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第一話 出会い

半年ほど前から書き始め、完結まで書き切りました。


校正しながら、一日一話ペースで更新していけたらと思います。


拙い文章ですが、何卒、よろしくお願い致します。


それは、あまりに無邪気で、残酷で、突然すぎる問い掛けだった。


「ねぇねぇ。南雲ちゃんのお父さんって、何で頭に髪の毛がないの?」


朝の通学路。手をつないで歩いていたサイセちゃんの弟が、私を見上げて、心底不思議そうに首を傾げている。


無垢な瞳で答えを待つ少年を前に、私はどう説明していいかわからず、言葉に詰まった。


「コラッ!  シリア! 人前では言わないって約束したでしょ!?」


ややあって、その小さな頭の上から、素早い拳骨が降ってくる。


弟……もとい、シリアくんは「暴力反対!」と叫びながら、両手を重ねてうずくまった。


「そ、そんなに怒らないであげて。聞かなかったことにしておくから」


実際、ああいう質問には慣れていた。今のこの時代、お父さんのような人は珍しいから。


……それにしても、もうイマドキの小学生は、髪のない人を"ハゲ"とは呼ばないのだろうか。

歴史の授業では確か、昭和、平成、令和の頃にはよく使われていたらしいけど。


とはいえ、この時代では、いくつかの言葉が失われているのは何にも不思議じゃない。

薬一つで髪をはやすことができるのに、”ハゲ”ているなんて、おかしなことなんだから。


「ごめんね、ウチの弟が……お詫びってわけじゃないけどさ。今日の放課後、”ステラ”奢るよ」


ふと、軽やかな声が耳に入る。

サイセちゃんは、ぶすっといじけるシリアくんを無理やり引っ張りながら、話を続けた。


「クラスの何人かで行こうって話してるんだ。駅前に新しくできたとこ。すっごく楽しいって、先輩が言ってたの!」


ステラ……名前だけなら、私も聞いたことがある。


昔で言うところの、カラオケが進化した施設で、防音個室で歌が歌えるほか、目を閉じれば、海の底でも星の上でも、好きな場所がそのまま目の前に広がるらしい。


確かそんな話を、教室の片隅で耳にしたような……本当かどうかは、わからないけど。


正直、少しだけ心が動いた。

みんなが楽しいと言っている場所が、どんなところなのか。私だって、興味がないわけじゃない。


両親には内緒で、行ってみようかな。……そう思っていた矢先だった。


「チップがあれば、誰でも楽しめるんだって!」


「あ……」


「集合の時間決まったら、チップで連絡──……って、あ……」


こめかみへ向かいかけたサイセちゃんの指が、宙で止まる。


重い沈黙。彼女は気まずさを押し隠すように、けれど精一杯さりげなく、笑い直した。


「……そ、そっか。そうだったよね、ごめんごめん。ステラじゃなくて、チップが無くても楽しめるところ行こっか」


その気遣いが優しさだとわかるから、余計に居たたまれなくなる。


私は心の中の傷から視線を逸らして、彼女に穏やかな微笑みを向けた。


あたかも平気なフリをして、軽い声で。


「や、やっぱり、今日の放課後は、皆で楽しんできて! 今度、感想聞かせてほしいな」


「……なんか、ホントゴメンね。次はちゃんと、ナナちゃんでも遊べるところにするから!」


幸いなことに、私の真意は伝わらなかったようだ。


サイセちゃんはあっさりと、それでいて嫌味なく笑う。変に申し訳なくされるより、そっちの方がありがたかった。


しばらく雑談していると、シリアくんの小学校が眼前に見えた。

サイセちゃんは握っていた手を放し、優しく背中をポンと叩く。


「初めての授業だからって、緊張しすぎるんじゃないわよ? 元気に帰ってこれば、それでいいんだからね」


「い、言われなくてもわかってるよ、姉ちゃん。……あ、そうだ」


ほんの少し頬が赤いシリアくんが、私の傍に駆け寄る。

また、何かあるのかな。私はその場でしゃがみ、彼の言葉に耳を傾けた。


「南雲ちゃん。もし困ってるなら、ウチのお父さんが使ってるヤツ、こっそり、持ってくるよ。シャンプーに混ぜれば、髪の毛なんてすぐ生えて……痛ッ!」


二度目の拳骨は、一度目と寸分違わず同じ位置に直撃する。

シリアくんは何やら言葉にならない憎まれ口を叫びながら、逃げるように小学校へと走り去るのだった。


「……ホンット、生意気」


「あ、あはは。でも、なんだか羨ましいな。私、一人っ子だから」


「悪いことは言わないから、考え直しな。弟なんて……姉弟なんて、碌なモンじゃないから」


「そうなの?」


「そうなの! だって聞いてよ、この前もサァ……」


小学校に背を向けて、私たちは私たちの学校へと歩みを進める。

といっても、ゆっくり歩いても十五分くらいで着く近さだ。


私はサイセちゃんの愚痴を微笑ましく聞きながら、暖かな日差しとほんの少し肌寒い風を、心地良く感じていた。


ほどなくして、園縁(えんえん)高校の門を潜る。


生徒が通るたび、地面に埋め込まれている銀色の仰々しい機械が淡い光を放った。

そして、生徒のこめかみ部分がキラリと光る。


出席の記録と、今日の連絡……たぶんそういうものが、チップに送られているのだと思う。

現に、サイセちゃんも、止まらない愚痴を口にしながら、何の違和感もなく通り過ぎていた。


一方の私は、何も起こらない。光もなく、音もない。ただただ、変な機械の上を歩いただけ。

一年も経てば慣れると思っていたけど、この何とも言えない疎外感に、慣れることはなかった。


昇降口で靴を履き替え、おびただしい量の生徒たちに流れるように、廊下を進む。

すれ違う誰もが、何もない宙に視線を投げたり、指を動かしたり、笑ったり、頷いている。


同じ場所にいるのに、皆だけは半分、ここではないどこかと繋がっている。


