここでお店を一緒にやろうとしてるんだって?」

「えっ? あっ……」


 ちらりと青司くんを見るが、青司くんは素知らぬふりをしていた。

 本決まりになってから、周りに言おうと思ってたのに。なんで勝手に……。

 わたしは顔の熱がまだ引かないまま答える。


「えっと……そ、そのつもりではいるんですけど……まだ、今勤めているアルバイト先に辞めるって相談が出来てなくて。了解を得られ次第、ここで手伝わせてもらおうと……思ってます」

「そうかい。いやあ、ひとりでやっていくってのはいろいろと大変だからね。そうか、真白ちゃんがいるなら安心だ」

「はあ……」

「で? どういうお店にしていくんだい? 喫茶店とは聞いているけれど」

「あ、それはですね――」


 話題が元に戻った瞬間、また青司くんが会話に入ってきた。

 まったく、そうやってわたしを振り回すんだから……と、内心憤慨する。


「週四くらいで喫茶店をやって、その他の日には絵を描いていけたらと考えています。といっても、まだスランプなんですけど……」

「スランプ?」

「はい。俺、プロの画家にはなれたんですが、今思うように描けなくなっていて……ここに戻ってきたのは、その……俺の原点がここだから、なにか元に戻るためのきっかけがつかめるんじゃないかと思って……」

「そうか。まあ、それもおいおい良くなっていけばいいね。なにか手伝えることがあったらいつでも言っておくれ」

「ありがとうございます」


 その後、大貫のおばあさんはパンケーキをきれいに食べ終えると、すぐに帰って行った。

 わたしは自分のお皿だけでもキッチンに持っていく。

 青司くんは大貫さんの食器を片づけながら言った。


「あ、真白。片づけなくていいって言ったろ。だってまだ――」

「まだ、なに? もういいじゃん。わたしがここで働くこと、決まってんでしょう?」

「そ、それは……」

「ちゃんと今のとこ辞められてから、周りに言おうと思ってたのに……」

「ごめん。でも、そうやって先に外堀を埋めておきたかったんだ」

「えっ?」


 流しに食器を置きながら、青司くんがそう言う。

 わたしは耳を疑った。


「そ、外堀……? なんで……」

「だって、途中でやっぱりやりません、なんて言ってほしくなかったから……真白に」


 や、やばい。

 顔がまた熱くなってきちゃう。は、恥ずかしい……。

 わたしはすぐに自分の食器を流しに置いて、青司くんから視線をそらした。


「そ、そんなこと絶対言わないよ! だから……安心してよ。ていうか、だったらあの、青司くんが戻ってきたこともそろそろみんなに言ってもいいかな?」

「え?」


 わたしは、ついそう言ってしまった。

 あんなに訊くのをためらっていたのに。でも、大貫さんにあそこまで知られてしまったら、いずれ紫織さんにも、みんなにも、知られてしまう。

 青司くんが戻って来てるって。そしてその一番近くにわたしがいるって。

 それが知れ渡ったら、どうして……もっと早く教えてくれなかったんだって、あとから責められるにちがいない。

 そんなのは嫌だった。


「だって……そんな風に青司くんが近所の人にバラしたら、みんなに知られるのも時間の問題だよ。今はわたしだけが青司くんが帰って来てるって知ってる。でも、みんなはまだ知らない。そんなの……不公平だよ。絶対あとでなんか言われる……。ねえ、青司くんはみんなにまだ知られたくない? それとも、早くみんなに知ってほしい? どっち?」

「それは……」


 振り返ると、青司くんは手を止めてうつむいていた。


「俺は、みんなの連絡先を引っ越しの時に無くしてしまった……だから伝えられない。でも……それよりも、怖い。みんな、真白のように許してくれないかもしれないって、そう思ったら……」

「そっか」

「でも、真白が伝えたいなら、伝えていいよ」

「えっ?」


 なんで、なんでわたし任せなの?

 そんな……。そんな……。


「真白がみんなに伝えたいなら……」

「なっ、なにそれ。ずるいよ!」

「え? ずるい?」

「そう、ずるいよ。わたしだって……怖いんだよ? みんなが青司くんのことどう思うんだろうって思ったら……。それに……」

「それに?」

「……」


 わたしは青司くんをじっと見つめた。

 言えない。

 青司くんをまだ独り占めしていたい、なんて。

 胸が、胸が苦しい。


「それに……さ。まだお店の準備、完璧じゃないでしょ?」

「あ、うん……」

「あと、なにすればいいの?」

「ええと、什器の……手配はもうあらかた済んでるから、それが来たら看板とかメニュー表を作ったりしなきゃいけない。でも、まずはメニューを先に決めないと食材とかも手配できないから……やっぱりまずはメニューかな」

「そっか。じゃあやっぱり……もっとちゃんとしてから、みんなに伝えたほうがいいかもね。そしたら、きっともっと堂々と会えるでしょ」

「うん……そうだね……」


 青司くんはそうつぶやいて、またわたしをじっと見た。

 その目は、わたしの本心を伺うような目だった。

 平常心。平常心で、いなきゃ。

 じゃなきゃ、伝わっちゃう……。

 わたしはどきどきを抑えながら、いたって普通に訊いた。


「な、なに。どうしたの?」

「真白……」


 そっと青司くんの手が伸びてきた。

 その手は、わたしのほほに触れる。


「えっ?」

「本当に……それだけ?」

「それだけ……って」

「本当に、それだけ?」

「……」


 ダメだ。

 どきどきしてるのがバレちゃう。好きだって……いや、もうバレてるのかもしれないけど。

 もう言っても、良いのだろうか。

 青司くんとまだ二人だけでいたいって。独占したいって。好きだ、って。


「わたし……」


 じっと、青司くんを見る。

 青司くんは今何を考えているんだろう。知りたい。

 知りたいなら訊かなきゃ、言わなきゃ。わからないのに。


 でも、このドキドキしている気持ちをやっぱり……伝えられない。

 わたしはそれ以上、言葉が紡げなかった。


「あの……」

「ゴメン」


 そう言って、パッと手が離れて、青司くんが遠くなる。

 え、なに? 今、青司くん……謝った? なんで。なんで謝ったの?


「もう、暗くなったから帰りな。また……明日」

「う、うん。また明日……」


 バッグとコートを取って、さっと足早に家を出る。

 表に青司くんも出てきてくれたけど、わたしは一度も振り返らずに自転車を押していった。

 振り向けなかったから、青司くんが昨日のようにわたしを最後まで見送ってくれたのかどうかわからない。


「はあ……。どうしよ……」


 自宅に着いたわたしは、明日の気まずさを想像して頭を抱えた。 

次回は閑話です。

お絵かき教室仲間への連絡やら、アルバイト先との交渉のお話。

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