表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/28

森屋園芸さんと、フルーツタルトとアイスコーヒー(2)

 森屋さんはとつとつと昔語りをしはじめた。


「あの日は……いつものように庭のメンテナンスに訪れていた。今と、同じくらいの季節だったな。俺はもっと春らしい植物をたくさん植えたいという先生の要望通りに、仕事をこなしていた。一仕事終えて、そろそろ帰ろうかというとき、先生からお茶の誘いを受けたんだ……」


 青司くんは言いにくそうに口を開く。


「そこで、さっきのフルーツタルトを出してもらったんですね? 飲み物まではわからなかったけど……アイスコーヒーも。あの日の夜、冷蔵庫を見たらさっきのと同じフルーツタルトが入っていたんです。あと、流しに二人分の使い終わった食器も……。それを見てすぐにわかりました。ああ、いつものように森屋さんが来てたんだって」

「そうか……」


 先生が倒れた日。

 青司くんは学校から帰ってきて、すぐに病院に直行した。

 だから冷蔵庫とか、その流しの異変に気付いたのは夜だったんだ……。


 その時の心情を想像して、わたしは胸が痛む。

 最後に会っていたのが森屋さんだってわかって、青司くんはどう思っただろう。わずかでも彼が殺した、と思っただろうか……。


「でも母さんが倒れたのは、その『後』だったんですよね? だってもし、森屋さんと会っていた時に発作が起きていたのなら、きっと助けてくれていたはずです。でも、そうじゃなかった……」

「ああ。もし俺と会っていた時に先生に異変があったなら、俺は即、救急車を呼んでいた。だが……違った。俺の帰った後に先生は……」

「ええ、それは病気だったんだから仕方がありません。警察も……病死だったと言っていました。たとえ最後に会ってたのが森屋さんだったとしても、なんの罪悪も抱くことはないんです」

「それは違う」

「え?」


 森屋さんは、苦悶の表情でアイスコーヒーの中の氷を見つめる。

 

「どういうことですか」

「救えなかった、だけじゃない」

「……?」

「彼女に発作を起こさせた原因は……俺にあるんだ」

「えっ!?」


 青司くんだったか、わたしだったかは定かでない。

 でもほぼ同時に似たような言葉を叫んでいた。


「発作の原因が森屋さん……!?」


 わたしもそうだったけれど、青司くんも体が小刻みに震えていた。

 わたしは座っていたからまだいいけれど、青司くんは倒れないように必死である。


「どうして……」

「お茶をするのはその日が初めてじゃなかった。それまでも何度か、彼女の作った手料理をご馳走になっていたんだ。それで、勘違いしてしまったのかもしれない。俺はその日、勢い余って告白をしてしまった」

「え?」


 ぽかんと口を開ける。

 人間驚きすぎると誰もがこうなってしまうらしい。


 え? なに? 桃花先生に森屋さんが告白……?

 そんな恋心を抱いていたなんて……。今日は初めて聞くことが多いと思ったけど、なにもこんなことまで知ることはなかった。


 わたしは、そう思っていたけど……。

 でも青司くんは少しでもお母さんのことを知っておきたかったみたい。

 じっと神妙な顔で、森屋さんの話を聞いていた。


「そ、それで……母に返事はもらえたんですか」

「いや。その時は、とりあえず考えさせてくれと言われたよ。でも結局そのまま……亡くなられてしまったから、ずっと返事は聞けずじまいだ。俺があんな驚かすようなことを言わなければ……きっと……」


 森屋さんの両手が強く握りしめられていく。

 その拳は固いカウンターの板に押し付けられていった。


「済まない。青司くん……」


 そう言って深く頭を下げる森屋さんに、青司くんは泣きたいような笑いたいようなそんな変な顔を向けた。


「謝らないで下さい。たとえ母が森屋さんの告白に驚いたとしても……それで心臓発作を起こしたとしても……森屋さんは、何も悪くありません。だって母は……」


 青司くんは玄関の隣の壁に飾られている、桃花先生の肖像画を見つめて言う。


「嫌いな人に、わざわざ料理を作ったりなんてしないですから。僕みたいに飲食店を開くわけでもないのに、わざわざ『二人きりになって』その相手に料理をふるまったりなんてしませんよ。それは、きっと勘違いじゃないです。母の真意は、もう訊けないからわからないですけど……たぶん、森屋さんの事、それなりに好きだったと思いますよ」

