奉仕 「無料奉仕と新しい魔物?」
ほう−し 「タダ働き。下半身の魔物(笑)」
シズルの現在の立場は、ジークハルトの護衛官ということになっている。
なっている、というのはあくまでも当時なんの身分保障もなかったシズルを、手元で保護しようとしていたジークハルトの建前だった。今は一応、領民という立場は得たが、本当のところは無職だ。
シズルは最初から市井に出たがっていた。
今でもそれは変わらないようで、暇を見つけては街へ行き、新しい生活基盤を模索しているようだった。
しかし、街に出かけるたびに何か問題を起こしてくるような気がするのは、決して気のせいではないような気がする。
ジークハルトは思わず渋い顔になった。
「ひとりで出歩くのは賛成できん」
「なんでですか? 領民にもしてくれたのにまだ信用がないんですか? やっぱり私が魔物だからですかっ」
シズルがやや大袈裟に、わっと顔を覆った。
なんてわざとらしい、こんなものに騙されるのは。
「・・・! シズルそんなことは!」
案の定、シズルに甘いシルベスタがひっかかった。
シルベスタはシズルのことを、最初から気にかけていて今では兄妹のように接しているが、ミゼンの庵での『狭間』の出来事やデュオの行使した眩惑術の件以来、以前からやや過保護ではあったが、今はその過保護ぶりにますます拍車がかかっていた。
「お前はっ。魔物を免罪符に使うなと何度言えばわかるんだ。ギネカの件を忘れたとは言わせんぞ! 凶悪凶暴な問題児のお前をひとりで街に放つなどできるかっ」
つい先日、領兵たちがシズルのために設けた酒席のあとで、シズルはギネカと接触し、彼が所有する娼館の屋根の一部を吹きとばした。
ギネカから屋根の修理代金の請求がきたことで、それが発覚したのだが、その請求が来るまで、この半分魔物の娘は素知らぬ顔をしていたのだ。
「酷い! 相変わらず酷い! そもそもいち領民に監視をつけるなんて、立派なプライバシーの侵害ですよ。この異世界まで監視社会だったなんてがっかりです!」
「お前の言ってることは相変わらずさっぱりだが、兎に角駄目だ」
「・・・言いつけてやる」
何やら不穏な気配にジークハルトの背筋に悪寒が走った。
「何?」
「お姉さんに言いつけてやる。邸に監禁されて酷い目にあわされてるって、王妃様に言いつけてやる!」
シズルは魔物らしく、ジークハルトの唯一の弱点をつくという、とてつもなく卑怯な手を使った。
結局外出の許可を与えてしまったジークハルトだったが、実際のところこれからのシズルをどう扱うべきか悩んでいた。
本人の望むように市井で生活させてやりたいとも思う。
だがそう簡単にいかない理由がいくつもできた今は、このまま邸に居させるほかはないとジークハルトは考えていた。
幸いにもその日は何事もなかったようで、シズルは何故かご機嫌な様子で邸に帰ってきて、ジークハルトやシルベスタを安心させた。
だが、別にシズル絡みの問題は、当人が街に繰り出さなくても起こりうるのだと、ジークハルトはたった数日後に、考えを改めることになってしまった。
「雇ってください、金は要りません」
その男は唐突に現れ唐突に口を開いた。
唐突、というのは登場の仕方であって、今回は行儀よくきちんと先触れを寄越した上で転移の間に現れたのは、灰色の長髪を三つ編みにし、少し色の入った変わった眼鏡をかけた青年で、城付きの高位魔導士『番号持ち』の二番目だった。
何やらまた面倒なことを持ち込んできた、と察したジークハルトの眉間に自然と皺が寄る。
「それは『雇用』とは言わん」
「それじゃあ『無料奉仕』で。推薦状もありますよ、ほらここに」
渋い顔のジークハルトを前にして、平然と言い直したデュオが、上質だがなんの変哲もない封書を、ついと差し出した。
ジークハルトは渡された書簡の封印と署名を見て頭を抱えた。
「・・・姉上は何を考えておられるのだ。それにこっちはミゼン殿の書簡ではないか」
「俺の人脈を活用させてもらいました」
デュオは悪びれもせず言い放ったが、どう考えても間違っている。
