契約4 山下とワタル
ピピピッ――スマホのアラームで目を覚ましたワタルは、妹の飛び蹴りを警戒して素早く起き上がった。
身支度を整え、リビングへ向かう。
するとそこには、茜音とマルスが当たり前のように朝食を食べていた。
「ちょっと待てぇぇぇ!!」
「あ、お兄ちゃんおはよう!」
「おはようじゃねぇ!なんでお前ら俺ん家にいるんだよ!」
「別にええやんけ」
茜音は味噌汁をすすりながら肩をすくめる。
「アリスちゃんが朝ご飯食べていきって言うから」
「お前は居候のくせに何してんだ!」
アリスは悪びれもせず答えた。
「だって茜音たちお金ないんだもの」
「は?」
ワタルが聞き返すと、マルスが真面目な顔で説明した。
「実はちょっと契約の関係で....」
茜音はいつもの調子で頷いた。
「両親が多額の借金こさえてな。ある日、ウチだけ置いて二人そろって夜逃げしたんや。ウチが途方に暮れてたところでマルスと出会ったんや。そこでマルスと契約を交わして借金を帳消しにしてもろうた」
「そんな事情が……」
ワタルが茜音を見る。
するとマルスが続けた。
「そして契約の代償として――生活に必要な資金をすべて徴収されました。なので現在、食事を購入する資金がありません」
「お前ら……」
ワタルはゆっくり頭を抱えた。
「いや、待て。借金を消した代わりに生活費ゼロって……契約内容、人生の難易度調整ミスってないか?」
「それが天使との契約よ」
アリスはマルスの説明を引き継ぐように口を開く。
「契約者の願いを叶える代わりに、契約者が最も大切にしているものを徴収する」
「……」
ワタルは黙って聞く。
「何を失うかは契約者によって違うわ。お金だったり、時間だったり、能力だったり……場合によってはもっと大きなものになることもある」
アリスは淡々と続ける。
「当然、願いの大きさや内容によって、支払う代償の重さも変わるわ」
「マジかよ……」
ワタルは思わず息を呑む。
「なんかこうして口頭だけ聞くと……」
ワタルは腕を組みながら呟く。
「アンタらの契約した背景が完全にウシ〇マくんみたいなんだが……」
「アンタは少し黙っとれ」
茜音は即座にツッコんだ。
「でも、それならお前どうするんだよ?」
「何がや?」
「学費とか生活費とか」
ワタルの問いに、茜音は少しだけ表情を和らげる。
「そこは心配いらん」
「ウチの叔母さんが代わりに払ってくれることになっとる。もちろん、いつまでも甘えるつもりはないか
らな。ウチもバイトして返していくつもりや」
「そういう事情なら仕方ないな」
ワタルは少し照れくさそうに頭を掻く。
「ありがとうな、契」
茜音は素直に礼を言う。
「この借りは、いつかウチが返せたら返すわ」
「......おい」
ワタルはすぐさま反応した。
「今の言い方、行けたら行くと同じくらい信用できないんだけど」
「いやいや、返す気はあるで?」
「“ある”じゃなくて“返す”って言えよ!」
いがみ合うワタルと茜音。
「茜音。これを……」
そこへ二人の間にマルスが割って入る。茜音へ渡したのは、教材と――なぜか、たこ焼き器具一式が入った学校指定の鞄だった。
「マルス、おおきにな!」
「おい......教材は分かるが、その鞄に入っている道具はなんだ?」
ワタルは恐る恐る鞄を指さしながら、茜音へ尋ねる。
「何って、たこ焼きの器具に決まってるやん! 校内でたこ焼き売って生活費を稼ぐんやで!」
鞄の中には、鉄板や材料など、たこ焼きを作るために必要な道具が一式揃っていた。
「食料あるじゃねぇか!!」
「何を言うとんねん! これは仕事道具や! 食料やない!」
「いや、それを朝食にしろよ! なんで俺んちで飯食ってんだよ!」
「あのなぁ、契」
茜音は呆れたようにため息をつく。
「家には食料はない。あるのはドッグフードだけや。そのドッグフードで生活しろ言うとるようなもんやで!」
「わけ分からん屁理屈並べるな!!」
「どうでもいいけど、そろそろ家を出ないと遅刻するわよ」
「ですね」
ワタルのツッコミを無理やり打ち切るように、アリスとマルスが登校を促す。
英殿高校。
朝のチャイムが鳴り、今日もいつも通りの一日が始まる。ホームルームが終わった直後、担任がワタルへ視線を向け、軽く手招きをした。
「おーい、契」