「ナナちゃん! また明日ね~!」


サイセちゃんの明るい声が聞こえて、ハッと我に返る。

しまった。後半、ほとんど彼女の話を聞けていなかった。


二年B組の教室の前で大きく手を振るサイセちゃんは、すぐに周りの女の子たちに囲まれた。

ステラに行くと言っていた、クラスメイトの子だろうか。


サイセちゃんとは家が近くで、通学路が一緒。

でも、それだけ。彼女は私と仲良くしてくれるし、私も彼女のことが好きだけど、特段親しいというわけでもなかった。


だってサイセちゃんは、クラスの人気者。一方の私は……変わり者。


卑屈な感情を抱いてしまう自分が嫌になり、ハァと深い溜め息を吐く。

二年A組の扉を開ける手が、ずっしりと重かった。


手をかざしただけで、扉は音もなく開かれた。


教室内の声が、一瞬……ほんの一瞬だけ、静まり返る。

私に、視線が集まる。でもすぐに、クラスメイトは何事もなかったように、話に戻った。


決して、虐められているわけじゃない。

酷い扱いを受けているわけでもない。

でも、稀有な目で見られる。普通にしているだけなのに、まるで珍しい動物を見るような目で。


現代社会は、昔に比べて遥かに便利になったと聞く。

人口減少社会なんて言われていたのが噓のように、みるみるうちに子供がたくさん産まれたと。


高性能な技術や、人間と変わらない……いや、それ以上の性能があるアンドロイド。

そして、今や世界中の人々の身体に埋め込まれている、チップ。


その他、様々な技術革新(シンギュラリティとか言うんだっけ?)のおかげで、世界中の人々が豊かで、最適化された生活を送っている。


それを実現したのが、()()だ。


窓際の自分の席に座り、ガラスの外へ目をやる。

空は白く靄がかっていて、その奥には、この世界から青空を奪ったモノ──大人たちが神様と呼ぶモノの姿が、ぼんやりと滲んでいる。


空を覆い尽くす、巨大な機械。雲みたいだけど、雲ではない、何か。


太陽の光は、うっすらと届いている。けれど、空は、私が生まれたときから、真っ白のままだ。


両親に見せられた写真や、歴史の資料として見たとき、空が白くないことに違和感を覚えた。

でも……同時に、美しいと思った。青い空を気持ち悪いという人もいるけど、私は、そうは思わない。


神様の表面には、いくつもの歯車が精緻に噛み合っている。

継ぎ目が走り、螺旋が絡み合い、パイプのようなものが縦横に伸びていた。

それら全てが、一つの巨大な構造を形作っている。


あまりにも大きすぎて、全体像は掴めない。ここから見えているのは、ほんの一部だった。


「……ん?」


唯一、ここ日本からハッキリ見ることができる、神様の()と呼ばれている部分。


その不気味で巨大な顔が、ほんの少しだけ、揺らいだような気がした。


「……気のせい、かな」


穏やかに笑っているような顔は、自らが有機物と無機物、どちらにも属さないことを主張しているように冷ややかで、不気味だった。



+++



「おはようございますー。HRを始めますねー」


涼やかな声とともに、教室内に担任の先生が現れた。……そう、言葉通りの意味で。


一切の隙が無い笑顔、一本の乱れもない髪。

いつどの角度から見ても美しい容姿をした、実体のない先生。

彼女が一歩室内を歩く度に、足元に青白い光の格子が走った。


黒板──黒くもないし、板でもないけど──に、今日の時間割が浮かび上がる。

光の文字が宙で組み変わり、整列していく。


クラスメイトはそれを見ているようで、見ていない。

各々がこめかみに指を添え、自分の視界の中だけに、何かを呼び出しているのだ。


私にはそれが見えないし、わからない。

だから、馬鹿正直に光の文字を目で追って、ノートに鉛筆を走らせる。

鉛筆を使っているのは、この教室で……いやたぶん、この園縁学校で私だけ。


静まり返った教室内で、カリカリ、と鉛筆を走らせる音が、やけに大きく響く気がした。


……ヒソヒソ。


また、誰かが私を見た気がする。気のせいではないだろう。だって、視線は一つじゃない。


二年生に進級してから、クラス替えは行われていない。

それなのに、未だに、机から鳴る音は不快に思われているようだ。


頬が、じわりと熱くなる。


前時代的な生活に不満があるわけではない。ただただ、目立つことだけが嫌だった。

犬派か猫派か。女子か男子か……私と皆との違いなんて、その程度のはずなのに。


──その時だった。


「ほほほ、本日の、ほ、本日の、日の」


ジジ……ッ、と空気が軋むような音と共に、先生の笑顔が歪んだ。


声が、壊れたみたいに同じ音を繰り返す。

宙の光の文字が、ブレて、滲んで、ばらばらに散る。


教室のあちこちでは「うわ」「また?」と小さなどよめきが起こっている。

全員がこめかみを押さえ、顔をしかめたり、困ったように眉をひそめたり。


……そういえば、サイセちゃんも言っていたっけ。最近、こういうことが増えているって。

私には関係のない話だと思っていたけど、間近で見るとさすがにビックリする。


ただの不具合ならいいんだけど……そう思っていたら、ふと、声が耳に入った。


「ねえ、見て。南雲さん、平気そう」


「当たり前じゃん。アナグモちゃんなんだから」


「こういう時だけは羨ましいかも」


「…………」


思わず身を縮める。


悪意のある言葉じゃないことはわかってる。ただ、目立つものが話題として上がりやすいだけ。

普段から、普通に接してくれる子ばっかりだ。


でも、それ以上の仲になろうとする子はいない。

当然だ。話題も娯楽も全く異なるのだから、わざわざ私に合わせるような人はいない。


決まって、こういうときは、少しだけ我慢していればすぐに終わる。

俯いて、聞こえないフリをして、ただ、時間が過ぎるのを待った。……すると。


ガタッ!


