53 その香りが、鼻をくすぐるんですもの
アセリアは、ふっと目を開けた。
まだ、窓の外は暗い。
いつもはぐっすり朝まで寝ているのだけれど、今日はそうはいかなかったみたいだ。
それというのも、ハルムからいつもと違う甘い匂いがしたせい。
きっと、話してくれたハチミツの匂い。
けれど、それがなんだか落ち着かなかった。
何時ですかしら。
つい、昔の感覚で時間のことを考えてしまう。
時計など、この小屋には存在しないのに。
焦点が合う。視界が晴れてくる。
「…………っ!」
アセリアは驚いて、ベッドの上へ跳ね起きた。
「ハルム……?」
ハルムが、扉の前に倒れている。
どうして……!
慌てて裸足のままベッドから立ち上がると、すかさず傍へ近付く。
さらさらとした髪の隙間に、閉じられた瞼がある。
床に手を突き、じっとその顔を見る。
どうしたっていうんですの!?倒れましたの!?
熱でもあるんじゃないかと手を差し出した瞬間、アセリアは何かに思い当たった。
横になっているけど、苦しそうには見えない。
顔を近付けると、スヤスヤと安定した息が聞こえた。
もしかして、これは……。
もしかして、眠っているんですの……?
キョトンとする。
そういえば、他の誰かが眠っているところなど、見たことはなかった。
生まれてこの方、一人で寝かされ、一人で起きてきたのだ。誰かの眠る姿を見たことなどない。
誰か、どころか、何かの動物であったとしても。
けど、そうですわよね。使用人だって人間ですもの。眠りますわよね。
けど、どうしてこんな所で……。
キョロキョロと辺りを見まわし、その理由がわかった。
そういえば、この小屋にはベッドが一つしかありませんわ……!
それなら、とハルムを動かそうか迷ったけれど、勝手に触るのはどうしても気が引けた。
それにきっと、アセリアの力では持ち上がらないだろう。
どうして……、どうして、寝る場所がないなんてこと、言いませんでしたの?
少し不満に思いながらも、その場に座り込んだ。
ハルムは起きそうにない。
窓から入ってくる夜の薄明かりの中、ハルムの姿がぼんやりと見えた。
このままベッドに入る気にもなれず、そのまま顔を床につけて寝転んでみる。
目の前に、ハルムの顔が見えた。
長いまつ毛。艶やかな頬。
……こんなに近くで誰かの顔を見たのは初めてですわ。
床は硬い。それに、だんだん暖かくなってきたとはいえ、ひんやりとしている。
綺麗にしているけれど、どうしても土のざらつきが頬に着いた。
こんな所で寝かせてしまっていたなんて……。
ここで一緒に眠りたいけれど、さすがに朝ここで寝ていたら怒られますわね。
……自分は床で眠っているくせに。
起き上がり、頭を撫でようと手を伸ばしかけ、そこでやめた。
一般市民であっても、きっと誰かに許可なく振れるのはマナー違反に違いない。
じっと顔を見ることで、その代わりにする。
ハルム。おやすみなさい。
心の中でそう言って、アセリアは静かにベッドへと潜った。
家族と眠った経験などなく、ましてやメイドたちが眠るかどうかなんて考えたこともないアセリアは、生粋の令嬢育ちです。




