第53話「体育祭に向けて(3)」
叔父は、本当に優しく生徒たちに接している。平民だからといって態度を変えることもない。
オーウェンが、隣で小さく呟いた。
「ベゼッセン先生、良い先生だな」
「......うん」
キオは曖昧に頷いた。オーウェンはキオの気持ちを察するように、真っ直ぐな目を向ける。
「キオ。君は......どう思うんだ?」
「僕は......。叔父さんが、元の......本当の昔の叔父さんに戻ってくれているなら......。それは、すごく嬉しいことだと思うんだ」
「そうか」
オーウェンは静かに頷いた。
「でも、まだ怖いんだろう?」
「......うん、ちょっとね」
「無理をしなくてもいい。時間をかければいいんだ」
オーウェンが優しく肩を叩く。
「僕たちはずっと、君の味方だからな」
「ありがとう、オーウェン」
その言葉に、キオの胸が少しだけ軽くなった。
「リンドール、ネビウス! お前たちの番だ!」
アイゼン先生の声に、二人は走り出した。オーウェンの光の精霊ソラリスと、シュバルツがそれぞれの主人の傍らに現れる。
「それでは、始め!」
合図と共に、二人は走り出した。オーウェンとソラリスの連携は完璧だった。オーウェンの機転にすぐさま反応するソラリス。二人は流れるような動きで次々と障害物を突破していく。
キオとシュバルツも息の合った動きを見せる。飛んでくる風船はシュバルツが羽で弾き飛ばし、キオも空間魔法で簡易な足場を作るなどして、障害物を軽々と越えていった。
「二人とも見事です!」
ベゼッセンの声が聞こえた。
「リンドール様もネビウス君も、共に精霊との息の合った連携が素晴らしい。すでに簡単な言葉や仕草だけで、互いの言いたいことが伝わっている......まるで長年連れ添った夫婦のようです!」
「「長年連れ添った......夫婦」」
自分と、傍らに浮かぶ精霊。その関係を「夫婦」と例えられた独特すぎる感性に、二人は顔を見合わせ、なんとも言えない複雑な苦笑いを浮かべるしかなかった。
そのことに気が付かない、ベゼッセンは本当に嬉しそうに微笑んでいた。
―――
授業が終わり、生徒たちが実技場を後にし始める。
「よし、今日はここまでだ! 次回も気を抜くなよ!」
アイゼン先生の締めの言葉に、生徒たちが元気よく返事をする。キオが荷物をまとめ、友人たちと合流しようとした時だった。
「ネビウス君。少し、よろしいでしょうか」
背後から、穏やかな声がかかった。振り返ると、夕暮れの光を背負ったベゼッセンが立っている。キオの身体がわずかに強張る。
カリナたちが心配そうにこちらを伺っていたが、キオは首を振って制した。
「ん"ん"っ!」と、ベゼッセンは咳払いをすると、纏う空気が「先生」から、「叔父」へと変わった。
「冬休みは楽しかったか? ......その......休み明けは忙しそうだったから声をかけるのが躊躇われてな」
優しく気遣うようなベゼッセンの声色に、キオは戸惑いを隠せなかったが、心を奮い立たせ、言葉を返した。
「あ、えっと......はい。楽しかったです。兄さん達とも久しぶりに会えたし......」
「そうか、よかった。......いや、唐突すぎたな。すまない」
ベゼッセンは安心した様子を見せたが、すぐさま少し申し訳なさそうに苦笑した。
「体育祭......応援しているぞ。お前の活躍を近くで見守らせてほしい。それと――」
ベゼッセンは少し声を落とした。
「お前の友人たちは、皆いい子たちばかりだ。真摯に魔法と向き合う姿勢は尊い。友情を大切にしなさい。それは何にも代えがたい宝物だからな」
「......!」
ベゼッセンのその言葉に、キオは目を見開いて驚いたが。
「......はいっ!」
キオは、今度は力強く頷いた。
ベゼッセンは満足そうに微笑むと、アイゼン先生の元へと歩いていった。キオはその背中をじっと見つめていた。
『キオ......わかってると思うが、すぐには......』
『うん、わかってるよ、シュバルツ』
キオは静かに胸に手を当てた。
『でも、あんなに優しくみんなを褒めてくれる人が、昔と同じなはずがない......そう思えたらなって』
授業が終わり、外には春の夕暮れが広がっていた。空は燃えるような茜色に染まり、校舎の窓が赤く輝いている。五人は並んで、寮へと続く道を歩いていた。
「ねえねえ、セドリック。体育祭が終わった後の打ち上げってどうする?」
「まだ始まってもいないのに!?」
友人たちの楽しそうな会話を聞きながら、キオは静かに歩いていた。胸の中には、まだ小さな不安が残っている。でも――友人たちがいる。シュバルツがいる。
夕陽が、五人の影を長く伸ばしている。叔父が本当に変わったのかは、まだ分からない。
でも、一人じゃない。ゆっくりと、一歩ずつ前に進んでいける。
その日の夜。教職員の休憩室。
「今日の授業、お疲れ様でした」
ベゼッセンが紅茶のカップを手に、穏やかに言う。
「ああ、お疲れ様だ! 生徒たちも頑張っておったな!」
アイゼンが豪快に笑う。
「そうですね。特にネビウスは......あなたの甥っ子は、恵まれているな!! リンネル、マージェン、モイヤー、リンドール......みんな仲間思いのいいヤツらだ」
「ええ......本当に」
ベゼッセンは静かに微笑んだ。その笑顔は、完璧だった。優しく、穏やかで、一点の曇りもない。理想的な教育者の笑顔。
だが。暖炉の炎がベゼッセンの顔に揺らめく影を落とした、その瞬間。
瞳の奥に――ほんの一瞬だけ、どろりと濁った光が明滅した。
「しっかりと......『仕上げて』いきましょう。彼らが、最高の輝きを放てるように」
「ああ、よろしくな!」
アイゼンの豪快な笑い声が響く中、窓の外では春の夜空に星々が静かに瞬いていた。
新しい季節の始まり。そして――静かに忍び寄る、暗い影の気配を、まだ誰も気づかぬまま。




