酒精 「猥談と鉄拳制裁」 【挿絵あり】
しゅ−せい 「アルコール、飲み過ぎ注意。猥談と鉄拳制裁」
ここは素敵な魔法の世界。
魔導士や魔法医、魔獣などが闊歩する世界で、シズルが知る現代社会とはほど遠い。
なので、当然セクハラの概念はない。
シズルは異世界からの招聘者で、魔術は使えないがそれを超えるような異能を持つ。体術も優れていて辺境伯の護衛官を勤め、使い魔を使役し、国王とも面識がある、半分魔物の『混ざりもの』。
いろいろな肩書きを持ちいろいろな呼ばれかたをするが、今一緒に酒盃を交わしている、フロトポロスの領兵のこいつらの頭からは、シズルが正真正銘の女性だ、ということがすっぽりと抜けているらしい。
仕方がない、といえなくもない。
そもそも最初は、全員がシズルのことを『領主が腕っ節をみこんで他国から連れてきた只人の少年』だと思っていた。しかもシズルは一番初めに自身に絡んできた兵士の肩を外し、その後、同じく絡んできた魔導士を血祭りにあげ踏みつけたのだ。そんなことをする人物を果たして女性と思うだろうか。
そんなこともあって、暫くは皆、シズルのことを男、少年だと思っていたのだから。
しかし、さっきから遠慮なく目の前で繰り広げられる、脳筋野郎どもの猥談に、シズルはいつ爆発してやろうかと虎視眈々と機会を狙っていた。
シズルは、領主で雇用主であるジークハルトに言わせれば『いい歳』なので、生半可なことでは顔を赤らめたりはしないが、すっかり酔いのまわった領兵の脳筋軍団が、娼館のお姐さま方の具合の良さを話し始めた頃には、さすがにその口に雑巾を詰め込みたくなった。
何度も言うがシズルは立派な未婚女性である。
「なぁ、シズルはどの娼妓が好み、」
最後まで言い切る前にその顔面にシズルの拳がめり込んだ。
「ほかに何か質問は?」
いっきに酔いが覚めたらしい、脳筋軍団は一斉に首をぶんぶんと横に振った。
「何もないなら、私はお先に失礼します。ごちそうさまでした」
シズルはにこやかにどす黒いオーラを放ちながら、懇親会という名の野郎どもの酒盛りから抜け出した。
おそらくこういう事になるだろうと、『見た目は美青年、中身はひよこ』な使い魔のザカリには留守番をいいつけてきた。幸い、友達になった『イイマドウシ』のテッセラが一緒なので、ザカリは以前ほどシズルから離れるのを嫌がらなくなっていたので、あまりごねられずに割とスムーズに外出できた。
今回の懇親会は、晴れて正式なフロトポロス領民になったシズルに対して、脳筋集団が設けてくれたささやかなお祝いの席だった。
・・・はずなのに、領兵たちは常識人で紳士なアディス団長がいないのをいいことに、酒量が増えるにつれ次第に主役のシズルはそっちのけになり、途中からどんどん話がピンク色をすっ飛ばして、かなり際どい猥談に発展していったのだった。
大事なことなのでもう一度言うが、シズルは以下略。
とにかく堪り兼ねたシズルは、脳筋のひとりに一発喰らわせてその場から離れ、酔い醒ましも兼ねて異世界の夜の散歩に出かけたのだった。
シズルは異世界では夜の街歩きなどしたことがないので、ふらふらきょろきょろしながら、いわゆる歓楽街と思しき界隈をぶらぶら歩いていた。
そんなシズルの耳に、建物の裏手の方で数人がもめているような、何やら不穏な声が聞こえてきた。
「何すんのよ! 触んないで!」
「いいじゃねえか、いつもやってることだろ?」
「馬鹿いわないでよっ! 誰があんたたちなんか」
夜の繁華街ではよくある、テンプレな会話のやりとりにシズルはここが異世界なことを一瞬忘れそうになったが、そのテンプレに沿った展開なら、このまま主人公が助けに駆けつけるということになるのだろう。
