6.鳥籠の小鳥
「こ、これって……ッ」
ヴィクトリアが再び目覚めると、見えたのは見知らぬ天井。
そして大声を出したわけでもないのに、二日酔いのせいで頭が割れそうなほどの頭痛に襲われる。
痛む頭を抱えて大きな寝台の上で、彼女は呻き声をあげ再びシーツに沈み込んだ。
「そ、そうよ確か、馬車の迎えを待っていたの。やさしい女将さんのお店で……でもここはどこなの?……って、いたぁ……ッ」
小さな声でも頭の中で大きな鐘を鳴らされているように響くのか、頭を抱え込んでしまう。
起き上がれずに寝台の上で呻いていると、廊下側からノックの音がする。
ヴィクトリアは息を飲み、答えられずに固まってしまう。
「お嬢ちゃん、あたしだよ。起きてるかい?」
入ってもいいかね、と告げながら返事も待たずに酒場の女将が入って来た。
「あ、あの私どうして……?」
声を出すと響く痛みに彼女は眉をしかめてしまう。
そんな姿を見て女将は笑いながら、水差しの中身をコップに注いで手渡してくれた。
「いやあ、お嬢ちゃんがあんないける口だと思わなくてね。止めもしないですまなかったね。二日酔いは初めてかい?ほら、水をお飲み、少しは楽になるから」
「ありがとうございます……あの、この部屋は」
渡されたコップの水をゆっくり飲みほしていく。
そして女将に自分の居る場所の詳細を聞くために質問を投げた。
「うちは1階が酒場兼食堂で2階が宿屋をしているんだよ。聖者様のおかげで上も下も大繁盛さ。……で、この部屋はお嬢ちゃんと仲良く飲んでた……ほら、見た目のいい男が使っている部屋でね」
「あの人……?」
——僕と恋しよう。
隣の席で一緒に吞んで会話していた名も知らない青年。
人懐こい男の笑顔と唇が触れた熱を思い出したヴィクトリアは声にならない声を上げた。
(あああああっ!)
(彼の部屋で一晩過ごしたってこと?)
(そんな……ッ嘘と言って)
ヴィクトリアは自身の浅はかさを呪う。
彼女の不貞を願う者がいるというのに、なんという失態を侵したのか。
あからさまにうろたえ始めたヴィクトリアを見て、女将は安心させるように告げながらそっと背中を撫ぜた。
「大丈夫だよ、変な真似はさせてないからね。あの人はお嬢ちゃんに部屋を貸すと告げて、酔いつぶれたお前さんをこの部屋に運んだあと他の店へ呑みに行っちまってまだ戻って来てないんだよ。今どき感心する男だねえ」
嫁に行くならああいう男がいいよ、と女将は続けて語り続ける。
(ザクセン様と全然違った。あの人は私の話を黙って聞いてくれて……一緒に笑ってくれた。それに……)
きっと、あの人と結婚する人は幸せとなるに違いないと、女将の言葉に同意するようにヴィクトリアが頷く。
でもその相手はヴィクトリア以外の誰かの話。
そして、王太子たちの思惑に取り込まれたら、彼のそんなたわいのない未来を奪ってしまう事実にもヴィクトリアは気付いてしまう。
——貴族を巻き込むことは出来ない。
——なら平民たちは?市民たちの暴動が起きそうな事態は避けるべきだろう。
——でも王都へやって来た旅人なら……。
「あ、あの女将さん。あの人が戻ってきたらすぐ王都から出るよう言ってあげて。どうか……お願いします。あと馬車を一台呼んでもらえますか、家に戻らないといけないの……」
(私のせいで酷い目にあうかもしれない。それだけはどうにかしないと……)
彼女の切羽詰まる様子に女将も気圧されながら、頷くと馬車を呼びに外へと出ていく。
女将を見送った後、水差しの水をもう一杯飲み干し仕度を整えた。
仕度を済ませ下へ降りる。
女将の言葉通り確かに下の階は昨夜お世話になった酒場だった。
盛況だった夜と違って今は宿泊客だろうか、数人がまばらにテーブルにつきパンやシチューを味わっている。
しばらく待っていると女将が玄関の扉から顔を出し、馬車の到着を知らせてくれた。
「お嬢ちゃん、これを持っておいき」
女将が手の中に握っていた数枚の銀貨をヴィクトリアの手に握らせる。
「女将さんにこれ以上迷惑は……」
「気にするんじゃないよ、あとで返してくれればいいだけさ。持ち合わせがないって言ってただろう?それだけあれば中心街ならどこだって行けるからね」
あったばかりの小娘とのたわいもないやりとりを覚えてくれていただなんて、女将の細やかな心遣いに鼻の奥がツンと熱くなった。
「ありがとう、必ず返しに来ますから」
ヴィクトリアは次に来た時に迷わぬよう、通り沿いの標識と看板を見て通りと店の名を確認しておく。
彼女を待っていた馬車に乗り込むと、王宮へ向かうよう御者に依頼する。
そして釣りはいらないので急いで欲しいとつけ足して、銀貨を渡した。
昨夜見た風景とはまた違う、明るい街の風景が風のように流れては消えてしまう。
街の明るさと相反するように、王宮に近づくほどヴィクトリアの心は暗く深く沈み込んでいく。
初めて手に入れたつかの間の自由。
彼女にとってとても眩しい世界だったからこそ、王宮という鳥籠の中に戻りたくないと心が叫んだ。
それでも、守らないといけない人のために、ヴィクトリアは一歩踏み出した。
王宮に入ると不思議なほどざわつき、人々が忙しなく出入りしている。
そのざわめきに耳を澄ますと、どうやら聖者が無事に王宮に到着したらしい。
彼のために用意した盛大な式典の準備は、滞りなく進んでいるだろうか。
祝いの席にきっと列席できないだろうと感じながら、ヴィクトリアは執務室へ向かう。
通いなれた道が、やけに遠く感じる。
足取りが重かった。
「ずいぶんと遅うございましたね」
執務室の前に侍女長が立っていた。
「ごめんなさい。すぐ準備を済ませるから」
予備に置いてある衣装に着替えようと、執務室の扉に手をかけたところで侍女長に止められた。
「お支度は結構でございます。到着次第すぐに連れて来るようにと王妃様のご命令ですので……さあ、大広間へ」
身を整えることも許してもらえないまま、まるで罪人のように引き立てられていく。
いや、彼らからすればヴィクトリアは既に罪人なのだろう。
大広間に辿り着くと、大きな扉が開く。
夜会とはまた違う格調のある礼服に身を包んだ貴族や聖職者たちが笑い合っていた。
その中にヴィクトリアの到着を待っていた王太子たちが、開かれた扉の前に立つ彼女へ蔑んだ視線を送る。
そして王太子は一歩踏み出すと、声を張り上げた。
「集まった皆に報告がある。本日は我が兄でもある聖者の帰還を称える喜ばしき式典。その前に重大な報告があるので聞いて欲しい」
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