大貫のおばあさんと、小倉パンケーキと狭山茶(2)
「わあ、すごい。こりゃホットケーキかい?」
「そうです。今朝大貫さんから、あの清澄の今川焼をもらって思いついたんですよ。あの店のあんこは絶品だから、こういうメニューにしてみたらどうかって。母もよくここのあんこだけ買ってきて、トーストに塗って食べたりしてたんです。それで……」
「へえ~」
大貫のおばあさんは目の前の料理を見て、しきりに目を丸くしている。
きつね色の二段のパンケーキの上には、濃い赤紫色のあんこ、それからもったりとした白い生クリーム、そして最後に濃い緑色の抹茶パウダーが上からかけられていた。
全体的にシックな色の取り合わせである。
THE「和」といったイメージだ。
その横には、あのワイルドベリーのカップの紅茶。
わたしはそれを見てまた嬉しくなった。でもそれ以上に、たっぷりと乗せられたこの生クリームにうっとりとしてしまう。
わたしはなにより生クリームに目がなかった。
イチゴのショートケーキは、スポンジと生クリームだけで十分と思っているくらいだ。
いや、むしろ生クリームだけでいい。
生クリームだけを永遠に食べていたいと――。
「さ、どうぞ」
そんな風に思っていると、青司くんが向かいの席に着きながら食事を促してきた。
そしてじっとこちらを見つづけている……。
「あ」
よく見ると、大貫のおばあさんのとわたしのとで生クリームの量に差があった。
わたしの方がはるかに多い。
えっ、まさか……覚えててくれたんだろうか。
わたしが大の生クリーム好きだって。
「……」
胸のどきどきが止まらない。
なんだかまた青司くんの顔をまともに見られなくなってしまった。
「じゃあ、遠慮なくいただこうかね」
「い、いただきます……」
大貫のおばあさんに続いて、わたしも一口食べてみる。
「……!」
口に入れた瞬間、優しい味が舌の上に広がった。
あんこの濃厚な甘さに、抹茶のほろ苦さ、そして生クリームのとろみが絶妙にからみあっている。どこか懐かしい味だとも感じた。
「ああ、こりゃ美味しいねえ! 青司くんはほんと料理上手だ。こんな才能があったなんてねえ……」
「ありがとうございます」
大貫のおばあさんは甘い物好きなのか、二口目、三口目とどんどん口に入れていく。
あらかた無くなると、ようやく紅茶で一息入れた。
「はあ~。いや……こりゃあお母さん譲りだ。桃花さんにもよく、いろんな料理をおすそ分けしてもらっていたけどね、あれは毎回とっても美味しかった。うちも、あげることあったけどね。でもお菓子作りに関しちゃとても勝てなかったよ」
「そうでしたか」
「そうだよ。うちの孫も、よーく桃花さんにはお世話になって。絵を教えてもらうだけじゃなく、いっつもなにか御馳走になっててねえ……」
大貫さんの孫。
それは……紫織さんのことだ。
わたしより五つ年上のお姉さん。彼女もまた、ここのお絵かき教室に通っていた生徒の一人だった。
そして……。
「あの、紫織さんは今どうしてるんですか?」
やっぱり。
青司くんは、訊くと思っていた。
昨日挨拶に行ったから、その時に訊いたのかと思っていたけど……そっか。まだだったんだ。
「……」
わたしは、これから青司くんが知るだろう事実に胸が痛くなった。
だって、だって紫織さんは……。
「ああ、紫織ね。あの子は……ずいぶんと前に両親と一緒に東京に越してってね、今は一緒に住んでいないんだ」
「……そう、なんですか」
「ああ。盆暮れ正月くらいは……前も帰って来てたんだけどね、今はほとんど戻ってこないよ」
「……」
一瞬、辺りに沈黙が訪れる。
大貫のおばあさんは、青司くんがいなくなっていた間のことをぽつぽつと話しはじめた。
「桃花さんが突然亡くなって。それから青司くんも引っ越していっちまって……しばらくした頃かねえ、もともとあまり仲良くできてなかった嫁と食事のことで大喧嘩してね。それで、もう一緒には暮らせないってんで、別居することになっちまったんだ。息子はもともと都心の方の会社に勤めてたから、通勤も楽になるっていうんで、そのままあっちに……。紫織もそうだよ」
「……」
「あの頃には紫織はもう大学生で、通学にもいいっていうんでね。紫織も親についていったんだ。それから……大学を卒業してすぐくらいかね、数年前に結婚して。今じゃ一児の母だよ」
「……そう……でしたか」
青司くんがそう言って複雑そうな顔をしている。
わたしは、また胸がきゅうぅっと痛くなった。
青司くんは……たぶん紫織さんのことが好きだった、と思う。
そういうそぶりをずっと、あの「お絵かき教室」でわたしは見てきた。
あの、紫織さんを見る目……。
だからわたしは、青司くんの思いを知っていたから……自分の思いを青司くんに伝えられずにいた。
「まあ、離れてた方が幸せなこともあるってね、この歳になってようやくわかってきたよ。まあ、一人はちょっと寂しいけれどね。それでもだいぶ慣れてきたよ」
