20.後悔
「聖女?」
聖女はそうそう現れるものではない。三百年に一度現れればと、民が願うような存在。
「マテオ皇帝陛下、不敬にも聖女などと自称するような怪しい女と会う必要はございません」
珍しく冷や汗を掻くロランド公爵。彼の動揺が見て取れるようだ。
「通せ」
亜麻色の肩までの髪にアメジストの瞳をしたクリーム色のドレスを着た女。身綺麗にしているが所作が洗練されていない。彼女はロランド公爵を見るなり目を見開いた。
「メルチョル・ロランド公爵閣下!?」
「何だ? 二人は知り合いなのか。ロランド公爵は聖女が現れたのに帝国に申し出てないのか? それともこの女が自分が聖女だと嘘をついてるのか?」
聖女は貴重な存在で現れれば、帝国に申告するのは義務。
ロランド公爵が申告義務を怠り囲い込んでいたとあれば罪。
もっとも、聖女を囲い込むメリットがあるとは思えない。
聖女を発見して申告すれば、それ相応の名誉と報酬がある。
(何だ? この違和感は⋯⋯)
「いえ、違います。このような女は初めて見ました。私は度々新聞記事にも載る有名人です。彼女もそれで本当に会ったことがあると勘違いしたのでしょう」
俺がチラリとルチアナを見つめると、彼女はコクコクと頷いた。
皇帝を前にしているのに、子供のような仕草。頭の足らなそうな女だ。
「ロランド公爵、下がってくれ。自称聖女と話がしてみたい」
「いえ、でも!」
「下がれ! 命令だ」
俺の言葉に、ロランド公爵が一礼し部屋を出る。
「でっ、何のようだ? 聖女ルチアナ」
「私を聖女と認めてくれるのですね。実はアドリアーナ様より離婚状を預かって来ました」
震える手で、彼女が差し出した離婚状を受け取る。アドリアーナの名前が彼女の直筆でしっかりと記入してあった。
見間違える訳がない。結婚証明書に書かれていた美しく女性らしい字。見惚れるような筆跡で、書かれた残酷な事実。
(俺と別れたい? 愛人にそこまでのめり込んだ?)
「何でこんなものを⋯⋯」
見知らぬ女が先月結婚した妻の離婚状を持ってきた。会って言葉を交わさなくても思い合っていたと信じてた妻が、俺と別れたいと言っている。こんな状況受け止められる訳がない。
「アドリアーナ様から伝言です。大嫌いだから二度と会いたくないとおっしゃっていました」
ペレスナ帝国の最高位の女性の称号をアドリアーナに与えるのに、それを突き返すくらい俺が嫌い?
心臓の鼓動が狂ったように早くなる。アドリアーナが俺を拒否しているのを認められない。
世間慣れしていない彼女が一時的に他の男に目移りしたのなら、奥歯を食いしばり我慢できた。
しかし、彼女が二度と俺の元に戻る気が無いのは許せない。
「嘘だ! そなたは嘘を言って俺を惑わそうとしている。目的は何だ?」
アドリアーナが俺を拒否する訳がない。
俺に縋るような目で見つめてきた窓越しの視線。
結婚してからは俺を殺さんとばかり襲いかかってきたが、本気ではなかったと手合わせした俺なら分かる。
俺に襲い掛かったのはロランド公爵の指示。あの夜もアドリアーナはロランド公爵の指示に従ったフリをしただけ。ロランド公爵を問い詰めたいが、それはアドリアーナの暗殺未遂を糾弾することに繋がる。
ロランド公爵は彼女の父。彼女ともっと分かり合い、どのようにロランド公爵を排除していくか話し合いたかった。
「私は聖女の力を持っています。私、ずっとマテオ皇帝陛下をお慕いしておりました。幼い時に遠目で見た麗しいお姿が忘れられなかったのです。陛下の役に立てる女として尽くさせてください」
眼前の女の意を決したような告白。
全てが演技くさく見えるのは俺自身も日々演技して暮らしてくるから。
しかし、演技ができなくくらい魂を吸い取られるような感覚に陥った時がある。
(アドリアーナに会いたくて気が狂いそうだ⋯⋯)
「ルチアナ。お前を信用するのは難しい。なぜ、ロランド公爵と顔見知りだった。聖女の力があると申していたが、発現したのはいつからだ? なぜ、アドリアーナがお前に伝言など託すのだ」
