そうだ、ベランダから行こう。
私には小学校から幼なじみの親友が2人いるの。
ひとりは格好いい男の子。潤喜。すごくカッコイイの。目がキリッとしててね、鼻はそんなに高くないんだけど、顔の造形が良いっていうか、バランスがいいの。もうほんとヤバイくらい格好いいの。どのくらいかって言うと、芸能人になれるくらい。私が思ってるだけじゃないよ? 友達の女の子がその子の履歴書をふざけて勝手に芸能事務所に送っちゃうくらいカッコイイの。しかも合格してたんだって。断ったらしいよ。せっかく私が履歴書用意するの手伝ったのに。友達は怒られちゃってた。彼は背が高くて、高校の時はバスケやってたの。憂い顔も怒った顔もカッコイイし、スポーツやってる時の真剣な顔も、男友達とふざけてる時の笑顔も素敵なの。
ひとりは可愛い女の子。春世。可愛いと言っても私と同じくらい? だから顔とか普通。目はそんなに大きくないし、鼻も大きすぎず小さすぎず。口は小さいかな、ちょっと羨ましい。あまり笑わないし、表情がとぼしいんだけど、時々笑うと私も見とれちゃうくらいカワイイの。守ってあげたくなる感じなんだよね。ずるいよね。私より体重軽いのに、胸もお尻も私より大きいの。わけわかんない。中学から眼鏡かけてて、三つ編みにして野暮ったい事になってた。図書委員とかやってたし。でも大学だと眼鏡清楚系ってモテるみたいでさ。遊んでる感じしないし、実際あのこ全然遊ばないし。潤喜と同じ大学に入れたのは彼女のおかげだけど、3人で勉強してた時からずっと、潤喜といい雰囲気なんだよね。
地元から近い大学(偏差値は高かったけど)に通ってたおかげで、大学時代までは3人と家族ぐるみで旅行とかに行ってたんだ。夏に海行って、秋に山登りして、冬にスケボーして、春は花見とかも行ったなぁ。潤喜と一緒に出かけられるって、友達から羨ましがられたんだよ。楽しかったなぁ。
潤喜って、気さくに見えて実は人見知りするとこあってさ。気のおけない人にだけ見せる顔とかあってさ。それもまたカッコイイんだ。潤喜が就職先で家族ともめた時、3人で集まって彼の悩みを春世と2人で聞いたりして。その時の真剣な顔といったら。彼は本気で悩んでたから不謹慎かもしれないけど、見とれちゃってたよ。
結局、潤喜は都内のパソコン関係の会社に就職。私も都内の営業会社の事務員。春世は地元の図書館の司書になった。春世だけ就職先は別れたけど、年末年始と夏の長期休暇は予定を合わせて遊んだりしてたんだ。家族ともいまだにつるんで旅行に行ったりしてるしね。さすがに年4回の季節ごとではなくなったけど。
春世には悪いけど、チャンスだと思ったんだ。彼が仕事で参った事があったんだけど、潤喜は春世より私を頼りにしてくれたの! 悩み相談したり、一緒に飲んだりしてさ! 結構盛り上がった時はふざけてキスしたりしてさ! 私の部屋に泊まりに来た事もあったの! 一緒にホラー映画ひと晩中見てた! 怖がってキャッて言って抱きついたりして!
就職してそろそろ2年になるの。私と彼が都内にきて2年。潤喜から、昨日電話があったんだ。大事な話があるんだって。相談に乗って欲しいんだって。
(これってあれだよね。相談ってそうだよね……。)
ついに来た! 何が来たって? 私へのプロポーズに決まってんじゃん! 潤喜って奥手だからさ、この年までまだ童◯じゃん? もう呼び出して告白なんて中坊みたい! でもいいの。私は全部わかってるから。全部知ってるから。全部受け止めてあげるから。私しかいないんだから。私が一番いいんだから。
喜色満面っていうのかな。ウキウキしながら待ち合わせの夜景が綺麗なレストランに行ったんだ。
潤喜は緊張してる感じで、テーブルに座ってたよ。どうやって切り出そうか迷ってるみたい。
いいんだよいいんだよ。どんなに拙いプロポーズでも私受け止めてあげるから! それともすごい演出があったりして! こんなレストランだし、告白演出とかサービス受付してそう。。。 はっ! まさかこの窓から見える夜景に私へのメッセージがあったり!
