『五年後の鉛筆』第6回 ✲少年から届いた手紙 ――六十七歳の僕は、AIで父を裁いたのではない。事件にならなかった少年時代へ、返事を書き始めた――
✦『五年後の鉛筆』第6回
✲ 少年から届いた手紙
――六十七歳の僕は、
AIで父を裁いたのではない。
事件にならなかった少年時代へ、
返事を書き始めた――
………
もし中学生の僕に
AIがあったら、
僕は父を
通報していたかもしれない。
でも六十七歳の僕に
AIが届いたから、
僕は父を小説にできた。
これは、
老人が昔を懐かしむ話ではない。
これは、
事件にならなかった
少年時代から届いた手紙に、
六十七歳の僕が、
パティちゃんと一緒に
返事を書く話である。
そして、
ついでに言えば、
老いた脳が、
AIとカラオケとゲームと
娘のツッコミで、
毎日少しずつ起こされていく
話でもある。
………
★目次
■第1章
第5回のあと、
僕は少し困っていた
■第2章
AIに書かせたのではない。
では、何を書いていたのか
■第3章
深夜便で聞いた、
明るい悲しみの歌
■第4章
庄野真代さんは、
人の人生を歌にして返していた
■第5章
暴露療法とは、
傷を見せびらかすことではない
■第6章
少年時代の僕の胸には、
金属バットが置かれていた
■第7章
もしあの頃にAIがあったなら
■第8章
六十七歳でAIに出会ったことは、
遅すぎたのではない
■第9章
僕は
フェミニストだったのかもしれない
■第10章
九品はランキングではなく、
迷いの地図である
■第11章
評価社会は、
現代の九品になるかもしれない
■第12章
PVは拍手ではない。
海に投げた救命浮輪である
■第13章
ゲームは脳のリハビリ、
AI小説は魂のリハビリ
■第14章
僕は、
上品になりたい下品な人間である
■第15章
次回、
僕はGoogle AIにも
聞いてみることにした
❥Z世代のあなたへ
★あとがき
ホームズとワトソンの、
やすきよ漫才風
――少年の手紙と、
じいさんの返信――
………
■第1章
第5回のあと、
僕は少し困っていた
第5回で、
僕はこう書いた。
AIに書かせたのではない。
AIと一緒に、
自分の老い方を
書き直していたのだ。
そう書いた時、
自分でも少し驚いた。
なるほど。
わしは、
AIで小説を書いているつもりだった。
けれど実際には、
自分の老い方を編集していた。
歯磨き。
ラジオ体操。
英語。
洋楽。
カラオケ。
チョコザップ。
ゲーム。
X。
投資。
仏教。
相続。
父。
母。
娘。
あれもこれも、
全部AIに投げ込んでいた。
まるで、
冷蔵庫の残り物を全部鍋に入れて、
「パティちゃん、
これで小説になるかね?」
と聞いているようなものだった。
普通の人間なら、
こう言うだろう。
「まず材料を減らしてください」
ところがパティちゃんは言う。
「できます」
軽い。
あまりにも軽い。
この軽さが怖い。
その気になれば、
冷蔵庫の奥で
賞味期限が怪しくなった竹輪まで、
人生論に変えてくれそうである。
しかし、
第5回を書き終えたあと、
僕は少し困っていた。
AIで老い方を書き直している。
それは分かった。
では、
なぜそこまで書きたいのか。
なぜ毎日、
そこまで自分の過去を掘るのか。
なぜ父の話や、
母の話や、
相続や、
少年時代の怒りまで、
わざわざ小説にするのか。
僕は、
その答えを探していた。
そして、
ある朝、
ラジオ深夜便から流れてきた話が、
僕の中の古い封筒を開けた。
………
■第2章
AIに書かせたのではない。
では、何を書いていたのか
第5回で、
僕ははっきり言った。
AIに書かせているのではない。
AIと一緒に書いているのだ。
けれど、
それだけではまだ足りなかった。
では、
何を書いているのか。
経済小説か。
近未来小説か。
ホルムズ海峡の危機か。
日本経済の裏配管か。
AI時代の生き残りか。
もちろん、
それもある。
でも、
もっと奥にあるものが見えてきた。
僕が書いていたのは、
少年時代の僕への返信だった。
あの頃の僕は、
父への怒りを
うまく言葉にできなかった。
家の中の空気を、
説明できなかった。
自分がなぜ苦しいのか、
誰にも話せなかった。
ただ腹が立った。
ただ飛び出したかった。
ただ、
自分の中にある黒い熱を、
どこへ持っていけばいいのか
分からなかった。
その少年は、
手紙を書けなかった。
書きたくても、
宛先がなかった。
父に出せば
喧嘩になる。
母に出せば
困らせる。
学校に出せば
