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京橋の伝と本所の銕(てつ)  作者: 泥亀草也
第二章 伝蔵とよね
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第十四話 手拭い合わせ・開催と伝蔵、弟子を取る



 六月二一日。

〝手ぬぐい合わせ会〟が池之端・蓬莱ほうらい屋にて催された。

 伝蔵と、四方赤良と北尾重政と森島万蔵がもてる大人脈で、六六案の手拭いが集まった。


 大名家/雪川公こと松江藩公子松平衍親(のぶちか)杜綾(とりょう)公こと姫路藩公子酒井忠因(ただなお)(のちの江戸琳派の祖・酒井抱一)、香蝶公こと松前藩公子文京(松前藩主道広の弟で寄合三千石・池田頼完(よりさだ)。号は笹葉鈴成)。遊里/亀十・紫橋・仙里ほか、役者/市川三升(さんしょう)(五代目團十郎)・中村重助、長唄/松永和風、画師/北尾重政、政美、喜多川歌麿、行麿ほか、狂歌師/四方赤良、芝全交、万象亭、鴨鞭蔭(かものむちかげ)(加藤千蔭)など錚錚そうそうたる有志文人の名が一堂に会した。


 蓬莱屋二階の大座敷で壁ぎわと中央に衣桁いこうを並べて、そこに手拭いを上下に二枚ずつ、大名家と花魁は蒔絵の低い衣桁一つに一枚を垂れさげた。ぞろ目は縁起が悪いので、伝蔵があとで十枚の意匠を足し、七六枚にして白鳳堂から刊行する予定だ。


 伝蔵や万蔵、狂歌師たちの前触れの努力が実を結び、蓬莱屋は満員御礼となった。そして、その大座敷の奥上座には、本会催主である山東京伝の妹黒鳶式部が座布団に座る。

 生まれて初めての小紋打ち掛けを着、化粧されたすまし顔は母親譲りの器量好し。これから大名家に輿こし入れする物腰、父伝左衛門、母大森も介添えし、来る客からの挨拶を丁寧に応じている。顔が緊張で引きりっぱなしなのがなんとも初々しい。百樹は相変わらず笑いっぱなしだ。


「ふむ、ここから眺めていると、まるで質流れ掛け軸のり会みたいだな」


 父伝左衛門も賑々しい場は久しぶりなせいか、身も蓋もない冗句をいった。


 ……頼むから、公子たちの御前で、それを言うのだけはやめてくれ


 伝蔵と万蔵はげんなりした。


 大名家は雪川、杜綾の両公がそろって訪れた。

 おなりの先触れがされ、居合わせた全員がその場に平伏する事態になった。


 広間は行列。その状態で客たちが慌てて道を開けようとしたので、広間中央の衣桁(いこう)が次々倒れて、どったんばったんの大騒ぎ。果てには客が展示物の手拭いを踏んで、破れてしまった。


 そんな騒動もあったが、黒鳶くろとび式部の迎賓の口上もなんとか形となり、手拭い合わせは夏の長い日没をもって閉幕した。


「たなぐいあわせ……いや、『志やれぞめ 手拭い合わせ』でいくか?」


 破れたのは鴨鞭蔭(かものむちかげ)(加藤千蔭(ちかげ))の手拭いだった。

 伝蔵は描き取り帳に今日の手拭いの素描をしたためながら、


「万蔵さん、後をお願いしてもかまいませんか?」


「ん、どうした? この後、蓬莱屋が一席(もう)けてくれる手筈だぞ?」


「加藤先生の手拭いが破れてしまったんで、お詫びも兼ねてこの手帖の下書きを仕上げて八丁堀へ納めてきます」


「図案の試し染めなのに伝蔵も律儀だねえ。まあ、うん、わかった。加藤先生によろしく言っておいてくれ」


 加藤千蔭とて染め案段階の手拭いが破れただけで怒りはしないだろうが、せっかく出品したものが難を受けたでは落胆することだろう。町奉行吟味役の仕事で蓬莱屋まで顔を出せなかったようだし、参加したのにいいことなしでは立つ瀬がない。百樹のお師匠だし。


「ここはあえて、加藤様から笑いを取りにいってみるか?」


 加藤千蔭が出品した手拭いは左右二色染めで、境界からちょうど真っ二つに裂けていた。


「真っ二つ、破れた手拭い、ふく笑い……笑いねえ」


 伝蔵は何の気なしに、裂けた手拭いをにゅっと左右に広げてみた。すると、


「あっ!?」


 木綿生地の間から、百樹がこちらを覗きこむように顔を出してきた、気がした。

 当の本人は父母と妹の付添いをし、蓬莱屋の折り箱を抱えて先に帰宅している。けれど伝蔵には、破れた手拭いを指で押しのけ、不思議そうにこちらを覗きこんでくる弟の鼻が見えたのだ。