既に城付きの『番号持ち』という高位魔導士で、高給取りの人間が使う人脈の使い方ではない。
「それで、無料奉仕はいいがその仕事『内容』は?」
「フロトポロス領の専属魔導士として異能の調査と、新しい魔術の開発協力をシズルに頼みたい」
シズル曰く『省エネ』とかいう、防御主体の『反作用の盾』を、その後ミゼンがいろいろ試してみたところ、攻撃魔法よりも消費魔力が少ない上に、相手の攻撃をそのまま相手に返すという、とても効率の良いものだったのだという。
そんな風にミゼンやデュオなどの魔導士、果ては国王までも、この世界では既に停滞している、魔術の新しい試みのきっかけを異世界人のシズルが与えてくれるのではないかと、期待しているようだった。
「調査だと? お前まだ・・・!」
静かに対応しているジークハルトとは正反対に、シルベスタは先程からずっとデュオを睨みつけたままだった。その視線を対して気にした風もなく、肩をすくめてデュオが言った。
「勘違いしないでくださいよ、メントル様。何も人体実験紛いのことをするわけじゃありませんよ。どのみち魔術に精通した力のある魔導士がそばにいないと危険でしょう?」
ジークハルトには、デュオのその意味ありげな視線の意味は充分理解できた。
確かにミゼンの庵で見たあの力は危険だった。シズルが感情をほんの僅かに剥き出しにしただけで、硬い赤樫の床材が割れてしまったのだ。
しかもシズルの異能はまだ進化の過程で、これから先どんな能力が発現するかわからなかった。
「だが、そもそもお前は城付き魔導士ではないか」
「王命にすると国を挙げての話になっていろいろ厄介ですから、『辺境伯の雇われ魔導士が、その地に住むもう一人の異世界人を調査する』という、このかたちを取ることにしたんですよ。元々俺は世界のあちこち周ってて、城には殆ど居ませんでしたからね。本当はミゼン本人が来たがったんですが、さすがに国王付きの魔導士が城から離れるわけにはいかない、だから俺が来たんです」
理屈はわかったが、デュオはシズルに対していろいろ悪さをしていることもあって、ジークハルトはなかなか回答を出すことができなかった。
「だが、ミゼン殿の庵で起こったように、お前自体がその危険な力の発現の引き金になる恐れがある」
「気をつけますよ」
「信用できるか!」
黙って聞いていたシルベスタが遂に堪りかねて声をあげた。
あの後全てが済んで落ち着いた頃、シルベスタはジークハルトからシズルの家族に纏わる話と、デュオの行使した幻術の話を聞き、本当に悲しく腹立たしかった。シルベスタは散々シズルに絡んで、傷つけたデュオのことなど、これっぽっちも信用していないのだった。
「信じてくださいよ、俺には、惚れた女を虐める趣味はないですから」
「・・・・」
「・・・・」
「「 はぁ?! 」」
しばらく言葉の意味を噛みしめるように沈黙していた、ジークハルトとシルベスタが、息もぴったりに素っ頓狂な声をあげた。
「なんかへんな台詞が聞こえたんだが、シル」
「オレにも聞こえたぞジーク」
顔を見合わせてこそこそ言い合っていたふたりだったが、ジークハルトがいきなりデュオに振り向いて、真剣な表情で言った。
「お前、シズルに投げられすぎて、どこか変なところを打ったんじゃないか? うちにも腕のいい魔法医いるから診てもらえるぞ? いやむしろ今すぐ診てもらってこい」
「そうだぞ、ぜひアフセン医伯に診てもらったほうがいい」
さっきまで敵意剥き出しだったシルベスタまで、本気で心配そうにしている。
「・・・なんだ、俺はてっきり」
ふたりが、と言いかけたデュオが毒気を抜かれたように、ジークハルトとシルベスタを伺っている。
ジークハルトとシルベスタが、ふたり揃ってとても渋い表情になった。
「お前までやめろ。俺は風評被害の拡散防止に尽力して、今の状態に落ち着いているんだ。俺の趣味はお前ほど悪くない」
「オレはあの時のあれは気の迷いと確信したんだ、蒸し返さないでくれ」
