森屋園芸さんと、フルーツタルトとアイスコーヒー(1)
紺色のつなぎを着た、大柄な男性だ。
わたしは真っ先に挨拶をした。
「あ、お疲れ様です」
「……」
でも、見事に無視された。
軽くショックを受ける。
森屋さんはなんというか、いつも不機嫌そうにしている人である。険のある目つきというか、いわゆる強面と呼ばれる類の顔をしている。
わたしは昔から、この人がなんとなく苦手だった。
森屋さんは青司くんのいるカウンターまでくると、ぼそぼそっっと話しはじめる。
「北側が終わった。明日は南側をやる」
「あ……はい。わかりました。明日もよろしくお願いします」
「明日も朝一からでいいか?」
本当にこの人はぶっきらぼうというか、必要最小限の会話しかしない。
愛想もあんまりないし、接客業なのに感じ悪いなあとわたしは思っていた。
ちなみに今も、笑顔を見せるどころかずっと無表情である。
「はい。庭はいつでも解放してますので、何時からでもいいですよ」
「そうか、わかった」
青司くんの答えを聞くと、森屋さんはさっさとまた店を出ていこうとする。
「あ、ちょっと待ってください森屋さん……」
「……」
青司くんは何か用があるのか、あわてて引き留めようとした。
しかし、森屋園芸さんはまるで気付いていないのか、そのまま歩いていく。
わたしはついに我慢がならなくなった。
「ちょっと森屋さん! 青司くんが話しかけてるじゃないですか! わたしはともかく、仕事相手でもある青司くんの話を無視するなんて……良くないですよ!」
「ま、真白……」
青司くんがやんわりと制止するのも構わず、わたしは大声でそう言った。
すると、森屋さんがようやく振り返る。
「ん? ああ……済まない」
森屋さんはポケットから何か小さなものを取り出すと、それを両の耳の中に入れた。
あれはいったい……?
「俺は難聴でな」
「え?」
「さっきの、よく聞こえなかった。いま補聴器をつけた。仕事中外していたのを忘れていた。悪かったな。それで? 何か用か?」
「あ……」
「だから、いま言おうと思ったのに……」
わたしが気まずくなって黙ると、青司くんが呆れたように言った。
そして丁寧に説明してくれる。
「森屋さんはね、小さい頃に難聴になって、補聴器をつけないと人の声が聞きとりづらくなるんだ。真白は知らなかったのか。ごめん、俺がさっき教えていれば……」
「い、いや……。わたし、まさかずっと前から森屋さんがそうだったなんて……知らなかった。昔も今もまったく気づかなくて。そっか。だからたまに話しかけても無視されてたんだ。てっきりイジワルされてたのかと思ってた」
「それは、済まない。わざとそうしていたわけではないんだ」
森屋さんはそう言って、とても申し訳なさそうに言った。
「あ、いえ。そんな……。わたしの方こそ、勝手に勘違いしててごめんなさい。あの今は……ちゃんと聞こえるんですか? それをつけてれば」
「ああ」
「そうですか。良かった」
森屋さんの補聴器を見せてもらうと、黒い豆のようなものが耳の穴の中にすっぽりと収まっていた。
とても小さな物だ。
これはたしかに、仕事中などよく動くときには、いつのまにか無くなってしまうかもしれない。
だからさっきまで外していたのか。
「俺はもともとこんな面ということもあって、よく誤解される。つまりよくあることだから気にするな。で? なんだ、青司くん」
「あ、ああ……仕事終わりにおやつでも召し上がっていかれませんか?」
「なに?」
「店をオープンするまでに、今いろいろ試作しているんです。真白にも少し手伝ってもらっていますが……どうせだったら森屋さんにも食べてほしいなって」
「……」
また黙ってしまっている。
これは、もう補聴器をつけているから聞こえている内容だ。
けれど、その上で返答につまっているようだ。
「もしかして甘いもの……お嫌いですか?」
青司くんはそれが「森屋さんの好みじゃなかったから」と予想したようだが、まったく違っていた。
「いや。甘いものは大好きだ。だが……作業着が汚れていてな。椅子を汚してしまわないか……」
「ああ、大丈夫ですよ。カウンターの椅子は革張りなので。拭けば大丈夫です。さあ、遠慮なさらず」
「そうか? なら……お言葉に甘えよう」
この人は、たしか青司くんのお母さん――桃花先生より何歳か年下だったような気がする。
ということは、いまは五十近いはずだ。
仕事で普段からよく動いているせいか、体がよく引き締まっている。強面でもあるが、とても若々しい顔つきの人だった。
そんな人が甘党だなんて。
ちょっと意外だった。
危うくにやけそうになったので、わたしはごほんと咳でごまかして座り直す。
「真白には、さっきまでドリンク類を試してもらってたんです。でも実は、ケーキもあるんですよ」
「え? そうなの青司くん? いったい何のケーキ?」
