鬼畜 「縛めの鎖」
き−ちく 「残酷で冷酷な闇医者。ザカリのトラウマ『縛めの鎖』」
シズルの『乙女の秘密』は置いといて、とりあえずデュオは、スクーロという男についての記憶を引っ張り出そうとしてみた。
がしかし、何しろ男と名のつくものには恨まれる覚えがあり過ぎて、デュオは記憶の網を手繰り寄せるのを早々に諦め、匙を投げてしまった。
そもそも正攻法で来ようが搦め手で来ようが、今まで数々の魔導士と喧嘩をしてきたが、一度も負けたことのないデュオには自信があった。
デュオを『二番目』と名指しするということは、おそらくスクーロという男は魔導士だと思うが、どこの馬の骨とも分からない復讐者の身元を必死で探るような非生産的なことに頭を使うよりは、シズルと一緒に彼女の異能について調査研究する方がよっぽどましだとデュオは考えた。
そもそも少しでもシズルのそばに居たいがために、デュオはミゼンに無理を言って紹介状なるものを認めてもらったのだ。
シズルは太陽の下を好む。
良いことを考える時も悪だくみをするときも、大抵は陽の下の芝生の上や庭園や木陰で何事かを考え、行動を起こす。
今日は、今やシズルの企み事を図る場所として定位置となっている裏庭の芝生の上で、能力について真面目にデュオと話をしていた。
「そういえば、ミゼンさんから聞きましたけど、デュオは私の『反作用の盾』を使えるんですよね」
「ああ。最初使った時は魔力を込め過ぎて、盾どころか壁になって、城の転移の間のひとつをぶっ壊した」
何年か振りに城へ帰城した時、転移の間で三番目に待ち伏せされ、そのあとやってきた一番目のふたりに殺されかけた時に初めて使った『反作用の盾』。
トリアとヘイス、ふたりの術をきっちり本人達に跳ね返したのは良かったが、ぶっつけ本番で使った術だったために、加減が上手くいかず転移の間を破壊してしまったのだった。
「壁、ですか。うーん」
「何だ?」
「実はですね、あれって相手の力をそのまま跳ね返すのはいいんですけど、その分周囲に甚大な被害が出る事があるじゃないですか」
つい最近屋根を吹き飛ばしたシズルがしみじみと言った。デュオも実体験があるので、そのことについて異論はなかった。
「まあな、相手の力が強ければ強いほどそうなるな」
「それでその壁を裏っ返しにして、相手を囲ってしまうってのはどうかと思ってるんですよ」
「裏っ返し?」
「例えが難しいですけど、今の『反作用の盾』はこう、自分にコップを被せて、その外側に反作用の力を付加して相手の攻撃を跳ね返して避ける感じじゃないですか。そうじゃなくてコップの内側のほうに反作用の力を持たせて、それを自分じゃなくて相手にぱかっと被せちゃうんです。そうすれば文字通り相手は力を使った時点で自爆して、周囲に被害は一切でないという・・・」
身振り手振りを交えて説明するシズルを見て、そのコップとやらを想像したデュオは控えめだが、思ったことをそのままシズルに伝えた。
「・・・それは何というか、鬼畜な術だな」
「何でですか!」
シズルは本気で良いアイディアだと思っていたが、魔術を使い慣れ、その特性をよく理解している魔導士のデュオからすると、シズルが想像するよりももっと強烈なものになるようだった。
「周囲をそのコップで囲まれたら、中で放った術はどこへも逃げ場がなくなって、その中でずっと力を保ったまま跳ね返り続けるんだぞ? その術をかけられたやつもコップの中に閉じ込められたままだから、放たれた術がそいつに当たって効力が切れるまでずっとそのままだ。そりゃあ相手を逃さず確実に殺るにはいい術になるかもな」
「うっ」
鬼畜、とシズルに言いながらも、デュオは中々使えそうだと考えていた。