「これだ……面白いかもっ」


 百樹にはあとで自分を描かれたとバレないよう、目と鼻だけ土山宗次郎のと付け変えた。

 うん、実にいい感じにブサイクだ。笑える。笑いが取れる。 



 八丁堀。

 帰宅していた加藤千蔭に事情を話して手拭い素描手帖を見せると、自分の手拭いから顔を出す男を見て、爆笑。すぐ寛恕かんじょしてもらえた。


「いやー、久しぶりに笑った。北尾政演(まさのぶ)は美人画が多い中、こやつの面相、とくに鼻が良いな、うんうん。これはまさに〝京伝鼻〟だ」


「京伝鼻って、先生。私はそんな鼻じゃございませんよ」土山の鼻だし。


「いや、そうではない。この鼻は一度見たら忘れられぬ滑稽こっけいさに、そこはかとない愛嬌もある。いつか、こやつの戯作の考えてみてはどうかな?」


「え、こいつのでございますか?」


 意外な提案に、伝蔵の方が鼻白んだ。

 加藤千蔭は空咳を打って、本題に入った。


「話を戻すが、この手帖の松平、酒井ご両公の御記文は、もっと武家寄りの戯作文がよいから、森島君か白鳳堂にいって武家(よう)()る狂歌師に校閲を頼んだ方がよいと思う。杜綾公は尾形光琳に造詣の深い画師でもあるが、やはり見映えのする御記文を載せるのがよいだろう」


「わかりました。ご指導ありがとう存じます」

「うん。それで、これをどこに奉献するのだね?」


 忘れていた。それが主眼だった。


「えっと、場所も不忍池でしたので、寛永寺を考えておりますが」


 すると加藤千蔭は表情を曇らせた。


「無理だろうな。あそこは多忙を極めている。浅間山の鎮護祈祷すら、すでに捨て置かれている有り様だよ」

 おもむろに加藤千蔭は目線をあげて、言葉に迷った。


「いずれ森島君が話すかも知れんな。当面ここだけの話にしておいてくれ」


 加藤千蔭は表情を曇らせて声をひそめた。


「奥の院で、公方様(十代将軍家治)が倒れられたそうだ。心痛らしい。時期は佐野の乱心より前だそうだ」


「それでは、刺された田沼意知様は……っ!?」


「うん、病床にあった公方様からの(おぼ)()しがあったのだろう。そして事件から八日も持たせられたのはやはり、将軍家奥医師法眼(ほうげん)・桂川甫周(ほしゅう)が江戸随一である故なのだろうな」


 何かが終わろうとしている。その気配を感じとり、伝蔵は押し黙った。



 その夜。帰宅すると、よねが知恵熱を出して寝こんでいた。

 母によれば熱を出してもやり遂げた笑顔を浮かべるので、悪い疲れではないらしい。


「あんなに興奮して明るい顔をするあの子は久しぶりですよ。ありがとう、伝蔵さん」


「よしてください、母上。よねを担ぎ出したのはむしろ、私の方なんですから」


「よねも十四、納戸で、草双紙に囲まれる生活に鬱屈はあったはずです。これからも家の外へ目を向けられるものがあるとよいのですが」


 それじゃあ、狂歌の手ほどきもしてやろうかな。生きる土台のような趣味はあって邪魔になるもんじゃない。


「あの、兄上」

 百樹が煮え切らない顔をして近寄ってくる。なんだなんだ、こいつまで可愛い顔をして、

「わたしも戯作を書いてみたいのですが」


「はあ?」伝蔵も怪訝な顔をする。「だってお前、よねがやってることずっと笑い転げてたじゃないか」


「いや、それは……そうですけど。でも馬鹿にしてたわけじゃないですよ」


「ふーん、戯名は決めてあるのか?」


「築地在住の山東けいこうでやっていこうかと」


「けいこう? 築地? 万象亭(万蔵)にあやかって小賢こざかしく立ち回ろうって?」


「言い方。狂歌は朱楽菅江先生の歌集で勉強してました。小僧の戯作だと馬鹿にされないためです」


 そういって、小筆で紙に「鶏告」と書いてみせる。


「もしかして、狂歌師の朱翁鶏告、海辺汐風ってお前のことだったのか」


 戯作の世界は存外、狭い。百樹は名前を書いた紙を慌てて後ろに隠した。

 兄に内緒で正統派をかじってちょろちょろ動き回っていた割に、世をウガツという機微をまだ理解してないから鳴かず飛ばずといったところか。


「でも、いつも早起きしくれそうな戯名ね」


 母大森が微笑とともに呆れた声を洩らす。母は、よねだけでなく百樹にも甘い。


「狂歌師より書画家みたいな戯名。ジジくさいっ」ここぞとばかりによねも枕元から逆襲に転じる。


「うるさいよ。ねえ、もういいじゃないですか。弟子にしてくれるんですか、してくれないんですか」


 弟子入りするのに師匠より弟子の態度が大きすぎる。


「一つだけ言っておく。戯作者になるのに重要な心構えだ」


 伝蔵は師匠として堂々と胸を張った。


「戯作では食っていけない。戯作が黄表紙になるまで板元は金の無心は一切、受け付けないからな。覚悟しておけよ」



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