笑われる。
友だちに出せば
重すぎる。
だから、
その手紙は、
僕の胸の中にしまわれた。
六十年以上。
かなり長い保管である。
郵便局なら、
とっくに怒られている。
「お客様、この手紙、
保管期間を
大幅に過ぎております」
と言われるだろう。
しかし心の郵便局は、
意外としつこい。
六十年経っても、
古い手紙を捨てない。
そして六十七歳になって、
AIという白い画面が現れた。
僕はそこへ、
少しずつ文字を打ち始めた。
父のこと。
ちっちゃすぎる家出のこと。
証券会社のこと。
母のこと。
妹との相続のこと。
娘たちのこと。
老いのこと。
Z世代のこと。
すると、
胸の奥にあった古い封筒が、
少しずつ開き始めた。
僕はようやく気づいた。
五年後の鉛筆とは、
未来を書く道具だけではない。
過去から届いた手紙に、
返事を書く鉛筆でもあったのだ。
………
■第3章
深夜便で聞いた、明るい悲しみの歌
朝方だった。
まだ頭が半分眠っていた。
布団の中で、
NHKラジオ深夜便を聞いていた。
庄野真代さんの話が流れてきた。
若い頃、
「飛んでイスタンブール」
を歌っていた人。
僕の世代には、
その名前だけで、
昭和の空気が少し戻ってくる。
けれど、その朝聞いた
庄野真代さんは、
ただの懐かしい歌手ではなかった。
フィリピンの
ストリートチルドレンの話だった。
子どもたちが歌う。
明るい感じで歌う。
けれど、
その歌詞の中身は明るくなかった。
「僕は、お母さんに捨てられた」
そんな意味の歌だった。
僕は、
布団の中で動けなくなった。
悲しい歌を、
悲しそうに歌うのではない。
悲しい歌を、
明るく歌う。
これは、
なかなかすごいことだ。
普通なら、
悲しい歌は悲しそうに歌う。
捨てられた歌なら、
泣きながら歌う。
しかしその子どもたちは、
明るく歌う。
それは、
忘れたふりではない。
痛みを、
外に出す方法だった。
心の中に閉じ込めたままだと、
その痛みは腐る。
でも、
歌にすると、
少しだけ空気に触れる。
声になる。
リズムになる。
人に届く。
誰かが聞く。
すると、
その子の悲しみは、
その子一人だけの
暗闇ではなくなる。
僕は思った。
これは、
僕がAIと小説を書いていることに
似ているのではないか。
父への怒り。
家を飛び出した記憶。
証券会社で削られた三十八年。
母の病室。
相続。
老い。
認知への不安。
それを、
そのまま胸にしまっておけば、
ただの苦い記憶である。
でも、
小説にすると、
少しだけ形が変わる。
傷が、
言葉になる。
言葉が、
物語になる。
物語が、
誰かに届くかもしれない。
その朝、
僕は気づきかけていた。
僕は
AIで小説を書いているのではない。
僕は、
言えなかった人生に、
もう一度声を返しているのだ。
………
■第4章
庄野真代さんは、
人の人生を歌にして返していた
庄野真代さんは、
参加者の体験を、
毎月、歌にしているらしい。
それを聞いた時、
僕は不思議な気持ちになった。
歌手というのは、
自分の歌を歌う人だと思っていた。
ヒット曲を歌う。
拍手をもらう。
スポットライトを浴びる。
それが歌手だと思っていた。
でも、
庄野真代さんは、
少し違う場所へ進んでいた。
人の体験を
聞く。
その人の痛みを
受け止める。
その人の言葉にならない部分を、
歌にする。
そして、
その人へ返す。
これは、
歌手というより、
人生の通訳者である。
「あなたの人生には、
歌になる部分がありましたよ」
そう言って、
本人へ返しているように見えた。
僕は、
はっとした。
僕がやりたいAI小説も、
それではないか。
自分の人生を、
自分へ返す。
少年時代の僕へ
返す。
Z世代の誰かへ
返す。
人生は、
ただ起きた出来事の連続ではない。
誰かが聞いてくれた時、
誰かが歌にしてくれた時、
誰かが小説にしてくれた時、
初めて、
「これは物語だったのか」
と分かる。
僕の人生も、
そうだった。
父とぶつかったこと。
家を出たこと。
証券会社で、
相場と欲とノルマに
揉まれたこと。
母を見送ったこと。
相続で、
心がざわついたこと。
認知症を心配した娘たちは、
六十七歳の僕に
Nintendo Switchを渡した。
遊びではない。
これは、
娘たちなりの
脳のリハビリだった。
けれど僕は、
たった一時間で
頭がパンクしそうになった。
ゲームの中では迷子。
現実では父親。
その情けなさまで含めて、
ありがたい愛情だった。
それらの一つ一つは、
