12 髪を梳かすのがこんなに大変だとは知りませんでしたわ!
「馬用だったらどういたしますの?」
というのは、ハルムが小屋中漁って、やっと見つけてきた木製の櫛らしきものに対するわたくしの言葉だ。
「馬なら、むしろ髪がツルツルになっていいんじゃありませんか」
なんて、ハルムはいつもの顔で言う。
ここに来てからというもの、ハルムはちょっと生意気になったんじゃありませんかしら。
以前より、動いてもらっているのはわたくしも理解しているけれど。
それにしたって。
「では、渡してちょうだいな」
と、櫛を手に取ったまではよかったものの。
前髪を梳かし、はたと固まる。
「後ろの髪はどう梳かしたらいいんですの?」
あたまの後ろは届く。
髪の先も届く。
では、その間は?
この小屋には、鏡があるわけでもない。
なんとかやってはみたものの。
「ど、どうですの」
「えーと……」
ハルムを絶句させる結果になってしまう。
「ではやってくださいませ」
櫛を渡すと、またハルムは赤くした顔で困惑した表情を見せる。
大げさなんじゃありませんの?
今回は胸に触れるようなことではありませんもの。
わたくし、悪いことは言っていないはず。
なんて気軽に思ったのが、愚かだったというしかない。
テーブルの椅子に座ったアセリアの金色の長い髪を、ハルムが手に取る。
その瞬間、ぞくりとした。
神経の全てが、背中に集中する。
な、ななななななんですの、これ。
ハルムの、メイド達よりずっとずっと力強い手が、アセリアの髪に指を入れる。
ひゃああああああああああ……!
確かに、アセリアは男性に触れられることなど初めてだ。
執事のハルムとも、勉強中隣に座ることはあっても、それ以上近付くことはなかった。
婚約者であった王子でさえも、指一本触れたことはない。
ただの髪ですのに……。こんなの想像と違う……!
泣きそうになりながらも、アセリアはなんとか髪を梳かし終わるまで耐え抜いた。
梳かし終えるとハルムは、
「終わりましたよ」
とだけ言って、キッチンへ引っ込んで行った。
「はふぅ……」
よかった。
こんな顔見られるわけにはいきませんでしたもの。
この熱が冷めるまで、戻って来ないように願おう。
ようやく落ち着いた頃、テーブルの上にはスープ鍋が置かれた。
小屋を探ったところ、木の器が二つあったので、それによそってスープとパンをいただく。スプーンはなかったのでそのままお皿を両手で抱え、口をつけた。
目の前では、静かにハルムがスープを飲んでいる。
ハルムが拭いてくれたテーブルと椅子に、温かな食事。
野菜がほどほど入っているスープは、思いの外美味しく、悪くない食事となった。
ハルムが視線をチラリとこちらに向けた。
「お嬢様は、私が目の前で食事をしていることに、何とも思わないのですか?」
「……何を思えばいいんですの?」
「使用人が一緒のテーブルで食事していることが、不満だとか」
聞きながら、アセリアはパンを一口、口に入れる。
「思いませんわね。メイドとお茶をすることもしばしばでしたし」
「そうなんですね」
キョト、とハルムの目が、小さな子供のような表情を浮かべた。
二人はまた黙って、食事を続けた。
アセリアはチラリとハルムの食事風景を確認すると、また自分のスープへと視線を戻した。
まだ馬の餌小屋かもしれないと思っているアセリアなのでした。




