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はじめに

 過ぎ行く列車を呆然と見送る。

何の変哲もない昼下がり、僕は名前も知らないとある駅にいた。

駅名の表示板もなく、それどころか人気が全くない。

辺りは、地平線の向こうまで青々しく生い茂った草原が広がり、風が吹き抜ける音だけしか耳に入らない。とにかく今にも崩れてしまいそうな、ひどく寂れた駅だ。そう言えば、この駅で降りたがる客は三日ぶりだと、切符売りが僕を見て言ったのを思い出す。彼は笑っていた。

荷物も持たないビジネススーツ姿の中年男性が、この駅行きの切符を買う理由を、彼はよく知っているようだった。僕は天を仰ぎ、同時に瞳を閉じる。ここに着くまでの車内でタバコを一箱分吸った所為か、将又、全てが緩慢に感じられるこの場所の所為なのか、とても心が穏やかになっていた。まるで、あの純粋無垢な少年時代のように。しかし、今となっては遠い日の微かな記憶。


 物思いに耽るのも大概にして、ズボンのポケットから切符を取り出し、改札へと向かった。駅の雰囲気に似合わず、自動改札だったので僕は少し表情を緩めてしまう。切符を差し込み、外へ出ようとするがブザー音と共にバーが閉まった。挿入口まで戻り、再度切符を入れてみるが、またブザーが鳴って僕の進行を阻んだ。ちゃんと区間分の料金を払ったし、切符だって折れ曲がってなどいない。

人を呼ぼうにも何分無人駅のため、どうにもしようがない。僕は意を決して、改札のバーを飛び越えようと、助走をつけるため少し後ろに下がった。

「・・それ、壊れてるでしょ?」

咄嗟に聞こえた背後からの細い声に、僕の体は硬直する。

恐る恐る振り返ると、そこには駅員服の上に紺色のコートを着た人が、箒と塵取りを持って立っていた。

初めは見るからに幼い顔立ちと、髪型が淡い紫色のショートヘアだったため、十代半ば位の少年かと思ったのだが、胸部の僅かな膨らみと声の高さから、女性であると分かった。さらによく見ると、右目の下に雫のような模様の刺青がある。今の世の中、子供が働いているのは満更珍しい事でもない。

「ここ最近、改札を利用されるお客様がおられませんから、整備を怠っていました。誠に申し訳ございません」

彼女は帽子を取り、謝罪の言葉を述べたが、顔面の筋肉がピクリとも動く気配がなく、表情は全く変わらない。まるでマネキンのようだ。

「・・・君、ここの駅員? てっきり無人駅だと思ってたんけど」

「この駅で、駅長を務めている者です」

無表情でそう答えると、彼女は懐を弄って錆付いた鍵を取り出し、改札の隣にある駅長室の鍵穴にそれを差し込んで、僕を手招きした。

「今から少しイジりますんで、どうぞ中でお待ちください」

「君に切符を見せるから、それで通してよ」

僕は彼女に切符を見せたが、彼女は首を横に振った。

「一応、決まりなので。それに、これから自殺する人を、行かせるワケにはいきませんよ」

そう言った彼女は、僕を無視して駅長室に入っていき、暫くしてから工具一式を持って、また僕に部屋へ入るように勧めるのだった。



 

 「直るまで、もう少し時間が掛かると思います」

戻ってきた彼女は、テーブルの上にティーカップに入ったホットミルクを二つ置いた。僕は一礼をしてからそのカップを口元に近づけ、そして口内に含む。

「・・・少し、甘いんだね」

「私が甘い物好きなので。お気に召さないのでしたら、そこの流しにでも捨てて下さい」

「いや、これはこれでおいしいよ」

僕は精一杯の笑顔で返したつもりだったが、彼女は鉄仮面を外してくれず無表情のまま。今になって初めて気が付いたのだが、この駅には時計が無いし、腕時計も外してきたので、本当に今が何時なのか、皆目見当も付かなかった。