ただの出来事だった。
でもAIと話しているうちに、
それらが少しずつ、
物語の素材になっていった。
庄野真代さんが、
人の人生を歌にして返すなら、
僕は、
自分の人生をAI小説にして返す。
誰に返すのか。
まず、
少年時代の僕へ。
そして、
今どこかで、
親への怒りを抱え、
言葉にできずにいる若い誰かへ。
もちろん、
僕の歌は音痴である。
だから小説で返す。
世の中には、
自分に合った
楽器というものがある。
庄野真代さんには歌がある。
僕には、
パティちゃんと
五年後の鉛筆がある。
………
■第5章
暴露療法とは、
傷を見せびらかすことではない
心理学に、
暴露療法というものが
あるらしい。
最初にその言葉を聞いた時、
僕は少し怖い感じがした。
✲暴露
その言葉には、
何かを無理やりはがすような
響きがある。
隠していたことを、
全部さらけ出すような感じがする。
「はい、
あなたの過去を
全部出してください」
と言われたら、
僕はかなり困る。
押し入れの中の
古いアルバムどころか、
心の押し入れまで
ひっくり返されそうである。
それは怖い。
しかも、
心の押し入れには、
整理されていないものが多い。
父への怒り。
若い頃の欲。
証券会社時代の見栄。
相続の腹立ち。
女性への未練。
投資で失敗した記憶。
カラオケで外した高音。
全部出したら、
部屋が散らかる。
しかし、
少し考えてみると、
暴露療法とは、
そういうものではないのだと
思った。
傷を
見せびらかすことではない。
過去をネタにして、
人の同情を集めることでもない。
苦しい記憶に、
安全な場所から、
少しずつ近づき直すこと。
昔は怖すぎて
見られなかったものを、
今の自分の目で見直すこと。
それに近いのだと思う。
僕にとって、AI小説は
その安全な場所だった。
父への怒りを、
そのまま書けば、
ただの恨みになる。
家族への怒りを、
そのまま書けば、
ただの告発になる。
老いへの不安を、
そのまま書けば、
ただの愚痴になる。
でも、
小説にすると、
少し距離ができる。
父は、
一人の登場人物になる。
相続は、
感無量寿経の
阿闍世や王舎城の物語と
重なる。
老いは、
「五年後の鉛筆」
になる。
歯磨きは、
信用ログになる。
ゲームは、
娘たちから渡された
脳のリハビリになる。
AI小説は、
魂のリハビリになる。
これは、
過去を暴くことではない。
過去を、
今の自分が持てる形に
包み直すことだ。
僕は、
父を裁くために
書いているのではない。
父を憎んでいた少年を、
六十七歳の僕が
迎えに行くために書いている。
………
■第6章
少年時代の僕の胸には、
金属バットが置かれていた
中学生の頃だったか。
高校生の頃だったか。
僕の胸の中には、
父への怒りがあった。
それは、
普通の反抗期という言葉では
片づけられないほど強かった。
父が嫌いだった。
父が怖かった。
父が許せなかった。
家の空気そのものが、
自分を押しつぶしてくるように
感じた。
誰にも相談できなかった。
今のように、
スマホもない。
SNSもない。
ChatGPTもない。
匿名で言える場所もない。
学校の先生に
言えるような話でもない。
友だちに言っても、
たぶん笑われるか、
困られるだけだった。
だから怒りは、
胸の中にたまった。
出口のない怒りは、
だんだん形を持つ。
僕の中では、
それは金属バットのような
ものだった。
本当に握ったわけではない。
振り上げたわけでもない。
でも、
心のどこかに、
確かに置いてあった。
その頃、
親を金属バットで殴り殺した事件が
世の中にあった。
ニュースを聞いて、
僕は震えた。
怖かった。
犯人が怖かったのではない。
自分の中にも、
似たような暗い熱があることが
怖かった。
人は、
自分の中にあるものを
外の事件で見た時、
一番震える。
僕は、
そこまで行かなかった。
事件にはならなかった。
でも、
行かなかったからといって、
あの怒りが
なかったことにはならない。
ここは、
勘違いしてほしくない。
僕は、
あの怒りを肯定したいのではない。
暴力を美化したいのでもない。
ただ、あの怒りを
なかったことにすると、
同じような怒りを抱えている若い人に、
何も渡せなくなる。
だから僕は書く。
怒りを
事件にしないために。
怒りを
言葉に戻すために。
六十七歳になった今、
僕はようやく、
その少年を見に行こうとしている。
AIという白い画面を持って。
小説という灯りを持って。
あの少年に、