「!?」


教室内に、大きな音が響いた。


驚いて視線を向けると、前の座席の子が椅子を引いて、立ち上がっていた。


突然の音は、チップや先生の不調、そして、私の陰口すらも搔き消した。


「……すみません。ペン、落としました」


静まり返った教室内で、ハスキーな声がそう告げる。


誰に言うでもない言葉を発した後、彼女は静かに腰を下ろした。


仲氏(なかうじ)シーカさん。


肩まで切り揃えた髪と、切れ長な目。そして、首元まで覆ったインナーが特徴的だった。

モデルさんのようにスレンダーで、一匹狼という言葉が似合う高嶺の花だ。


非常に無口で、誰かと話しているところを見たことがない。私自身、一度も。


それなのに彼女……ペンを落としたという割には、拾った素振りは無かったように見えた。

何故、そんな嘘を吐いたのだろうか。


「ほ、本、じ、つ…………失礼しました。通信に少々、乱れがあったようですー」


そんなことを思っていると、教壇の方から聞こえていた変なノイズが、突如として消えた。


周りの子も皆、ホッと胸を撫で下ろしている。私も、関係ないのにホッと溜め息が出た。


「…………」


仲氏さんは何事もなかったかのように、窓の外を眺めている。


よくわからないけど、彼女の音で辛い思いをせずに済んだのは事実だ。


「ありがとう」


内心で感謝を伝えるつもりが、口から漏れ出てしまった。


聞こえていませんように、と祈ったが、その祈りが叶ったのかどうかはわからない。


その後、HRは滞りなく行われ、最早、誰もが先ほどの異常を口にするようなことはなかった。



+++



放課後の鐘が鳴り、一人で、真っ直ぐ帰路につく。


部活やバイトも、神様が発している電波信号を応用した技術を使っているものばかり使っているから、両親が許さない。


普段の授業でさえ、快く思っていないだろう。実際、本当はもっと辺境の地にあるところを望んでいた。

さすがに遠すぎて、渋々、近くの園縁高校の入学を許可してくれたんだから。


その代わり、用事がなければすぐに帰ってくること。

二人にとっては、それが最大限の譲歩だった。まるで、学校が不健全みたいに扱って……。


……駄目だ。一人でいると、すぐにネガティブなことを考えてしまう。


サイセちゃんがいてくれたら多少はマシになるけど、それでも、未知の機械を街中で見かけると、やっぱり疎外されているように感じる。


早く帰ろう。そう思って駆け出し、角を曲がった。その時だった。


「えっ?」


家の近くの、ゴミ捨て場。


そこに、誰かが倒れている。


思わず息を呑む。美しい女性だった。

ホログラムの先生や、精巧なアンドロイドとは違うベクトルの、自然な美しさ。


すらりと背が高く、手足も長い。透き通ったきめ細やかな、深い青色のロングヘアー。

かなり大人びて見えるけど、私より少し年上……大学生くらいだろうか。


「だ……だ、大丈夫ですか!? あの、しっかり……!」


大声で呼びかけても、身体を動かしても、長い睫毛は伏せられたまま、ピクリとも動かない。

力なく、地面に投げ出されるように横たわっている。


肌に触れると、かすかに体温があった。息もある。

一瞬安堵しそうになるが、すぐに思い直して、立ち上がった。


……どうしよう。警察……そうだ、警察を呼ばなきゃ。

チップを持つ誰かに頼んで連絡を……いや、それより先に救急車……?


