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あたらしくうつくしいことば  作者: 石川博品
6/6

第6章 わたしたちのことば


 右手第2および第3(ちゅう)手骨しゅこつ骨折、全治6週間というのが医師の診断だった。


「な~んか納得いかねえ」


 わたしはギプスでがっちり固定された手を振っていった。


 昇降口を入ってすぐの掲示板に今回の事件に対する学校側の発表が張りだされてある。


 北村恵美は停学1ヶ月になった。


「WHYなぜにわたしの治療にかかる時間よりあいつの停学期間の方がみじかいんだよ!」


「でもこれより上ってなると、もう退学しかないよ?}


 梓がいう。


「いいよ、退学で。人をバットでぶんなぐったんだよ? ていうか死刑でいい。犯罪者は全員死刑で」


「そういうのは国会でいってくれ」


「マジいいたいわ。わたし選挙出よっかな」


「史上初のろう者の国会議員になろうって女の公約が『犯罪者は全員死刑』だったら聴者の人らビビるだろうなあ……」


 わたしはイライラしていた。右手が使えないせいでことばの半分があやふやなものになってしまう。書くときも左を使わなければならないので、自分のものでないような字がノートに並ぶ。


 三宅は脛の骨を折って学校を1週間休んでいた。


 わたしは彼女のお見舞いに行くことにした。あの日、助けを呼んでくれたのは彼女だ。脚をやられて立てなかったため、這って図書室の外まで行ったのだという。


 彼女の家は学校から電車で6つめの駅にあった。


 ろう学校は数がすくないのでみんな遠くから来る。地方によっては家から通えないため寮に入るのが前提だったりもする。だが彼女の家は例外的に近い。こんなに近いのに東南女子でなく倉木に通っていたのが不思議だ。


 駅から徒歩5分のところにある3階建ての家のチャイムを鳴らす。女性がドアを開けて出てきた。手話ではなしかけてくる。日本語同期手話なのでよくわからない。さいわい、手話と口話を同時に使うシムコムなので、読話することにする。


「木之瀬紗雪さん?」


「そうです。はじめまして」


「ごめんなさい。国語手話はよくわからないの」


 わたしはうなずいて応える。


「真奈美の母です。お怪我の方はだいじょうぶ? 手話で片手が使えないとたいへんでしょう?」


 わたしは肩をすくめた。そちらこそ国語手話ができなくてたいへんですね、といいそうになる。いっても相手はわからないだろうが。


 三宅は3階の自室で横になっていた。左足を覆うギプスがベッドに深く沈みこんでいる。わたしが部屋に入ると、彼女は読んでいた漫画を置き、体を起こした。


「ひさしぶり」


「うん」


 わたしは椅子を引いて腰かけた。


 彼女はわたしのギプスを指す。


「全治どれくらい?」


「6週間。そっちは?」


「1ヶ月。勝った」


「やっぱ納得いかねえわ」


 わたしはため息をついた。


 なぜか彼女が吹きだす。


「ことば、片方変だね」


「うるさい」


 三宅のお母さんが入ってきて、部屋の中央にある小さなテーブルにジュースの入ったグラスを置いた。


「ありがとうございます」


 わたしがいうと彼女はほほえみながら会釈をする。


 彼女はベッドの娘にグラスを手渡して日本語同期手話ではなしかける。三宅も日本語同期手話で返す。内容はわからないがずいぶんと流暢に見えた。


 母親が出ていくと、三宅はジュースを1口飲み、グラスを窓枠に置いた。わたしは三宅の机に置く。机の上には英語の本が山と積まれていた。


「お母さん聴者なの?」


「そうだよ」


「お父さんは?」


「お父さんも聴者」


 グラスを透かす光が三宅のギプスをオレンジ色に染める。「わたし、小学校のときインテしてたの」


 インテ――つまりインテグレーションとは、ろう者が聴者の学校に通うことをいう。


「でも三宅って難聴とかじゃないよね?」


「うん。わたしはろうだよ」


 わたしたちはマイノリティと呼ばれるが、その中でもいろいろある。ろう者のコミュニティに所属するわたしはそれなりに居心地よく感じているが、同じろう者でもそこに入りたがらない人がいる。三宅の場合は、親が入れたがらなかったのだろうけど。