心臓バクバクしながら席について、潤喜の言葉を私は待ったんだ。
「よ……。悪かったな急に。とりあえず何か腹に入れよう。料理は頼んであるんだ。」
「……うん」
そうだよねそうだよね。お腹が空きすぎてちゃ、緊張して胃に悪いしね。すこしでもリラックスして、なめらかになった舌で言いたいことを伝えてよ。潤喜の準備ができるまで、私は聞くマシーンだよ。ウンしか言わないで待っててあげる。きっと聞いてもウンッて言うよ! 私は運ばれてきた前菜(スモークサーモンが数切れ載ったサラダが平皿に乗ってきた。かかってるスープが紫色? なにこれ?)を食べた。おいっしい!!
「実はさ、相談ってのは……」
「……うん。」
ふたりとも前菜を半分くらい食べたところで、潤喜が話す体制になった。私のサラダも下げてもらって、ようやく本題だ。さあさあ聞かせて! 見せて! なんて言ってくれるの?! なにをしてくれるの?!
「今度結婚するんだけど…… デキ婚でさ…… 家族とも付き合いは長いんだけど、付き合ってるのはこれまで伏せてて……。」
「……うん?」
私のアタマ、フリーズ。
「……結婚はいいと思うんだ結婚は。いい印象持ってくれてると思うし。」
「……うん。」
「冗談で『うちに来て娘をF◯◯Kしていい』なんていう人だし。……でも言動に反して実際は厳格な御家族だから、もう妊娠させてるって知ったらどう反応されるか……。」
「……う…ん。」
私は聞くマシーンだよ。ウンしか言わないで待っててあげる。
「明後日、”ここ”に家族に来てもらって、報告するつもりなんだ。……どうかな? 前菜、うまかったろ? 社長のおすすめのお店なんだ。」
「………うん。」
「相手の親父さんの思い出もあるお店らしくて、絶対にココで報告しろって言われた。なんなんだろうな? ……でさ、どう思う? 結婚の報告だけして、妊娠は伏せたほうがいいかな? でもやっぱり、いずれバレるわけだし、この場で言っちゃったほうがいいのかな? 彼女は『顔の形が変わるまで殴られるといいよ。あんた顔良過ぎてやっかむ人多いだろうから。変形した顔で披露宴するくらいでちょうど。』とか恐ろしいこと言うんだぞ? わけわからん。」
「………うん。」
えと…… あれ? 潤喜、何言ってるんだろ? 彼は奥手でまだ経験もなくて…… 彼はわたしが…… 今日はわたしに大事な話があって……。わたしはウンって言えば万事OKで……。
あれ? 彼がわたしにむかって手を降ってる。
「?? きいてる?」
「え!? ……うん。」
「ごめんなー。驚かせたろ? 相手の御家族にどこから漏れるか分からんから、付き合ってるのお前にも隠してたもんな。まぁその詫びはココの料理ってことで! 存分に食って感想きかせてくれ! 明後日と同じ料理を頼んでるんだ。下手なもん出せないからな。まぁ思い出の店ってことだから大丈夫なんだろうけど。念のためな。」
「…………うん。」
その後、出てきたコース料理は美味しかった。一緒に出たワインも美味しかった。持ってきてくれる人が料理の名前を言ってくれるけど、長くてよくわからなかった。ワインの名前は暗号みたいだった。
潤喜は料理を食べつつ、ウェイターさんにコース料理の中にあれるぎーがなんのと質問をしていた。そしてその合間に、彼女さんとの馴れ初めとか、嬉し恥ずかしエピソードとか、いろいろ話してくれた。
曰く、付き合い始めたのは大学に入学して少し経ってから。
曰く、最初のデートは向こうから誘ってきた。当日は時間に遅れて怒られた。
曰く、普段素っ気ないが、スイッチが入るとやたら可愛い。
曰く、彼女も最初は初めてで大変だった。
曰く、後から知ったが親御さんは各方面に顔が利き、就職の際に会社にもすこし口利きをしてくれた。
曰く、俺にはもったいないようないい女。
曰く、彼女は優秀で、家族は優良企業に就職させようとしたが、結局本人の希望で地方の公務員になった。
潤喜も長い間私に伏せていたのは少し後ろめたかったようで、調子に乗って食事中に言うことじゃない単語もずいぶん出てきて、ウェイターさんに睨まれたりしていた。
