大貫のおばあさんと、小倉パンケーキと狭山茶(1)
大貫のおばあさんは手に小さな紙袋を持っている。
小柄な人で、肩に紫のショールをかけていた。
「昔のまま、青司くんって呼んでもいいのかねえ? でもこんな男前になっちまったら、もうくん付けはおかしいか……」
そう言いながら、大貫のおばあさんはにこにこと笑っている。
わたしはその言葉にちょっとムッとして言った。
「大貫さん、わたしだってもう二十五ですよ。それならわたしだってちゃん付けは――」
「ああ、真白ちゃんはまだまだ真白ちゃんだよぉ。だってこーんなにめんこいんだからねえ」
「うっ!?」
そう言って、顔を優しくなでられる。
わ、わたしは犬か。
「ほら、大貫さんもそう言ってる。な? だからやっぱり真白は可愛いんだって――」
「だーかーら! もう可愛いって言わないでよー!」
振り返ってわたしは青司くんにも怒ってみせる。
あっちもこっちも、わたしを少し子ども扱いしすぎではないだろうか。
でもまあ、事実子供っぽいことは自覚しているので、こうして遺憾の意を表明するだけにとどめておく。
「あれあれ。寒いのに、朝からお散歩をしてきたのかい? ふたりで」
「ええ、まあそんなところです。十年の間にこの町が変わっていないかどうか、見ておきたくて。昨日は隣近所くらいしか回れませんでしたからね」
「ああ、昨日はどうもご丁寧に。わたしゃ九露木さんがここに帰って来てくれただけで、嬉しかったよ。あんなことがあって……隣がさびしくなっちまったからねえ」
そう言って、大貫のおばあさんは感慨深げに青司くんちの洋館を見上げる。
「ああ、そうだ。さっき清澄で買ってきた今川焼きがあるんだけど、ひとつずつ、どうだい?」
「え、あ、ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
青司くん、そしてわたしの順に、紙で包まれた今川焼きが手渡される。
それは町の老舗の和菓子屋さん「清澄」のものだった。
まだ焼き立てなのかほかほかとしている。
ふと、大貫のおばあさんを見ると「食べないの?」という圧を発していたので、わたしと青司くんは顔を見合わせた。
「い、いただきます」
「いただきます……」
「はいどうぞ。召し上がれ」
平べったい円筒型。そのキツネ色に焼き上がった生地の中には、あんこがぎっしり詰まっている。何度か食べたことがあるが、毎回美味しいと感じる。今回もきっと……と期待が高まったところでがぶりと一口。
「ん。ん~っ。ひさびさに食べたけど美味しい……」
表面は適度な固さがあるが、中はしっとりもっちり。
あんこはまた上品な甘さだ。甘すぎない。この適度なバランスが最高だった。
青司くんも同じ思いだったようで。
「やっぱり美味しいですね、これ……」
「青司くんはイギリスに長く行ってたんだろう? だったらこの店の菓子を、また食べたいんじゃないかと思ってねえ。あんたのお母さんもよく買ってたし。あとで差し入れに行くつもりだったんだけどね……今会えて良かったよ」
「本当にありがとうございます」
「これからどっかへ行くのかい? なら……もし帰ってきたら、ちょっとお伺いしたいんだけど、いいかねえ?」
「え?」
「あんたのお母さんにお線香をあげたいんだ」
「……」
青司くんはそう言われて、急に言葉を詰まらせた。
それを見た大貫のおばあさんは申し訳なさそうな顔をする。
「ああ、いや無理は言わないよ。ただ、お葬式にも行けなかったからね……せめて、とずっと思ってたんだよ」
「すみません。母の遺骨も位牌も……母の実家の方に預けてあるんです。ここからはちょっと遠くて。なので……」
「そうかい……」
しゅんとなった大貫のおばあさんは、さらに小さくなったように見えた。
いたたまれなくなって青司くんを見ると、何かひらめいたように顔を上げる。
「あ、でも……良かったら今日の夕方、いらしてください。まだ、お店としてはちゃんとしてないんですけど……おもてなしをしたいので。あと、母の事もちゃんとお話ししたいです」
「え……あの、お店をやるのかい?」
「はい。喫茶店を開こうと思ってます」
「あらあら。まあまあ」
「そういうわけで、その話もさせていただきたきたくて。まあ、お時間が合えば、ですが」
「この歳の老人はね、だいたいいつでも暇なんだよ。じゃあ、喜んでお呼ばれしようかねえ」
「……!」
青司くんは途端にパッと晴れやかな顔になった。
ああ、この顔。わたしのとても好きな顔だ。青司くんが喜んでいるとわたしも嬉しい。
大貫のおばあさんは、それじゃあと言うと自宅に戻っていった。
「えっと……今日大貫さんが来るなら、わたし夕方パスしようか?」
「いや。大丈夫。予定通り来てほしい。さっき、大貫さんに食べてほしいメニューを思いついたんだ。だからそれを真白にも試食してほしい」
「大貫さんに……食べてほしい、メニュー?」
「うん。まあそれは後のお楽しみ、ってことで」
「ふーん?」
わたしと青司くんは残りの今川焼をたいらげると、その場で解散した。
