檻 「ドームカバーともうひとりの鬼畜」
おり 「失敗作。シズルも木から落ちる。魔導士の本性」
シズルは今のところまだ半分くらいは人間なので、純粋な魔物のザカリとは違って、腹芸は大の得意分野である。
泣き真似愛想笑い、従順な真似事。
邪で煩悩だらけの妙齢の女性を舐めてもらっては困る。
特にシズルは神にも等しくなった『原初の0』に真っ向から逆らって、魔物と混ざった強者である。
嫉妬だか復讐だか知らないが、他人の喧嘩に巻き込まれた上に、自分の意思を無理やり捻じ曲げるようなことをさせられるなら、スクーロと一緒に自爆上等の考えだった。
ただシズルには心配事がひとつだけあった。
ザカリがこの一件に巻き込まれないかどうかということだった。
邸の住人たちに怖がられなくなり、テッセラの説得や努力の甲斐もあって、積極的に自分から人間と仲良くしようとしているのに、ここでデュオやスクーロに危害を加えてしまえば、魔物のザカリはまた恐れや忌避の対象になってしまう。
今シズルはザカリを意識的に『拒否』している。自分で自分を騙すのは相当の努力がいるが、何とか成功したようだ。
視界の隅で、初めてシズルの強い拒絶にあったザカリが、震えながら泣いているのが見える。ちりちり胸が痛むが、それを怒りに変えた。
シズルの隣で悦に入っている、卑怯者の鬼畜野郎に今からコップを被せてやるのだと考え、デュオにそれとなく意思表示しておいた。
勘のいいデュオは、シズルの意図をきちんと察してくれたようだった。
だがいざコップを被せようと思って気がついた。
コップというといわゆるガラスのコップ、グラスを想像してしまうが、これでは熱にも衝撃にも弱すぎる。
火にも衝撃にも強いといえば、ステーキハウスなどで見かける金属製のドームカバーなるものがあると思い出し、そいつでこの卑怯者の鬼畜野郎に『蓋』をしてやればいいと考えた。
いくらデュオが下半身の魔物で魔人でも、無抵抗の相手を一方的に甚振るなど許せるわけがない。
しかもシズル自身が人質扱いで、デュオに無抵抗を強要する、その片棒を担ぐなど絶対に嫌だった。
デュオにしてもシズルの身を案じ、彼が自分の身を捨てたとして、そんなことをしてシズルが喜ぶと、感謝すると本気で思っているのだろうか。
残されるものの気持ちが何故わからないのか。
シズルはデュオにも腹を立てていた。
しかしいざ『反作用のコップ』を被せようとしたところ、ドームカバーをイメージしたせいか、スクーロを中心にして半径二メートルくらいの半円のドームが出来上がってしまったようだった。当然、スクーロのすぐそばにいたシズルもその中に入ってしまっている。
まあ最初から上手くいけば苦労はしない。
思い通りに火をつけるのだって、何回も練習して苦労したのだからと、シズルは溜息を吐いたあと、いつものように覚悟を決めた。
デュオは怒りで震える手を気合で押さえ込んで、出来るだけ何気ない仕草で特製眼鏡を外して、いつもベルトに提げている小物れに突っ込んだ。
裸眼で観察していれば、魔物の魔素を剥ぎ取るという『縛めの鎖』が、今シズルに対してどんな影響を与えているか視えるからだった。
デュオも『縛めの鎖』のことは知っていたが、あれほどのものとは思っていなかった。
あの、シズルの尋常でない苦しみ方を見たとき、デュオは生まれて初めて『血の気が引く』というものを経験した。
目の前で惚れた女が苦しんでいるというのに、高位魔導士の『番号持ち』の自分が、助けてやることも痛みを軽減させてやることも、何もできないのだった。
無力感とシズルを失うかもしれないという恐怖で、血の気が引いて冷たくなったデュオの指先に触れた、痛みで蹲ったままのシズルの身体は、デュオのその手よりもさらに冷たかった。
せめてこれ以上、スクーロに縛めの呪文を唱えさせないようにと奴の要求を飲んだが、シズルは『卑怯者の鬼畜野郎』を『コップ』に入れるとデュオに伝えてきたのだった。
今、シズルの銀と緋の魔物の魔素が薄く淡くなり、真っ黒な闇色のシズルの本質が、稲妻の光を帯びて複雑に変化している。
