第37話 教会の鈴狩り
『……カヤは、元気?』
その言葉を最後に気配は遠ざかっていき、猫は再び深い眠りについたようだった。
その後、わたしはふらつく体をリコに支えてもらいながら、なんとか宿まで帰った。
出窓で毛づくろいしていたノワの前まで来ると、すぐに先ほどの出来事を話す。ノワはしばらく黙って話を聞いていたけど、おばあちゃんの名前が出てきたところでピタッと毛づくろいを止めた。
「……お前は、カヤの名を教えてはおらぬ――そうだな?」
「うん。ひと言も」
「そうか」
それだけ言って、ノワはまた黙ってしまった。
「ねえ、ノワ。あの猫は、どうしておばあちゃんの名前を知ってたのかな? ノワは何か知ってる?」
「……娘よ。今日は水の中で息をする練習はせぬのか?」
「またはぐらかした……」
ノワは答えず、何事もなかったように毛づくろいを再開する。
耳が少し伏せられていて、絶対に答えないぞという強い意志を感じる……。
いい加減、なんでもいいから少しでも話してくれないかと、もう一度問い詰めようとしたところで、表の通りから大きな声が聞こえてきた。
「――教会よりお知らせいたします。鈴の音を耳にした者は、ただちに教会堂へお知らせください。いかなる鈴の音であっても、です。また、町の戸口に掛けられた鈴はすべて、本日より十日間、教会でお預かりいたします――」
教会の使いが、同じ知らせを繰り返しながら通りを進んでいく。
少し前にリコから聞いた話によると、このリーメの町では、鈴を家の戸口に掛けて雨の恵みを乞うという昔ながらの伝統があり、リコのおばあさんが持っていたという雨乞いの鈴もそのひとつなのだという。その鈴は、今もリコの家の戸口に掛けられていた。
「十日間……」
水抜きの三日間もすべて含めての日数だった。
わたしとリコは顔を見合わせ、そのまま外へ出た。
大通りでは、すでに鈴の回収が始まっていた。灰色の外套を着た修道士たちが二人一組で家々を回り、戸口から鈴を外している。回収した鈴は一つずつ布に包んで木箱へ入れ、代わりに教会の印が押された預かり証を家の人へ渡していた。
修道士たちは誰も怒鳴らず、無理やり奪うようなこともせず、ただ丁寧に頭を下げながら、家々を渡り歩いていく。
「なんだよ、あれ……」
リコが低い声で言った。
「ばあちゃんの、そのまたばあちゃんの代から、ずっと掛けてきたものなのに」
町の他の人たちからも、不満そうな声が聞こえてくる。それでも、教会の人たちを止めようとする者はいなかった。
鈴を外された家の女性が、不安そうに理由を尋ねる。
「どうして、鈴をお預けしなきゃいけないんですか?」
修道士は穏やかな声で答えた。
「湖の底にいるという災いの獣は、鈴の音に引き寄せられるとされています。皆さまの安全のためです。鈴は水抜きの儀が終わり次第、必ずお返しいたしますので、どうかご安心ください」
また一つ、鈴が音を立てることなく木箱へ収められていく。
そして程なくして、修道士の二人組がリコの家にもやってきて、鈴を回収していった。
リコが今にも怒りで飛び掛かりそうになっていたけど、おじいさん、ラギ、わたしが総出でなんとか抑え込み、事なきを得た。
修道士が離れていき、ようやく気分が落ち着いてきたところで、リコが言った。
「ねえ、ミオ……全部終わったらさ、あの鈴全部、絶対に返してもらわなきゃね」
「っ、うん! 全部返してもらおう――雨と、一緒に!」
わたしは、リコの目を見て力強くうなずいた。
◇◇◇
念のため教会の動向を把握しておこうということで、わたしはリコと一緒に町の様子を見て回ることになった。
宿から少し離れた通りを進み、水路を渡った先の細い路地に差し掛かったところで、わたしは思わず足を止めた。
見覚えのある若い修道士――ギドがいたからだ。
前に町中で会ったときは忙しそうに荷物を運んでいたけど、今日は鈴を回収する仕事を任されているらしい。
木箱の上にのぼり、古い家の戸口に掛かった鈴へ手を伸ばしている。その下では、家の主と思われるおばあさんが黙ってギドを見上げていた。
ふと、ギドの手が止まる。
しばらく迷ったあと、彼は鈴の内側にそっと布を詰めた。音が鳴らないようにしてから静かに取り外し、ほかの鈴よりも丁寧に布で包む。
そして木箱から下りると、おばあさんへ深く頭を下げた。
「少しのあいだお預かりするだけですので……必ず、お返しします」
小さな声だったけれど、わたしにもはっきり聞こえた……聞こえてしまった。
たぶん、ギド自身もこんな仕事はしたくないのだと、わかってしまった。
「ミオ、行こう」
リコに袖を引かれ、わたしはその場を離れた。
最後にもう一度後ろを振り返ると、ギドはまだおばあさんに頭を下げていた。
やっぱり、あの人は悪い人じゃないんだ。
それでも教会の命令に逆らうわけにはいかないから、仕方なく……。
そんな彼の心の内が想像できてしまって、胸の奥が苦しくなった。
◇◇◇
その日の夕方、舟屋から宿へ舟で戻る途中で、リコがぽつりと言った。
「ねえ、ミオ。教会が鈴を集めてるのって……やっぱり、雨の神さまを起こさないようにするため、だよね?」
「うん、そうだと思う」
町の人たちには、災いを呼ぶからだと説明していた。でも、本当にそうなら、教会はとっくの昔に鈴を回収していなきゃおかしいのに……実際には、わたしたちがこの町にやってきた今になって、急に慌てて集め始めたわけで。
「ノワはどう思う?」
フードの中で、ノワが小さく鼻を鳴らした。
「考えるまでもあるまい。奴らが真に恐れておるのは、吾輩たち猫の存在である」
「やっぱり?」
「奴らは、鈴の音によって眠っている猫が目を覚ますことを知っておるのだろうな」
わたしがノワの言葉を伝えると、リコは悔しそうに顔をくしゃりと歪めながら水路の先を見た。
「なんだよそれ……なんで教会は、そこまで雨の神さまに起きてほしくないんだよ」
その答えは誰にもわからず、わたしはすがりつくように、服の上から胸元の鈴にそっと触れた。
――町じゅうから、少しずつ鈴の音が消えていく。
この町では三百年ものあいだ、ずっと雨の神さまを――猫のことを思って鈴を鳴らしてきたのだ。その大切な鈴を、一時的とはいえみんなから取り上げるなんて……。
考えているうちに、自分が思っていた以上に怒っていることに気づいた。
雨の神さまを、起こしたい。
今までよりも、ずっと強くそう思うようになっていた。
◇◇◇
夜になって宿へ戻ると、宿の主人であるおじさんが階段の下で、少し困ったような顔でわたしたちを待っていた。
「……あんたたち、妙なことを聞くが」
おじさんは周囲を気にしながら、声を落として言った。
「あんたたち、鈴なんて持ってないだろうな?」
心臓が、大きく鳴った。
「教会の人たちが、町の宿を順番に回ってる。旅人の荷物まで確認してるそうだ」
おじさんは、気まずそうにわたしたちから目をそらし、そのまま背を向けた。
「まぁ、仮に持っていたとして、わしは何も知らんし、何も聞いてもいないがな。……そういや、明日の朝は、東側の宿から回るらしいな」
東側……この宿がある一帯だ。
ついに教会の捜索が、ここまで来る――。