※ ※ ※ ※ ※
バイトは定刻通り始まって、定刻より三十分遅れて終わった。
今日は店長がお休みだったので、次のシフトの話はできなかった……。
早く、辞めるなら辞めるって言わないと。
わたしはもう半分以上、「青司くんのお店を手伝う」という気持ちで固まっていた。
けれど、今働いている他のスタッフのことを思うと、突然辞めるということはできない。
代わりの人員が入っていない状態で辞めてしまうと、先輩方や他のスタッフに迷惑がかかってしまうのだ。
(まあ、チェーン店だから……他店からヘルプが来て案外どうにかなっちゃうかもしれないけど。でも他店ってこっからものすごく遠いんだよなー。ヘルプ来る人にも迷惑かけちゃうし……うーん。とにかく早く話をしないと……)
タイムカードを切り、私服に着替えてから、また自分の白い自転車にまたがる。
今日は青司くんのとこに寄ってから帰る、と言って家を出てきたので、自転車をそのまま青司くんの家の方に向けた。
洋館の窓から中を覗くと、ちょうど大貫のおばあさんが来ていた。
わたしは玄関を開けてさっそく挨拶をする。
「こんにちは、大貫さん!」
「あれ、真白ちゃん。お仕事もう終わったのかい?」
「はい。もうくたくたです……。疲れましたー」
大貫のおばあさんはテーブル席の方に腰かけていた。カウンターの方だと椅子が高すぎるのだろう。
わたしも同じテーブルにつかせていただく。
「真白。今できるから、ちょっと待ってて」
「うん。ありがとう、青司くん」
バッグを椅子に置くと、奥の手洗い場で先に手を洗ってくることにした。
昨日は緊張しすぎてこうする余裕もなかったけど、今日は大丈夫だ。お絵かき教室に通っていた頃はいつも、こうして到着するなり手洗いうがいをしていた。
桃花先生が口をすっぱくして言ってたっけ。
「ここは子供たちがたくさん集まる場所から、風邪なんかが流行ったら大変。みんな、風邪を引かないように、うつさないように、しっかり手洗いうがいをしてね。やらない子にはおやつをあげませんよー!」
「はーい」
みんなおやつがもらえなくなるのが嫌で徹底していた。
ふと横を見ると大貫のおばあさんも手を洗いたそうにして立っている。わたしはすぐに横に退くと手洗い場を譲った。
「ああ、急かしちゃってごめんねえ。真白ちゃんがそうしてるから、わたしも洗っとかなきゃと思って」
「いえいえ、どうぞ」
「あらぁ、ちゃんとハンドソープが置いてあるねえ。お店をやるっていうのは本当だったんだ」
大貫のおばあさんは、目ざとく手洗い場の上に置いてあるポンプ式の入れ物を見つけた。そしてひどく感心しているようだった。
「こういうところがエライねえ。なんだか……あのお絵かき教室が始まる前のことを思い出すよ」
「え……?」
大貫のおばあさんは手を洗いながら言う。
「九露木さんが……ああ青司くんのお母さんの桃花さんね。あの人がここでお絵かき教室を開くって言ったときも、こうやってこの家にお呼ばれしたもんだ。息子の家族と一緒にねえ。とても……懐かしいよ」
「桃花先生も……同じことしてたんだ」
「そうさ。お隣さんにはちゃんと許可をとっておかなきゃと思ったんだろうねえ。とても律儀な人だったよ」
ポケットからハンカチを取り出して手を拭くと、大貫のおばあさんはそう言って懐かしそうに目を細めた。
その頃には、キッチンの方からとてもいい匂いが漂ってきていた。
青司くんの「大貫のおばあさんのために思いついた」というメニューがそろそろできあがるのかもしれない。
「何年も空き家だったのに……ずいぶんと綺麗なままだよねえ」
「それは昨日、業者さんが入ったからみたいですよ。ほんとプロのクリーニングってすごいですよねえ……」
元の席に戻ったわたしたちは、部屋の中を見回していた。
しきりとピカピカな床や窓を褒めているが、大貫のおばあさんは昨日業者さんが入ったことを知らないのだろうか。
わたしがそのことを話すと、大貫のおばあさんは首を横に振った。
「いいや。それは違うとわたしは思っているよ。今までもたまに、メンテナンス……っていうのかい? そういう業者さんが来ていたのを知っているからね。こんなに綺麗な状態に戻すなんて、一日じゃとても無理だ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。大貫さんの言う通りだよ」
キッチンから青司くんの声が聞こえてくる。
「昨日はガスや水道のライフライン、それからクリーニングの業者なんかが来ていたんだ。でも、クリーニング業者は軽い掃除だけをやっていったよ。大貫さんの言う通り、それまではまめに手入れをしてくれる別の会社にお願いしてたんだ。……はい、お待ちどう様」
そう言って、青司くんはトレイに載せた二人分の料理を持ってきた。
それはあんこと生クリームがたっぷり乗った、小倉パンケーキだった。
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