「時計が無いのは、私が時間に縛られる事が嫌いだからです」

不意に彼女がそう言ったので、僕は驚いて頭を擡げる。

「・・君は、僕の心が読めるのかい?」

「なんとなく、あなたがそう思っているんじゃないかと」

彼女は猫舌なのか、ミルクを吐息でずっと冷ましていた。何故ホットにしたのだろうか。

部屋の中には、やたらと目立つ大きな時刻表と簡易のキッチンと流し台、その傍に置いてある灰色のトランク、テーブルと同じ木製の座椅子が二脚、そして小汚い食器棚があるだけだった。

「この駅の名前、聞いてもいいかな?」

「『無題』と書いて、『ななし』と読みます。でも、あなたのような自殺志願者がこぞって訪れるので、『自殺駅』って呼ばれてると聞きました。正直とても不本意です」

「・・・・」

「こんな事聞くのも野暮ですが、何故自ら命を絶とうと?」

無表情で首を傾げた彼女は、どこか不気味だった。

「・・よくある、借金で首が回らなくなったというやつだよ。リストラにあって生活苦になった僕は、高利貸しに手を出してしまってね。返済の目途も立たないまま、借金だけが膨らんで、夜逃げを繰り返す生活に嫌気が差したんだ。知人の紹介で、ここが自殺するのに何かと都合がいいと聞いたから、遥々この駅へやって来たんだ」

「・・・親族や奥様は?」

「生憎、両親は僕が幼い頃に他界したし、この年まで独身だったからね。人付き合いも苦手だったから友人はいなかった。つまりは僕の死を悲しむ人もいないよ」

「私は悲しいですよ」

「自分が働く駅で死なれると困るから?」

「そうです」

「・・正直だな君は」

苦笑いをした僕を尻目に、彼女はミルクを飲みほしたカップを流しにまで持って行き、水道で濯いだ。それから隣に掛けてあったタオルで水気を落とし、同じカップが並んでいる食器棚の列に戻す。

「この駅で死ぬわけじゃない、ちゃんと離れた所で死ぬよ」

「離れた所と言っても、ここらは草原が永遠と続いているだけですから、大抵の人は迷って餓死しているみたいですね。さぞ苦しかった事でしょう」

木製の座椅子に腰かけた彼女は、ガラス窓の向こうを眺め、そしてその窓に手を翳した。それから暫く、彼女は動かなくなった。気持ちの悪い沈黙が続いたので、僕から話題を振ってみる事にする。

「命を絶つと決めた日から、『生』にしがみ付いていた頃の自分が、愚かに思えてきてね」

僕が発した言葉に対し、彼女はゆっくり振り返る。

「いや、人間に生まれたのがそもそもの間違いだったのかな? 人間は望んで生まれてくるわけじゃない。両親の利己によって、この世に産み落とされる。辛い思いや苦しい思いをしても、最後に皆が行き着くのは平等の死。それなら、死を受け入れる事で、こんな簡単に現実逃避ができるんだから、僕は生きる事が苦痛に感じている人間は、即刻死を選んだ方がいいと声を大にして言いたいね」

「・・・望んで死ぬ分には構わない、ということですか?」

「ああ」

「矛盾してますね、それ」

そう吐き捨てると、彼女は座椅子から立ち上がって軽くノビをした。

「・・これは私の自論なんですが、人は何故『死』を恐れるのだと思いますか?」

「深く考えた事はないけど、途轍もない痛みが伴うから、とか?」

「それも一理あると思いますが、今のご時世、一瞬かつ痛みを感じない死に方なら幾らでもありますので、すでにそれは恐怖対象では無いでしょう」

「じゃあ、何だい?」

「記憶ですよ」

間髪入れずに答えた彼女は、小さな欠伸をする。

「家族や友人、あるいは恋人といった大切な人と歩んできた日々、色褪せる事のない大事な思い出、二度と振り返りたくない出来事、その全部が根こそぎ無くなってしまう。今まで培った記憶が、失われてしまう事が怖いんです」