「わたしはインテしててもあまり不自由しなかった。何でも人から教わるの得意だから」


「いつもの手だね」


 わたしがいうと三宅はかすかに笑った。


「でもだんだん勉強についていけなくなった。それで中等部から倉木に入ったの」


 インテの問題はこれだ。ろう者は日本語力で聴者にかなわない。そして聴者の学校では日本語のみで授業がおこなわれる。ろう者向けのサポートなどない。結局はことばの問題なのだ。


「どうして三宅は倉木にしたの? 東南女子の方が近いのに」


「倉木は統合手話を使うでしょ? 統合手話はアメリカ手話(USSL)に近いから、国際的な人間になれるってうたい文句があるのよ。うちの親、そういうの好きだから」


「なるほど」


 わたしにとってみれば、外国よりもまず日本のろう者とコミュニケーションを取る方が大事なように思えるのだが、まあ世の中にはいろいろなかんがえの人がいる。


「わたしは倉木が好きだった。少人数でみんな顔見知りだったし、雰囲気が穏やかだったし、品があったし」


「そりゃすまんかったね」


 わたしは人数が多くて雰囲気が荒っぽくて、品性のかけらもない東南女子を代表して謝罪した。


 三宅がわたしを見てほほえむ。


「ごめんね」


「何が?」


「今回のこと」


「ああ……。もういいよ」


「あなたのこと傷つけてしまった」


「だからもういいって」


 三宅の目からなみだがこぼれる。彼女はそれを指で拭うが、いっそう溢れて頬を濡らす。


 わたしは立ちあがり、彼女のとなりに腰をおろした。肩を抱き、撫でさする。手の下で彼女の長い髪が折れる。泉さんと別れて泣いていた彼女をなぐさめたときのことが思いだされた。


 うつくしい髪がかぶさって彼女の表情を隠している。


「ねえ、もう泣かないで」


 わたしはうつむく彼女の顔をのぞきこもうとした。


 彼女の顔がぐっと迫ってくる。伸びあがるようにしてわたしの唇に吸いつこうとする。


 わたしは跳びすさり、椅子に踵をぶつけた。


「何すんだよ!」


 三宅の目にはまだなみだが浮かんでいたが、その表情はもう明るかった。


「キスぐらいしてくれてもいいのに。挨拶みたいなもんだよ」


「そういう国じゃねえから、ここ」


「紗雪はキスしたことある? セックスは?」


「それきくか?」


 彼女はベッドを掌で叩く。


「わたしはここで千尋とセックスした」


「いわなくていい」


 何というか、心配して損した気分だ。


 三宅が笑いながらグラスを取り、ジュースを飲む。


「小説書いてる?」


「あんなこといわれて書けるわけないだろ」


 わたしも机の上のジュースを口に含む。


 三宅は乱れた髪を耳にかけた。


「あなたはきっといい小説を書ける。親切な人だから」


「親切だと何なのよ」


「親切な人は親切な小説を書くものだよ」


「そうかね」


「まあ、わたし小説って読んだことないんだけど」


「ないのかよ!」


 わたしは椅子の上でずっこけた。「まあまあ達人っぽかったぞ、いまのセリフ」


 三宅が笑う。わたしもつられて笑ってしまった。


 わたしが親切な人かどうかはわからないが、そのとき、わたしのような人間にも何か書くことはあるのではないかと思った。


 三宅の母親が部屋に入ってきた。お盆の上にケーキが見える。


「この部屋でセックスしたこと、お母さんにもいえば?」


 わたしが国語手話でいうと、三宅は露骨に嫌な顔をした。




 彼女は書けるといってくれた。


 でもわたしは結局書けなかった。




 わたしの入った大学には文芸創作のコースがあったが、わたしはその演習を1年だけ受けて、そこであきらめてしまった。パソコン通訳者やノートテイカーなど、聴者の学生たちと触れあう中で、自分が彼らに伝えるべきことなど何もないと思いしらされたのだ。


 わたしはろう者のコミュニティを出て本当の他者と出会い、立ちすくんでしまった。


 いま、都立東南女子ろう学校の図書室を歩いていると、あの頃わたしを包んでいた親密さがふたたびよみがえってくるのを感じた。


 今日はOG講演会だ。卒業生が在校生を前に進路について語ることになっている。


 本当は10万字くらいの長編を書いて女子大生作家としてデビューしたかったけれど、在学中に書いたものといえば「日本文学におけるろう者」という題の卒論4万字だけだ。いまではその大学で職員としてはたらいている。


