第二四話 天明恐慌 前
【凡稗官(洒落本)を編に一ツの書法あり。能ク近く譬をとらば立役真剣を抜イて実に敵役の頭を刎。やつし女形をとらへて前をまくりはたえをあらわにしてゑならぬことを仕出し。道外褌をはづして睾丸を振リ廻さば。目を驚かし片腹を抱ゆべけれど。正の物を正で御自らに懸からずして。しかも正の物のごとく見するを上手の芸と云うつべし。戯作も亦然り実を以て実を記すは実録なり虚を以て実のごとく書き成すは戯作なり。洒落本の洒落を見て洒落る洒落は洒落た所が洒落にもならねば。只可咲をもっぱらとすべしと此語戯作の確論といふべし】
『田舎芝居』著・序文 万象亭
「やーめだやめだ! くそっ。こんなのは馬に念仏だっての!」
大声で吐き捨てると、伝蔵は万蔵の新刊を後ろに投げ捨ててひっくり返った。
「これが、森島様の予言なんですか?」
百樹が兄の投げ捨てた黄表紙を拾って、丁をめくる。
伝蔵は腕枕のままで押し黙る。
「百樹。お前さ、今年で何作、出した?」
「えっと、恥ずかしながら、まだ四作ですが」
「書いた黄表紙を、こちらが仕掛けた話の種や趣向をバラされるのも業腹だが、まだいいとして、首を刎ねられる理由があったとしたら、どうだ?」
「え、首をっ。そりゃあ嫌ですよ」
「私も嫌だよ。巫山戯た話さ。それがもし、もしもだ。現に起こるとしたらどうする?」
「世も末です」襖の向こうで、よねがぼそりと言った。「戯作を書くことが怖くて誰も書けなくなります。戯作者って読んでくれる人を笑わせるのが仕事ですもの」
「そうだ。そうなんだけどなあ」
「兄上は笑わせる内容が気に入らなかったら首を刎ねる時代がやってくると?」
「だからもしもの話だ。もしそうなら……ある日突然に、かもな」
「兄様」よねが少し襖を開けた。「森島様。よほど戯作嫌いのお武家様に出会ったのかしら」
「そこだよ、よね」伝蔵も畳から達磨然と跳ね起きた。「そこが万蔵さんの言いたかった本筋だろう。万蔵さんは顔が広い。おそらく戯作者の心胆を寒からしめるほどの石頭の唐変木に出会ったんだろう。しかも向こうさんの戯作嫌いは本気も本気、筋金入って芋まで焼けるってなもんだ」
襖の隙間から、よねがくすりと笑息を洩らしたので、伝蔵も少し強ばった顔を緩めた。
机に森島の戯作をおいて、百樹は思案げに小首を傾げた。
「その人物が、兄上と蔦屋さんを目の仇にするかもしれないんですか?」
「万蔵さんの見立てでは、そういうことらしい。百樹。外で万象亭の話が出たら、私が序文だけ読んでキレていたと言いふらせ。あの方に迷惑がかかっちゃならんからな」
「心得まいた」
しかつめらしい部外者の返事に岩瀬兄弟が庭先へ振りかえると、滝澤左七郎が立っていた。
条件反射で、いつものように百樹が噛みついた。
「お前さあ、勝手に人ンちにはいってくんなよ!」
「左七郎どの、今日はどうしたんだい?」
伝蔵も本人から強く請われて、武家相手の敬語を諦めた。
「実は、誠に言いにくいのだが、ですが、食べ物を少し分けてもらえないかと」
「お前なあッ。もう帰れよ、自分の家に!」
「百樹、それは言い過ぎだ。人にはそれぞれ事情があるんだ」
「事情って、なんか兄上は、こいつにだけ甘くありませんかっ」
「そういうお前は、左七郎どのにだけ辛すぎないか?」
憤慨を口にする弟を、伝蔵は微苦笑であしらった。
「左七郎どの、うちも米は無理だが、昨日、庭隅に植えた里芋の穫り置きがあったはずだ。そろそろ夕飯だから食べていくといいよ」
