【episode27】月末評価
サバイバルオーディションの開催が発表されてから、練習生たちの空気は明らかに変わった。
練習室に入れば、誰かが歌っている。廊下を歩けば、ダンスの振りを確認している子がいる。食事の時間でさえ、次の評価やオーディションの話題が絶えなかった。
もちろん、私も例外ではない。
「もか、またノート見てるの?」
寮の食堂で声をかけてきたのは、同じ部屋のユナだった。私は開いていたノートを少し持ち上げる。
「うん。今日の練習で気づいたこと、忘れないうちにまとめておこうと思って」
「ほんと真面目だよねぇ。サバイバルオーディションもあるのに、疲れない?」
「疲れるよ。でも、疲れたからって何もしなかったら、今の自分のままだもん」
そう答えると、ユナは一瞬目を丸くしたあと、苦笑した。
「……もかって、たまにすごく大人っぽいこと言うよね」
私は曖昧に笑った。
前世の記憶があるなんて、簡単には説明できない。私にとっては二度目の挑戦でも、周りの子たちにとっては初めての夢なのだから。
だからこそ、私は自分にできることを積み重ねるしかない。
そして、月末評価の日がやってきた。
朝から落ち着かなかった。いつも通り朝食を食べ、身支度を整え、練習着に着替える。やることは何も変わらないはずなのに、鏡の中の自分の表情は、普段より少し硬かった。
「……大丈夫」
私は小さく呟いて、肩の力を抜いた。
評価で見せるのは、完璧な人間ではない。今の自分がどこまでできるのか、そして、どこまで成長できるのか。そのための機会だ。
そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。
午前九時。私はほかの練習生たちと一緒に評価室へ向かった。
室内には、ダンス講師、ボーカル講師、そして数名のスタッフが座っていた。正面の壁には大きなモニターが設置され、端には評価用のカメラも置かれている。
練習生たちは順番に名前を呼ばれ、それぞれの課題を披露していく。
ある子はダンスの正確さを褒められ、別の子は歌声の安定感を評価された。一方で、振り付けを間違えて悔しそうに唇を噛む子もいた。
誰もが真剣だった。
ここにいる全員が、同じ夢を追いかけている。
そして、その夢を叶えられる人数には限りがある。
「次、音羽萌花」
名前を呼ばれ、私は立ち上がった。
「はい」
返事をして、練習室の中央へ進む。
最初はダンス評価。指定された振り付けを、音楽に合わせて披露する課題だ。
曲が始まる直前、私は一度だけ目を閉じた。
前世では、振りを間違えないことばかり考えていた。正確に踊ること、ほかの練習生より上手く見せること、審査員に実力を認めてもらうこと。それだけで頭がいっぱいだった。
でも、今は違う。
技術を見せるだけじゃない。音楽をどう受け取り、どんな気持ちを込めて表現するのか。それも私のパフォーマンスの一部だ。
イントロが流れた。
私は音を捉え、身体を動かした。
鋭い動きは鋭く、柔らかい動きはしなやかに。視線や指先まで意識しながら、音楽の変化に合わせて表情を切り替える。振り付けを正確に踊るだけではなく、曲の中にある強さや迷いまで、自分なりに表現していった。
最後のポーズを決め、音楽が止まる。
私は呼吸を整えながら、講師たちの反応を待った。
「音羽さん」
ダンス講師が評価シートに目を落とした。
「振り付けの理解度は高い。リズムの取り方も安定しているし、動きの切り替えもよくできていた。特に、音の強弱に合わせて表現を変えていたところはよかった」
「ありがとうございます」
「ただし、細かい部分ではまだ改善できる。動きが大きくなるところで、少しだけ重心が遅れる瞬間があった。難しい振り付けになれば、その小さなズレが目立つようになる。次は、難度が上がっても今の表現を維持できるようにしてほしい」
私は頷き、指摘された部分を頭の中で確認した。
重心の移動。確かに、映像を見返したときに気づいていた箇所だ。今回は表現に意識を向けたぶん、身体の細かなコントロールが甘くなった瞬間があったのかもしれない。
「分かりました。重心の移動を確認して、修正します」
「うん。次はボーカル評価だ」
私は指定された位置に移動した。
ボーカルの課題は、事前に渡されたオリジナルの楽曲。明るいメロディーの中に、夢を追いかける不安と、それでも前へ進もうとする気持ちが込められた曲だった。
歌い始める前に、私は歌詞を思い浮かべた。
夢を叶えたい。でも、叶えられる保証はない。それでも、諦めたくない。
それは、今の私自身の気持ちでもあった。
私は息を吸い、歌い始めた。
音程を安定させ、言葉を丁寧に届ける。サビでは声に芯を持たせ、最後のフレーズでは、ただ綺麗に歌うのではなく、歌詞に込められた決意が伝わるように意識した。
歌い終えると、評価室は静かになった。
やがて、ボーカル講師が口を開く。
「音程は安定しているし、息の使い方もよくなっている。声質にも魅力があるね。歌詞の意味を理解して歌っていることも伝わった」
「ありがとうございます」
「ただ、今の段階では、声の表情が少し均一になるところがある。気持ちを込めることと、ずっと強く歌うことは違う。迷いを表現するなら、声を張るだけではなく、あえて抑える部分があってもいい。曲全体の流れを考えて、どこで何を伝えるのか、もっと細かく設計してみて」
