第七十話 試験は、教室の外で始まる
70話です。
五騎の馬が村へ入ってくる音は、不思議なくらい静かだった。
誰も怒鳴らない。
誰も剣を抜かない。
それなのに、畑にいた全員が鍬を置き、子どもたちは母親の後ろへ隠れ、昨日まで笑い声の絶えなかった村が、一瞬で息を潜める。
先頭の白い法衣の男は馬から降りると、土を払うこともせず畑を見渡した。
昨日まで空いていた場所に、今日は見知らぬ顔が何十人も立っている。
その光景だけで十分だった。
「噂以上ですね」
男は穏やかに笑った。
「ずいぶん繁盛している」
ロウは一歩前へ出る。
「何の用です」
男は答えず、板を見る。
裏返された板。
何も書かれていない黒い面。
「隠しましたか」
「隠すものはありません」
「では、表にしてください」
村の空気が張り詰める。
ロウは動かない。
男は少しだけ笑みを深くした。
「表にできない教えは、教えとは呼びません」
その言葉に、老人が拳を握る。
若い男が前へ出ようとする。
セラが腕を掴んだ。
「今じゃない」
小さく囁く。
男はその様子まで見逃さなかった。
「秩序がありますね」
「誰が作ったのです」
「村です」
ロウが答える。
「皆で」
「皆で?」
男は首を傾げる。
「面白い」
ゆっくりと歩き始める。
畑を見て、水路を見て、倉を見て、逃がす場所を見つける。
そこで足が止まった。
「ここは何です」
誰も答えない。
男は木の切り株へ腰を下ろした。
「仕事をしない場所ですか」
ロウは頷いた。
「休む場所です」
「生産しない?」
「はい」
男は笑った。
「税を払えない村が、仕事をしない場所を作る」
後ろにいた役人まで笑い始める。
「贅沢ですね」
「余裕がありますね」
村人の表情が曇る。
だが、ロウだけは変わらなかった。
「余裕ではありません」
「必要です」
男は静かに立ち上がる。
「証明できますか」
「できます」
「では証明してください」
男は振り返ると、役人へ手を差し出した。
役人は一枚の羊皮紙を取り出す。
「本日付で通達する」
乾いた声が畑に響く。
「本年分の税は予定通り徴収する」
「加えて」
一枚、紙をめくる。
「教育によって得た収入がある場合、その一部も課税対象とする」
ざわめきが走る。
老人の顔色が変わる。
「そんな話は聞いてない!」
役人は肩をすくめた。
「今、決まりました」
「人を集めれば税」
「教えれば税」
「金を受け取れば税」
「当然でしょう」
村の誰かが叫ぶ。
「そんなの、何も残らないじゃないか!」
役人は淡々と答える。
「残りますよ」
「借金が」
笑い声が上がる。
その笑いは、畑の土より冷たかった。
その時だった。
今まで黙っていた少年が、一歩前へ出た。
「違う」
誰もが少年を見る。
教会の男も、役人も。
少年は震えていた。
それでも下がらない。
「昨日」
「俺は三枚払った」
「授業を受けた」
白い法衣の男が微笑む。
「そうですね」
「だから何です」
少年は唇を噛む。
「俺が買ったのは」
深く息を吸う。
「先生じゃない」
村人の目が見開く。
「考え方だ」
風が吹いた。
畑の麦が揺れる。
少年は続ける。
「それにも税をかけるのか」
静寂。
役人は答えられない。
白い法衣の男も、初めて笑みを消した。
ロウはその横顔を見て、静かに板を表へ返した。
大きく、一行だけ書く。
知識は、誰の物か。
誰も喋らない。
教会の男が板を見る。
村人が板を見る。
隣村から来た人々も板を見る。
ロウは白墨を置いた。
「授業です」
その一言で、畑は教室になった。
敵も味方も関係ない。
子どもも老人も関係ない。
教会も役人も関係ない。
今、この場にいる全員が、生徒だった。
白い法衣の男は板から目を離さず、小さく呟く。
「……なるほど」
その声には、初めて警戒が混じっていた。
「これが、あなたですか」
ロウは首を横に振る。
「違います」
そして、村中へ聞こえる声で言った。
「これは、先生です。」
その瞬間、風が板を叩いた。
白い粉が舞い上がり、黒い板に書かれた問いだけが、誰の目にも焼き付く。
知識は、誰の物か。
誤字脱字はお許しください。