「はい」
「ちょっと昼休み、職員室まで来てくれるか?」
「はぁ……」
昼休み。
担任に呼ばれたワタルは、職員室へ向かった。
「お、契! このプリントを山下の家へ届けてくれるか?」
「山下……ですか?」
「ああ。山下の奴、あれからどうだ? 学校には来られそうか?」
「いえ……まだ全然です」
「そうか……まあ、今回はプリントを届けるだけでいい。山下も多感な年頃だからな」
「分かりました……」
担任からプリントを受け取ったワタルは、軽く頭を下げて職員室を後にする。
『山下って誰なのよ?』
テレパシーでアリスが尋ねる。
(山下は中学の頃からの知り合いだ。高校に入学してから、ずっと不登校なんだ)
『アンタと山下って仲良かったの?』
(ああ。友達だからな。それで担任からプリントの受け渡しを任されてるんだ)
『なるほどね』
ワタルがプリントを抱えて渡り廊下へ差しかかった、その瞬間――。
「いらっしゃい! いらっしゃい! 大阪生まれの美少女が作る、絶品たこ焼きやで~!」
熱々の鉄板で生地を焼きながら、大声で客を呼び込む茜音の姿が目に入り、ワタルはその場で盛大に転んだ。
「あの女……マジで校内でたこ焼き売ってやがる!!」
「お、契! お前も一パックどや?」
ワタルの姿を見つけた茜音は、容赦なく営業スマイルを向ける。
「見てない、見てない!俺は何も見てない!」
他人のふりをして、その場を早足で立ち去ろうとするワタル。
「まちーや、ち――」
「白石。ここで何をしている?」
ワタルを呼び止めようとした茜音の声を遮るように、生活指導の教師が現れる。
「あ……先生」
「バイトをすること自体は構わないが、校内での販売は禁止されているぞ……白石」
「いや~、これは……」
(あ~あ……さすがにこれは終わりだろ、白石の奴)
去り際、ワタルは茜音を一瞥する。
遠目から見ると、生活指導の教師と茜音が何やら話し合っている。
そして――気まずそうな表情を浮かべた教師が、茜音から離れていく。その後、茜音は何事もなかったかのように、たこ焼きの販売を再開した。
「ちょっと待て!!何があった!?」
あまりにも違和感のある光景に、ワタルは思わず叫ぶ。
「何って、許可もろうたに決まってるやん」
「客観的に見たら、弱み握って脅迫したようにしか見えなかったぞ!」
「脅迫とか、そんな~」
茜音は笑顔で手を振る。
「ただ『生活指導の先生にセクハラされたってSNSに投稿しますよ』って言っただけやんけ!」
「それを脅迫って言うんだよバカ!!」
「もちろん、ただの口だけの脅しやないで」
そう言うと、茜音はスマホを取り出し、ある画像を見せる。そこに映っていたのは、教師と茜音のやり取りを撮影した写真。
しかし、その角度は明らかに誤解を招きかねないものだった。まるでスキャンダル写真のように見える構図。
「……これ、絶対マルスに撮らせただろ!!完全に弱み握ってんじゃん!!」
「そんなことより、今日帰りに一緒に因果集めしようや!」
「悪いが白石、今日は予定があるからパスだ」
茜音からの因果集めの誘いを、ワタルはあっさり断った。
放課後――。
ワタルは一人で山下の家へ向かう。
『ここが山下って人の家なのね』
(ああ。中学の頃はよく遊びに来てたからな)
ワタルは門を開け、インターホンを押した。
「山下ー!プリント届けに来たぞー!」
家の前で声を張り上げる。
『それで、アンタの友達は何があって不登校になってるのよ?いじめ?家庭の事情?』
「いや、そういう重い話じゃないんだよな……」
『でも担任の前では、ずいぶん深刻そうな空気だったじゃない』
「そういう風に装ってるだけだよ」
その時、胸ポケットに入っていたスマホがブルブルと小刻みに震えた。
――上がって来い
チャットには、それだけが送られてきていた。それを合図にするかのように、ワタルは玄関のドアを開け、勝手に家へ上がる。
『あ、おい!』
「大丈夫だって。いつものことだ」
ワタルは慣れた足取りで廊下を進み、そのまま彼の部屋へ向かう。そしてドアノブを回し、扉を開ける。
そこには、一心不乱に格闘ゲームへ打ち込む少年――山下幸次の姿があった。
「よし!これで999連勝だ!」
「よぉ、調子はどうだ?山下」
「絶好調だ!」
『……ワタル君』
(なんだ?)
