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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革農村編〜』  作者: くろめがね


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第六十七話 水の授業

67話です。


朝の空気はまだ冷たく、畑の土は夜の湿りをわずかに残していたが、村の人間は誰一人として普段のように黙々と鍬を振るう気にはなれず、昨日現れた少年の存在が、まるで小さな石を水面に落とした時の波紋のように、村全体の空気を静かに揺らしていた。


少年は畑の端に立っていた。


まだ子供だ。


だが、ただの子供ではない。


痩せているが背筋が妙にまっすぐで、足元の泥も気にせず、村の人間を一人ずつ観察するように視線を動かしているその様子は、どこか年齢に似合わない落ち着きを持っていた。


ロウは、そんな少年をしばらく黙って見ていた。


やがて、土の上に板を立てた。


村の人間が自然に集まる。


逃がす場所でもなく、集会でもなく、ただの畑の真ん中で、板が立てられると、人は勝手に円を作るようになっていた。


それが、先生の授業のやり方だったからだ。


ロウは板に、ゆっくりと字を書いた。



それだけだった。


少年が首を傾げる。


「……それだけ?」


ロウは頷いた。


「最初は、いつもそれだけだった」


畑の端を流れている水路を指さす。


水は静かに流れている。


だが昨日まで、この水は止まりかけていた。


少年は言った。


「うちの村、水門が壊れた」


「知ってる」


ロウはあっさり言う。


「だいたいの村は壊れる」


少年の眉が少し動く。


「……だいたい?」


「作りが雑だからな」


誰かが笑う。


ロウは続けた。


「でも、水門が壊れて困るのは、水門がないからじゃない」


少年が黙る。


ロウは板に書く。


水は止まらない


そして、その下に書いた。


人が止める


少年が言う。


「……意味が分からない」


ロウは土を掘る。


指で小さな溝を作り、そこに水路から水を引いた。


細い水が流れ込む。


「見ろ」


水は溝を進む。


そして、途中で止まる。


土が少し崩れただけだ。


少年の目が動く。


ロウは言う。


「水は強くない」


畑を見る。


「強いのは高さだ」


板に書く。


高さ → 水


少年がじっと見る。


「……計算?」


「そう」


ロウは地面に線を書く。


水路

水門


三つの位置。


「お前の村、水門どこ?」


少年が地面に指で書く。


「ここ」


ロウは少しだけ笑った。


「高すぎる」


ざわめき。


少年が顔を上げる。


「……え?」


「だから壊れた」


ロウは言う。


「水を止めてるんじゃない」


「水を溜めてる」


板に書く。


溜める → 壊れる


少年の呼吸が少し速くなる。


ロウは続けた。


「先生は言った」


少しだけ、声が変わる。


「水は止めるな、曲げろ」


土を削る。


溝を少し横にずらす。


すると水は、ゆっくりと別の方向へ流れる。


「……あ」


少年が小さく声を出す。


水は止まらない。


ただ、方向を変えただけだ。


ロウは言う。


「これが水の授業」


沈黙。


畑の全員が、水を見ている。


少年が言った。


「……それだけ?」


ロウは頷く。


「それだけ」


そして、少しだけ笑う。


「でも先生は」


「この授業を三日やった」


村の人間が笑う。


少年は真顔だ。


「……三日?」


ロウは言う。


「一日目は、水」


「二日目は、土」


「三日目は」


少し間を置く。


「人だ」


少年の目が揺れる。


「……人?」


ロウは板の横に、新しい字を書く。


水より難しい


村の人間がまた笑う。


だが少年は笑わない。


むしろ、真剣になっていた。


ロウは言う。


「授業料は三枚だったな」


銅貨を見る。


「今日は一枚分」


少年が言う。


「……残り二枚は?」


ロウは水路を見る。


遠くの畑。


崩れた水門。


そして、静かに言った。


「次の授業」


「お前がやる」


少年の顔が固まる。


村がざわめく。


ロウは板を叩いた。


「授業終わり」


誰も動かない。


少年だけが、水の溝を見ていた。


ずっと。



遠くで、鐘が鳴った。


教会の鐘だ。


その音が、風に乗って畑まで届く。


少年が、ゆっくり言った。


「……先生って」


ロウは答えない。


ただ、水を見る。


水は曲がりながら流れていた。


止まらずに。


誤字脱字はお許しください。

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