「・・・随分と下らない自論だね。僕は微塵もそう思わないなぁ」

「当たり前ですよ。だって、あなたはそんな記憶を一緒に作る人がいなかったんでしょ?」

思わず頬を掻く手を止め、彼女を瞳孔が開いた目で凝視してしまった。無意識に声が出そうになったが、喉の奥で何かがそれをせき止めたので、代わりに拳を強く握った。

「・・気に障ったのでしたら、すみません」

悪びれた様子も無く、平謝りをした彼女は自動改札の方を指差した。

「あの改札、実は面白い細工がしてありまして。この世に未練がある人間を通さないようにしてあるんですよ」

「!? 壊れてるんじゃ・・・」

「いいえ、なら試してみましょうか。切符をお貸しください」

彼女は扉を開け手を差し出してきた。僕はその手の上に切符を置くと、彼女は僕にも外へ出るように言い、僕が外へ出たのを確認するや否や、早歩きで改札まで行って挿入口にその切符を通す。すると普通にバーが開いた。

「騙したのか」

「そうなりますね。あなたの真意が知りたかったので」

そう言った彼女は幼気な目を伏せた。

「記憶の無い人間なんていませんよ。例えば、穢れのない子供の頃はどうですか? 未来は希望に溢れていたんじゃないですか? 叶えたい夢や、やりたい事が山ほどあったんじゃないんですか?」

「・・・忘れたよ、そんな事は」

「本当に死にたい人は、律儀に改札なんて通りません。それに今までこの駅を訪れた人は、私の言葉に聞く耳を持つ人などいなかった。皆が本当に人生に絶望した人達でしたから」

「・・・僕だって同類だよ」

「『生』にしがみ付きたくても、それが出来ない人がいるんです。明日さえ生きれない人がいるんです。それを横目に『死が現実逃避になる』なんて、自分勝手な事を言っているにも程があるんじゃないですか?」

「じゃあどうすればいいんだよ!」

僕は握ったままの拳を壁に叩きつけ、せき止めていた怒りを彼女にぶつけた。大人気のない事は重々承知、それでも彼女があまりにも痛い部分を的確に抉ってくるので、ついに堪忍袋の緒が切れたのだった。

「そうだ、僕はまだ死にたくない! やり残した事だってある! でも、仕方ないじゃないか! 戻ってもどうせ僕は殺される、ならここで朽ち果てた方がマシだ!」

「・・・・」

「それとも君が、僕の借金を肩代わりしてくれるとでも言うのか? 君みたいな子供に払えるような額じゃないんだぞ! 生意気に説教するのも大概にしろ! 君に僕の気持ちが分かって堪・・・」

僕が怒りに任せ、ものすごい形相でそう言い切ろうとした時

「・・あなたはまだ救いがある」

と彼女は割って入った。そしてまた部屋に戻って、キッチンの傍にあった灰色のトランクを持ってくるなり、僕の前で、それを開けた。

「だってお金で解決出来る事でしょ?」

ただ単純に絶句した。これだけ大量の札束を、僕は初めて目の当たりにするからだ。

「〆て1億ビルあります。これで借金を返済してください」

「・・・何でこんな大金を」

「どうぞお気になさらずに。人一人の命がこんな紙切れで救われるのなら、私にとって、それはとても喜ばしい事なのですから」

静かな彼女の言葉と重なるように、遠くの方から汽笛の音が聞こえてきた。


 

 僕は受け取ったトランクを両手で持ち、出発のベルが鳴り響く列車に乗り込んだ。

そして、見送りにきた彼女と、もう一度向き合った。

「・・・本当にいいのかい?」

「元々、あなたのような人を助けるために貯めていたお金ですから、お返し頂かなくても結構です。私もこの駅で人が死ぬのは、金輪際終わりにしたいので」

もう二度とここへは戻ってこないように、と彼女は人差し指を立てて忠告する。

僕は深々とお辞儀をしてから、感極まった声で謝礼の言葉を述べた。

「ありがとう・・・恩に着るよ」

「・・・行かれる前に一つ、お聞かせ願いたい事がありまして」

「何でも聞いてくれ。君には、これで大変な恩恵ができたからね」

「あなたにこの駅の事を教えた人物、どんな方でしたか?」

「あぁ、実は途方に暮れて、バーで独り飲みしている時に偶々声を掛けられてね。黒衣って言うのかな? とにかく黒色の白衣を着ていて、髪が長くて目付きの悪い女性だったよ。年端は若かったけど、君より少し上ぐらいに見えたね」