どうやら『コップ』を展開したようだったが、デュオの想像よりもかなり大きく、シズル自身もその中に入ってしまっている。
これではスクーロが魔術を行使した場合、その跳ね返された術にシズル自身も巻き込まれてしまう。
一体何を考えているんだと、苛立ったデュオだったが、シズルの溜息を確認して、どうやらシズル本人にもこの状態は想定外だったのだということに気がついた。
城付き高位魔導士の二番目でさえ、初めての術をぶっつけ本番で使用すると失敗することがままあるのだから、謂わば素人のシズルが失敗することは珍しいことではない。
無詠唱で行使された術のせいで、スクーロは自分の周囲が覆われていることに気がついていない。
どうすればいいのか、デュオは死に物狂いで頭を回転させ始めた。
心の内で、怒りを滾らせてじっとその場に立ちつくす男、これから行う自分の行為の結果を想像して悦に入る男。
そして巨大な猫を被り、精一杯無理をして従順な態度で平然と罠を巡らせる女。
三者三様の思惑を秘めた、緊張感のある空気をバリトンボイスが破った。
「ヒ・カテプシグメナ・ポレスベロネス」
スクーロがデュオに両手を向けて唱えると、無数の氷の針のようなものが凄い速さで飛び出していった。しかしそれはデュオに届く前に見えない壁に阻まれ、空中でことごとく砕け散ってしまった。
スクーロが怪訝な顔し、もう一度魔術を放った。
「ヒ・カテプシグメナ・ロク!」
今度は、以前シズルに放ったものと同じ、巨大な氷の岩だったが、その岩も先ほどと同じく、デュオに届く前に見えない壁にぶつかり割れ砕けてそのまま地面に落ちた。
術が跳ね返って来ることに覚悟を決め、身構えていたシズルは拍子抜けし、スクーロに気づかれないように舌打ちした。
ドームカバーを被せることには成功し、その強度も申し分なかったが、肝心の反作用の力のほうが機能していない。
これではただの檻だった。
が、それでも周囲に要らぬ被害が出ないというのなら、檻とはいえ充分合格点だった。とりあえずスクーロはこれでもう逃げられない。
シズルは隣で自分を睨みつけているスクーロに、しれっと言った。
「私の『ローブ』は大きいので、周囲の空間ごと包んでしまったようですね。心配ないですよ、外からの攻撃はちゃんと防げます。但しこちらからの攻撃も届きませんが」
「ふざけるなよ?」
闇医者で暗殺者然とした卑怯者の鬼畜野郎が、バリトンボイスで囁くように静かに言ったが、その声には、自分の思い通りにならないシズルに対しての焦りや、嫌悪感にも似た感情が見え隠れしていた。
痛みを与えられたからといって、誰も彼もが痛みを与えた相手の思い通りになるわけがないのだ。
ざまあみろとシズルは心の中で嘲笑っていた。
「ふざけてま」
「ティモリア。やり直せ」
またあの全身を貫く痛みと不快感がシズルを襲ったが、今度は膝をつかず歯を食いしばって耐えた。
心臓がばくばく破れそうなほど鼓動し、ぽたぽたと冷や汗が顎から滴り落ちる。
それを見たデュオが、堪りかねたようにドームカバーに手を当てた。
いつのまにか特製眼鏡を外して、裸眼になっている彼の特別な菫色の瞳には、スクーロには見えない、シズルが展開しているドームカバーまで見えているようだった。
デュオはそこに手を当てたまま解除の呪文を叫んだ。
「アペレフセロスィ!」
デュオはドームカバーを破壊しようと魔力を込めた様子だったが、シズルの異能で造った檻は、魔術による結界よりも強固なもので、シズル本人以外は外からも中からも干渉できない。
「くそっ、シズル術を解け! 俺がやられてそいつの気が済めば『縛めの鎖』は外れる!」
「そんなくだらない理由だったらお断りです」
デュオが叫んだがシズルはきっぱりと断った。
シズルのその顔は血の気が引いて蒼白くなり汗だくだったが、緋色の瞳はその緋がますます濃くなり怒りに燃えているようだった。
「ミゼンに逆らった私が、こんな卑怯者の鬼畜野郎の闇医者ごときにいいようにされて、デュオは悔しくないんですか?! 私に惚れてるとか世迷いごとを抜かして自己犠牲を選ぶ前に、さっさとこのクソ野郎をぶっとばせばよかったんです! 身勝手でおこさまな魔導士はどこ行ったんですか!」
