第9話「■■の独白」
21時半。この無機質なビル群の明かりは、いつもと変わらずに煌々と照っていた。
オリジンアーカイブで最も高いビルの屋上のへりに座り、青白いビル群を見ながら、俺はお気に入りのワインを開封する。
2030年製のベルギーワイン。仮想現実でこの風味を再現するのには苦労した。
グラスに注いだワインから漂う芳醇な香りが、この無臭な街に少しばかりの色どりを与える。
クルリとグラスをひと回しすると、ワイン特有の渋い香りが漂う。
一口、ワインに口をつけると、突如ログが開かれる。
「そうか、無事に―――」
一人言葉を漏らした俺は、ゆっくりと立ち上がる。
ビル風が吹いている。ヨレたジャケットが風になびくのを感じながら、俺はワイン越しの夜景を眺めていた。
口の中に残るワインのざらつき感が少し弱い。本物はもっと口の中にべっとりと、またはザラリとした感触が残った物だが…
このワインも、所詮まがい物。妥協の産物だ。
再現なんて言ったが、別物であることを俺は知っている。
妥協は大人らしさだなんて粋がっていた時期もあったが、そんなものは妥協せざるを得ない状況に立ったことのない、子供の背伸びだ。
妥協は決してカッコよくはない。情けないばかりだ。
人は自由意志によってのみ救われると信じていた。
しかし、無限の自由が最も不自由なのだと気づくのには、相当の時間を要した。
寿命が迫り、命の残り時間という不自由がちらつき始めてから、俺のやる事が決まった気がする。
彼はどう思うだろうか。自由をどう解釈してくれるだろうか。
俺は出せなかった。
自由な世界、老いない体、無限の富と力を手に入れた俺は、かつてないほど空虚だ。
なんでも持っている。なんでも手に入る。それが、ここまで何もないとは思いもしなかった。
思えば、世界に不平不満を言っていたあの時代こそが、濃密で自由だったと思えてならない。
この町で、この世界で、ハコブネに生きる人々は、自由だ。その自由を俺はどう感じればいいのか。そして、行き過ぎた自由が、この世界に何を生み出してしまったのか―――
俺の役目はココまでだ。
次の春には、俺は「これから」を選ぶことになる。
俺は半分も口をつけていないワイングラスを床に置いた。
雲よりも高くそびえるこのビルに、誰かが来たとき、この景色を見ながらワインでも飲んで欲しい。
少しばかりの置き土産としよう。
目もくらむような高層ビルから一歩踏み出す。
足場を失った俺の身体は、重力によって自由落下する。
月が静かに光っている。ビルの明かりは何も言わない。
ただ俺に言えることはこれぐらいだろう。
「ハコブネへようこそ。」
to be continued
これにてプロローグ編は完結となります。
不定期更新になっておりますが、今後も何卒。