 わたしは閲覧テーブルの天板を指でコツコツと叩きながら歩く。卒業して10年以上たつが、あまり古びていない。きっといまでも利用者はすくないのだろう。


 入口の戸が開いた。暗い廊下を背に立つ者が誰なのか、目を凝らさなくてもわかる――本日のもうひとりの講演者。


「ひさしぶり」


 三宅がUSSLでいう。あいかわらずきれいな黒髪だが、肩につくくらいの長さまで切っている。かつてのお姫様(・・・)は凛々しくたくましく変貌していた。


「ひさしぶり」


 わたしもUSSLで返す。


「あれっ?」


 三宅はことばを国語手話に切りかえた。「USSLわかるの?」


「仕事で使うからね。留学生の世話することもあるのよ。ていうか、わかんないと思ってUSSL使ったの?」


「ひさしぶりに会うから優位に立とうと思って」


「あいかわらずクズだな。でも国語手話うまくなったね」


「仕事で使うからね」


 三宅はアメリカの大学で言語学を教えている。主要テーマは「ろう者の手話習得における認知能力のはたらき」だ。


 こちらに歩いてきた彼女をわたしは見まわした。


「ちょっと太った?」


 ふたりともパンツスーツだが、三宅の方はお尻のあたりがパツパツだ。


「留学して太って帰ってくるのは成功のあかしだっていうよ」


「ものはいいようだな」


 わたしがいうと、彼女は笑った。腕をひろげた子供じみた仕草で図書室を見渡し、わたしに向きなおる。


「なつかしいねえ。ここであなたに告白した」


「そして北村恵美に殴られて骨折した。知ってる? あいつ卒業してすぐデキ婚したんだよ。現在バツ2」


「恋多き女だね」


「泉さんは2児の母。子供がまたかわいいんだ」


「インスタで見たよ。千尋によく似てる」


 彼女たちがわたしたちとまったくちがった道を歩んでいるということが、まだ何となく信じられない。あの頃は息苦しいまでに同じものを共有していたのというのに。


「教室行ってみる?」


 生徒たちは体育館に行っているので、3年A組の教室は空っぽだった。


「あの頃よりも小さく見える」というとそれらしいが、高校なので当時とくらべて身長も伸びておらず、スケール感はかわらない。「上履き」という優秀なシステムのおかげで大学の教室よりきれいだ。