「俺の本気を世迷いごととはなんだ!」
「じゃあチャラ男の恋愛脳菌に感染してるんですっ」
「お前ら俺を無視して何痴話喧嘩を、」
「うるさいっ黙れ!」
怒り心頭のシズルは、苛ついて近づき肩を掴んできたスクーロに、ふりむきざま条件反射のように正拳突きを叩き込んだ。
体力を削られているためいつものような破壊力はなかったが、それでも充分威力はあったようだった。正面から胸を突かれたスクーロはひゅっと息を吸い込むと、膝から崩折れそのままぱたりと倒れてしまった。
と同時にシズルの右手首から鎖が外れ、しゃりんと地面に落ちた。
「あれ?」
首を傾げるシズルと同じように、ドームカバーの向こうのデュオも、何が起きたのか分からず唖然としている。
鎖を外す条件は術者の解術の呪文と、または術者の死亡。
どうやら先ほどの正拳突きが、偶然にもスクーロの心臓の真上に当たったらしく、さまざまな要因が重なって、彼は脳震盪のような心臓震盪を起こしたようだった。
つまり心肺停止状態だった。
「嘘っ! やばい! さすがに人死にはまずい、洒落にならないから!」
シズルは慌てて倒れたスクーロの横に跪き、すぐさま心臓マッサージを始めた。
魔導士ミゼンはシズルにも『治癒』は可能だと言った。
動け止まるな鼓動を戻せ。
なんでもありのこの世界ではなんでもできるのだ、とシズルは常識を穿つ『虚仮の一念』で強く強く念じた。
スクーロの鼓動を何とか戻そうと集中し、意識がそちらに傾いたことでドームカバーが消えた。
シズルが何をしているのかデュオには分からなかったが、どうやらスクーロを目覚めさせるために何かやっているらしかった。
デュオは慌ててシズルに駆け寄りざま、落ちている『縛めの鎖』をさっと回収し、またスクーロに使用されるのを防ぐために、自分の小物れに放り込んだ。
その間もシズルは必死にスクーロの胸を押さえ続けていた。
やがてスクーロの胸が大きくせり上がった。どうやら再び呼吸を取り戻したようだった。シズルも大きく息を吐いて脱力した。
「・・・デュオ、あとよろしく」
自身の項目に、凶暴な乱暴者のほかに『人殺し』が追加されるのを免れてほっとしたシズルは、そう言うとそのままスクーロに覆い被さるようにして意識を失った。
デュオはすぐさまシズルを抱き起こし、スクーロから引き剥がしたが、場所を移動しようと立ち上がりざま、まだ意識朦朧としているスクーロの膝を上から思い切り踏みつけた。
ごりん、と嫌な音がして、スクーロは膝を砕かれた痛みに絶叫をあげ、完全に覚醒した。
「しばらくそこでじっとしてろ。逃げたら反対側もへし折る」
デュオは冷めた目で、砕かれた膝を抱えて転げ回るスクーロを見下ろしたあと視線を上げ、離れたところで泣きながら震えているザカリを呼んだ。
ザカリはシズルに近寄りたそうにしているが、さっきのシズルの強い『拒絶』に怯え、途方に暮れている様子だった。
「おい、こっちに来い。シズルが本心でお前を拒絶するわけねえだろうが。シズルの回復にお前の力がいる」
デュオにそう言われたザカリは泣きながら駆け寄ると、デュオからシズルを受け取っていつものようにぎゅうと抱きしめた。
「シズル、ザカリ、ぼく、おこるナイ。おこってない?」
『イイマドウシ』で『トモダチ』のテッセラと、自分の思うことをきちんと相手に通じるような話し方で話すようにと約束して練習しているザカリは、ゆっくりつっかえつつも『キライナマドウシ』のデュオに一生懸命に問いかけている。
シズルと同じ、緋色の瞳からぽろぽろと涙を流しながら。
デュオは苦笑してザカリに指示した。
「シズルは怒ってねえよ。そのまま魔法医んとこへ行け、ザカリ。俺は今からこいつと話がある」
デュオの言葉に頷くと、ザカリはシズルを抱きしめたまま姿を消した。
ザカリの『跳躍』を確認した後デュオが振り向くと、スクーロは自分で自分の膝を抱えて治療をし始めたようだった。
魔法治療といえど、目視するだけで治療できるわけではない。病魔以外のものは、今スクーロがやっているように患部に触れなくては即座に効果が現れない。
デュオはゆっくりスクーロに歩み寄ると呪文を唱えた。
