52 君の髪から知らない香りが漂った
二人がまた小屋へ戻ったのは、昼を過ぎた頃だった。
小屋の前でアセリアと出くわし、声をかける。
「すみません、お嬢様。戻るのが遅くなってしまいまして」
「いいえ。わたくしも今戻りましたの」
その瞬間、ドキリとする。
たかだか牧場へ使いに出ただけなのに、遅過ぎやしないか?
何か厄介ごとに巻き込まれたんじゃ、なんて心配になる。
けれど俺は気づいてしまった。
アセリアが、いつもと違う匂いを纏っていることに。
目の前を通り過ぎるアセリアの髪から、スッキリとしたハーブの香りが漂う。
どこか、行ってたのか。
どこに。
……どこにだっていいはずだった。
そこまで管理し合うことはないはずだ。ここにこうしてなんでもない顔で居るんだから。
俺だって、小さな子供みたいに今日あったことを逐一アセリアに報告しようとは思わない。
それなのに。
この村に来てから、知らないことなんてなかった。
黙って食事を作る。
黙って食事を摂る。
そして1日の最後に、黙って、アセリアが身体を洗う水音を聞いた。
濡れた髪。
着ているシャツも、どこかしっとりしている。
身体を洗った後のアセリアを、俺は出来るだけ見ないようにする。
いつものことだ。
すっかり暗くなった村はあまり物音を立てない。
静かな部屋の中。
……まだ消えてない、か。
鼻を掠める知らない匂い。
心の中がざわついた。
ランプの灯りを弱める。
明るい炎がチラチラと揺れる。
「今日は、どこへ行ってたんです?」
何言ってるんだ、俺は。
その声は、なんでもない執事の声に聞こえたはずだ。
ただ、生活を問うだけの質問に聞こえたはずだ。
「今日は、偶然薬師に会いましたの」
なんて明るく話すアセリアの声が、視界の外で聞こえた。
薬師。
そういえば、広場に面した所に薬師の家がある。
けれど、薬師に挨拶したくらいで、匂いが移るものだろうか。
家の中に入った……?
何かの病気……?確かに、見知らぬ土地へ来て、アセリアは元気そうにしているが、きっと身体は疲れていることだろう。
それとも……、ただ単に、家に招かれただけ……?
「どんな方でした?」
そう。
俺はまだ会ったことがないのだから、疑問に思って当然だ。主人が出会った人物なのだから。
思わず、俺はアセリアの表情を窺った。
一瞬、アセリアが微笑み、胸の奥がチリリとひりつく。
「小柄ですけれど、頼れるお婆さまでしたわ」
なんだ。
「何か、言われたのですか?」
「いいえ。身体にいいお茶をいただきましたわ」
そして、アセリアが身を乗り出すようにハルムの方へ向き直った。
なんだよ、それ。
「ハルム!」
なんだよ。
「わたくし、薬師に聞きましたの!ハーブは乾燥させて使うことが出来るらしいのですわ!」
「乾燥……。ああ……」
ああ、そうか。
ハーブのことを聞いてきたのか。
なんだ。
「確かに、薬草は乾燥させて使うのでしたっけ」
「それだけじゃありませんの!料理に使うものも、乾燥させて使えるらしいですわ。それに香袋に入れても素敵なものが作れますのよ!」
「そう、なんですね」
なんだろう。嬉しそうなアセリアの表情に、なんだかホッとする。
「私も、今日は蜂の巣箱を作っている少年たちに話を聞きましたよ」
「ハチ、ですの……?」
訝しげな瞳。
なんだか表情がくるくると変わるその瞳を見るのが、嬉しかった。
ここに来る前から、こんな子だっただろうか。よく覚えていないのが少し残念だ。
その日はよく喋った。
クローバーの話をすれば、「うんうん」と頷くアセリアが目の前に居た。
「これなら豆を買う収益が出るかもしれませんわね!」
これを楽しいと思う自分を、俺は認めざるを得なかった。
ハルムくんは執事としての心配だと言い張っておりますね。