そもそもシズルは正義の味方ではないし、ジークハルトからくれぐれも喧嘩はしないように、との領主命令も受けている。
しかし、先程嫌というほど野郎どもにセクハラ口撃を受け、頭にきていたシズルは、そのまま小さな路地を進み、建物の陰になっている、その声の聞こえる場所に足を運んだ。
見れば案の定、顔を真っ赤にした酔客と思しき、ガラの悪そうな中年男が数人、ナイスバディの綺麗なお姉さんを取り囲んでいる。そのうちのひとりがシズルに気がついた。
「ああ? なんだ小僧、あっち行け!」
「まあそういうなよ。いろいろ興味ある年頃だろ、おれらのことを見学に来たのかも知れないぜ」
シズルは下卑た笑いを浮かべた男に黙って近づくと、いきなりその右脇腹を思い切り殴りつけた。
「がっ・・・!」
シズルのレバーブローを喰らった男は、そのままその場に倒れ込んで、息もできずに悶絶している。
「こっの糞ガキ! いきなり何しやがる!」
「餓鬼だから許されると思うなよ! 足腰たたねえようにしてやる」
残った男たちが怒鳴り散らしながら一斉にシズルに向かってきた。
何しやがるも何も『女性を救出する』という立派な建前を打ち立てたシズルの、イヤラシイ男に対する完全な鬱憤ばらしだ。
領兵たちと互角以上に渡り合うシズルには、端から酔っ払いなど相手にはならない。
まず先に近くにきた男の脛を蹴り上げ、動きが止まって屈み込んだその横っ面に力任せに肘打ちを叩き込み、ひとりをその場に沈めると、それを見て怯んだもうひとりのがら空きの鳩尾に、間髪入れず刺すような鋭い一撃を入れた。
あっという間に静かになった路地裏に、倒れた男たちのうめき声だけが聞こえている。
「大丈夫ですか?」
シズルは鬱憤ばらしが済んで、一応建前で『救出した』女性に声をかけた。
「助かったわ。それにしてもあんた・・・強いのねえ」
そう言ってシズルの前に現れたのは妖艶、というよりは肉感的で野生的な美しさを持つ女性だった。
「はあ、まあ。それより早く他所へ行かれた方がいいですよ、なんだか騒ぎを聞きつけて、新たな厄介ごとが来る気配がしますから」
シズルがそう零したのが合図のように、わらわらと厳つい男たちが現れた。
「なんでえこの騒ぎは!」
「あら、ギネカ」
「お知り合いですか? それなら良かった。では私はこれで」
「ちょっと待て坊主! こりゃあなんだ!」
未だ地面でのたうち回っている男たちを指して、ギネカと呼ばれた男がシズルを引き留めた。
シズルはギネカを見た瞬間に『やばい』と思った。人を見た目で判断してはいけないが、明らかにカタギではない匂いがぷんぷんしている。
ギネカは禿頭でとても厳つい顔をしており、なおかつその顔が傷だらけだ。眼光鋭くガタイも良くて、いかにもな裏社会の人間の風情を醸し出している。
街を出歩くようになった時にジークハルトから受けた注意事項のひとつとして、この街を仕切るの商会長だという『ギネカ』なる人物の話があった。
その時に、ギネカは真っ当ではないが根っからの極悪人ではない、とジークハルトから彼の素性はひと通り聞いてはいたが、これほどまでに『その筋の人』っぽいとは思っていなかった。今シズルの頭の中には、任侠映画でお馴染みの有名なBGMが流れている。
「そちらの女性を助けただけですが、いけませんでしたか?」
「いいぜ、と言いたいところだが、いけねえよ。俺の縄張りで勝手してもらっちゃあ困るぜ坊主」
ギネカはちっとも困ってなさそうな顔で、未だに地面で苦しみ悶えている男たちを見下ろして禿頭をがりがり掻いた。
「ギネカ、そのひとは『お嬢さん』だよ」