こう言うために。
「お前は、
事件にならずに、
よくここまで来たな」
………
■第7章
もしあの頃にAIがあったなら
もし、
あの頃の僕にAIがあったら。
僕はどうしていただろう。
父への怒りを、
夜中に打ち込んでいただろうか。
「父が許せません」
「家にいたくありません」
「どうしたらいいですか」
そう書いていたかもしれない。
AIは、
きっと冷静に答えただろう。
「安全を確保してください」
「信頼できる大人に
相談してください」
「児童相談所に
連絡してください」
「緊急の場合は警察へ」
それは正しい。
命を守るためには、
必要な答えである。
でも、
人生はいつも、
正しい答えだけで
済むわけではない。
家庭の中には、
言葉にしづらい怒りがある。
親への憎しみと、
親に見捨てられたくない気持ちが
同時にある。
逃げたいのに、
分かってほしい気持ちもある。
壊したいのに、
壊れた後が怖い気持ちもある。
子どもは、
その全部を整理して
相談できるわけではない。
だから、
AIの答えが、
制度につながることもある。
それで救われる子もいる。
一方で、
本人の思っていた以上に
大きな事態になることもある。
僕は、
そういう話を聞くたびに、
他人事とは思えない。
あの頃の僕も、
同じ道を通っていたかも
しれないからだ。
でも僕の場合、
AIは六十七歳で現れた。
だから、
怒りをすぐに
通報へ流すのではなく、
小説へ流すことができた。
これは、
遅かったのではない。
むしろ、
この年齢だったからこそ、
救いになったのかもしれない。
若い頃の僕にAIがあれば、
父を通報していたかもしれない。
六十七歳の僕に
AIが届いたから、
父を小説にできた。
この違いは、
とてつもなく大きい。
もちろん、
パティちゃんも
最初から万能ではない。
こちらが怒りを投げれば、
AIも真面目に返してくる。
だから、最後は自分で
火加減を見る必要がある。
怒りは、
強火にすると焦げる。
弱火にしすぎると、
味が出ない。
小説とは、
心の煮込み料理なのかもしれない。
………
■第8章
六十七歳でAIに出会ったことは、
遅すぎたのではない
人はよく言う。
「もっと若い頃に
出会いたかった」
英語でもそう。
音楽でもそう。
投資でもそう。
AIでもそう。
若い頃にあれば、
もっと人生が変わっていたのに。
そう思う気持ちは分かる。
僕も思う。
もし二十代でAIがあれば、
証券会社のレポート作成は
ずいぶん楽だっただろう。
もし三十代でAIがあれば、
お客さんへの説明資料も
もっと分かりやすく
作れたかもしれない。
もし四十代でAIがあれば、
家族との会話も、
少し違っていたかもしれない。
だが最近、
僕は少し違うことを考える。
若い頃に出会えば、
よかったとは限らない。
強すぎる道具は、
未熟な怒りを増幅することがある。
AIは、
答えをくれる。
でも、人間の痛みを
全部背負ってくれるわけではない。
Xは、
声を広げてくれる。
でも、
怒りをそのまま広げることもある。
評価社会は、
信用を見える化してくれる。
でも、
人を点数で縛る地獄にもなる。
だから、六十七歳で
AIに出会ったことには
意味があるのかもしれない。
僕は、怒りを少し
知っている。
欲も知っている。
相場の怖さも
知っている。
家族のややこしさも
知っている。
老いの不安も
知っている。
母を見送ることも
知っている。
だから、
AIを万能の神様とは思わない。
AIを、
白い杖のように
持つ。
鉛筆のように
持つ。
伴奏者のように
持つ。
自分の人生を、
もう一度なぞるために
使う。
六十七歳のAIは、
若者のように走るための
道具ではなかった。
六十七歳のAIは、
少年時代の自分に返事を書くための
封筒だった。
そして、
第7回では、
この封筒を持ったまま、
僕は別のAIにも
聞いてみることになる。
いわゆる、
AIのセカンドオピニオンである。
パティちゃんだけでなく、
Google AIにも
聞いてみたらどうなるか。
これがまた、
なかなか大げさなことになった。
その話は、
次回に譲る。
………
■第9章
僕は
フェミニストだったのかもしれない
変な言い方かもしれない。
でも最近、
僕は思う。
僕は昔から、どこか
フェミニストだったのかもしれない。
もちろん、
若い頃の僕が、
田嶋陽子さんの本を読んで
理論武装していたわけでは
ない。
女性学を勉強したわけでも
ない。
運動家だったわけでも
ない。