「……」

「返事をしないで死んだのは、母に代わって謝ります。きっと、どういう形であれ、きちんと答えを出したかったと思うんです。でも、いつも無理をしているような人でしたから……。俺がもっと早く成人して、稼いで、楽にしてあげられたら良かったんですけど」


 そう言って、青司くんはふわっといつものように優しい笑みを浮かべた。

 その頬を一筋の涙が伝う。


「母はあの頃……よくフルーツタルトを作っていました。どうしてこんなによく作るんだって訊いたら、色とりどりなのがまるでお花畑みたいでしょう、ってよくわかんない理由を言って笑ってました。この庭、僕たちがこの家に来た当初はなんの花も咲いてない荒れた土地だったんです。それが、森屋さんに頼むようになってから、リーズナブルな料金なのにすごく素敵にしてくれて。毎日母が笑顔だったのも……きっとあの庭のおかげでした」


 青司くんはカウンターの先の窓から見える庭を見て、しみじみとそう言う。


 長年少しずつ育ててきた庭。

 最初は花壇が一つあっただけだった。でも、その花壇の花も教室のみんなでよく写生した。

 それから紫陽花とかドウダンツツジとかの花木が植わって。

 花壇もどんどん増えていって。


 少しずつ少しずつ華やかになっていった。

 先生がどうしてそこまで庭に入れ込んでいたのかわからない。自分で植えたりしても良かったはずだ。

 今思うと、あえて「森屋さん」に任せつづけてたんだ。


 やっぱり、先生も好意を持っていたのだ。森屋さんに。

 でも知り合ってからもう十年もの歳月が流れていて。

 その頃先生は四十代半ば。そして森屋さんは三十代後半。

 高校生の息子がいる歳で、とかっていろいろと悩んでしまったのかもしれない。


 まさに悩める乙女心、だ。

 桃花先生のいじらしさに、わたしは胸がきゅんとした。

 それは、森屋さんも同じだったようで。


「そんな……まさか……。彼女が……?」


 と、声を震わせている。


「先生は、俺の難聴にいつもいろいろ配慮してくれてた。何か話したいときは肩を叩いてから話しかけてくれたり、俺が補聴器を忘れて何度も聞き返しても、根気よく……もう一度話してくれたりした。俺はこんな耳だから、何か彼女が言った言葉を聞き逃すことも多かったかもしれない。だから、俺なんかを好きになるわけないと……思っていた。でもどうしても、この思いを抑えきれなくて……。あんな自分勝手に伝えたのに。それなのにこんな、こんな俺を……」


 森屋さんはカウンターに顔を伏せた。どうやら泣いているみたいだった。

 からん、とアイスコーヒーの中の氷が動く。

 それはまるで、彼の心の中のようだった。ずっと十年間凝り固まって凍り付いていたものが静かに溶けだしている……そんな風に見えた。


 わたしはそんな森屋さんを見つめながら、ひそかに自分のことと重ね合わせていた。

 好きなのに伝えられないまま、永遠に離れ離れになってしまった。

 日本とイギリスに。

 わたしと青司くんは、そんな状態で十年も生き別れとなっていた。


 森屋さんと桃花先生は、「死別」というもっと悲しい別れだったけど。

 

 もだもだしていたら取り返しがつかなくなる。

 それは十年前に学んだことなのに……。

 わたしはまた、同じことを繰り返そうとしている。


 しばらくしたら、森屋さんは落ち着きを取り戻して、アイスコーヒーを飲み切るとさっさと帰っていってしまった。

 後にはまた、青司くんとわたしだけが残る。


 わたしは青司くんにスマホを返してもらってから、二つ目のフルーツタルトをいただいていた。

 フルーツはビタミンがたくさん入っているから体にいい、という理論を自分に言い聞かせて食べる。

 っていうのは、表向きで。

 実はもう少し青司くんと一緒にいたかったのだ。


 青司くんはなんとなくまだぼうっとした感じで、食器を洗っていた。

 桃花先生と森屋さんの関係に、いろいろと思いを巡らしているのだろう。


 ――わざわざ『二人きりになって』その相手に料理をふるまったりなんてしませんよ――


 青司くんが言った言葉。

 それは桃花先生の立場になって、想像して、放った言葉だったけど……。

 でも、もしそれが青司くんにも当てはまってたなら?