「んぅ……」


女性が寝がえりをうつ。その拍子に、襟元がはだけた。


自然と、鎖骨の辺りにあった模様が、視線に入り込む。


タトゥーやペイントとは違う、痣や焼印のように刻まれた、ハートの形。

その中央には、鍵穴のような切れ込みがある。錠前……のように見えるこれは、一体、なんだろうか。


「そこの君たち」


突如聞こえた背後からの声に、私は飛び上がりそうになった。


素早く振り返るとそこには、真っ黒なヘッドフォンとゴーグルを身に着けた人物が、毅然とした態度で立ち尽くしていた。


性別も、人間かどうかも、判断が付かない。

けど、この人物が何者なのかはわかる。この青い制服は……警察官だ。


私以外の誰かが既に通報していたのか、巡回でたまたま通りかかっただけなのか。

とはいえ、タイミングが良かった。


事情を説明ようと口を開きかけたが、それよりも前に、警察官は私の眼前に手のひらを掲げた。


「結構よ。直近にあなたがしていたことは、チップを見ればすぐにわかる」


「あ……」


相手の視線すら見えないゴーグルのレンズが、淡く光って、私を捉えた。

数秒間の沈黙の後、警察官は小首を傾げる。


「……珍しい。あなた、手術を受けていないのね」


「は、はい、そうです。両親の意向で」


その瞬間、警察官の目つきが変わった……ような気がした。

先ほどまでの厳重な警戒心、というよりは、母親が子を心配するそれに近かった。


「大丈夫? ご両親から、虐待とか、受けてない? 少しでも不満があったり、思うところがあれば、親戚や……私たち警察を頼ってもいいのよ?」


「い、いえ!  お母さんもお父さんも優しいですし、仲良しですから!」


嘘は言っていない。事実、両親のことは嫌っていない。

多少、やりすぎのように思う時もあるけど、元を辿れば原因は私にある。チ

ップ埋め込み手術を受けていないのだって、私の意向だし。


「そう。まあ、無理強いはしないけれど……」


警察官は一歩近づくと、ふいに、私の手首を優しく掴んだ。


「これだけは覚えておいてね。今の時代、チップを入れていないってだけで、怪しまれるのよ。何か後ろめたいことがあるんじゃないか……ってね」


「えっ……い、いやいや! 私、本当に何も」


「詳しいことは、署で聞くわ」


ひやりと、背筋が冷えた。


後ろめたいことは一切ないはずなのに、警察官に詰め寄られるだけで、こんなに怖い気持ちになるのか。


いや、それよりも。両親や学校に情報が行って、今よりも目立つようなことになったら、私は……。


「さて、次は貴女ね」


「……んー?」


警察官の視線が、倒れたままの女性へ移る。


私たちの口論で目が覚めたのか、薄く目を開けていた。

しかし、状況がわかっていないようで、ぼんやりとした表情を浮かべている。


「あなたのチップも、見せてもらうわね。どれどれ……」


警察官が、不思議なゴーグルを操作する。

そして、私にやったときと同じ手順で、レンズを彼女に向けた。


バチィッ!