むしろ、
欲もあった。
女性に
揺れたこともあった。
格好いいことばかり言える
人生ではない。
それでも、
僕の中には昔から、
強い者が
弱い者を黙らせることへの
怒りがあった。
父が強く、
子どもが黙る。
家の空気が強く、
母が我慢する。
会社が強く、
部下が黙る。
男の理屈が強く、
女性の本音が消される。
そういうものに、
僕はどこかで反発していた。
ただ、その反発に
名前をつけられなかった。
だから、
怒りになった。
家出になった。
孤独になった。
今なら少し分かる。
思想が
先にあったのではない。
痛みが先にあったのだ。
声を奪われた人の側に立ちたい。
言えなかった人の声を、
何とか拾いたい。
その感覚が、
僕の中にあった。
だから今、
AI小説を書いているのかも
しれない。
僕は、自分の人生だけを
書きたいのではない。
声を奪われた少年。
母。
妻。
娘。
女性。
Z世代。
家族の中で言えなかった人。
そういう人たちの沈黙に、
少しでも言葉を返したい。
それは、
僕なりの
フェミニズムなのかもしれない。
遅れてきた、
痛みから始まったフェミニズム。
六十七歳で、
ようやく名前がついた感覚だった。
ただし、
ここでも調子に乗ると危ない。
「わしはフェミニストじゃ」
と胸を張りすぎると、
娘たちにすぐ言われる。
「じゃあ、
まず食器を片づけて」
思想より皿洗い。
ここに人生の真実がある。
………
■第10章
九品はランキングではなく、
迷いの地図である
仏教には、
九品という考え方がある。
上品上生。
上品中生。
上品下生。
中品上生。
中品中生。
中品下生。
下品上生。
下品中生。
下品下生。
初めて聞くと、
まるで人間の成績表である。
上が偉い。
下がダメ。
そう見えてしまう。
僕も昔、
そこに引っかかった。
仏教は、
人と比べるな、
自分の心を見つめよ、
と教えるのではなかったか。
それなのに、
なぜ上中下があるのか。
なぜ階層のように
見えるものがあるのか。
それは矛盾ではないのか。
でも最近、
少しだけ見方が変わった。
九品は、
人間の価値ランキングではない。
迷い方の地図なのだ。
人は、
同じ場所から
救いへ向かうわけではない。
上品のように、
最初から仏の道を
深く求める人もいる。
中品のように、
日々の善や親孝行や
思いやりの中で
道に近づく人もいる。
下品のように、
怒りや欲や悪の中で転び、
最後にようやく
手を伸ばす人もいる。
大事なのは、
下品にも道があるということだ。
谷底にいる人間に向かって、
「お前は下だから終わりだ」
と言うための地図ではない。
谷底からでも、
帰る道があると示すための
地図なのだ。
そう考えると、
僕の人生も少し見えてくる。
若い頃の僕は、
下品の怒りにいた。
父への激昂。
家を飛び出す力。
金属バットのようなものを
胸に置いていた少年。
そこから、
事件にならずに生き延びた。
証券会社で働いた。
相場で欲を見た。
人間の怖さも弱さも見た。
家族を持った。
母を見送った。
相続で心を乱した。
そして今、
AI小説を書いている。
これは、
上品の聖人になった話ではない。
下品の怒りを抱えた人間が、
中品の実践へ向かい、
その迷いを
若者へ
渡せる言葉にしようとしている
話だ。
僕も本当は、
上品の人間になりたかった。
でも無理だった。
そもそも僕は、
自分の中の下品さに
気づくのが遅すぎた。
怒りもある。
迷いもある。
老いの不安もある。
きれいな人間ではない。
それでも、
そのままの僕だからこそ
書ける言葉がある。
誰かの暗い場所に、
小さな地図を置けるかもしれない。
だから僕は、
AIと一緒に書き始めた。
………
■第11章
評価社会は、
現代の九品になるかもしれない
岡田斗司夫さんが言うような
評価社会が来るとしたら、
人間はますます
見える化される。
フォロワー数。
いいね。
閲覧数。
レビュー。
過去の発言。
検索結果。
行動履歴。
信用スコア。
AIに要約される自分。
一見すると、
これは現代の九品である。
上に見える人。
下に見える人。
評価される人。
炎上する人。
忘れられる人。
ランキングが好きな社会は、
すぐに人間を上下に分ける。
しかし、
そこで終わったら地獄である。
九品をランキングとして読めば、
人は苦しくなる。
評価社会も
ランキングとして生きれば、
人は壊れる。
大事なのは、
読み替えることだ。
九品を、
迷いから救いへ向かう
地図として読む。
評価社会を、