「他のみんなは元気かな。梓とか」


 三宅が教壇にのぼる。


 わたしはかつての自分の席に腰かけた。


「あいつちょっと前からニートなんだよね。それが最近『YouTuberになりたい』とかいいだしやがった。今年で30なのにどうすんだ」


 三宅が教卓に手をついて笑う。


「夢があっていいじゃない。紗雪は? 小説書いてる?」


「わたしは……駄目だったよ」


 わたしがいうと、教壇をおりようとしていた三宅は足を止めた。


駄目だった(・・・・・)って……どうしてそんなこというの? まだ終わったわけじゃないじゃん。小説、好きなんでしょ?」


「好きだよ。でも好きなだけじゃどうしようもないことだってある」


 当時の気持ちを思いだす。


 人を愛するということを本当には知らなかったわたしにとって、三宅に対して抱いた感情こそがもっとも愛というものに近かったのではないか。


 その愛はあのときあの場所のわたしにしか抱きえぬものだった――あたらしくてうつくしいことばを使うわたしにしか。


 天井の明かりが点滅する。


 ふりかえると、戸口に生徒が2人立っていた。


「こちらにおいででしたか。わたしたち、OG講演会実行委員です」


「もうすぐ講演会がはじまりますのでご案内します」


 わたしはうなずき、立ちあがった。


 生徒の1人がわたしと教室の奥からやってくる三宅とを交互に見た。


「さっきの手話は何ですか? 統合手話ともちがうみたいでしたけど」


 わたしと三宅は顔を見合わせた。知らず知らずの内にち~様語ではなしていたのだ。


「これはね、わたしたちの秘密」


 三宅が生徒たちにほほえみかける。彼女たちはげんそうな表情を浮かべた。


 ふたりに先導されてわたしたちは体育館へ向かう。


「この子たち、肌も髪もきれいね」


 先を行く生徒たちに視線を注ぎながら三宅がいう。


「若いからね」


「うしろから抱きついてキスしたいなあ」


「いっておくけど、あなたが日本離れてるあいだに犯罪者は全員死刑ってことに決まったから」


「怖い怖い」


 わたしたちは笑う。生徒たちがふりかえり、不思議そうな目で見てくる。


 ずっとあたらしくてうつくしいことばで小説を書きたいと思っていた。


 でもそれはすでに過去のわたしたちが使っていたものだった。


 そこにはほのめかしも遠慮会釈もない。


 それを書けばよかったのだ。


 恥ずかしいことも思いだしたくないことも後悔していることも、全部さらけだすべきなのだ。わたしが嫌でも、ことばがそれを望んでいる。


 静まりかえった廊下をわたしたちは行く。しゃなりしゃなり、しずしずと、OGのお姉さんらしく歩く。


 だが見交わす目が、ひろげたりすぼめたりする口が、もう会話をはじめている。胸の前でおどる手が、秘密の会話をつむぎだす。


 あたらしくてうつくしいことばが静かにこの場を満たしていく。


(2017年5月28日 第1稿 了)



       □□□□□□□□



 小説とちがって、教室には入れなかった。


 図書室の奥にある図書準備室がわたしに与えられた居場所だ。教育実習生がここを控室に使っていたのを思いだす。


 今日の講演会に呼ばれたのはわたしひとりだ。生きていれば三宅も呼ばれたことだろう。


 準備室は狭くて何もないので外に出る。


 書架のあいだに入っていく。900番台、日本文学。


 講演会の話をもらって、はじめて小説を書きあげた。発表の当てはない。ただ書きたかった。この学校にもどる前に、三宅の思い出をかたちにしておきたかった。


 小説には三宅のお見舞いに行くシーンを書いたが、本当は行っていない。北村恵美に殴られて、お互い怪我から復帰しても何となく気まずくて疎遠になり、卒業してそれっきりだ。


 三宅はアメリカ留学中に死んだ。クラブでの銃乱射事件に巻きこまれたのだ。事件は日本でも大きく報じられたが、そのクラブがレズビアンの集まる場所であったこと、犠牲者の中に彼女の「友人」のいたことが判明すると、その後の報道は尻すぼみになった。


 ろう者がクラブなんかに行って何をするのだろうとわたしは思う。三宅のことだから、音楽のことを「友人」に教えてもらっていたのかもしれない。いつもの手だ。


 聴者からきいたはなしでは、クラブの中はうるさくて、声を使っての会話がまともにできないらしい。それならばろう者も聴者も平等でいいかもしれない。いや、手話ができる分、ろう者の方が有利だろうか。


 どうしてそんな場所で三宅が殺されなくてはならなかったのだろう。犯人は現場で自殺したが、日頃から反同性愛的な言動をくりかえしていたという。どうして彼女が憎悪の対象にならなければいけなかったのだろう。彼女は何かを声高に主張したわけでも現状の変更を強く望んだわけでもない。


 何かである(・・・・・)というだけで攻撃されることがある、そのとき、ことばは役に立たないのだろうか。


 当時よく座っていた席に腰かける。書架のあいだの通路がわたしに向けて暗く開かれている。まっすぐな光も視線も届かぬ闇だ。本なんていつでも読めると思っていたが、あれから十余年でたいした上積みはなかった。たぶんわたしはいま視界に入っている本も読みきれずに終わるだろう。大学の図書館よりはるかに小さな図書室の、わずか一隅いちぐうの本すら。


 書いたばかりの小説についてかんがえる。ひとつ書きあげたら達成感や満足感や誇らしい気持ちが湧きあがってくるものだと思っていた。だがはじめて完成させてみると、後悔の念しか残らない。内容や措辞をああすればよかったこうすればよかったというのではなく、書かなければ(・・・・・・)よかったの(・・・・・)ではないか(・・・・・)と思う。


 わたしたちには無限の可能性、無数の選択肢があった。それがこんなことになってよかったのか。小説というかたちに結実すべきものだったのか。同じことばをはなせるようになった、その結果がこれか。


