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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第四章「芽吹きの春と燃えるような夏」
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第52話「小さな違和感(3)」



「ルドルフ様......」


「こんな時間に、お一人で。どうされたのですか?」


 ルドルフの声には、夜風のような心配の色が滲んでいた。



「その......少し、今日の出来事を振り返りたくて。お祈りを」


「そうですか......僕も同じようなものです」


 ルドルフはセレネの隣に静かに膝をつき、同じように手を組んだ。



 しばしの沈黙。


 教会の高い天井から吊るされたシャンデリアの火が小さく揺れ、壁に映る二人の影がゆらゆらと踊る。静寂の中、二人だけの時間が重く流れていく。



「あの......ルドルフ様」


 セレネが、震える声を抑えるように、ためらいがちに口を開いた。


「はい、何でしょう。お聞きします」


「キオ様と共にいる平民の子たち。ルイさんや、セドリックさんは......本当に、キオ様と共に居てはイケナイ人たちなのでしょうか?」



 その言葉が落ちた瞬間、ルドルフの彫刻のような美しい表情が一瞬、鋭く険しくなった。


 整った眉がわずかに中央に寄り、金色の瞳には、夜の海のような深い、鋭い光が宿る。



 けれど、それは瞬きをするほどの短い間だった。



 ルドルフは深く、肺の奥まで冷たい空気を吸い込むと、いつもの完璧なまでに穏やかな表情に戻った。


「もちろんです、セレネ様。惑わされてはいけません」



 ルドルフの声は、暗闇を照らす灯火のように優しく、けれど断固としていた。


「僕たちは、キオ様がどれほど貴く、どのような崇高な宿命を背負ったお立場なのかを、この世で最もよく知っている存在です。だからこそ、僕たちには聖なる使命があります」


「使命......」


「そうです。キオ様を、汚れなき正しい場所へとお導きすること。そして、その輝きを守ること。それが、僕たち一族に課せられた、代々受け継ぐべき役割なのです」



 ルドルフは、セレネの冷たくなった手を、自分の温かな手でそっと包み込んだ。


「セレネ様......今日は少し、本を読みすぎてお疲れなのだと思います。温かいハーブティーでも飲んで、ゆっくり、休まれてください」


 その揺るぎない優しい言葉に、セレネは小さく、消え入りそうな声で頷いた。



 けれど、胸の奥に芽生えたあの小さな違和感は、冷たい教会の空気の中でも、消えることなく疼き続けていた。


 自室に戻ったセレネは、使い込まれたベッドの端に腰を下ろした。


 窓の外では、春の夜空に数多の星が瞬き始めている。月明かりが部屋の床に銀色の絨毯を敷き、カーテンが夜風に揺れてサラサラと音を立てている。



「テレシア様......」


 セレネが、独り言のように呼びかけると、枕元に淡いエメラルド色の光が溢れ出した。


 大地の精霊、テレシアが、優しい微笑みを浮かべて光の中から現れる。



「どうされましたか、セレネ様? 何か、胸がざわついているようですが」


 テレシアの声は、春の土壌のように優しく、すべてを包み込む温かさがあった。


「少しだけ......今まで信じていたことが、わからなくなりました」


 セレネは、ぽつりぽつりと、今日の出来事を話した。



 図書館での穏やかな時間。ルイの差し伸べた優しさ。セドリックの曇りのない純粋さ。そして、それを守るように微笑むキオの姿。最後に、ルドルフが告げた鋼のような言葉。



「ルドルフ様は、あれが正義だとおっしゃいました。でも、私の心は......」


「私は、こう思います」


 テレシアが、セレネの震える指先を、優しく温かい手でそっと撫でた。



「人の心は、この広大な大地のようです。美しい花が咲く場所もあれば、深い谷もあります。善と悪という二つの言葉だけでは、到底測りきれないものがあるのです」


「......」


「セレネ様は、今日あの場所で感じた『温かさ』を、どう思われますか?」



 テレシアの静かな問いかけに、セレネは窓の外の夜景を見つめたまま、答えに窮した。


「私は......まだ、言葉にする自信がありません」


「それでいいのです。土の中で種が芽吹くのを待つように」


 テレシアは、慈しむように微笑んだ。


「答えは、急いで掘り起こさなくてもいいのです。あなたの心の中で、ゆっくり、大切に育てていきましょう」


 その言葉に、セレネの肩の力がようやく抜け、深い吐息が漏れた。



「ありがとうございます、テレシア様。少し、心が軽くなりました」


「いつでも、あなたの傍で根を張っていますよ」


 テレシアは茶目っ気たっぷりにウインクし、そう言い残すと、蛍の光のように弾けて、消えていった。



 セレネは、開いたままの窓から夜空を仰いだ。


 漆黒のベールの向こうで、遠い銀河の星々が静かに瞬いている。


 今日、図書館の片隅で、古い本の匂いに包まれながら見たあの光景。



 ルイの柔らかな声、セドリックの弾ける笑顔、そしてキオの、ありのままの穏やかな眼差し。



 それは、本当に......正さなければならない「間違い」なのだろうか。


 夜風がカーテンを大きく揺らし、部屋に花の香りを運んでくる。


 答えは、まだ深い闇の中に隠れている。



 けれど、胸の奥に咲いた小さな違和感の花は、確かにセレネの心に新しい色を添え始めていた。



 それは、いつかこの学院を、そして彼女自身の運命を大きく変えていくことになる、静かなる最初の一歩だった。



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