「っ!?」


弾けるような音と、青白い火花。


ゴーグルとヘッドフォンから煙が上がり、警察官が短い悲鳴とともに仰け反った。

ぐらり、と身体が傾き、その場に崩れ落ちる。


「な……っ、何、これ……」


息も絶え絶えで言葉を漏らすと、そのまま糸が切れたように、気を失ってしまった。


「………………」


頭が、真っ白になる。


何が起きたのか、わからない。

わからないけれど、ここにいてはいけない。

本能みたいなものが、そう叫んでいた。


倒れた警察官の身体から、不思議な信号と光が放たれている。

家から出てきたご近所さんや、往来する人の視線が増えてきたことも相まって、自然と足が震えた。


「ご、ごめんなさいっ!」


誰に向けた謝罪かもわからないまま、私は一人、その場を離れる。

徒競走なら一等賞をもらえるくらいの速度で、一生懸命、ただただ走った。


「……はぁっ、はぁっ……」


息を切らして、家の玄関に辿り着く。

幸いなことに別の警察官が追ってきたりとか、ご近所さんが通報したりとか、そういうことはなかったようだ。


古い引き戸を開けようと手を伸ばしたところで、がらり、と引き戸が内側から開いた。


「あら。おかえり、ナナ」


「あ、お、お母さん。今から買い物?」


「ええ。そうなんだけど……その子、お友達?」


「え」


お母さんは私ではなく、私の背後を見ている。


嫌な予感がして、恐る恐る振り返った。


「……どうして」


さっき、倒れていた女性。


なんの疑問もなく、彼女は立っていた。


いつの間に……? 気づかなかった。

あんなにぐったりしていたはずなのに、ふらつくこともなく、じっと私を見つめている。


背が高い分、こうして向き合うと、少し見上げる格好になる。

やはり、かなり大人びている……それなのに、サファイアのような瞳は、年齢にそぐわない純粋な煌めきが映っていた。


「ナナ、どうしたの? 顔、真っ青よ?」


お母さんは、返答がない私を訝しげな眼でみる。

……どうしよう。なんて説明すればいいんだろう。


やっぱり、警察に……いや、お母さんは警察を嫌う。神様の技術を使っているから。


それに、さっき警察官が倒れたことを追及されて、私にも白羽の矢が立つ恐れがある。

できるだけ、大事にはしたくない。


それなら、自分でこの子の素性を聞いて、ちゃんと家に帰すのがいいだろう。


……と、なると……こう言えば、きっと丸く収まる。


「あ、あのね。この子、昨今の技術革新についていけなくて……い、嫌気が差しちゃったんだって。それで、家出、してきたみたいで」


我ながら苦しい嘘だ。現代社会に慣れ切った人なら、素直に受け取らないだろう。……でも。


「あら! あらあらっ!」


お母さんは、そうじゃない。


ぱあっと輝いた顔は明るくて、少しだけ、小皺が目立った。


「まあまあ、それは大変ね。こんな時代に、理解ある人は少ないものね。いいわよ、しばらくうちにいなさいな。お父さんもきっと喜ぶわ。その子のごはんも買ってくるわね!」


予想以上の食いつきだった。

「家出してきた子を、ひとまず警察に」なんて発想は、やはり頭にないらしい。


アナログ的な生活に誇りを持っている両親にとっては、これ以上ないくらい好ましい、味方みたいな存在なのだ。


こうしてなし崩しに。私は、得体の知れない女性を家に匿うことになった。



女性は、一向に口を開かなかった。


私の部屋に通しても、きょろきょろと辺りを見回すだけ。

昔ながらの畳とちゃぶ台が、それほど珍しいのだろうか。


「あの」


用意した座布団の上に座った彼女に、私は思い切って声をかけた。

長い手足を持て余すみたいな、行儀の悪い座り方だった。


「あなた、誰なんですか? どこから来て、どうして、ウチの近くで倒れて……?」


そこまで言って、口ごもる。

年上の人に、これ以上どう尋ねればいいのかわからなかった。


しかし、聡明そうな彼女のことだ。素性はすぐにわかるだろう。


そう思った矢先だった。


「……わかんない」