結局、『早めにバラしてしまった方が後腐れがなくていいだろう』という、彼の中で決まっていたような案に私がウンと言い、彼はハレバレとした顔でレストランのあるホテル前からタクシーに乗って帰って行った。
わたしは、潤喜の話で確信を持てたことがひとつあった。
同じ大学で、普段そっけなくて、でも時々可愛くて、大学入学前からいい雰囲気で、家族とも知り合いで、今は地方の公務員。
潤喜は、わたしとの話の中で彼女さんの名前をずっと出さなかった。なぜ? 必要ないからだ。私たちは3人一緒にいる時、それぞれの名前をあまり呼ばない。話の内容や仕草で誰に話してるかすぐに分かった。ツーカーの仲だった。気のおけない3人組だった。主語がなくても通じた。
わたしは春世の携帯に電話を掛ける。そういえば電話で春世と話すのは久しぶりだ。夏休みの遊びの打ち合わせ以来だ。もう少しで夜の10時になるだろうけど、あの子は起きてる時間だ。数回のコールで春世は携帯に出た。
『はいはーい。』
「春世、いまどうしてた? これから会える?」
『……ひさしぶり。 どうしたの? こんな夜に藪から棒に。』
「いいから。これから会える? こっち来れる?」
『あんたのアパートに? 電車は、(ぇっとー)あるけど、ほんとうにどうしたの? 声震えてるよ?』
「……聞いたの。」
『聞いた? 誰から? 何を?』
春世は白々しくそう言う。なんにも知らないみたいに。すごい演技だ。全然同様してない。なにこいつ。なんでこんな平然としてんの? こんな平然と幼馴染で親友の私に嘘つけるほど豪胆な根性してたの? マジかよ……。
いやそうか。春世は潤喜が私に春世とのことを話すってこと聞いてないんだ。彼はきっと色々悩んで、いろんなことで板挟みになって、神経をすり減らして、どうしようもなくなって私に頼ってくれたんだ。春世に言う前に私に相談して、私が春世のことを知れば解決してくれるって潤喜は私を頼りにしてくれたんだ!
「……聞いたの。潤喜から。結婚のこと!」
『…あー……。あいつ、ちゃんとあんたに言ったんだね。そっか……。』
こいつ! 嬉しそう! 声が弾みやがった!! そうだよな! 彼氏が隠してた彼女(自分)のこと友達に言うって嬉しいよな! でもお前私が潤喜のこと好きって知ってたくせに! ずっと好きだったって知ってるくせに!
『わかった! 今から行くよ。1時間半ちょっとかかるかな。』
「うん……。まってる。来て。」
問い詰めてやる! どんな思いで私に隠れてあんたが潤喜と付き合って、潤喜が好きな私のこと影で笑ってたこと問い詰めてやる! そして、そしてーーーそうしてどうしよう!どうしよう!どうしよう!どうすればいい!
そうだ! 潤喜はわたしを頼ってくれたんだ。私を一番に頼ってくれたんだ。春世に言わずに私に話したんだ! 解決しなきゃ。えっと、何を解決すればいいんだ?えっとえっとえっと
(「今度結婚するんだけど…… デキ婚でさ……」「妊娠は伏せたほうがいいかな? 」「顔の形が変わるまで殴られる」)
わたしは潤喜の話を思い出した。そうだそうだそうだ。潤喜はわたしが好きなのに春世と子供を作っちゃって、それを相手の両親に知られるとまずいんだ。だから春世を何とかして潤喜と別れさせれば解決!
『おっけー!! 今日は飲もう!!! 明日土曜だし丸一日だって付き合うよ!! 駅からの道にコンビニあったよね? お酒買い占めてくから!! わたしの奢りだから!!!』
「うん!!……。じゃ。」
お酒!! 春世の奢りぃ!!! 春世め、わたしがお酒好きなの知ってるからって、フフフ。美味しいワインも飲めたし、気分いいかも。潤喜から大事な話もしてもらったし。あとは春世が別れてくれれば全部解決!! ははは。でも妊婦さんがあんまりお酒のんじゃいけないんじゃない? ダメだよう春世。赤ちゃん大事にしなきゃ。あれ? でも赤ちゃんがいなくなっても解決? あはは!!