「信じてくださいマテオ皇帝陛下。私が聖女の力が発現したのは十五年前。幼い子供だった私はロランド公爵閣下に捕えられ公爵邸に囲われていました。アドリアーナ様とは何でも話せる姉妹のように育ちました」
ルチアナが微笑みを浮かべながら語る全てが嘘っぽい。可愛らしい見た目をした彼女は自分が笑えば男は皆従うと思ってそうだ。
彼女のような女は幾らでもいる。アドリアーナは他の女とは全く違う。自分の美しさが武器だとは全く思っていない。
俺を求めるような強い視線を向けて来たかと思えば、憎しみに満ちた目を向けて来る。彼女の視線は自分にとって俺は特別だと告げているようで、目が離せなかった。
アドリアーナの魔性の魅力。
皇帝になれば手に入ると思った彼女が、今は遠くガルシアン王国で他の男といる耐え難い事実。しかし、その苦い事実を突きつけられ気がついた。俺は自分から逃げた彼女を憎く思いながらも、心の底から愛し求めている。
彼女の張った蜘蛛の巣に掛からないように存在を無視しようとも思ったが、今は自ら彼女に喰われたい。
「聖女の力? そんなものはアドリアーナだって持っている」
「そんなはずありません。だってアドリアーナ様は!」
ルチアナは何かを言いかけてやめた。
「何だ。言え! 言わないなら、地下牢にぶち込むぞ」
地下牢で燃え盛った松明を令嬢の口に突っ込んだアドリアーナを思い出した。あの時、彼女が言った言葉が頭から離れない。俺にとって『女はモノ』で自分も同じだと切なそうに言った彼女の意図。
彼女は毒を盛った令嬢を俺に罰して欲しかったのだ。彼女自身が毒で中毒になるのを未然に防いだから、気が付けなかった。
目に見えるものばかり信じた結果、愛する女性を失い欠けている。
アドリアーナの強さの秘密、精神が分裂している理由。分からない事ばかりなのに、彼女が俺を求めていた瞬間があったことだけは分かる。
「そんな⋯⋯私は聖女ですよ。そんな乱暴な扱いが許されるはずありません」
「聖女だから何なんだ? 俺の聖女は毒を盛られそうになったぞ。俺の聖女は他に何をされた? 何を知っている? アドリアーナと姉妹のように育った? 嘘を吐くな。今度嘘を吐いたらお前の舌を切る!」
自分の都合の良いような嘘ばかり吐く聖女ルチアナ。彼女を生かしておく意味はただ一つ。彼女から俺の知らないアドリアーナを聞き出すこと。
「アドリアーナ様は何度も怪我をされたけれど、自分の身体も治せません。聖女でも何でもない、普通の女だったはずです。だから、聖女をご所望ならこの私が陛下のお側に侍りたいと思っている所存です」
「身体を治す? アドリアーナが怪我をした事があったのか?」
病弱だとは聞いていたが、そんな話は聞いた事がない。会いに行かなくなった後は、度々手紙を送ったが、一度も返事が来た事はない。
一度だけ目が合った瞬間を大切にしているのが自分だけなのかと非常に虚しい気持ちになった。
アドリアーナは普通の女ではない。
一目で俺の魂を奪うほど虜にさせ、悪魔のような戦闘力を持つ特別な女。
そして、心が引き裂かれて二つの人格を持つ程の目に遭わされて来たかもしれないという俺の予想が当たらないで欲しい。
俺は自分で尋ねながら、自称聖女の次の言葉が気になり息ができなかった。
「正直に話せば、私をお側に置いて頂けますか?」
「皇帝である俺相手に交渉しているのか? お前に選択肢はない。正直に話さないと皇族侮辱罪でお前を罰するだけだ」
俺の言葉にルチアナは本気で怯え出した。アメジストの瞳に涙の膜を張っている。
「私、侮辱なんてした覚えはありません。アドリアーナ様はロランド公爵閣下に監禁され、陛下を暗殺する為に命を削るような訓練を受けてました。それから、アドリアーナ様は⋯⋯」
意を決した女から語られた真実に、俺は何も知らなかった自分を殴りたくなった。
少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマーク、評価、感想、レビューを頂けると嬉しいです。貴重なお時間を頂き、お読みいただいたことに感謝申し上げます。