一方シズルは、逃げ場のない檻のような部屋の中で、跳ね回るスーパーボールから逃げ回る人間を想像して言葉に詰まった。
実際にはその中で跳ね回るのはゴムボールなどではなく、魔力でできた火の玉などの物騒な代物で、シズルは映画で見たことのある『跳弾』を思い出していた。
そんなものに密閉されたところで追い回されるように仕向けるのは、確かに鬼畜といわれても仕方ない。自分にそのコップを被せられるのは絶対にお断りしたい。
「シズルならそんなまどろっこしいことしなくても、本気でその力を使えば相手を簡単に倒せるんじゃないのか? そういえばシズルは、すぐに手足を出すくせに『反作用の盾』以外はあんまり使わないな。何でだ」
「そうでないと痛みがわかりません」
デュオの問いかけに、眉間に皺を寄せたままシズルが答えた。
痛み? シズルのいう痛みというのが何のことか、デュオにはさっぱり理解できなかった。
「何言ってんだ? 自分が無傷ならその方がいいだろうが。身体強化だって元々はそのためのものだし、『反作用の盾』もそこから派生したものだろう?」
「そうですね、デュオの言ってることは正しい。誰だって痛いのは嫌です。普通に素手で相手を殴ると自分の手も痛い。でも私には、それってとても大事なことなんですよ」
シズルは正しい、と言いながらもデュオのことは見ておらず、どこか遠くを見たまま、自分に言い聞かせるように語ったあと淡く微笑んだ。
デュオは初めて見るシズルのその表情になぜか心の奥がざわついた。存在感の塊のようなシズルが、そのままふいとどこかへ消えてしまいそうな気がしたのだ。
デュオは、思わずシズルの腕を掴んでしまった。
いきなり腕を掴まれたシズルが不機嫌そうに眉を顰めた。
「何ですか?」
「いや」
デュオが何と答えていいか分からず、そのまましばらく腕を掴んだままでいると、シズルは意地悪そうな顔でにやりと笑った。
「・・・また尻に火をつけられたいとか?」
「そんなわけあるか!」
デュオは慌ててシズルの腕から手を離した。デュオのその慌てっぷりに、シズルはぷっと吹き出したあと、真顔になって先程来の懸案の結論を述べた。
「まあ冗談はさて置き、『反作用のコップ』は保留ですね」
またこれだ、とデュオは思った。
くるくると、少しも同じ表情を見せないシズルは、どれが本当の彼女なのかデュオには一向に分からない。
掴み所のないシズルに一矢報いようと、デュオは『砂糖』や『装着の組紐』、今回の『反作用のコップ』の例を挙げ、ちくりと指摘した。
「前から思ってたけど、シズルの名付けのセンスは最悪だぞ」
「ほっといてください! 本当に火をつけますよ?」
デュオの思わぬ反撃に、心当たりのあり過ぎるシズルは耳を赤くして、その耳よりもっと明るい、緋衣草の色をした目でデュオを睨んだ。
ふたりがああでもないこうでもないと『コップ』について話し合っていると、そこへ兵士のコニスがやってきた。
彼はかなり早くからのシズルの信奉者で、特にデュオを崇め奉ったりはしていないので、普通にやって来て普通に要件を話した。
「シズル、裏門にお前の客が来てるぞ」
裏門は兵舎に近く、邸の通いの使用人や業者が使うものだった。貴族などの位の高いものは転移陣を使うし、そのほかの客は先触れののち正門からやってくる。
この世界に数えるほどしか知り合いのいないシズルを、裏門から名指しで訪ねてくるような人物は、今のところひとりしか心当たりがなかった。
「思ったより早かったですね」
「・・・スクーロか?」
「おそらく」
平然としているシズルとは対照的に、僅かに眉を顰めたデュオを見たコニスが、シズルに確認した。
「何だ? やばい奴なのか?」
「平気ですよ、でもちょっと個人的な話し合いになると思うので、周囲の人払いをお願いできますか?」
