10 必要経費は惜しみなく
無事(?)に大団円(?)です。
朝霧の後任である阿木は、海外事業部長の推薦による人事だったが、外れてはいなかったようだ。
語学が堪能なのは言うまでもない事だが、入社してまだ浅い所為か謙虚だし、若い癖に気が利く。
「あ、僕はお先に失礼しても宜しいでしょうか?約束がありまして」
さり気無く彼女と二人にしてくれるし、仕事も手早い。
人当たりが良くて、何だか怖かった朝霧とは雲泥の差だし、彼女とも上手く行っている様だ。
彼女も『弟がいる所為か年下には興味がありません』ときっぱり断言してくれたから、新たなライバルになる可能性も低いし、何より阿木には学生時代から付き合いのある彼女がいるらしい。
まるで内田さんのようなタイプだから、上手く成長してくれれば、彼女の後任として第一秘書にもなれるだろう。
肝心の彼女、枝里とは躓きながらも思いの外、上手く行っている。
最初の誘いで最後に失敗し、二度目でもやはり別れ際でしくじったのに、週末の休み毎に会っては、出掛けたり、手料理をご馳走になったり、平日には食事を一緒にする事も多い。
未だに明確な答えを貰えてはいないが、誘いを断られていない、と言う事は、少なくとも付き合っていると考えてもいいのだろうか?
年末は年度末でもあり、忙しさに拍車が掛かるが、クリスマスと言う恋人達には外せないイベントもある。
スケジュールが空いているのか訊ねるのも怖いが、行動をしなければ何も進まない事は、今まで散々我が身が憶え込んで来た事だ。
「枝里、24日は空いてるか?その・・・一緒に食事でも・・・」
しながら、将来について語り明かす・・・事はまだ無理だろうか?
「あたしが洋樹さんの誘いを断ったりした事がある?」
彼女の名前を呼ぶ事を許して貰った次のデートでは、彼女から私の名前を呼んで貰う事も出来た。
そして確かに、最近では彼女が私の誘いを断る事はない。
それなら・・・
「・・・前に申し込んだ『結婚を前提にした付き合い』も承諾して貰えるのかな?」
彼女の口から、はっきりとした答えが聞きたい。
「あら?これだけ頻繁に二人で出掛けているのに、あたし達、付き合っていなかったの?」
その言葉にホッとする。
ここで『いつ、承知したのかしら?』とでも言われたら・・・暫くは誘いも掛けられない。
「じゃあ・・・24日は一晩中一緒でも構わないのか?」
咋な誘いだが・・・怒られるだろうか?それとも呆れるだろうか?
「それは当日の演出次第じゃない?女はムードに弱いものだから」
演出・・・プレゼントか?それともエスコートする場所とか?
ベタでも、一流ホテルのスィートルームを予約して、食事はレストランよりもルームサービスがいいのか?
いや、それでは如何にも・・・だろうか?
プレゼントも指輪とか?
いやいや、それよりも服とか?
いっそ、旅行は・・・仕事が忙しいから無理だな。
有名な遊園地・・・も、この年だと人混みが・・・彼女もあのキャラクターが好きだと言った事はないし。
私は今まで彼女が何を喜んでくれたのかを考えた。
そして辿り着いた結論が、自宅に呼ぶ事だった。
今まで、彼女の手料理をご馳走になる時は、使い慣れたキッチンがいいと、彼女の部屋にお邪魔するだけで、確かに調理器具も調味料すら揃っていない自宅に呼ぶ事は憚られた。
でも、今回は酒と料理を揃えて、久し振りに自分の生活を見て貰う事にした。
そしてプレゼントは・・・
「この中から気に入ったものを選んで欲しい」
店に彼女のサイズに合わせた物を用意させて選ばせる事にした。
自分の趣味を押し付けても喜ばれるとは思えなかったし、何より身に着ける本人が選んだものが一番ではないかと思ったので。
「これ、綺麗ね」
彼女が選んだものは小さな石が付いただけのシンプルなものだった。
「これなら普段にもしてられるわ」
確かに、値段は安いが、いつも身に着けて貰えた方が私も嬉しい。
「深い意味があると思わなくてもいいの?」
「もちろん、これはクリスマスプレゼントで約束の証じゃない」