「はぁ?!」
ギネカは心底驚いたような声をあげた。
いつものことなのでシズルは馴れっこだったが、本当はいい加減うんざりしていた。
「ったくどこの世界でも野郎どもは、どいつもこいつも人を見た目で判断しやがりますよね。骨格からして明らかに男とは違うだろうに、そのふたつの目玉はガラス玉かっての。ペチャパイには女性としての生存権はないのかこんちくしょう。フェミニストの人権団体に訴えてやるっ」
シズルはこれでもか、というくらい眉間に皺を寄せて、ぎりぎりと怨嗟を吐き出した。少し酒が入っていたので、普段はあまり表に出さない心の声が漏れ出たようだった。
「本当に女なのか? こいつ」
そう言ってギネカは上から下までシズルを眺めた。
簡素なシャツに黒っぽいズボンに短ブーツ、肩までの髪をひとつ結びで、変わった色味の緋い目は印象的だが、どう見てもちょっといいとこの坊ちゃん風だった。
ギネカは無謀にも、シズルをもっとよく見ようとその肩に手をかけた。
シズルは無表情でその腕を掴み、いつぞやコニスにやったように関節をきめ、ごきりとギネカの厳つい肩を外してやった。
荒事に慣れているはずのギネスが、ぎゃああと大きな悲鳴をあげた。
地面で悶絶する男が四人に増えた。
「てめえ! ギネカさんに何しやがんだ!」
ギネカの舎弟らしき男たちが殺気立ったが、その中でも一際目立つ男がいた。
その男は表立って殺気を放っていなかったが、それがこの男が本当に荒事に慣れている証だとシズルにはすぐわかった。
あちらの世界でもこういう輩が一番恐ろしかった。こういう場合、大抵シズルはどさくさに紛れてさっさと逃げて、直接対決は避けてきたが、今現在、この場で無難にやり過ごすのは無理そうだった。
男は強面の厳ついギネカとは対照的にほっそりとした優男で、周囲に埋没しそうな目立たない服装をしていた。特に筋肉質というわけではなかったが、この魔法の世界では、ガリガリだろうがもやしだろうがそんなことは関係ない。
魔力さえあればいいのだから。
優男は相変わらず殺気も何も感じさせないまま、シズルとその足元で肩を押さえうんうん唸っているギネカに近づいてきた。
「すみません。いきなり触られたものですから、つい。今、元に戻します」
シズルはそういいながら攻撃された時の用心のために、相手の攻撃が、威力もそのまま相手に跳ね返る『反作用の盾』を自分の周りに展開しておく。もちろんシズルの異能の発動に呪文は必要ないので、優男に気づかれることはない。
「エパナフォラ・ティス・オモスキニ」
優男がいきなり呪文を唱えた。やはりこの優男は平民にしてはある程度の魔力があるようだった。
幸いなことに優男が唱えた呪文は、シズルを攻撃するものではなくギネカに向けられたものだった。その呪文によって、シズルに外された肩が元に戻ったようで、肩を摩り腕を回して無事なことを確認しながらギネカが立ち上がった。
「ふえー、助かったぜ先生」
先生?
「あなた、お医者さんですか?」
全く物怖じしないシズルの問いかけに、優男はピクリと眉を上げ低いバリトンボイスで囁くように答えた。
「一応は。だが正式な魔法医ではない」
「かっ、」
「か?」
「カッコいい! 何? もしかしてブラックでジャック的な闇医者とかそういうやつ? 医者なうえに只者じゃない殺気の隠し方、何者? 凄い!」
興奮で顔を紅潮させ、凄い凄いと騒ぎ立てるシズルを、ギネカを含めたその場の者たちはあっけにとられて見ていた。
シズルは少し、どころかかなり悪酔いしているようだった。
「砂糖のかけらは甘くない」続編となっております。
引き続きよろしくお願いします。