それにしても、ほんとうに春世め。春世は昔から私たち3人組のお姉さん役だ。一番誕生日遅いくせに。ムカツク。いつでも私たちの相談に乗ってくれて、あとから考えるとどうでもいい相談は適当に答えてくれて、大事な相談には本当に真剣になってくれた。お酒が飲めるようになってから、余計にあの子は私たちを相談に乗せて解決しちゃっれ。時々知らないうちに問題が全部終わってて、後になってから関係ない人に知らされて驚くとか、それを潤喜がマジギレして怒って春世が超泣いてたこととかあったっけ。はは! いい気味!! わたしだって相談されなくて寂しかったんだから!!!
あれぇ? フラフラするな。春世が奢ってくれたワインで酔いが回ったかな? うーん、とりあえず部屋まで返ってから少し休もう。そうだ。春世が来るまで時間あるし、それまでのぶんのお酒は自分で買って、待ってる間も飲んどこう。春世は頭がいいから、潤喜と別れてって言ってもわたしじゃ言いくるめられちゃいそうだし。そうだ! 武器も用意しよう武器!! 春世は体力がないからわたしにはかなわないもんねー! ちょっと脅せばいいんだ脅すだけ!! あんまりストレスを与えると妊婦さんはダメだもんね。ちゃんと勉強してるんだよわたし。
わたしは途中のコンビニで店員さんに言ってお酒さんを10本くらい買ってアパートに帰ってきた。建物のあるエレベーターでよかった。フラフラして階段とかのぼったら危ないや。手元がおぼつかないけどなんとか鍵を開けて部屋に入った。途中で2本開けちゃった(笑) 春世が来るまでもつかなぁ。
電気をつけて、テレビを付けて、ソファにダイブ!!! 缶のお酒を開けたらブシュウウウウウウウウウウウウ!!!って音がなった!! はは! 綺麗!! 何かじょうじょうする会社があって景気がよくなるとニュースがやってた。音はよく聞こえるのに、テレビの電波の調子が悪いみたいで、ずっと画質が悪い。
春世は思ったより直ぐ来てくれた! さすが春世!! 頼りになる!! まだ15分も経ってないんじゃない!? 速い!! お酒も沢山買ってきてくれた! はははは!! 両手にそんなに重いもの持って! 体力ないのに無理するからふらふらじゃん!!!
「あれ? ちょっとあんた鍵くらいかけときなさいよ! 危ないな。 あー、お酒こぼしすぎてびちゃびちゃ……。 って化粧落としなさい! マスカラとか目に入っちゃうからほらー。痛くないの!? メイク落としは……、クレンジングシート? 肌に悪いよ? もう、拭いたげるからほらじっとして!」
「はるよお〜〜〜 いらっしゃあ〜〜〜い〜〜〜 へへへぇ〜〜〜 はるよだあ〜〜〜(むんず)はああああ↑(フキフキ) るうううう↓(フキフキ) よおおおお↑!!!(フキフキ) はははあ〜〜〜〜 さっぱりい!! あ、テレビの調子良くなったあ!!」
「テレビ? ??」
春世はテレビを見て不思議な顔をしてる。ああ、春世が来てくれた。金曜日の夜に突然電話して、電車があったとはいえ地方から駆けつけてくれた。ってか1時間半って早すぎじゃない? 鈍行なら3時間半はかかるじゃんウチラの地元。特急? 新幹線? どんだけ急いでくれたんだよ! 超いいやつ!!
「もー、わたしが来る前にどれだけ飲んでんのさ。まあこれからもっと飲むからいいんだけどさ。とりあえずいったん換気するよ? 飲む前に酔っちゃいそうだよもう。」
「うん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ふふふう〜〜〜〜〜〜」
ベランダの窓を開けて換気してくれる春世。わたしは嬉しくなっていい気分。はあ、冷たい風が入ってきて心地良い。さて、春世が来てくれた。春世が来たら何するんだっけ? そうだ! お酒を一緒に飲むんだ。それで問い詰めて……なんだっけなんだっけ? そうだ潤喜だ! 潤喜がわたしと別れないと、春世が妊娠して……あれ? とにかく春世を問い詰めなきゃ! なんで内緒にしてたんだ!! そりゃわたしにはつらいことだけどさ!!! わたしだって幼馴染ワルガキ3人組の一角だよ!! 相談しないで取り返しの付かないことになったら呪い合うからなって約束したじゃん!! なんだよ! 仲間はずれかよ!! わたしだけ除け者かよ!!!
「はあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛る゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!!!!!! 」
「ん〜〜〜?」
わたしは問い詰めるんだ春世に!!! そんでしばらくしたら潤喜も呼んで、夏以来の突発飲み会だ!! 明日明後日は土日だし、飲み明かすんだ!! 明後日の日曜にご両親に挨拶する潤喜と春世には悪けどな!! ちくしょう! 潤喜にレストランで聞けなかった赤裸々話を語ってもらうぞ!! どんなふうに春世の初めてを奪いやがった!!! ついでだ私のも持ってけって!!! わはははは!! 結婚前だ浮気じゃない許せ!!!
「じゅう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!!!!!!!!!!! 」
「ぃつ!! あ」
わたしは春世にダッシュした。いつもそう。わたしは子供の頃から、泣くと春世に突撃して抱きつくんだ。だって潤喜に抱きつくの恥ずかしいじゃん。それに春世はいつもいい匂いがして、運動しないから柔らかくて抱き心地が良いのだ。最高のわたしの涙吸いとり機。わたしだけが知ってる春世のぷにぷに腹筋。春世は「あんたはわたしのミゾオチに何ぞ恨みでもあるんか!?」とか言って、ポカッってわたしの頭にげんこつを入れて、その後優しく撫でてくれるのだ。わたしが泣いてるのは、春世の一撃のせいってことになって、わたしは泣いてる理由をちょっとだけ忘れられる。春世はやさしいんだ。嫁になんてやらん。春世はわたしの嫁だぞ? でも……潤喜の嫁になるんだな……。
「あえ…… はるゆ? どこ?」
わたしの、春世をホールドしようとした両腕が空を掴む。春世がいない。ぷにぷに腹筋がない。わたしは泣きべそをかいた。ぐすぐすと鼻をすする。肌寒い。ベランダだからな。ベランダの中を見渡しても春世はいない。隅の暗いところにもいない。青いポリバケツの中にもいない。ハーブのプランターの下にも、洗濯機の中にもいない。まさかと思って、背筋を嫌な感触が撫でた。まさかまさかまさかまさか!! 手すりから落ちた!? 下はたしか1階のひとの花壇だ。ここは2階のベランダだから、落ち方が相当悪くなければ大事には至らない。でも運悪く花壇のレンガとかに頭が当たったら大変だ。救急車はえっと、119番は何番だっけ?! わたしはそろそろとベランダの手摺から下を覗いていく。
春世はいない。
どっと安心した。安心したから寒いベランダから避難する。避難して窓をしめるのだ。そしてソファにダイブ。都内に越してから春世の代わりになった、クタクタのクッションを抱きしめた。
「はるよお〜〜〜 どこお〜〜〜?」
返事はない。
泣くぞ。もう泣くぞ? ぷにぷに腹筋がないとなかなか泣き止まないぞ? いいのか? めちゃ我慢したぞ? レストランで泣かなかったし、部屋に帰るまで泣かなかったし、春世が来るまでちょっと泣いたけど、来てからだって泣かなかったんだぞ? これ以上意地悪したらマジでいじめだかんな?
「ううぅ〜〜〜。 うう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!!」
わたしは泣くのを我慢して、我慢して我慢して、結局泣いた。久々にわんわん泣いた。春世の持ってきてくれたお酒を飲みながらわんわん泣いて、自分の鼻水で咳き込んで、テーブルの上に吐いて、更にお酒を飲んで、もうどうにでもな~れと思って潤喜の携帯にガン掛けして起こして、「とにかく来ないとお前の全裸写真咥えて自殺してやるから!」とかなんとか脅して呼び出して……。
潤喜も直ぐに来てくれた。春世と違って都内に住んでるから近いんだけど。こいつらホントいいやつだ。いいやつ過ぎて吐くくらいに。わたしは涙と鼻水とあとなんか綺麗な液体が付いたぐちゃぐちゃな顔面そのままに、潤喜のミゾオチに突撃した。
あ゛ーあ゛ーわめきながら、春世が来てくれたのに居なくなったこととか、ずっと好きだったとか、ほかにも恥ずかしくて以後しばらくご近所さんと顔を合わせられないようなことを叫び散らした。
「春世が? あれから呼んだの!? でも……どこ行ったんだ?」
それからいろいろ大変だったのだけど、とにかくわたしの幼馴染で親友の女の子は、その日以来姿を消してしまった。
ただベランダから突き落としてくれるだけのキャラだった”わたし”ちゃんどうしてこうなった。
主人公は春世さん。次回から転移先の春世さん視点です。
わたしちゃんと潤喜くんの出番はだいたい終わりです。彼らが転移先に現れる予定はありません。