嫌な知らせ
クンタの飼い主を希望する者も現れないまま2週間が経った。
「このまま、家で飼っても良いんじゃない?」
隼人が庭でクンタの頭を撫でながら、居間で夕食の準備をしている陽子に言った。
「真琴の前で、変に期待させるようなこと言っちゃ駄目。それに、最終的に決めるのはお父さんなんだから」
鳥の唐揚げを盛った皿を運びにきた愛美が、陽子の代わりに答えた。
「真琴がその気になっちゃうでしょ」
愛美に言われて、隼人は傍らでクンタに餌をやっていた真琴に振り向いた。無言のままクンタを見ているが、話はしっかりと耳に届いていたようで、満面の笑みを湛えている。
「ほら、言わんこっちゃない」
「うう……」
「真琴が愚図ったら、アンタのせいだからね」
さっさと手伝いなと突き放すように言って、愛美は台所へと消えていった。いつもなら悪口のひとつやふたつ入れて反論するのだが、軽率過ぎたと言葉もない。
「……真琴、飼い主見つかるといいな」
「うん、そうだね!」
真琴は隼人に合わせたものの、クンタを見つめる瞳には、一緒になれるかもという希望に輝いているのがありありと映っていた。
「どうしたんだい、隼人。そんな暗い顔をしちまってさ」
隼人が見上げると玄関先に、ジャージ姿の祖母の道子が立っている。ランニングから帰ってたところだった。
「……なんでもないよ」
「元気がないね。おばあちゃんの練習に、また参加するかい?」
「いや、それこそいい……」
祖母は夕食前、夕食の仕込みを済ますと後は陽子に任せて、神林町から中台体育館まで往復八キロのランニングと、体育館の芝生で腕立てジャンピングスクワット等といった補強運動を日課としている。
隼人も一度参加したことがある。
野球部で体力に自信があったし、老人の冷や水程度に考えていた。しかし、内容は予想以上にハードなもので、隼人はその一度でヘロヘロになって以来、参加していない。
来月の市民マラソン大会では、サブスリーを目指すということで、最近は特に気合いも充実しているのだが、そんな祖母の道子を、隼人は化物としか思えないでいた。その化物が庭から陽子に声を掛ける。
「陽子、奥からプロテイン用意しといておくれよ」
「もうすぐご飯なのに……」
「健三郎さんが帰ってくるまでまだ時間あるだろ?シャワーも浴びないと。着替える時間も含めて約30分。ゴールデンタイムと言ってね。この30分が大事なんだよ」
陽子は仕方ないといった感じで苦笑しながら、台所へと入っていった。
それから30分後、道子の予想通りに健三郎が帰ってきた。カラリと玄関の戸が開く音がし、クンタの出迎える鳴き声がした。
「あ、お父さんだ」
真琴が立ち上がって健三郎を迎えに駆けていった。 ただいまという健三郎の声と、真琴のクンタ、今日もいい子にしてたよという声が聞こえてくる。
クンタはまだ小さいこともあって、玄関の隅に繋がれている。真琴の心情からすれば家に上げたいところであったが、飼い主を求める身であるし、そうでなくても棲み分けしけじめをつけさせるというのが健三郎の考えだった。
健三郎が「ただいま」と再び言って居間に入ると、既にプロテインを飲み、汗を洗い流し、今日一日やるべきことを終えてさっぱりした祖母は、幸せに満ち足りた顔で「さきにやってるよ」とビールが注がれたコップを健三郎に示した。
その健三郎の表情や声に、どこか暗い影がさしているのに気がついたのは陽子だった。
「お父さん、どうしたんですか」
「うん、ちょっとね……」
健三郎は言葉を濁して奥の部屋に入った。しばらくし、スウェットに着替えて戻ってきた健三郎が、皆の注目する中、静かに座った。
実はねと思案顔で健三郎が口を開いた。
「クンタを飼いたい、という人が現れたんだ」
「……」
「犬好きな中年女性の人でね。もう五匹ほど飼っているんだが、経済的にも余裕があるし問題ないということなんだ。随分と熱心に言ってくるから、この人なら大丈夫かなと思って了解したんだよ」
「……」
健三郎の話が終わると、真琴は無言で立ち上がり、やにわに居間を飛び出して二階へと駆け上がっていった。
「ちょっと、真琴!」
陽子が真琴の後を追い、二階へと上がっていく。重い空気が居間に漂い、気まずそうに健三郎は頭を掻いた。
「これだから、動物を飼うのは嫌なのさ」
道子は苦い顔をしながら、コップに残ったビールを一息に煽った。