ふにゃ、とした、舌っ足らずな声。


大人びた見た目から、てっきり落ち着いた話し方をするのだと思っていた私は、思わず固まる。


「わたし、わかんない。なにも。これ、なあに?」


ぺた、ぺた、と。細い指が、鎖骨にある痣を、不思議そうに叩く。


「なまえ、わかんない。……ねぇ。わたし、だれ?」


逆に聞き返されて、私は言葉に詰まる。


見た目はこんなに大人っぽいのに。喋り方も、中身も、生まれたての小さな子供みたいだった。


けれど、その瞳には、嘘の色なんてこれっぽっちもない。

心細さだけが、大きな身体の中にぽつんと揺れているようだった。


「あなた……記憶喪失、なの?」


「?」


言葉の意味を理解できていないようだ。首を傾げるだけで、返答はない。


……計画が台無しだ。一人で対処しようと思ったのに、名前も出身もわからないのだとすれば、手に負えない。


大人しく、警察か病院に渡せばよかった。どうして、私なんかについてきたんだろう。


……けれど、今から病院に行くには、もう遅い。

警察にはほとぼりが冷めてから行きたいし、当分は、ウチで暮らしてもらうしかない。


「ねぇ、あなた……って、そうか。名前がないと変だよね」


お母さんに見られた以上、紹介する必要がある。

さすがに、名前も住所も全く知らないのは不自然だ。他にも、いろいろと設定を決めておく必要がある。


名前……名前かぁ。そう思っていると、視線は自然と彼女の痣へ落ちた。歪な、ハートの錠前。


ハート、ラブ、愛、アイ……形をぼんやりと見つめているうちに、ふと思いついた。


「とりあえず、あなたのことは、アイリって呼ぶことにするね。苗字は、どうしようかな……」


「あいり? ……アイリ……」


彼女は、ぱちぱちと瞬きをしている。


それから、その名前を確かめるみたいに、小さな声で何度も繰り返していた。


「アイリ!  わたし、アイリ!」


ややあって、彼女の顔が綻んだ。大人びた顔立ちが、一気に幼くなる。


ぴょん、とその場に立ち上がり、くるくる回る。

長い手足を振り回すものだから、危なっかしいことこの上ない。


「ちょ、ちょっと! ぶつかっちゃうよ!」


「アイリ、アイリ! ねえ、もういっかい!」


「え……ア、アイリ」


「えへへっ!」


名前ひとつで、こんなに喜んでくれるなんて。

毒気を抜かれて、私はつい、笑ってしまった。さっきまでの警戒が、少しだけ、ほどけていく。


この子は、悪い子じゃない。


確かな根拠なんて、何もなかった。でも、その時の私は、そう思ったのだった。



+++



翌朝。


学校へ行く前に、私はアイリと二つの約束を交わした。


一つ。私が近くにいないときは、できるだけ喋らないこと。


舌っ足らずで間延びした喋り方は、あまりにも見た目とちぐはぐすぎる。

食事だって、箸もスプーンも満足に使えていなかった。


不思議がる両親が、外国から来たばかりということで納得してくれたのは、奇跡みたいなものだ。

……まあ、彼女の人間離れした美貌が、説得力を生んだだけかもしれないけど。


二つ。ごはんやトイレのとき以外は、基本的に私の部屋から出ないこと。


理由は、一つ目と同じだ。

退屈だろうけど、パズルや子供の頃のおもちゃをいくつか渡すと、アイリは宝物でももらったみたいに、目を輝かせて受け取った。


「いい子にしててね、アイリ」


「いってらっしゃい! ナナ!」


ぶんぶんと手を振るアイリに見送られて、私は家を出る。

大きな妹ができたみたいで、ほんの少し心が踊った。


とはいえ、得体の知れない子を、家に置いてきてしまった。冷静に考えれば、とんでもないことだ。

あの痣のことも、警察の機械が壊れたことも、何ひとつ解決していない。


それでも、あの笑顔を見ていたら、まあなんとかなるか、なんて。柄にもなく、そんなふうに思えてしまうのだった。


「なんとかなるか」が、さっそく揺らいだのは、学校に着いてすぐのことだった。


「ん?」


教室がざわついている。


