契約3 転校してきた関西娘は契約者
屋上へ通じる人気のない塔屋の中。
転校してきた女子高生が、突然シャツのボタンを外し始める。
それだけでも十分すぎるほど刺激的な状況だった。だが、思春期男子が抱いた淡い期待は――すぐに冷水を浴びせられることになる。
茜音の胸元に現れたのは、ワタルにとって見覚えのある紋章だった。ワタルの左掌に刻まれたものと、同じ契約の紋章。
「えっ……これ……まさか……白石……お前……」
「だから、アンタもウチと同じ契約者っつーことや」
「は……?」
「それに、アレがアンタんとこの天使やろ?」
「ちょ、ちょっと待て待て……」
思考が追いつかないワタルをよそに、茜音は淡々と話を進めていく。
「なんで、いきなりこんな堂々と胸元見せるんだよ……」
「話すより、こっち見せた方が手っ取り早いやろ」
「大胆だなお前……」
(……やば、普通に見えてしまった……)
ワタルは平静を装いながらも、内心では妙な焦りと動揺を抱えていた。
「アリス、お前知ってたのか?」
「知ってたけど、さすがに誰かまでは分からなかったから助かったわ」
軽く肩をすくめるアリス。
「あんたの天使アリスっちゅうんか。よろしゅうな!」
茜音は異人種であるアリスに対しても臆することなく、自然に手を差し出す。
「よろしく」
アリスもそれを受け、あっさりと握手した。
「それで、茜音と契約しているのは誰なの?」
「ああ、そやね。紹介せんといかんね。マルス!」
茜音が階段へと視線を向ける。
そこには、翼を生やした端正な顔立ちの天使――マルスが、一段また一段と静かに階段を上ってきていた。
「アリス……ここであなたにお会いすることになるとは……」
マルスはアリスを見て、小さく口角を上げる。
「アリス、知り合いなのか?」
「ええ。知ってるわよ」
ワタルはアリスの耳元に顔を寄せ、小さく問いかけた。
「マルスは天使の中でもエリートで、豊富な知識を持つ存在よ。天使養成学校でも常にトップ成績で、女子天使たちから黄色い歓声が飛び交ってたくらい」
「そうや、マルスはドラ〇もんでいう出〇杉みたいな存在や」
「もっとマシな例えあるだろ……」
茜音の例えにワタルは即座にツッコむ。
「あまりにも知識が豊富で、誰が呼んだか別名歩くウィキペディアとも呼ばれてた男よ」
「それもそれでひどいあだ名だな!!」
天界で呼ばれてた別名を細くするアリスにツッコむワタル。
「ワタルさん、ウィキペディアというのはですねWikipediaは、誰もが無料で利用で
き、自由に編集に参加できる世界最大のオンライン百科事典です。特徴としては完全無料で広告がなく、世界中の寄付によって運営されていて、多言語展開も――」
「ちょ、長い長い!!」
ワタルが即座に割り込む。
「だめだ……こいつがいるだけで一本まるまる物語が終わる……」
長々と語るマルスに、ワタルは頭を抱えた。
「な? こいつ出木〇君みたいでおもろいやろ!」
「いや、出木杉というより……もはや生きたGPTだよこいつ……」
「いや、GPTよりも酷いわね……」
アリスとワタルはそろって肩をすくめた。
「それで、白石。俺たちにいったい何の用だよ?」
「そんな身構えんでええって。ウチは仕事仲間を見つけたから、ただ挨拶しに来ただけや。お互い仲良く因果を回収していきたいだけやし」
「へっ……?」
ワタルは間の抜けた声を漏らす。
「いや何というかさ、普通こういうのって、事情の通じる人間が目の前に現れたら、バトル展開に発展していく流れじゃないのか?」
「んなアホな」
茜音は即答した。
「仮にそういう展開があったとしても、そもそもウチら戦う理由なんてないやん」
「でも……」
「仲間は多いほうがええ」
茜音は迷いなく言い切る。
「ワタルさん。契約者同士が協力して因果を回収するのは基本ですよ」
マルスも当然のように頷いた。
その時だった。
「――っ!」
アリスの表情が変わる。
同時に、マルスも鋭く視線を巡らせた。
「アリス」
「ああ」
二人はほぼ同時に振り返る。
「どうした?」
ワタルが問いかける。
するとマルスが静かに答えた。
「どうやら、この近くで因果のマイナスエネルギーが発生したようですね」
「マイナスエネルギー……?」
空気が一変する。
先ほどまでの和やかな雰囲気が嘘のようだった。
「行くわよ」
アリスはそれだけ言うと駆け出した。
「ええ」
マルスも迷いなく後を追う。
「あ、おい!」
「なんや、一体……」
突然動き出した二人に戸惑いながらも、ワタルと茜音もその後を追って走り出した。
学校近くの川沿い。
川の中州には、一匹の子犬が取り残されていた。不安そうに鳴く子犬の身体からは、因果のマイナスエネルギーが漂っている。
「川に犬がおる!」
「可哀そうやし、うちらで助けんとな!」
茜音が声を上げる。
「任せろ!」
ワタルは勢いよく制服の上着を脱ぎ捨てた。
「こういうのは男の仕事だ!」
そのまま川へ飛び込む。
バシャーン!!
「おお、意外と頼もしいやん」
「やる時はやるんですね」
茜音とマルスが感心したように見守る。
中州まではあと少し、あと数メートルで子犬に手が届く――その時だった。
グキッ――――
(足が……!!)