ジークハルトは顰めっ面で、シルベスタは諦観の表情でそれぞれデュオに告げた。やがて気を取り直したジークハルトが、溜息と共に最終決断を下した。
「ミゼン殿の代理ということなら仕方がない。本邸の出入りは許可するが、この度は客人ではない。住まうところは兵舎か使用人棟になるが」
「それでかまいませんよ。それはそうと、肝心のシズルはどこです?」
「今日あいつはアディスが付き添って、ザカリたちと街へ視察に出ている」
「アディス?」
「ここの警備責任者でシズルの父親だな」
眉を顰めたデュオの問いかけに、ジークハルトが的確で簡単な説明をすると、それを聞いたシルベスタがぷっと吹き出した。
「そういえばもうひとり父親がいるぞ、なぁジーク」
シルベスタがそのあと半笑いでいうと、それを受けたジークハルトは思いついた名を次々と挙げた。
「ガストロか。アフセンもシズルに甘いし、ほかにもあいつを気に入っている保護者が山ほどいるぞ。まぁ頑張れ」
「なんにせよ一番の障害はザカリだな。あいつシズルに何度も、お前のことを『カンデイイカ』って許可を求めてたからな」
シルベスタのその話を聞いたデュオは、何故か微妙な顔になっている。
「冗談はさておき、無料奉仕にしろ正式雇用にしろ、公私混同は認められん。そのあたりはきっちりと線引きしてくれ、魔導士殿」
「わかってますよ」
「それと」
踵を返して退室しようとしたデュオに、ジークハルトは声をかけて念を押した。
「今度またシズルを玩具扱いしたら、今度は俺が俺の持てる人脈と魔力の全てを使って、この世界からお前を消し去ってやる。いいな」
嘘ではない、ジークハルトはその時には本気でそうするつもりだった。
ジークハルトはもう二度と、シズルのあんな哀れな姿は見たくないし、させたくもないと心の底から思っていた。
「わかりました」
魔導士は神妙な顔で返事をした。
視察から帰ってアディスと別れたシズルは、ジークハルトの執務室を出てきたデュオと鉢合わせた。
「あれ? なんでお邸にいるんですデュオ。ギネカさんの所にホンモノの転職したんじゃなかったんですか?」
デュオとはついこのあいだばったり街で再会して、というか、ぴーちゃんからストーカーに成り果てていた彼を出会い頭にぶん投げて、そのあとご馳走になったばかりだった。
シズルは、デュオがその時に通りかかったギネカと、意気投合してどこかに消えたと思っていたのだ。
まあ、その後の足取りというか、この辺境に来て何をしていたかというのは、噂話を含め、色々な方面からシズルの耳に入っていたのだったが、個人的なことなので黙っておいた。
シズルの問いかけにデュオの眉間に皺が寄った。
「本物の転職ってなんだよ」
「このあいだ私が、デュオにご馳走になったあと、ギネカさんと仲良くどこかへ行ったでしょう。あの時、私の代わりに勧誘されてたんじゃないんですか? それでてっきり、用心棒というちゃんとした職業に就いたと思ってたんですけど」
「えっ、デュオは城付き魔導士を辞められたの? ぼく辞めさせてもらえなかったのに」
辺境に来ることを決め、その少し前から攻撃魔法を封印していたテッセラは、城の魔導士たちとのしがらみを断つために、その『番号』を返上しようとした。
しかし、魔力の強いもののなかでも、限られたものにしか与えられない『番号持ち』の『番号』というものは一度与えられればそう簡単に手放すことは許されない。『番号持ち』の番号はただの番号ではなく、魔導士全体の権威の象徴でもあるからだ。
それに加えて彼を輩出した生家の子爵家の強硬な反対にあい、四番目は名前の返上を、泣く泣く諦めた経緯があったのだった。
「辞めてねぇよ。だからここにいる。シズルがミゼンの弟子になるのを渋るから、痺れを切らしたミゼンの依頼で、シズルを調べにきたんだ」
「調査・・・」
魔導士の『調査』というものがどういうものか、充分すぎるほど知っているテッセラがさっと顔色を変えた。
魔導士の調査は徹底していて冷酷だ。調査対象は体の内外問わず隅から隅まで魔導士の納得の行くまで調べられる。そこには腑分け、つまり『解剖』も含まれる。
