96 安心してくださいませ
いつも通りの生活をした。
パンはキッチンに収めた。
窯の温度の話はウィンリーに教えてもらって、明日、ハルムが焼いてくれる。
アセリアは、食事をした。
身体を洗い、服を着替えた。
白い粉も何処へやら、綺麗な髪に戻った。
ベッドに座ると、テーブルで明日の予定と睨めっこをしているハルムが見えた。
着ている服は一般市民の服だけれど。
見ているものは牛耕の進行表だけれど。
きっと、執事でいた頃も、こうやってわたくしが見ていない場所で、書類と睨めっこしてましたのね。
ランプの灯りがチラチラ動く。
少しだけ、その横顔に見惚れる。
昼のことを思い出す。
ハルムが、バルドに嫉妬したんじゃないかという話だ。
嫉妬、というと、男女のあれやこれや……。
夜会の女性同士の会話で、そんな話も聞くことがある
他人の噂話。
好きだの、嫌いだの。
まさか、ハルムが、わたくしを……。
そう思い、横顔を見ると、なんだかいつもと違うように見えて、慌てて目を逸らした。
お、思い込みはいけませんわ。
では、執事として?
隣にいる役を、蔑ろにされるんじゃないかと思って?
そんなこと、ありえませんわ。
だってわたくしたち、8年も隣に居ましたのよ?
一緒に仕事、してきたじゃありませんの。
この信頼は、壊れるものではありませんわよね。
執事が出来るのも、ハルムだけですわ。
けど。
もし、本当にハルムが、わたくしが他の人を頼るなど思ってしまったのだとしたら?
ハルムがキュッと目をつむり、腕を上げて伸びをする。
ふいっとこちらを振り向いたものだから、唐突に目が合った。
「どうかしましたか?」
ハルムが、立ち上がりこちらに近付いて来た。
もし、本当にハルムが、そんな心配をしているのだとしたら。
アセリアは、すっくと立ち上がり、ハルムの前に立つ。
踏み出せば触れられそうな距離。
じっと、ハルムの顔を見た。
困った顔。
けど、どこか優しくて、柔らかい。
一歩近付く。
ハルムの表情には、戸惑いの色が混じった。
「お嬢様?」
「わたくしはね、ハルム」
しっかりとハルムの顔を見上げた。
「はい」
アセリアの視線を真剣に受け止めたのがわかる。
「わたくしは、どこにも行きませんわよ」
「え……」
その瞬間、ハルムが焦りを見せた。
昼間のことを思い出したのは明白だった。
手を伸ばし、その頬に触れる。
少しひんやりとした頬に触れても、ハルムは戸惑うばかりで、逃げるような真似はしなかった。
「私は、ハルムのそばからいなくなりませんから。心配しないでくださいませ」
ハルムはもがくように、口をパクパクとさせると、観念したのかやっとのことで、
「はい……」
と一言だけ声に出した。
「いいですわ」
そう言って、アセリアはベッドへと戻った。
ハルムの頬に触れた手に、チラリと視線をやる。
なんの変哲もないいつもの手だと確認してから、アセリアはベッドへと潜り込んだ。
違和感を感じた以上、いつもの手ではないのでは……?