「・・・さっきから誤解されてませんか? 私は今年で24ですよ」

「! 成人してるのかい!?」 

「まぁ、よく間違えられるんで仕方ないのですが。なにしろ童顔なものでして」

「そうなんだ・・・」

僕は完全に子供と接していた気分だったので、意表を突かれたような気がした。

「じゃ、じゃあ君と同い年位の人だったよ」

「その人は、メガネを掛けていましたか?」

「掛けてたよ。銀色フレームでレンズが丸いやつを」

「・・・やっぱりカルマの仕業か。余計な事しやがって」

急に言葉使いが乱れたので、少し驚いた。

「もしかして知り合い?」

「独り言なんで気にしないでください」

「そっか」

大きな欠伸をしている彼女、僕はもう会う事はないだろうと直感的に悟っていた。もうすぐ扉が閉まりそうだ。僕は最後に気になっている事を、思い切って尋ねる事にした。

「名前・・・」

「はい?」

「いや、これも何かの縁じゃないかって思ってね。それに初めに君を見た時、何か引っかかる事があったんだ。だから教えてくれないかい?」

「・・・」

彼女は黙って空を仰ぎ、少し悩んだような顔をした末

「構いませんが、あまり私に会った事は他の人に公言しない方がいいですよ」

と奥歯に物が挟まったような言い方をした。

彼女は帽子を取り、遠くの先頭車両の覗き窓から、こっちを窺う車掌に手で合図を送る。車掌はその合図を確認すると、運転席に引っ込んだ。そしてゆっくりと扉が閉まっていく。

「・・・私の名前は、ハロルドと言います」

そして一呼吸置いてから、細い声で言った

「ハロルド・ジス・アルカディアです」



 その後、僕は彼女から受け取ったお金で借金をなんとか返済することができ、現在は小さな町工場で働いている。この年になって新しい事を覚えるというのは、ものすごく根気のいる事だ。

同い年や年下の上司に毎日のように怒鳴られ、扱き使われながらも、僕は今の生活を守ろうと必死で働き、ようやく職場の人間関係にも慣れ、それなりに充実した生活を送る事ができている。

友人と呼べるか分からないが、一緒に飲み明かす事のできる仲間も増えていった。

自殺を考えていたあの頃が嘘だったように、今が楽しく、愛おしいのだ。

それもこれも彼女のおかげだと感謝の意が日々溢れてくる。

しかし、彼女があのハロルド・アルカディアであると聞いた時は、鳥肌ものだった。

唯、彼女に会った事を仲間に話しても、誰も信じようとはしないのだ。

なので最近、『ななし』駅での出来事は何かしらの錯覚だったのではないかと僕は頭を悩ませていた。



 そんな折、仕事の帰りにあの駅を僕に教えた黒衣の女性と遭遇したのだ。

その女性はひどく機嫌が悪いようで、キリキリと歯軋りを立てながら、長く伸びた髪の毛を掻き毟っている。

夜も深けて、町中の明りが消え始めている時間帯だった。

「向こうで、ハロルドと言う女に会ったのか?」

腰を折って前のめりになり、強い口調で鬱陶しそうに尋ねてきたので、僕が首を縦に振る

「じゃあ、もうあの駅に人間を送り込めなくなったな。お前の所為で」

申し訳ないが、そこから先はもう語る事ができなくなってしまった。

覚えている事は、二つだけ。

自分の首が地面に転がり落ち、それをその女性が蔑むように見下していた事と、

今まで培った記憶が、意識と共に消えていく恐怖感だった。



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