私はすぐに頷いた。
気持ちを込めることは意識できるようになった。でも、その気持ちをどのように声へ反映させるかは、まだ工夫の余地がある。
「次に歌うときは、歌詞ごとに伝えたい感情を整理してみます」
「そうしてみて。君なら、もっと細かい表現までできると思うよ」
その言葉に、私は背筋を伸ばした。
期待されている。
だからこそ、応えたい。
最後は、ダンスと歌を組み合わせた総合評価だった。
課題曲に合わせて踊りながら歌い、最後までパフォーマンスを崩さないことが求められる。ダンスだけなら余裕があっても、歌が加われば呼吸も体力も消費する。さらに、表情や視線まで意識し続けなければならない。
前世でも何度も練習した課題だ。
けれど、経験があるからといって油断するつもりはなかった。
音楽が始まる。
私は踊りながら歌い、呼吸のタイミングを調整した。振り付けの難しい部分では身体の動きを正確に保ち、歌のフレーズでは言葉が埋もれないように意識する。そして、曲の盛り上がりに合わせて表情を変えた。
途中、息が苦しくなりかけた。
それでも、慌てない。
次にどこで息を吸うのか。どの動きを少し効率よく行うのか。頭の中で判断しながら、最後までパフォーマンスを続けた。
そして、最後のポーズ。
音楽が止まった。
私は一礼して、講師たちの前に立った。
「……よし。以上で評価を終了する」
ダンス講師がそう告げた。
ようやく終わった。
緊張が解けた途端、身体の疲れが一気に押し寄せてくる。けれど、私は顔を上げたまま、結果を待った。
全員の評価が終わったあと、練習生たちは再び評価室へ集められた。
正面のモニターには、それぞれの評価結果が表示されている。
「今回の月末評価では、技術だけでなく、成長の度合い、課題への取り組み方、そして総合的なパフォーマンスを確認した」
担当スタッフが説明を始めた。
「評価結果は、今後のレッスン内容やサバイバルオーディションの準備にも反映される。順位だけにとらわれず、自分が何を評価され、何を改善すべきなのかを理解すること」
その言葉のあと、モニターに順位が表示された。
私は思わず息を止めた。
上から順番に名前が並んでいる。
一位。二位。三位。
そして――。
総合評価、一位。音羽萌花。Aクラス。
「……え?」
声が漏れた。
自分の名前を見間違えたのかと思って、もう一度確認する。
やっぱり、一位だった。
周囲から小さなどよめきが起こる。
「音羽さん、総合一位だね」
ユナが隣から囁いた。
「う、うん……」
嬉しい。
もちろん、嬉しいに決まっている。
でも、それ以上に、私はほっとしていた。これまで積み重ねてきた練習が、少なくとも今回の評価では結果につながったのだ。
ただし、ここで満足するわけにはいかない。
サバイバルオーディションでは、今回とは違う課題が出されるかもしれない。初めて見る振り付け、慣れないジャンルの曲、限られた時間での準備。そうなれば、今の順位がそのまま通用するとは限らない。
私は、モニターに映る自分の名前を見つめた。
これはゴールじゃない。
次へ進むための、ひとつの結果だ。
「音羽さん」
スタッフに呼ばれ、私は顔を上げた。
「今回の評価では、ダンス、ボーカルともに安定した実力を見せてくれた。特に、前回の指導内容を自分なりに消化して、表現に反映させていた点を評価している」
「ありがとうございます」
「ただし、サバイバルオーディションでは、全員が同じ条件で評価される。今回の順位が保証になるわけではない。どんな課題にも対応できるよう、準備を続けてほしい」
「はい。頑張ります」
私はまっすぐに答えた。
評価室を出たあと、ユナが私の肩を軽く叩いた。
「一位、おめでとう! すごいじゃん!」
「ありがとう。でも、まだまだだよ」
「えー、せっかく一位なんだから、もっと喜びなよ」
「喜んでるよ。ただ、次はもっと難しい課題が来るかもしれないし」
「……ほんと、もかってそういうところあるよね」
ユナは呆れたように笑った。
私はつられて笑いながら、心の中で決意を固めた。
前世では、努力しても結果が出ないことが何度もあった。だから、今回の一位は素直に嬉しい。けれど、たった一度の評価で自分の実力を決めつけたくはなかった。
大切なのは、ここからだ。
寮に戻ると、私はノートを開いた。
『月末評価・総合一位』
その下に、講師から言われたことを書き出していく。
・ダンス:難しい振り付けでも重心を安定させる。
・ボーカル:歌詞ごとに感情を整理し、声の強弱を設計する。
・総合:歌とダンスを両立させながら、最後まで表現を崩さない。
そして、最後にもうひとつ。
『一位は、通過点。』
私はペンを置き、ノートを閉じた。
サバイバルオーディションの開催まで、もう時間はあまりない。
今回の結果に浮かれるのではなく、次に必要なことを考える。
もっと難しい振り付けに挑戦しよう。韓国語の発音も磨こう。どんな曲を渡されても、自分の気持ちをパフォーマンスで伝えられるようにしよう。
そして、誰よりも成長しよう。
「絶対、デビューする」
静かな部屋で、私ははっきりと口にした。
月末評価で一位になったからといって、夢が近づいたと決まったわけじゃない。
それでも、今の自分がどこまで進めるのか、確かめることはできた。
次は、サバイバルオーディション。
ここからが、本当の勝負だ。