私……の話ではない。昨日の機械の不調でもなさそうだ。

というか、聞きなれない子供っぽい声が混じっている気がする。


まさか、アイリが来た……わけじゃないよね。


私はなりふり構わず、扉に手を翳す。


すると、そこには──ドレスを着た女の子と、メイド服の女性の姿があった。


彼女の周りにはクラスメイトが集まり、何者なのか、どこから来たのか、転校生なのか等々、質問責めに遭っていた。


私は人知れず息を吐いて、席に着く。


奇妙な二人組のことは気になったけど、どうせ後から先生の説明があるだろうと思った。

それに、相手が誰であれ、不用意に視線を送るものではない。


「おはようございますー。HRを始めますねー」


ほどなくして、教壇にホログラムの先生が現れた。


クラスメイトたちは蜘蛛の子を散らすようにその場を離れ、こめかみ部分に手を当てている。


「……と、その前に、お客様がお見えですー。お話を伺いましょうねー」


「皆様、ご機嫌麗しゅう。お忙しいところお時間をいただき、誠に感謝申し上げますわ」


ドレスのお嬢様は、両手でスカートを摘んで優雅に一礼する。


真っ赤なドレス。丁寧に巻かれた、キラキラと輝く金色の髪。

まさに、絵本から抜け出してきたお姫様そのものだった。


ニコニコと明るい笑顔を浮かべている彼女とは対照的に、背後に佇むメイドさんの顔からは、表情というものがすっぽりと抜け落ちていた。


もしかしたら、アンドロイドなのかもしれない。彫像みたいに微動だにせず、影のように潜んでいる。

でも、その身長の高さと、意匠が尽くされた立派なメイド服は、ある意味お姫様よりも目を引いた。


あの二人の空間だけ、別の世界から切り取られてきたみたいだ。


「時間が惜しいので、手短に済ませましょう。……皆様の中に、コレに見覚えのある方はいらっしゃいませんこと?」


鈴を転がすように心地よい、けれどどこか高慢な響きの声が、教室内に響く。

聞き慣れないイントネーションが混じっていたのが、少し気になった。


そして、メイドはゆっくりと、何か紙切れのようなものと高く掲げる。

……何だろう、アレ。何かの部品……?


目を凝らして見ていると、ふと、隣の席の子が手を挙げた。


「あのー、小さくて見えないんですけどー。データで送ってくれませんかー?」


「お黙りなさい」


お姫様の声の温度が、わずかに変わった。


「これは、データとして残しておけるような代物ではありませんの。見えないのでしたら、こちらに近づけばいいだけの話ですわよね」


「ッ……ウザ!」


辛辣で冷たい態度だったけど、彼女の言うことは尤もだ。


私は前の席の仲氏さんの後に続く形で、メイドさんが掲げていた紙切れを見た。


やはりそれは、何かの機械のようだった。手のひらくらいのサイズで、金色に輝いている。


そして、その機械の中央には。


ハートの形をした、錠前の模様があった。


「え……」


どくん、と心臓が跳ねる。


あれは。あれは、アイリの胸にあるのと、同じだ。似てるとかじゃなく、そのもの。


……なんで。どうして? そもそも、この機械は何なの? アイリと何の関係があるの?


混乱する私をよそに、教室内はしんと静まり返っている。誰も手を挙げず、何も言葉を発さない。


……彼女に、伝えるべきだろうか。その機械のことは知らないけど、模様を見たことがある、と。


そんなことをしてしまえば、また目立ってしまう。

でも、アイリのことが何かわかるなら、彼女に何かしてあげられるのなら、してあげたいとも思う。


「これ、見覚えある」


今のは、私の言葉ではない。


この、ハスキーな声は……。


「あら。貴女、名前は?」


「仲氏シーカ」


「そう。ではシーカ、こちらにいらっしゃい。……スカイ。後のことは任せましたわよ」


「はい、お嬢様」


口を挟む暇もなく、仲氏さんとお姫様は教室を去って行く。その背中を、私は思わず目で追っていた。


スカイと呼ばれたメイドさんは、ポケットから何かを取り出そうとして、視線を逸らした。


……今だ!