「ああ、例の『腑分け』ですか?」
シズルもそのことは知っている。
シズルが知っているということ気がついたのか、デュオは急に真面目な顔になると、人の魔素が見えるという変わった菫色の瞳で、シズルを真っ直ぐ見つめて言った。
「惚れてる女にそんなことはしない」
「別にかまいませんけど、無抵抗主義ではないので、そちらもただでは済まない覚悟をしてくださ ん? 惚れてる?」
「前から変わったやつだと思ってたけど、デュオってば趣味わる、いひゃいいひゃい! やめへ、しるる!」
いつものように『口は災いの元』の体現者の口を抓ってシズルが言った。
「テッセラ君、君は賢いのかそうじゃないのかどっちなのかな? それより、なんだか変な台詞が聞こえたような気がしたんだけど」
「俺はお前に惚れてる」
「はあそうですか、それはどうもありがとうございます。でもそういうのは、まにあってますので結構です」
どうやらデュオは、シズルがデュオに纏わるあれやこれやを知っているということを知らないらしい。
シズルはデュオに自分の知っている『噂』のことを説明した。
「あのですね、幸か不幸か女扱いされていないせいで、皆さん、私の前でも平気で猥談をしてくれやがるんですよ。その中には最近この辺境にやってきた若い魔導士の話なんかもありまして、その方は随分とお金持ちの好色漢らしくて、『男専用の社交場』で何やらいろいろ喰い散らかしたとかなんとか。すげぇ、とうちの脳筋集団がえらく感心してましたよ?」
「・・・へー、俺の他にも辺境に魔導士が来てるのか」
若干、デュオの目が泳いでいる。
『男専用の社交場』ことギネカの娼館であんなことやこんなことをして、領兵の脳筋集団を羨ましがらせ唸らせたのは、どうやら本当の話のようだった。
シズルはさらに畳み掛けた。
「その魔導士は長い三つ編みで、へんてこな眼鏡をかけて綺麗な菫色の目をしてたと。そうそう、ギネカさんのところのお姐さんたちが『またいつでも来てね』だそうですよ、デュオ」
別に隠さずとも、シズルは『いい歳』なので、その辺の男性の事情も充分理解している。
だが、理解するにはまだ少し年齢と経験の足りないテッセラが、『喰い散らかす』を純粋に受け止めてシズルに尋ねた。
「ギネカってこの辺を仕切ってる商会の首魁でしょ? 飲食店なんかやってた?」
「クウ? マドウシ、エサ?」
ザカリも同様に、デュオが何か食事を摂ったものだと受け取ったようだった。おこさまふたりがしきりに首を傾げていたが、シズルはそれには答えず、にっこり笑ってデュオに告げた。
「なのでわざわざ、私に惚れたとか愛想振りまかなくても、調査や研究くらい付き合いますよ。仕事に支障が出ない限り、赤の他人のフリーダムな下半身事情には興味がないのでご自由にどうぞ」
その場で固まってしまったデュオを残して、シズルはそのままザカリとテッセラを連れて食堂へ向かった。
シズルは生物の進化の妙を肌で感じ、感慨に耽っていた。
シズルに懺悔の貢物をし、晴れてストーカーから普通の人間に進化したと思っていたデュオが、ストーカーやぴーちゃんを飛び越えて、エロ魔導士まで『退化』した。
果たしてこれから、また新たな進化や変態を見せてくれるのかどうかはわからないが、とりあえず健闘を祈っとこうとシズルは思った。
シズルは食堂に到着してからもまだ、デュオがどこで何を食べたのかを議論しあっている、ザカリとテッセラに言い含めておいた。
「デュオの嗜好はどうでもいいけど、 彼の行くとこについて行っちゃ駄目だよ。どの道君たちにはまだ早いから、今度本当のお食事処で何か美味しいものでも食べようね」
「うん!」
どこへ連れてってもらおうか、と顔を見合わせ話し出した、おこさまなふたりが嬉しそうに返事をするのを見たシズルは、野郎だらけのこの邸の中で、唯一の癒しとなりつつあるザカリとテッセラを、あの『下半身の魔物』から守ろうと心に誓った。
デュオ側のお話は「魔導士の懊悩」で