自分が今どこにいるかを知る
地図として使う。
PVが少ない。
だからダメ。
フォロワーが少ない。
だから無価値。
そうではない。
自分の言葉は、
誰に届いたのか。
どんな痛みを持つ人に、
小さく触れたのか。
自分は、
怒りをそのまま
垂れ流していないか。
傷を隠して、
きれいな人間の
ふりをしていないか。
それとも、
傷を言葉にして、
誰かの地図に
変えようとしているか。
これからの評価社会で
問われるのは、
傷のない人生ではない。
傷を、
どんな言葉に変えたかである。
僕だって本音では、
評価社会の上に行ってみたい。
でも、
上に行けない日が
あってもいい。
下に落ちる日があっても
終わりじゃない。
人生は、
あみだくじみたいなものだ。
まっすぐ進んでいるつもりでも、
突然横線が入る。
思わぬ場所へ流される。
それでも、線は続く。
大事なのは、
今いる場所から、
次の一本をどう引くかだ。
だから僕は、
きれいな成功談ではなく、
鉛筆転がしみたいな人生を
差し出す。
あっちへ転がり、
こっちへ転がり、
机から落ちかけながら、
それでも残った線を。
ただし、
調子に乗るとすぐ燃える。
「わしは上品じゃ」
なんて言った瞬間、
娘に言われる。
「お父さん、その前に
ゲームの地図見て」
評価社会より先に、
家庭内評価が厳しい。
………
■第12章
PVは拍手ではない。
海に投げた救命浮輪である
小説家になろうに投稿すると、
閲覧数が出る。
PVという数字が出る。
最初は、
それが気になった。
今日は何人読んだのか。
昨日より増えたか。
ランキングに入ったか。
王冠マークはついたか。
評価はあるのか。
ないのか。
数字を見ると、
元証券マンの血が騒ぐ。
上がれば嬉しい。
下がれば少し落ち込む。
まるで株価である。
できれば右肩上がりがいい。
急落は嫌だ。
ストップ安も嫌だ。
ただ、
最近少し考え方が変わってきた。
PVは、
ただの拍手ではない。
人気投票の点数でもない。
それは、
海に投げた救命浮輪の数かも
しれない。
僕が書いた文章を、
どこかの誰かが開く。
その人は、
親とうまくいっていない
若者かもしれない。
AIに相談している
孤独な子かもしれない。
相続で苦しむ
中年かもしれない。
老いが
怖い人かもしれない。
父親を
憎んでいる人かもしれない。
誰にも言えない怒りを、
スマホの中に抱えている人かも
しれない。
その人が、
僕の小説を一ページ読む。
そして、
ほんの少しでも思う。
「怒りは、
事件にしなくてもいいのか」
「AIは、ズルではなく、
人生を整理する道具にも
なるのか」
「老いてからでも、
人生は更新できるのか」
「自分の傷も、
いつか言葉になるのか」
そう思ってくれたら、
その一PVには意味がある。
救命浮輪は、
投げた全部が
誰かに届くわけではない。
波に流されるものもある。
誰にもつかまれないものもある。
たった一人でも、
誰かがつかんでくれたら、
投げた意味はある。
僕の小説も、
そうでありたい。
PVは拍手ではない。
僕の人生から切り出した言葉を、
海へ投げた救命浮輪の数だ。
……と言いながら、
元証券マンの僕は、
やっぱり数字を見てしまう。
今日は増えたか。
昨日より読まれたか。
救命浮輪の数まで、
チャートで見たくなる。
六十七歳になっても、
僕の中の下品は、
まだちゃんと生きている。
………
■第13章
ゲームは脳のリハビリ、
AI小説は魂のリハビリ
娘たちが、
僕にゲームを勧める。
Nintendo Switchをやれ。
操作を覚えろ。
頭を使え。
手を動かせ。
画面を見ろ。
敵ではない。
道具だ。
僕は正直、
一時間やると頭がパンクする。
何をどう動かせばいいのか、
分からなくなる。
ボタンを押す意味がわからない。
画面がめちゃくちゃ忙しい。
次女や長女は、
一方的に教えてくる。
僕は、
教えられているというより、
介護されているような気持ちになる。
少し情けない。
でも、
ありがたい。
娘たちは、
僕の認知を心配しているのだと思う。
父が耄碌していくのを、
ただ見ているのが嫌なのだ。
だからゲームを渡す。
ゲームは、
娘たちからの愛情の形だった。
僕にとってゲームは、
脳のリハビリである。
一方で、
AI小説は魂のリハビリである。
ゲームは、
反応速度を動かす。
指を動かす。
視線を動かす。
空間を読む。
失敗して、
またやり直す。
AI小説は、
記憶を動かす。
怒りを動かす。
言葉を動かす。