 青司くんもわたしを……? とかって少しでも思ってしまう。


 いや。

 それはたぶん違う。


 彼は単に喫茶店を開くためにやってるんだ。

 特別な想いなんて、ない。


 ――僕みたいに飲食店を開くわけでもないのに――


 そんなことも、言ってたし。桃花先生は単にプライベートで食事に誘っていた。

 でも青司くんは……あくまで、仕事の一環として、わたしに試食を頼んできてるだけなんだ。


 嫌いな人、にはこんなことお願いしないよね。うん。

 いくら仕事だって言っても、嫌いな人とはわざわざ一緒にこういうことしないもん。

 でも……「特別な人」、でもない。

 彼の「特別」にはなれなくても。

 少なくとも普通の好意は持ってくれてるって信じたい。


 幼馴染として。

 ご近所さんとして。

 元お絵かき教室の仲間として。


 それだけでいい。

 それだけでいい……はずなのに。

 やっぱり「特別」にも思ってほしいって、そういうわがままな心もある。


「うっ……」


 イチゴの甘酸っぱさが、ふいに意識をクリアにさせた。

 わたしも森屋さんじゃないけど、自分なんかがって、相手を好きでいていいのかって思ったりする。

 なんの取り柄もなくて。そんな自分は相手にふさわしくないんじゃないかって思うときもある。


 そもそもこの気持ちは、迷惑なんじゃないか?

 ただの仕事仲間ならいい。ただの幼馴染なら、ただのご近所さんならいい。

 でも、恋愛感情を向けられたなら……? 嫌じゃない? 面倒じゃない? お荷物にならない?


 青司くんはこんなに立派な水彩画家になれたのに。

 素晴らしい人なのに。

 わたしといるせいで間違った道には行ってほしくない。


「……」


 わたしは店内に飾られた、青司くんの水彩画を見渡した。

 どの風景画も人物画も、透明感がすごくてまるで夢の中のような絵だ。

 でも、今はスランプだと言う。


 本当はここで少し暮らして英気を養ったら、すぐに絵を描くだけの仕事に戻る方が彼のためなんじゃないか。

 喫茶店の店長なんてやらないで、イギリスにまた戻ったほうがいいんじゃないか。

 そんな風に考えてしまったりする。


 ああダメだ。

 またネガティブになってる。

 わたしは十年間、ずっとこんなマイナス思考に捕らわれつづけていた。

 どんなことでも「いつかダメになっちゃうんじゃないか」という恐怖感が常につきまとっているからだ。これはトラウマの一種らしいけれど、いっこうに良くなる兆しがない。


 フルーツタルトの最後の一口をほおばる。


「……ごちそうさまでした」

「うん」


 ぼうっとしたまま、青司くんがわたしの空いたお皿を下げる。

 わたしはまた少し心配になった。


「大丈夫? 青司くん」

「あ……うん、大丈夫。ちょっとまだ動揺してるんだ」

「それは……無理もないよ。まさかあのおじさんと先生が、って感じだもんね」

「うん。ねえ真白」

「なに?」

「さっきはああ言ったけど……もし生きつづけてたら、母さんは森屋さんのこと受け入れてたと思う?」


 青司くんは洗い物の手を止めて、わたしを見た。

 わたしはうーんとうなる。


「どうだろう。好きだけど……ってとこかなあ。あの頃青司くんまだ高校生だったし……当時は、難しかったと思う。でも、今ならもう成人しているから、子ども関係なく堂々と付き合えてたかも」

「そういうものかな……」

「ん? どういうこと?」

「いや、母さんは……父さんの事も忘れてなかったと思うんだ。母さんが離婚を決意したのは、父さんのためだったって聞いたことあったから……」

「そうなの?」


 目の前の紅茶が入っていたカップが、またかちゃりと動いた。

 それはあの桃花先生お気に入りのワイルドベリー柄のティーカップだった。

次回は青司親子の過去が語られます。

いつも読んでくださってありがとうございます!◝(⁰▿⁰)◜

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