【第26話:いつもごめんね】
挿絵を追加いたしました。
セルミアとノアの慈しみあふれる生活は、メイド達のたゆまぬ努力により送られていた。
ノアは今のお嬢様生活どころか、人間としての日常生活の能力がなかった。
そこは全てメイド達にしわ寄せが行くのだった。
「ノアお嬢様。トイレはすぐそこでございます。次回からはそこでお願いします」
年かさの影メイドさんが浮きだした血管を抑え懇願する。
「わかった」
言われれば素直に聞くのだが、答えには覇気がない。
ノアには下着という概念も、トイレという存在も無かった。
ローブで覚えたのか、スカートを持ち上げることはするが、下着は降ろさない。
トイレの横であっても地面にする。
寝床は汚したくないのか、ベッドの隣の床にする。
ノアの下着を取り替えながら深い思考に落ちるメイド長。
これは子犬を躾けるのよりも大変なのでは?と思うのであった。
「お嬢様もよおしましたら次回からはメイドにお申し出ください」
最後にもう一段ノアの教育方針を下げるメイド長であった。
ノアは無表情にうなずくだけであった。
不安しかないメイド長である。
食事の時間はノアも好きであった。
この館で出てくる料理はまさしく王侯貴族レベル。
チーフシェフも王城で働いていたものを連れてきていたのだ。
王国300年の歴史ある食卓に、現代技術の粋を足すのだ。
エクセレントが標準品質なのだ。
そして今セルミアに呼び出されたチーフは途方に暮れていた。
「もう少し食べやすく作れないかしら?」
言わんとすることは判った。
視線の先でノアが手をクロスで拭きそうになるのを、今日の当番メイドが素早くキャッチして指洗いに入れる。
キョトンとするノアを無視して、指を洗い、ナプキンで拭いたついでに口の周りも拭く。
流れるような動きの洗練に、メイド達の苦労を見たのだ。
「承知いたしました‥‥」
チーフ30年の現場生活、初の敗北であった。
そうした家人達の血涙に歪む日々が積み重なり、ノアは少しづつ心を開いていった。
ノアはお風呂が好きだが、髪を洗われるのが嫌いであった。
入浴はメイド達にとっては緊張すべきイベントであった。
当番に当たると一番なえるやつだ。
基本的に体は好きに洗わせるし、手や足を持ち上げればそこを洗うのだなと理解していて邪魔しないのだ。
頭だけは別で、なかなか洗わせてくれない。
適当にすました日はメイド長がセルミア様に呼び出され、お願いされたという。
セルミア様のお願いの10倍の説教がメイド長からほとばしったのは自明であった。
なので、ノアが嫌がっても髪は洗わなくてはならないのだ。
お風呂係は2名1組。
命を懸けたバディである。
強化されている今のノアがふざけて振り回した腕は、メイド達にとっては致命の一撃であった。
入浴中に病院送りにされたメイドは片手では足りない。
一人がノアの好きなお風呂おもちゃで気を引き、足をとめた所でもう一人が素早く作業を開始するのだ。
ノアの髪は長く、腰まであるので作業時間はなかなか長い。
途中で気づかれる事も多々ある。
「ノアお嬢様ほらこんなのもあるんですよ!」
バディのファインプレーに感謝の視線を当てる相方。
そんなメイド達の絆すら育む過酷な当番であった。
ノア寝かしつけ当番は、わりと人気の配属である。
最近のノアは、少しだけメイド達に懐いてきていて、ちょっと報われる気持ちになるのだ。
ベッドに入ったノアが寝るまで髪をなでたり、請われれば読み聞かせもするのだ。
短時間で眠ったノアが、なかなか握った手を離さなかったりすると、胸が熱くなるのだった。
今日はノアが好きな食事だったのか機嫌が良かった。
今日の頭撫で当番は、何度もノアに手を焼かされたメイド長であった。
眠りに落ちる寸前にノアが言葉を漏らす。
「いつもごめんね」
すうすうと健やかな寝息を聴きながら、肩を震わせるメイド長の姿があった。
それはドアのそばで緊急時に備えていた、若いメイド達にも飛び火し、すすり泣きのトリオが滲み渡るのだった。
ある日、庭で泥遊びをしているノアの元にセルミアが現れる。
お付きのメイドもすでに髪まで泥だらけである。
その危険な領域を確実に見切った位置でセルミアは止まる。
泥はねの外周部、見事な見切りであった。
「ノア、お願いがあるのだけれど。お風呂に入ってからでいいので部屋に来て頂戴」
そう話しながら、一歩近づいてきたノアから正確に一歩分引き足で滑るセルミア。
その滑らかな動きは、メイド達の敬意をより高めたのだった。
セルミアの部屋に綺麗になり訪れたノア。
髪も綺麗になって片側に編み込まれ三つ編みになっていた。
「ノアに助けてほしい事があるのよ」
そう切り出した。
近々王都からハンターの集団がここに攻めてくるのだと。
ハンターはノアも知っていた。
何度も追われ、拒絶され、糾弾された相手だ。
彼らはこの家のメイドを捉えて連れて行こうとしているのだと言う。
「私も彼女たちを守りたいのだけれど、ノアのような戦う力が無いの」
そういってセルミアはノアの手を取る。
縋るように見たのだ。
ノアの中でも既にセルミア始め、この家の人は全て味方だと認識していた。
いつも世話を焼いてくれるメイド達に危害を加える者がいると。
ノアの中に静かに炎が灯った。
それは黒々と渦巻、ノアの輪郭をなでるのだった。