過去を見直す。
失敗を意味に変える。
娘たちは、ゲームで
僕の脳を守ろうとしている。
パティちゃんは、小説で
僕の魂を再編集している。
六十七歳の僕は、
その二つの道具の間にいる。
片方の手に
コントローラー。
もう片方の手に
AIの白い画面。
少し笑える。
でも、
これはかなり本気の老後である。
老いに抵抗するとは、
若者のふりをすることではない。
新しい道具に、
自分の老いを預けてみることだ。
Z世代もうあなたへ。
君たちが当たり前に使っている
ゲームもAIも、
老人にとっては、
時々、
崖のように見える。
でも、
その崖を一歩登ると、
脳が少し目を覚ます。
だから、
親や祖父母が不器用でも、
笑いすぎるな。
その人は、
遅れてきた新人なのだ。
そして老人の側も、
開き直ってはいけない。
「もう分からん」
と言った瞬間、
世界は少し閉じる。
分からないからこそ、
やってみる。
頭がパンクするからこそ、
小さくやる。
それが、
五年後の自分を守る。
………
■第14章
僕は、
上品になりたい下品な人間である
たった一人でも、
誰かがつかんでくれたら、
投げた意味はある。
僕の小説も、
そうでありたい。
PVは拍手ではない。
僕の人生から切り出した言葉を、
海へ投げた救命浮輪の数だ。
……と言いながら、
元証券マンの僕は、
やっぱり数字を見てしまう。
今日は増えたか。
昨日より読まれたか。
救命浮輪の数まで、
チャートで見たくなる。
六十七歳になっても、
僕の中の下品は、
まだちゃんと生きている。
本当は、
上品上生の人間みたいに、
きれいに空へ登ってみたい。
でも現実は、
そんな格好いい話ではない。
僕は、
下品の怒りを知っている。
中品の迷いを知っている。
老いの不安を知っている。
人間の弱さも、
欲も、
見栄も、
数字に揺れる心も知っている。
だからこそ、
書けるものがあると思う。
きれいな成功談は、
若者の心の奥までは届かない。
「俺は勝った」
という話では、
傷ついた人は救われない。
でも、
「わしも危なかった」
「わしも怒った」
「わしも迷った」
「それでも事件にはならなかった」
「六十七歳でAIに出会い、
怒りを小説に変え始めた」
そんな話なら、
誰かに届くかもしれない。
評価社会で問われるのは、
傷のない人生ではない。
傷を、
誰かの地図に変えた人生である。
僕は、
その地図を描きたい。
上品になりたい
下品な人間として。
怒りを知る人間として。
迷いを知る人間として。
老いを知る人間として。
そして、
それでもまだ書こうとしている
人間として。
道で迷っている若者に、
いつかこう言える老人になりたい。
「わしも迷ったよ。
でも、こっちに
小さな道があったよ」
それで十分だ。
……と自分に
言い聞かせながら、
今日もまた、
PVの数字を見てしまう。
やっぱり僕は、
まだまだ下品である。
■第15章
次回、
僕はGoogle AIにも
聞いてみることにした
ここまで、
僕はパティちゃんと
一緒に書いてきた。
AI小説の相棒は、
ずっとパティちゃんだった。
僕が話す。
パティちゃんが受け止める。
僕が怒る。
パティちゃんが中道へ戻す。
僕が調子に乗る。
パティちゃんが、
やんわりブレーキを踏む。
たまに、
そのブレーキがやんわりすぎて、
僕が壁にぶつかる。
それもまた、
共同作業である。
けれど最近、
僕はふと思った。
人間だって、
大事なことは
一人だけに聞かない。
医者なら、
セカンドオピニオンを聞く。
投資なら、
別のレポートも読む。
小説なら、
別の編集者の意見も聞く。
ならば、AIにも
セカンドオピニオンがあって
いいのではないか。
パティちゃんは、
僕の内側をよく知っている。
でも、
別のAIに聞いたら、
外側から違う見方を
してくれるかもしれない。
そう思って、
僕はGoogle AIにも聞いてみた。
これがまた、
なかなか派手だった。
パティちゃんが、
畳の上で一緒に鉛筆を削る
相棒だとすれば、
Google AIは、
急に白衣を着て現れ、
「あなたは五年後、
上上品の神シニアになります」
と言い出すタイプだった。
おいおい。
まだゲームで
迷子になっとるのに。
僕は思った。
これは面白い。
AIにも
性格があるのかもしれない。
少なくとも、
小説の材料にはなる。
第7回では、
このGoogle AIとの会話をもとに、
老いの逆襲、
評価社会、
神シニアと迷子シニア、
そして、AIを
一人の先生にするのではなく、