「まあそう慌てないで。よいしょっと」
そう言って冷蔵庫から取り出したのは、なんとカラフルなフルーツがたくさん乗ったタルトケーキだった。
「うわあ……!」
「本日はフルーツタルトです。季節のみかんとイチゴとキウイを乗せてみました」
「……」
オレンジに赤に緑。
となりの森屋さんを見ると、驚いたようにそれを見つめていた。
「どうかしました……?」
「いや。懐かしい、と思ってな」
「懐かしい……?」
「ああ」
森屋さんはそれ以上は語らなかった。
一方青司くんは大皿の上のケーキを、丁寧にカットしはじめている。
一回切るごとに、お湯を入れた筒の中にケーキ用のナイフを入れ、ふきんで綺麗にふき取ってからまたカットしていた。
そして白い皿にそれぞれ乗せられたケーキが、森屋さん、わたし、青司くんの順に置かれる。
「ええと、あと飲み物も出しますけど何がいいですか? 真白はホットティー?」
「あ、うん」
「俺は水でいい」
「え。水、でいいんですか?」
「ああ」
わたしと青司くんはホットティー、森屋さんにはミネラルウォーターが配られた。
「ではどうぞー」
「いただきます」
「……いただきます」
わたしはウキウキでフォークを持ち、みかんの部分からいってみる。
さくさくのタルト生地と、その上のカスタードクリームを一緒にすくって口の中に放り込む。
「ん、んん~~っ、甘くて美味し~い! これ、みかんも生のフルーツなんだね!」
「そうなんだ。本当はこの上にナパージュっていう透明なゼリーみたいなものをかけておくと、パサつきも抑えられるしツヤが出て見栄えも良くなるんだけど……できたばかりだからそのままでも美味しいかなって。お店に出す時は時間が経っちゃうから、ちゃんとそういう仕上げするけどね」
「ああ~。たしかにお店で売ってるタルト系のケーキって、上にそういうのかかっていたかも!」
続いてイチゴやキウイも食べてみる。
それぞれ旬だからか、他の時期よりも甘く感じた。
果物の甘酸っぱさと、カスタードの濃厚な甘さが絶妙に絡み合っている。ああ、しあわせ……。
「森屋さんは、いかがですか?」
「……」
森屋さんは無言でフォークを動かしている。
甘党というのは本当で、その食べるスピードにいっさいよどみがなかった。
あっという間に完食すると、さらに目の前に置かれていた水を飲み干す。
「ごっそさん。美味かった」
一言そう言うとささっと椅子から立ち上がる。
しかし青司くんはまだ何か伝えたいことがあるようだった。
「あ、あの……!」
「なんだ」
つなぎの袖で口元を拭いながら、振り返る。
「母さんの……ことなんですけど」
「……」
一瞬、森屋さんの表情がより厳しくなった。
しかし立ち去るわけでもなく、根気よく青司くんの言葉を待ち続けている。
「森屋さんは……その……最後に母さんと会ったとき、何を話してたんですか?」
「……それを聞いてどうする」
「知りたいんです。あの日……母さんが倒れた日。最後に会っていたのは、森屋さんだったと思うから……」
十年目にして初めて、わたしはその事実を知った。
今日は初めて知ることが多いなと思う。
え? どういうこと?
桃花先生が亡くなる前、最後に会ってた人が森屋さん……?
青司くんはカウンターを挟んで、じっと真剣な瞳で森屋さんを見つめている。
「いいだろう。俺もずっと話しておきたいと思っていたところだ」
森屋さんはそう言うと、またわたしのとなりの席に腰かけた。
空のグラスを青司くんに渡して、今度はアイスコーヒーをと所望する。
「わかりました。少々お待ちください」
青司くんは手早く準備をはじめる。
普通にコーヒーを作る要領で、まずはコーヒー豆を挽いた粉をお湯でペーパードリップする。
こころなしかドリッパーの中の粉の量が多い気がした。
そこへ、コーヒー用の細口のケトルでお湯を注いでいく。
「少なめに……と」
ぼそぼそとそう言いながら、静かにお湯を垂らしていくと、やがてサーバーの中に濃い色のコーヒーが抽出されてきた。
青司くんはその間に、急いで別のグラスに大きいロックアイスを入れる。
フチまで目一杯入れたところに、全部のしずくが落ち切ったサーバー内の熱いコーヒーを注ぐ。
ビキビキと急速に氷が解ける音。
「……お待たせいたしました」
ミルクピッチャーと砂糖壺、ストローを共に出して、青司くんは森屋さんの顔色を窺う。
森屋さんは何も言わずにそのまま一口飲んだ。
「うん……美味い」
「ありがとうございます」
これは例の「青司くん特性ブレンド」なんだろうか?
お礼を言った青司くんは、まだ緊張した面持ちで森屋さんを見つめている。
森屋さんはグラスを置くと、手元を見ながら静かに語りはじめた。
「じゃあ、話すか。たしかあの日も、ここでフルーツタルトとアイスコーヒーをもらっていた……」
次回は桃花先生の死の真相に迫ります。