ワタルの足に激痛が走る。
昨晩、強盗に撃たれた足だった。
「ゴボッ!?」
「えっ」
「ゴボゴボゴボッ!!」
「足つったぁぁぁぁぁ!!誰か助けてぇぇぇぇぇ!!」
バシャバシャと情けなく暴れるワタル。
そのまま流れに飲まれかける。
「何しとんねんアンタは!!」
茜音のツッコミが川辺に響き渡った。
「ワタル! これを!!」
橋の上からアリスが何かを投げる。
溺れながらもワタルは反射的にそれを掴んだ。
「靴……?」
それは銀色の装飾が施された靴だった。
「ワタル! それを履きなさい!」
「い、言われても――ゴボッ!」
必死に水を飲み込みながらも、ワタルは靴を負傷した足に装着する。
カチッ――装着された瞬間、足輪が眩い光を放った。
「なっ――」
次の瞬間だった。
ドォンッ!!
水面が爆発したかのように弾け飛ぶ。ワタルの身体は川を突き抜け、そのまま空高く打ち上げられた。
「な、なんじゃこりゃああああああ!!」
眼下に広がる川、どんどん小さくなる橋。
突然の超跳躍にワタルは絶叫した。
「アレは、天界道具『じゃんぴんブ~ツ』」
「なんやねんその靴?」
茜音が空を見上げながら聞く。
「あの靴は装着すると、天高くまで跳躍できる。天界製の靴だ」
マルスが淡々と説明する。
「なんでそんな便利なモンを最初から渡さんかったんや?」
「まさか川へ飛び込んで足をつるとは思いませんでしたので」
「それはそうやな」
茜音は納得したように頷いた。
そして上空では――
「だから助けろって言ったけど空へ飛ばせとは言ってねぇぇぇぇぇ!!」
ワタルの悲鳴が響いていた。
「うっさい!! それより子犬を助けんかい!」
アリスはワタルの悲鳴を一蹴した。
「いや、その前に着地どうすんだよ!?」
「大丈夫よ。その靴を履いてる限り着地の衝撃は打ち消されるから」
「信じるぞ、アリス!」
「信じなさい!」
ワタルは宙に浮いたまま中州へ狙いを定める。
そして――
「うおおおおおおっ!!」
勢いよく飛び降りた。
ドスン。
思ったよりも軽い着地だった。
「おお……本当に衝撃ない」
「当たり前や」
「そこは疑うな」
川岸から茜音とアリスのツッコミが飛ぶ。
「よ~しよし。もう大丈夫だからな」
ワタルは子犬へゆっくり近づく。
しかし――
グルルルル……
子犬は低く唸った。
耳を伏せ、身体を震わせながら警戒している。
「え?」
ワタルは足を止める。
「なんで?」
「ワンッ!!」
「うおっ!?」
子犬は思い切り吠えた。
「いや待て待て! 助けに来たんだって!」
必死に両手を振るワタル。
だが、先ほど空から降ってきた挙動不審な人間を見て安心できる犬などいるはずもなかった。
ワタルたちに助けられたことも理解しないまま、子犬は元気よく土手を駆け上がっていく。
「ワンッ!」
そのまま振り返ることなく走り去っていった。
一方その頃――
「いてててて……」
ワタルは腕や足に残った噛み傷を押さえながら、子犬の背中を見送っていた。
「いや~、一件落着やな」
茜音が満足そうに頷く。
「どこがだよ……」
ワタルは半眼で返した。
「マイナスエネルギーの因果を取り除いた後って、なかなか気持ちいいものね」
アリスは夕暮れの空を見上げる。
「確かに。いい仕事をしましたね」
マルスも静かに頷いた。
「いや、これほとんど俺が動いただけだよね?」
ワタルが指差す。
「川に飛び込んだのも、溺れたのも、空に打ち上げられたのも、犬に噛まれたのも全部俺だからね!」
三人は夕日に照らされながら、どこか達成感に満ちた表情を浮かべていた。
「なぁ~に“一仕事終えていい汗かきました”みたいな顔してんだよ!ムカつくんだよ!」
ワタルのツッコミは止まらない。
「あと、お前ら途中で解説してただけだからな!?」
「いやいや」
アリスが首を振る。
「サポートも立派な仕事よ」
「サポートってレベルじゃねぇだろ!!」
夕日に向かって響くワタルの叫び。
そんな彼をよそに、アリス、マルス、茜音の三人は満足そうに土手を歩いていくのだった。
自宅マンション。
「あー……散々な一日だった……」
クタクタになったワタルは、重い足取りで共有廊下を歩いていた。
「でもおかげで因果は回収できたじゃん!」
アリスが明るく言ってフォローする。
ワタルは左掌へ視線を落とした。
契約の紋章は僅かながら光が広がっている。
確かに成果はあった。
「こんなの毎日やってたら俺の身がもたんぞ……」
深いため息をつきながら自宅の前へ辿り着く。
そして――ワタルは目を疑った。
「おっす、契!」
「こんばんは、ワタルさん」
そこには見慣れた二人の姿、茜音とマルスが立っていた。
「なっ……!? お前らなんでここに!?」
「いや~」
茜音は悪びれもなく笑う。
「ウチの叔母さんがこのマンションの管理人しとるんや」
「は?」
「それでな、一室空いとったから無償で貸してもろたんやけど――」
茜音は隣の部屋を指差した。
「まさか隣がアンタん家とはな!」
ニカッと笑う。
「ラッキーや!」
ワタルは数秒固まった。
そしてゆっくり隣のドアを見る。
今朝、物音がしていた空き部屋。
(あの時の隣人、お前だったのかよ……)
「よろしくな、ご近所さん♪」
「よろしくお願いします」
マルスが丁寧に頭を下げる。
「よろしくじゃねぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ワタルの絶叫がマンション中に響き渡った。