 入口の戸が開いた。生徒が2人入ってくる。講演会実行委員だろう。会話に夢中で、わたしのことは目に入らない様子だ。


「あ~、腹減った~」


「朝ごはんは?」


「食べてない。最近1日1食にしてるんだ」


「WHYなぜに?」


「去年から3kgも太っちゃってさ。夏までにやせようと思って」


 わたしは目を見張った。


 あのときのことばだ。


 あのときのことばがまだ使われている。


 自分がいまいる場所を忘れる――自分がいま30歳であることも、この場所を12年前に卒業したことも。


 立ちあがり、彼女たちに歩みよる。


「食事の回数減らすと逆に太るよ」


 12年ぶりだというのに、わたしの手は自然と動いた。


 彼女たちが目を丸くする。


「あれっ……どうしてはなせるんですか?」


「わたしたちの秘密のことばなのに」


 そのおどろきの表情が愛らしくて、わたしはほほえんでしまう。


「それ、わたしたちの代で作られたものだから」


「えっ、そうなんですか?」


「2コ上の先輩たちが作ったんだと思ってました」


 彼女たちは何がおかしいのか大笑いする。


「何ていうか――」


 わたしはすこしあきれてふたりを見る。「若いねえ、あなたたち。ふだん大学生を相手にしてるけど、それとはまたちがう。まさに女子高生(・・・・)って感じ」


「そうですか?」


「そんなにかわらないと思いますけど」


 ふたりはまた笑う。


「わたしまだ若いつもりでいたけど、もうはなしが合いそうにないな」


「そんなことないですよ」


「ことばもいっしょですし」


「たぶん流行りとかもついていけてない。いまクラスで何が流行ってるの?」


「流行ってること……そうだ、人気のあるYouTuberがいて、クラスのみんな観てますね。その人、ろう者なんですよ」


「Azunyan♪っていうんですけど」


「Azu……そいつ知ってるわ。ていうか友達。ここの卒業生だよ」


「えっ、マジですか!?」


「木之瀬さん、Azunyan♪と友達なんですか!? すごい!」


 ふたりの目がかがやきだす。わたしは、今日来たのが自分で申し訳ないという気持ちになった。


「次の講演会ではあいつに声かけてみなよ。きっと来るから」


「うわ~、楽しみ。ドローン4台につかまって川を渡る回のはなしききたい」


「あれは名作だよね。びしょぬれのまま『わたしの力不足。この子たちは悪くない』ってドローンをかばうとこ、腹抱えて笑ったわ」


 彼女たちは次から次に、動画の見所を挙げてくる。それを見ていてわたしは、この子たちが梓みたいにYouTuberになりたいなんていいだしたら親御さんに申し訳ないので、やっぱりあいつは呼ばない方がいいのではないかと思った。


 ふたりに先導されて、わたしは体育館に向かう。


 ホームルーム明けの生徒たちが教室から溢れだし、廊下を満たす。目がくらむほどに騒がしい。あのことばがあいもかわらず結ばれ、ほどかれて、また結ばれる。その起源など知らぬくせに、あたかもいまこの手で生みだしているかのような顔で少女たちは、おごそかに、時に無造作に、ことばを発する。


 三宅、見ている? いままたあたらしく、うつくしいことばが生まれている。


 ここにはほのめかしも遠慮会釈もない。


 彼女たちはまるでお姫様。若くうつくしく高邁こうまいだ。


 あなたもまたお姫様。不在の至高者。うつくしい黒髪とほほえみが面影となってまぶたの裏から去らない。


 かつてお姫様だったわたしもあたらしく、うつくしいことばを紡いでいきたい。みんなが見たことも聞いたこともない物語を書きたい。後悔するのはもう嫌だ。過去にではなく未来に向けてことばを差しだすのだ。お姫様らしい気高さで。わたしたちらしい明け透けさで。


 いつかあなたのところにも見せに行く。あなたは何というだろう。


「親切ね」というだろうか。


「小説の書き方教えて」といういつもの手か。


 わたしたちは廊下を、騒がしさの中を行く。


 うつくしい手が、何を見るにも飽かぬ目が、いまだ誰にも触れぬ唇が動く。


 かつてわたしもその一部だった秘密が、みなに生じる波紋のように、廊下を渡っていく。



 了


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