プロポーズのやり直しも、その答えもまだなのに。
それから、デパートで酒や食べ物を調達してから私の部屋に向かった。
一緒にデパ地下の食料品街を歩いたのは初めてだったが、楽しかった。
値段と味を比較して吟味する彼女を見ているのも新しい発見だったし、彼女と私の食べたいものを揃えられたのも意義があった。
彼女は無駄遣いがあまり好きではない様だと言う事が良く判ったし、それは私にとっても有り難かった。
あまり経済観念が違い過ぎる人と一緒に暮らすのは苦痛になるだろうと思っていたので。
二人で丁度満腹になれるだけの食料と酒で、二人だけのクリスマスイヴは満足いくものとなった。
「気に入って貰えたかな?」
私の問いに、彼女も微笑んで頷いてくれた。
「ええ、いいわね。こうして静かにのんびりと過ごすのも」
「出来れば、来年も、その先もずっと一緒に・・・こうして過ごしたいと言ったら・・・その、君はどうだ?」
一度は口にした『結婚』の言葉が、どうも照れがあるのか、上手く出て来ない。
「その・・・前にも言ったと思うが、今はこんな狭い部屋で暮らしてるが、一緒になるなら新しい家を建てても、マンションを購入してもいいし、君が作る家庭の一員に私も入れて貰えれば・・・」
歯切れの悪い私の言葉に彼女は溜息を吐いた。
「それって、あたしと結婚したいってことかしら?」
結局、彼女に言われてしまった。
「そ、そうだ」
彼女は呆れてしまっただろうか?
「簡単に家とかマンションとか仰いますけど、まさか不動産購入に必要な金額を知らない訳じゃないわよね?」
そう言われて、私は慌てて預金通帳と預金証書を引っ張り出し、彼女に見せた。
「これだけあれば、何とかなると思うんだが」
プロポーズする時に貯金通帳を見せる、だなんて無様にも程があるかな?
しかし、彼女は数冊の通帳と数枚の証書を見て、またしても溜息を吐いた。
「もしかしたら・・・とは思ってたけど、思ってたよりも多いのね」
私の言葉が嘘偽りではないと納得してくれただろうか?
「でも、このまま承諾したら、あたしはあなたの貯金目当てで結婚した事にならない?」
そう言われても・・・私としては彼女が承知してくれるなら、貯金目当てでも何でも構わないが。
「あたしは嫌だわ。自分の子供に『お父さんとお母さんはどうして結婚したの?』って聞かれて『お父さんが貯金をたくさん持っていたから』って答えるのなんて」
子供・・・そうだ!彼女と私の子供!
欲しい!切実に!
きっと彼女に似て可愛くてしっかりしている筈だ。
「子供に自慢出来るような、あたしが素直に頷けるような申し込みをしてくれなくちゃ」
彼女の要求は私にとってとても厳しいものだった。
私は彼女に納得して貰うまで、一晩を費やした。
それも、彼女がお気に召した言葉を探し当てられたからではなく、一晩と言う長い時間を掛けた事に頷いてくれたらしい。
おかげで、私は一晩中、彼女と出会ってからどんな気持ちでいたのかを洗い浚い白状させられる羽目になった。
恥ずかしかったし、とても疲れたが、夜明け近くになってやっと彼女が私に告げた言葉は、それでもその苦労に十分過ぎるだけの報いが得られるものだった。
「あなたがあたしのものになるなら、あたしはあなたのものになってあげるわ、洋樹さん」
こうして、私は念願の女性を手に入れた。
いや、私が彼女の手に入れられたのか?
いずれにしても、二人がいつまでも幸せに暮らせるのならば、些細な事だと思う。
その後の、彼女のご両親への挨拶とか、私の両親への挨拶とか、結婚の準備の為の雑事だとか、新居建設の為の準備とか、彼女の従兄弟たちからの祝福と労わりと嫌がらせなども、些細な事だ。
多分・・・
細かい事を色々とすっ飛ばしたので、女王様からムチを喰らいそうですが、彼女は暴力的ではないのでした。
人は努力と誠意を見せる相手を信用し信頼するものだと思います。
これにて、このお話は完結です。
お付き合い頂き、ありがとうございました。