「ご厚情かたじけなくっ、遠慮なくいただきます」
「五穀譲渡せんかたなく、遠慮していただけませんかねえ!」
伝蔵にはいまだに、百樹が滝澤左七郎に憎まれ口を叩く理由が分からなかった。
よねは知ってか知らずか納戸でくすくす笑っていた。
天明七年、五月。
普段、穏当な父伝左衛門が珍しく憤懣を抱えて帰宅した。
「伝蔵。奉行所のほうにはどんな用事があっても、今はいくなよっ」
「親父殿。何があったんです?」
「米相場が、いや江戸に米が届かないらしい。米卸問屋株仲間が売り渋りを始めている、という流言蜚語を瓦版が流し始めた。奉行所に町中の世話人たちが押しかけて、いつ火付けされてもおかしくない有り様だ」
二年前の天明五年まで、百文で一升一合(一六五〇グラム)買えた白米が、今月に入って百文で四合半(六七五グラム)にまで暴騰し、いまだ沈静の気配を見せないという。
この事態に町奉行曲淵影漸は、「なんとか食いつなぐように」「米以外の穀物で凌ぐように」という趣旨の通達に終始した。
「おまけに、これだ」
父が見せた瓦版には、漉き返し(再生紙)にひどい悪字で書き殴ってあった。
【 名奉行宣う、『米が食えねば、犬を喰え。猫を喰って飢えを凌ぐがよい』 】
伝蔵も呆れ、声もなく顔をしかめる。父は酸鼻すら通りこして怒っていた。
「米相場がお手上げなのは町人だけじゃない、奉行所の役人も幕政もだ。なのに人が窮して弱りきってるところへ火に油を注ぐように煽って、ましてや、さんざん名奉行だ名裁きだと褒めそやしておきながら掌を返したように言葉で嬲るなんざ、煽る連中の正気を疑うよ」
「旦那様、米の値は飢饉の影響だけなのですか?」
母大森がたずねると、父は袖の中で腕組みして眉間にしわを寄せた。
「いろんな事情が絡み合ってる気がするな。どこも米不足というのは間違いないが、そこに便乗した投機、ほら、前に米穀売買勝手令とかってお触れが出たろう。あれで米問屋以外で米を扱える人間が一時的に増えた。おまけにそいつらは米の現物売買じゃなく、帳面上での売買を盛んにやったんだ。商人だけじゃなく武士も寺社も処士もな。米の値が吊り上がってるのはその相場への新規参入が大きいのかもしれんな」
「でも、旦那様。その吊り上げている方々も米を食べて生きているのでしょう?」
「いや、まったくだよ。米の相場が上がって困るのは己だっておんなしはずなのに、金に目が眩んで自分が買う相場をつり上げているんだ。まるでタコが自分の足を食ってるのと同じ情況だってことにちっとも気づいてない」
まるで商人と花魁の会話を聞いているようだ。ゆったりと和んだ会話の中でも、有識の両親は世相を一歩引いた見方をするので、そばで聞くのうらく息子のタメになる。
そこへ、外から人の殺気だった声が飛びこんできた。
「家主さんっ、伝左衛門さんはいるかい!?」
父はすわっと立ちあがって玄関に向かった。
「親分、どうしなすった」
「両国橋で身投げです。一度に四人。一家心中だと思う。橋番が吉川町にも助けてほしいって言ってます」
「わかった。町方は?」
「手下に奉行所へ走らせました」
「よし。支度するからちょっと待ってておくれ」
父は台所に行くと飴色になった芋の煮っ転がしを一つ、口に放り込んでから玄関を飛び出していった。六十を過ぎた人間とは思えぬ身軽さだ。
母大森は父を見送ったあと、白米を研ぎ出した。
「母上?」
「人の生き死にに関わる大事に、芋一つでは身が持たないでしょう?」
伝蔵は、自分の両親を誇らしく思った。