私は限界まで気配を消して、こっそりと二人の後を追う。

でも結局、意味はなかった。だって……。


「あの子、結局何者だったの……?」


「写真って、久々に見たわ……」


「てか、あの機械ってさ……」


クラスメイト達は全員、変な金色のモノとお姫様に夢中だった。


更に言えば。


「…………」


メイドさんが、背筋をピンと伸ばしてこちらを見ている。


私が彼女たちの後を追うのを知っている。それなのに、止めなかった。

ただ、穴が開きそうなくらい私を見ていた。


どうして、見逃すんだろう。何か意図があるのか、それとも。


不気味で仕方がなかったけど、私には、このままじっとするという選択肢はなかった。



二人が消えていった先は、中庭だった。

二年A組に近いこの場所は、私もたまに来る。


人工的に整えられた緑、等間隔に植えられた花。季節外れの花もあるから、全部が偽物の花なのだろう。


何もかも計算され尽くしたみたいで、綺麗だけど、あまり好きな景色ではなかった。

……それでも、教室よりは息がしやすい。


物陰に身を隠しながら、私は、その様子を窺う。


お姫様は人工の花を一輪、指先で弄んでいる。

そして仲氏さんは、こめかみに手を当てながら、何かを探しているような素振りを見せていた。


「あった。これ」


仲氏さんは淡々とした口調で、何かを提示する。


宙に浮く、写真のようなデータ。


「ウチの飼い犬で、レノっていうんだけど。昨夜、似たようなマークがお腹にあった」


「い、犬……ですの?」


お姫様は拍子抜け、というよりは、動揺しているようで、一歩後退りする。

でもすぐに目を光らせて、顎に手を置いた。


「シールじゃないみたいだし、拭いても洗っても消えない。今日、獣医に見せに行こうと思ってた。気味が悪いから」


「……なるほど。では今夜、その犬に会わせていただけませんこと? 嘘を吐いているとは思えませんが、直接、拝見したいですわ」


明らかに面倒くさそうに眉を寄せる仲氏さん。

しかし、断る理由もないと思ったのか、無言のまま小さく肩を竦めた。


お姫様は満足そうに頷くと、踵を返し、中庭を出ようとして……。


「ナナ~!」


聞き覚えのある、舌っ足らずな声が、背後から響いた。


「えっ」


血の気が引いた。この声、振り返るまでもない。アイリだ。


「な、なんで、ここにいるの!? お留守番しててって、約束したのに……!」


「だって、つまんない!」


駄々をこねる子供のように、唇を尖らせる。


アイリがどうやってここまで来たのか、どうやって学校に入ったのかは不思議だけど、それよりも今、このタイミングでここにいるのが何よりもマズい。早く、どこかに逃げないと。


「あら? 貴女たち、何をしていますの?」


……遅かった。私たちの声に気づいたお姫様と、目が合った。

仲氏さんも不思議そうに、私とアイリの顔を交互に見比べていた。


気まずい沈黙が流れる。


な、なんて言い訳すればいいんだろう。

頭をフル回転させる私の隣で、何も知らないアイリは、あっけらかんと、こう言ってのけた。


「わたし、アイリ!  こっち、ナナ!  よろしくね!」


満面の笑みで、長い手を差し伸べたアイリ。その拍子に、ぶかぶかのシャツの襟元が、はだけた。


鎖骨にある、ハートの錠前が露わになる。まさに、私とアイリが初めて会ったときみたいに。


「……何故」


微笑みを浮かべていたお姫様は、一瞬にして顔を強張らせた。


明るく、可愛らしく、それでいて、凛とした声と態度が、初めて崩れた。


「落ちたのは、一つのはず。なのに、どうして、二つも」


その問いに答えられる者は。この場には、誰一人いなかった。


どうやら私は、知らないうちに、とんでもない何かに足を踏み入れてしまったのかもしれない。


嫌な予感だけが確かに、胸の奥でざわめいていた。

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