75 諦めきれませんでしたの(1)
アセリアがドレスを抱えて村長の家へ行くまで、それほど日にちはかからなかった。
「これを売って、橋を直そうと思いますわ」
村長の家で仕事をしていた村長、ファエン、それにハルムまでもが、その言葉とそのドレスに驚きを示した。
「お嬢様!それは……!」
アセリアの手からこぼれるキラキラと輝く刺繍や小さなダイヤモンド。
それは、昔、アセリアが王宮に居た証だった。
今まで生きていた事実が、確かにあったという証明だった。
例え、親に捨てられても。もうあの世界に戻れなくとも。
ハルムが、そばへ寄ってくる。
「大切なものでしょう?」
ハルムが珍しく泣きそうな顔をしていた。
そのままドレスごと抱えるような手に、一瞬、抱きしめられるのかと思った。
「……っ!」
緊張でこわばったアセリアの手のドレスを、ハルムが支えるように手に取る。
視界がいっぱいになるほどの、キラキラとしたドレス。
王宮のシャンデリアの下、クルクルと回っていた日々を思い出す。
「大切なものでしたわ」
アセリアはハルムを見あげた。
その瞳に、もう迷いなどない。
「大切なものでしたけれど、もうわたくしには、必要ありませんの」
もう、あの日々に戻れるわけではない。
決めたのだ。ここで生きることを。
それだって、決して諦めだけで決めたことではなかった。
ここに来て得られたものは、どれも大切なものだ。
これは、村への恩返しでも、自己犠牲の心でもない。
ただ、必要なものを手に入れるのに、必要のないものを交換するのが手っ取り早かっただけ。
テーブルの上に置かれたのは、やわらかなドレス、長い絹の手袋、それに、キラキラと輝く靴、煌めくアクセサリー。
ハルムが、切ない顔でそれを見送った。
「これを売るとしたら、いくらになりますの?」
ここまでを静かに見守っていたファエンが、目を細める。
「これはこれは」
触れないよう一瞬躊躇したあと、ファエンは恭しく手を伸ばす。
ドレスが持ち上げられると、窓から入る陽の光にキラキラと光る。
「なんて上等。かの奇才、チーセの作品ではないか?」
「ええ。わかりますのね。奇才だなんて、あの方も大きくなったものですわね」
「そりゃあね。元々腕を見込まれて12で王宮の針子に選ばれたような人間だ。凡人ではないさ」
「そのチーセが、すべての刺繍を施した一級品ですのよ」
王子の婚約者は、着るものも全て決められていた。
イメージと違うものを着るのは、禁止されていた。
それは、基本的に上級の貴族の娘なら似たようなものだった。
その上級の貴族たちに、娘に着せると上等な婚約者が出来るという腕前と言われたのが王都の奇才、チーセだった。
大きな蝶のモチーフや、散りばめられたダイヤモンド。その一見派手すぎるものになりそうなその装飾を、誰よりも上品に作って見せるのがチーセだった。
「これはあの噂の令嬢があの日に着ていた曰く付きのドレスだ。あまりいい値にはならない要素を持ちながらも、これには普通のドレスの数倍の価値がある」
「そうですの」
アセリアは、試すような口調でそのいつものそっけない返事をした。
「イヤリングも靴もいらない。このドレスだけで十分だ」
アセリアが目を細めた。
とうとうアセリアがこれを売ると言ってしまいました。ちょっとさみしいことですが……。