『これは一体、どういう状況なんかな?』
アリスの声が若干引いていた。
(山下は『アスリートファイター6』をやり込んでるゲーマーだ)
『は……?』
(今、山下は『アス6』で1000連勝耐久配信をやってるんだ)
『何これ……』
「山下、これ学校のプリントだ!」
「ああ、どっか適当に置いといてくれ、ワタル」
「はいはい」
ゲームに集中しすぎて、学校のプリントなど眼中にない山下。
「お前、ちゃんと飯食ってるのか?」
「エナドリで十分だよ、ワタル」
「そのうち死ぬぞ、お前」
他愛もない男たちの談笑。
『それで、先生には深刻そうな空気で誤魔化していたのね』
(こっちの方が都合がいいっていう山下からの提案だからな)
『何が都合いいのよ……』
アリスは呆れたようにため息をついた。
「よし!これで最後だ!」
山下が身を乗り出す。
モニターには、次の対戦相手とのマッチング画面が表示されていた。山下の対戦相手は中華風の衣装をまとった女性ファイター。対する山下が操作するキャラクターは、ボロボロの道着を着たおっさん。
『FIGHT』の掛け声とともに、激しくぶつかり合う二人。
「うおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げながら、格コンを叩く山下。巧みな指さばきとスティック操作で、女性ファイターをステージの端まで追い詰める。
そして、とどめの一撃を叩き込み、見事1000連勝を成し遂げる山下。
「「よっしゃあああぁぁぁぁ!!」」
歓声を上げながら、ワタルとハイタッチを交わす。
配信画面も祝福のコメントとスーパーチャットで溢れ返っていた。
「1000連勝達成のお祝いだ。何か出前を取って奢るよ、ワタル」
「おお、マジか!」
「その前にトイレだ」
『やれやれ、暑苦しい友情だこと』
アリスは軽く肩をすくめる。
配信を終えた山下がトイレへ向かおうとした、その直後だった。
ドサッ――という音とともに、山下が突然床へ倒れ込む。
「山下!」
異変に気付いたワタルは、慌てて山下のもとへ駆け寄った。
「どうしたんだよ……おい!」
アリスは山下の部屋を見渡す。机の上には大量のエナジードリンクの空き缶が転がっていた。
『恐らく、エナドリの過剰摂取が原因ね』
「そんな!!」
『まさか、こんなところで因果が発生するなんてね……予想外だわ』
「因果って……。アリス、どうすればいい? どうすればこの因果を回収できる?」
『左手の掌にある紋章を、その身体に当てるのよ』
アリスの指示に従い、ワタルは負のエネルギーを放つ山下の身体に左手を当てる。
『そのまま意識を紋章に集中して』
ワタルが左手の掌の紋章へ意識を集中した瞬間――紋章が淡く輝き始め、山下の身体を優しい光が包み込んだ。
すると、山下の身体から黒く禍々しい瘴気が立ち上り、そのまま紋章へと吸い込まれていく。
「う……うん……」
禍々しい瘴気が消え去ると同時に、山下はゆっくりと意識を取り戻した。
「山下……! 山下! 大丈夫か!?」
「ああ……俺は一体――」
困惑した様子で呟きながら、山下はゆっくりと身体を起こした。
(アリス、ありがとう!!)
『それはいいけど、また因果を集めないと駄目ね……』
(へっ……?)
アリスの言葉にワタルの思考は停止する。