「慣れる? 寂しいことに慣れるなんて……そんなのないですよ」
「え?」
わたしは、気が付くと大貫さんにそう言っていた。
「わたしも……ずっと、ずっと寂しかったんです。青司くんがいなくなって。お絵かき教室のみんなも……みんな東京に行ってしまって。でも、寂しさに慣れることなんて……なかったですよ」
「真白ちゃん……?」
「真白……」
「わたしだけがひとり、取り残されて。でも、どうしていったらいいかわからなくて。不安で……。大貫さんだって、そうだったんじゃないんですか? 悲しかったんじゃ、なかったんですか?」
「……」
二人に見つめられながら、わたしはさらに言い続けた。
「どうしようもないこともあるかも、しれないですけど……。諦めなきゃいけないって思うこともあるかも、しれないですけど……。でも、寂しいって言えなくなるのは……もっと、つらいことなんじゃないでしょうか。わたしはっ、わたしは少なくとも……」
そこまで言った瞬間。
ぽろっと涙がこぼれた。ハッとして、手で拭う。
「えっ……? あれっ?」
「真白」
見ると、青司くんがハンカチをわたしに差し出していた。
わたしはそっとその水色のハンカチを受け取って、お礼と謝罪をする。
「あ、ありがとう。……ごめん」
大貫さんはわたしたちの様子を眺めつつ言った。
「まあ……寂しいって言いつづけても、世界が良くなるわけじゃないからね。わたしゃ慣れたって、思い込みたかった。でも……そうかい。真白ちゃんもずっとそうだったのかい。真白ちゃん、あんたは頑張ったね。そして……良かったねえ。また青司くんに会えて」
「……はい」
大貫さんに優しい眼差しを向けられて、わたしは堪えてきたものが溢れてしまった。
とっさに青司くんのハンカチに顔をうずめる。
だめだ。
泣くなんて。
だってこれじゃ、まるで青司くんを責めているみたいになっちゃう……。
泣き止みたいのに、それでもわたしはすぐには落ち着けなかった。
だって、大貫さんの状況をとてもよくわかっていたから。
母曰く――。
大貫さんの家では、よく食事のことで揉めていたらしい。
息子さんのお嫁さんがあまり料理の得意ではない人だったようで、夜遅く帰ってくる息子さんの健康を心配した大貫さんがことあるごとに口を出してしまっていたそうだ。
当然、お嫁さんは良く思わない。
隣の家のお絵かき教室の先生も、料理上手ときているし。
義理の母も、そんなお隣さんとしょっちゅうおかずやらお菓子を交換している。
今なら、そのお嫁さんの気持ちがわかる。
まわりは自分より能力が上の人たちばっかりで。
そんな人たちに囲まれて、無言のプレッシャーを受け続けていた。
それは、相当ストレスのかかる生活だったと思う。
でも、大貫さんの気持ちもわからなくはない。
大貫さんだって、自分の息子のことをなにより心配していたんだ。そして、自分ができる範囲だけでもどうにかしたかったんだ。
わたしは、お皿の上のパンケーキを見つめる。
その上にはいろんなものが載っていた。
あんこに生クリームに抹茶パウダー。
いろんなものが載っているのに、こうして食べても不思議とケンカしない。人間関係もこうであればいいのに、と思う。
「真白、大丈夫?」
「……! う……うん」
青司くんに呼ばれて、ハッとする。
こんな、泣いたりしてどう思われただろう。水色の青司くんのハンカチをギュッと握りしめる。
青司くんは笑顔でわたしに訊いてきた。
「ねえ、どうだった?」
「え?」
「パンケーキ」
「あ、ああ……」
「真白。感想、言ってくれないかな?」
「……うん」
そうだ。思い出した。
わたしはこれを試食して、ちゃんと判断しないといけないんだ。お店に出してもいいかどうか。桃花先生のおやつと同じように、幸せな気持ちになるかどうか。
桃花先生もパンケーキを作ってくれたけど、こういうあんこ入りのは食べたことなかった。でも、清澄のどら焼きとか今川焼きはよく食べさせてくれたから、懐かしいなあと思った。
「小倉パンケーキ、美味しかった。桃花先生はジャムとか、はちみつとか、バターとか載せてたけど、これはこれで良かったと思う。和、って感じだし。できたら……バニラアイスとか載せるともっといいかも。ちょっと口がさっぱりするし、なによりあったかいのと冷たいのが一緒に楽しめて面白いと思う。それから――」
そこまで言って、ぎょっとした。
青司くんがいつのまにか真顔でこちらを見ていたからだ。え、なんで? ちょっと、怒ってる……?
わたしはあわてて大貫さんに話を振った。
「え、えっと……。って、思ったんですけど……お、大貫さんはどう思いますか?」
「そうだねえ、たしかにアイスが載ってても美味しいだろうねえ」
「で、でしょう? ね、だから今度お店で出す時はそうして――」
「……っ」
そこまで言ったところで、今度は急に青司くんが泣きだしてしまった。