シズルは笑ったあと、念のためにコニスに頼みごとをしておいた。
スクーロは門の外、邸の敷地の外で待っていた。
人払いを頼んでおいたお陰で、門番の兵士も少しの間席を外してくれたようで、辺りに野次馬の姿はない。
シズルが人払いを頼んだのは、もしもの時に、少しでも人的被害が出ないようにと考えたからだった。
「やあシズル。約束のものを持ってきたぞ」
相変わらずその目はちっとも笑っていないくせに、口元に微笑を浮かべスクーロは親しげに声をかけてきた。
「こんにちはスクーロさん。わざわざありがとうございます。あ、領収証とか要りますか?」
「必要ない。それでデュオ、俺のことは何か分かったか?」
やはり本命はそちらのようで、スクーロは笑顔のままデュオに問いかけた。
「さあ? 思い出さないってことは、記憶にも残らない雑魚だったんじゃねぇの?」
「ちょっとデュオ! 何煽ってんですか」
「俺も面倒くせぇことは嫌いなんだよ。俺に何か恨みがあんなら、とっととカタつけようぜ」
「わぁ! 何言ってんのよデュオの馬鹿! 喧嘩するなら他所でやって!」
「他所ってどこだよ。ここならすぐそこに鍛錬場があるだろ? そこなら広いし丁度いいじゃないか」
「私の縄張りでそんなこと許せますか! 中には入れませんよ、絶対に駄目!」
シズルの意識がデュオに向いたそのわずかの隙をついて、スクーロがシズルの名付けた暗殺者の異名通り、全く気配を感じさせず口論するふたりに近づくと、いきなりシズルのその手を取り、素早く手首に何かを巻きつけた。
「えっ」
「おい!」
シズルとデュオが同時に声をあげた。
カチリと音がして、右手首にぴったり張り付いたその『何か』の冷たい金属の感触を感じた途端、シズルの背中に悪寒が走った。シズルはその『何か』の正体が分かった。
正確にはシズルに混ざっているザカリが知っているものだった。
「・・・なんて物を。そもそもふたりの喧嘩でしょう? 巻き込まないでくださいよ」
「相手の弱点を抑えるのは戦略の基本だが?」
「弱点かどうかはともかく、まあ確かにそうですね。そもそも裏社会の人間に道徳や倫理感を求めるのは間違ってましたよ」
「シズル? それは何だ、何された?!」
血相を変えたデュオが、シズルの右手を取ってその手首を確かめた。そこにはアクセサリーというにはいささか繊細さに欠ける、銀の鎖が巻き付いていた。
シズルの細い手首にがっちりと、食い込まんばかりの勢いで絡みついているそれを魔術で無理矢理外そうとすれば、シズルの手首ごとどうにかなってしまう可能性があった。デュオは思わず舌打ちをした。
「ちっ、くそっ!」
「魔獣に使う『縛めの鎖』ですよ」
「ほう知ってるのか? それは術者にしか外せないから諦めろ」
以前、ザカリの元の所有者であった貴族が、彼を従わせようと使用していたものと、サイズは違うが同じ物だった。
持ち主の言うことに逆らうと、その魔獣の体内から魔素を剥ぎ取る魔術がかけられているという、鬼畜仕様のステキなアイテムだ。
魔獣扱いは今更だが、自分に一体何をさせるつもりやら、この先の展開が読めてしまったシズルはげんなりした。
「魔術は攻撃と防御は同時には使えない。だからそのために魔導士は呪文の要らない銀糸刺繍のローブを着ている。お前には俺のローブの代わりになってもらおう」
スクーロは、シズルがギネカの舎弟たちに触れることなく弾き飛ばしたのを目撃している上に、実際彼は自身が放った魔術を簡単に弾き飛ばされた当事者だ。
スクーロはシズルが『防御特化した術』を使うと確信したのだろう。
「私が断ったらどうするんです?」
「ティモリア」
「・・・!」