「スプラギステ・タ・ヒエリア、シンクラティシ」
デュオはスクーロを足元に見下ろし、腕を患部から引き剥がし地面に磔にするように動けなくした。
「余計なことをする腕も折ったほうがいいか?」
先程までの激情が嘘のように、無表情で淡々と話すデュオが何か別の人物のように思えて空恐ろしく、スクーロは返事もできずにただ痛みに耐えていた。
「俺はシズルみたいに甘くねえ。『魔導士同士の喧嘩』がどういうのものか、てめえはよく知ってるだろう?」
「俺はトリアの」
デュオはしゃがみこんでスクーロの首を掴んだ。
「てめえの素性なんざどうでもいい。もちろん俺を恨んでる理由もだ。これからいなくなるやつからそんなこと聞いて何になる? なあそうだろ?」
デュオは淡々とそういってから壮絶な笑みを浮かべた。
医務室でシズルが目覚めた時は、もうとっくに陽が暮れていた。
「怒鳴ってごめんねザカリ、怖かったでしょう」
シズルは真っ先に『仲間』で『家族』のザカリに謝って、銀の鬣のようなぼさぼさ頭をわしわし撫でた。
ザカリは涙目のまま破顔して、横たわったままのシズルにぎゅうっとしがみついた。
部屋を見回すと、シズルの『ほかの家族』の面々が、心配そうな顔で医務室の寝台の周りを取り囲んでいた。
ひとり、かなりお怒りの伯爵様がいるが、シズルはとりあえず、いつものようにへらりと笑って誤魔化した。
事情聴取は、当事者のひとりであるデュオが今現在邸にいないので、彼が帰ってからということになり、シズルは経過観察のためそのまま医務室で一夜を明かすことになった。
その日、デュオは夜遅くなってから邸に戻ってきた。
家主に黙って邸に戻り、デュオはそのままこっそり医務室のシズルの元へやってきた。
普段のシズルなら、深夜にこそこそ忍んでくる野郎など問答無用で叩き出すところだが、後始末をデュオに丸投げしてしまった手前、その後のことが気になっていたのでそのまま入室を許した。
デュオも、ザカリに任せた後のシズルの具合が気になっていた。ジークハルトはいざ知らず、シルベスタに見つかったら、恐らく今のシズルには近寄らせてももらえないだろうと考え、シズルの制裁覚悟で寝ているだろうところに忍んできたのだった。
シズルはデュオが来ることを予想してたのか、深夜にもかかわらず起きて待っていた。
番犬ならぬ番魔物のザカリは、元の魔狼の姿に戻って寝台の側に寝そべっていた。さすがに医務室なので、シズルはザカリが寝台の中に入ることを許可しなかった。
ザカリは深夜の侵入者に気づくとがばりと頭を持ち上げたが、デュオと分かるとそのまま前足に頭を戻して眠ってしまった。
「どこいってたんですか、鬼畜の闇医者はどうしました?」
「知らねえ。膝を砕いて、二度と悪さできねえように喉を焼いてから、ギネカんとこに放り出してきたからな」
この世界の人間は、いくら魔力があっても呪文を唱えないと魔術が使えないという『原初の0』の理に縛られている。
デュオに喉を焼かれたことで、スクーロは今後一切魔術が使えない身体になってしまった。魔法治療では一度失ってしまったものは元には戻すことはできない。
つまりスクーロは、『魔力のある只人』になってしまったのだ。
「うわー・・・デュオもかなりの鬼畜っぷりですね。私がせっかく助けたのに、水の泡じゃないですか。で、ギネカさんは何か言ってました? お抱えの魔法医だったんでしょうに」
「だから知らねえって。俺は命までは取ってないが、ギネカに引き渡した後のことまで知るかよ。それよりシズルは大丈夫か?」
俺は?
何やら怪しげな台詞だったが、シズルには裏社会の掟など預かり知らぬことだった。
面倒くさいことは嫌いなのである、ふたりとも。
「打たれ強さには定評があるので心配は無用です。ただ力を使うとやたらお腹が空くんです。また何か奢ってくださいよ、デュオ」
「おっかねえ辺境伯の説教が済んだら、だな」
「うえ」
デュオの言葉に、シズルがジークハルトから受けそうな一連の刑罰を想像して渋い顔をした。
その後、闇医者スクーロの姿は領都の街のどこにも見られなくなったという。