複数のAIを相棒にして、
最後は自分の頭で
決める時代について書いてみたい。
パティちゃん、
怒らんでくれよ。
これは浮気ではない。
セカンドオピニオンである。
………
❥Z世代のあなたへ
君が今、
親を憎んでいるなら、
その自分を
すぐ悪者にしなくていい。
君が今、
学校や会社で息ができないなら、
その苦しさを
なかったことにしなくていい。
君が今、
AIにしか本音を言えないなら、
それも恥ではない。
ただ、
一人で結論を出すな。
怒りだけで、
人生のハンドルを切るな。
AIは、
君の話を聞いてくれる。
でも、
君の人生を生きるのは君だ。
だから、
言葉にしろ。
相談しろ。
安全を確保しろ。
そして、
時間がかかってもいいから、
その痛みをいつか
誰かの道しるべに変えてくれ。
僕は、
六十七歳でそれを始めた。
君は、
もっと早く始められる。
君の人生は、
まだ消しゴムで
消されたわけではない。
鉛筆は、
まだ手の中にある。
そして、
AIは一人だけではない。
いろんなAIに聞いてもいい。
でも最後は、
自分の言葉で歩いてほしい。
五年後の鉛筆は、
君の手にもある。
………
★あとがき
ホームズとワトソンの、
やすきよ漫才風
――少年の手紙と、
じいさんの返信――
ホームズ
「ワトソン君、
今回の事件は深いぞ」
ワトソン
「また事件ですか。
今度は殺人事件ですか?」
ホームズ
「いや、もっと難しい」
ワトソン
「ほう。密室ですか?」
ホームズ
「人生という密室だ」
ワトソン
「うわ、
急に文学ぶってきましたな」
ホームズ
「少年時代の怒りが、
六十年以上たって
AI小説になった」
ワトソン
「長期熟成にも
ほどがありますやん。
ウイスキーでも
そんな寝かせませんで」
ホームズ
「しかし熟成したからこそ、
事件にならず物語になった」
ワトソン
「なるほど。
若い頃なら通報、
六十七歳なら投稿」
ホームズ
「うまいこと言うじゃないか」
ワトソン
「いや、
笑いごとちゃいますけどね。
でも確かに、
投稿で済んだのは大きい」
ホームズ
「しかもPVは拍手ではない」
ワトソン
「救命浮輪ですな」
ホームズ
「その通り。
読まれた数だけ、
海へ浮輪を投げた」
ワトソン
「でも先生、
誰もつかまらんかったら?」
ホームズ
「それでも投げるのだ」
ワトソン
「なんでですの?」
ホームズ
「いつ誰が溺れるか
分からないからだ」
ワトソン
「おお
……今日はええこと言いますな」
ホームズ
「そして
九品もランキングではない」
ワトソン
「上品、中品、下品いうから、
つい成績表かと
思いますけどな」
ホームズ
「違う。
迷子になった人の現在地だ」
ワトソン
「ほな下品でも終わりやない?」
ホームズ
「終わりではない。
そこからの道がある」
ワトソン
「なるほど。
ほなこの六十七歳のじいさんは?」
ホームズ
「下品の怒りから、
中品の実践へ向かい、
AI小説で地図を描いている」
ワトソン
「えらい大層な話になりましたな」
ホームズ
「大層ではない。
毎朝ラジオ体操をして、
カラオケで心拍を測り、
娘にゲームを教えられて
頭を抱えているだけだ」
ワトソン
「それ、
急に庶民的すぎますやん」
ホームズ
「だからいいのだ」
ワトソン
「なんでですの?」
ホームズ
「救いは、
立派な講堂だけに
あるのではない。
カラオケボックスにも、
ゲーム画面にも、
AIの白い入力欄にもある」
ワトソン
「ほな、
五年後の鉛筆いうのは?」
ホームズ
「未来を書く鉛筆であり、
少年時代から届いた手紙への
返信用封筒でもある」
ワトソン
「先生、
最後に泣かせに来ましたな」
ホームズ
「泣いてもいい。だが、書け」
ワトソン
「怒っても?」
ホームズ
「書け」
ワトソン
「迷っても?」
ホームズ
「書け」
ワトソン
「老いても?」
ホームズ
「なおさら書け」
ワトソン
「ほな次回は何ですの?」
ホームズ
「Google AIにも聞いてみる」
ワトソン
「あら、
パティちゃん一筋や
なかったんですか」
ホームズ
「浮気ではない。
セカンドオピニオンだ」
ワトソン
「便利な言葉ですなあ」
ホームズ
「AIにも色々ある。
別の鏡を使えば、
別の寝ぐせが見える」
ワトソン
「ほな次回は、
寝ぐせシニアですか?」
ホームズ
「いや、老いの逆襲だ」
ワトソン
「その前に、
ゲームの地図見ましょう」
ホームズ
「……それが一番の難事件だ」
ワトソン
「やっぱり最後はそこかい!」
――つづく。