ステキな『銀の鎖』を着けられた右手から、血管の中に針金を差し込まれたような痛みと不快感が全身を駆け巡って、シズルは声も出せずに思わずその場に蹲った。痛みが去ったあと、信じられないほど心拍数が上がり冷や汗がどっと吹き出した。
「シズル!」
デュオに肩を抱かれたが、あまりの痛みに起き上がれず、地面に手をついたままシズルは呼吸を整えた。
「人には効果はないが、魔物にはよく効く」
「・・・そのようですね」
殺人者の顔でスクーロがデュオとシズルを見下ろしていた。
そこへシズルの異変を察したザカリが突然姿を現した。
デュオを押しのけ、地面に手をついたままのシズルに覆い被さるように抱きついたが、その顔が真っ青になっている。
「シズル!」
「丁度いい。これで三対一だ」
「ザカリにそんなことさせませんよ」
「ティモリア」
「ぐっ・・・!」
「イタイ、キモチワルイクサリ。シズルコワレル、イヤダ!」
ザカリが泣きながら、シズルの手首の鎖を懸命に外そうとしているが、鎖はびくともしなかった。やはり術者以外では外せない仕様になっているようだった。
シズルは悲鳴こそあげなかったが、滝のような汗を流しながら背中を丸め、じっと痛みに耐えていた。
「クソ野郎! これを今すぐシズルから外せっ!」
今にも殴りかかりそうなデュオを、スクーロは薄笑いを浮かべたまま面白そうに見ている。
「・・・ふぅ、ザカリもう平気だから。スクーロさん、ご覧の通り私の使い魔は図体ばかりでかくて役立たずなんですよ。私の邪魔になるのであっちにやっていいですかね」
シズルはべそべそ泣いているザカリを、本当に嫌そうな顔で自分から追い払うように押し退けた。スクーロが何も言わないのでシズルはそれを了解と受け取って、ザカリにきつく命令した。
「邪魔だから離れてあっち行って!」
離れた場所を指差すシズルを見て、ザカリが涙目のまま驚愕の表情を浮かべたが、そのまま黙ってすごすごといわれるがまま三人から距離をとった。
それを確認してからシズルはスクーロに向き直って言った。
「で、スクーロさん私はどうすればいいので?」
「随分と物分かりがいいな」
「そりゃあ痛いのは嫌ですからね、しかも赤の他人のためになんて真っ平ごめんです」
シズルは自分が一番大事とも取れる、なんとも薄情な言い分でけろりと答えた。
そんなシズルをスクーロは嘲笑して、その腕を取って立ち上がらせるとそのままシズルと一緒にデュオから距離をとった。
そうしてスクーロ自身が最初からそうしようと思っていたことを口に出した。
「二番目はそうだな、そこでじっと俺の的になっててくれ」
「分かった」
一瞬の躊躇もなく、何の迷いも見せずデュオは即答した。
それを見たスクーロは顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「こんな薄情な女のためにそこまでするか。・・・トリアには見向きもしなかったくせに」
「ちっ、トリアの関係者かよ。取り巻きその他大勢なんざ、数が多すぎていちいち覚えてられるか」
スクーロとデュオの会話を聞いて、シズルは盛大な溜息を吐いた。
「やっぱり女絡みとか、デュオは最低です。まあ今更ですけどね。デュオはそのままそこで何もせず、スクーロさんの攻撃を受けてください。目の前の卑怯者の鬼畜野郎を始末できた暁には、『コップ』を使って乾杯します」
「シズル?」
「はは、惚れた女に見捨てられたか、無様だな」
シズルの言葉の意味を正しく理解できたデュオは顔色を悪くした。
だが何も知らないスクーロは、デュオが顔色を変えたのはシズルに見捨てられたことと、今から無抵抗で攻撃を受けなければならない恐怖のためだと思って、目の前の憐れな男を嘲笑っていた。